表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最弱の農民ロールの私、裏切った仲間ごと助けて救世主となる  作者: 農民
第3章:聖導リュミエール神聖学院
152/183

第152話:封じられた意図


「アニー……何かあったか?」


 背後から響いたユリウスさんの声に、はっとして振り返った。

 その手には、作業台の隅で見つけた小さな金属片が握られている。

 それはまるで蛇の鱗を模したかのような精緻な文様に覆われ、縁には黒く焦げた痕が残っていた。


 まるで何かを語りかけるように、冷たい光を宿していた。


「これ……何かの部品かもしれません。文様が、変で……」


 掌に乗せた小さな金属片をそっと差し出した。

 ユリウスさんは無言でそれを受け取ると、傍らの光にかざす。


 淡い光が金属の文様を照らし出し、蛇の鱗のような模様が浮かび上がった。


 その瞬間、クラリーチェさんとリゼリアさんの視線が、自然とユリウスさんの手元へと引き寄せられる。


 誰も言葉を発さなかった。

 ただ、その小さな欠片が放つ静かな存在感に、場の空気がわずかに張り詰めた。


「……記憶にはないけれど、これは“意図”を持って作られたものね」


 クラリーチェさんはそう呟きながら、そっと金属片に指を伸ばした。


 その刹那、クラリーチェさんの表情がほんの一瞬だけ変わった。

 何かが、彼女の奥底で揺らいだかのように──瞳がわずかに揺れる。


 だが、すぐに眉間にわずかな皺を寄せ、何事もなかったかのように手を引っ込める。

 

「……くだらない。こんなもので心を乱すなんて、私らしくないわね」


 言葉は平静を装っていたが、その指先はかすかに震えていた。


 まるで、心の奥底に沈めたはずの記憶が、静かに水面へと浮かび上がろうとしているかのように。

 しかし、彼女は指先の震えをピタリと止める。

 自身の揺らぎに気付いて、すぐに自分を律していた。


 そのときだった。

 

「……リゼリアさん?」


 声が、わずかに震えて空気を揺らした。

 視線の先に立つリゼリアさんの様子が、明らかに異常だった。


 彼女は扉の傍に佇み、手元の金属片にじっと目を注いでいる。

 だが、その瞳はどこにも焦点を結ばず、虚ろなまま宙をさまよっていた。


 まるで、そこには存在しない“何か”を見つめているかのように。

 その姿は、まるで時の流れから切り離された彫像のようで、場の空気がひときわ重く沈んだ。


「リゼリア?」


 クラリーチェさんが静かに呼びかけた。

 だが、返答はなかった。

 リゼリアさんは扉の傍に立ったまま、まるで時が止まったかのように動かない。


 その姿は、風も音も届かぬ別の世界に囚われているようで、ただ黙然と立ち尽くしていた。

 彼女の瞳は、いまだ虚空を彷徨い、現実の輪郭を捉えてはいなかった。


「リゼリアさん、大丈夫……?」


 不安げに声をかけながら、そっと一歩、彼女に近づいた。


 その瞬間だった。

 リゼリアさんの瞳が、ゆっくりと変化を始めた。

 瞳孔がじわりと広がり、虹彩の輪郭が滲むように歪んでいく。


 その黒は、ただの色ではなかった。

 まるで、遥か深淵の底から這い上がってきたかのような、冷たく、重く、異質な闇。


 見つめる者の心を吸い込むようなその瞳に、思わず息を呑んだ。


「……っ……!」


 胸に、ひやりとした違和感が走った。


 ──あのときと同じ。訓練区域でクラリーチェに異変が起きた、あの瞬間の感覚。


 空気がわずかに揺らぎ、見えない“何か”が、こちらを覗き込んでいるような気配。


 世界の膜が、ほんの少しだけめくれたような、そんな不穏な気配が、また──。


 無意識に息を詰め、リゼリアさんの黒く染まった瞳を見つめた。

 何かが、確実に近づいている。

 そう、あのときよりも、もっと深く、もっと近くに。


「リゼリア、しっかりして!」


 クラリーチェさんが声を張り上げ、彼女の両肩を掴んで強く揺さぶった。


 だがリゼリアさんの身体は、まるで糸の切れた人形のように力なく揺れるばかりで、反応はない。


 ユリウスさんがすぐさま駆け寄り、彼女の額に手をかざした。

 その指先から、淡い光がにじむ。


 魔力の流れを探るように、慎重に、しかし焦りを隠せぬ様子で彼は集中した。

 

「……魔力の波が……乱れている……これは……」


 彼の声は低く、緊張に満ちていた。

 何かが、リゼリアさんの内側で蠢いている。

 それは、ただの気絶や錯乱ではない。

 もっと深く、もっと異質な“何か”が、彼女の中に入り込んでいるのだ。


「魔力が共鳴している……まさか、暴走か?」


 ユリウスさんの声に、場の空気が一気に緊迫する。


「急いで、治療術師に見てもらいましょう!」


 叫びに、全員が即座に動いた。

 ユリウスさんはリゼリアさんの身体をそっと背負い上げ、その軽さに一瞬、胸を締めつけられる。


 クラリーチェさんは迷いなく先頭に立ち、迷路のような通路を駆け抜ける。


 最後尾に回り、何かが追ってくる気配を振り払うように、必死に周囲を見張りながら走った。

 足音と鼓動が重なり、緊張の波が一行を包み込む。

 リゼリアさんの中で蠢く”何か”が、今にも目を覚ましそうな気配を孕んでいた。


 地上へと続く階段を、三人は駆け上がった。

 足音が石段に響き、冷たい外気が容赦なく肌を刺す。


 ようやく階段の先に、淡い光が差し込んできた──そのときだった。


「……っ、あ……あああっ……!」


 ユリウスさんの背で、リゼリアさんが突然、激しく身をよじった。

 その身体が跳ね上がり、喉の奥から押し殺したような呻きが漏れる。


 まるで何かが内側から彼女を引き裂こうとしているかのように、苦悶の声がこだました。


 ユリウスさんは咄嗟に彼女を支え直しながら、顔をしかめる。

 その背に伝わる熱と震えが、ただ事ではないことを物語っていた。


「リゼリアさん!」


 駆け寄ろうとした、その刹那だった。

 リゼリアさんの身体から、ふわりと黒い靄が立ち上がる。


 それは煙でも影でもない。風のないはずの空気の中で、まるで意思を持つかのように揺れ、蠢いていた。

 生き物のように、静かに、しかし確実に周囲を侵食していく。


 クラリーチェさんは素早く左手を伸ばし、前に立ちはだかるようにして制止した。


 その瞳に緊張の色を宿しながら、鋭い声が空気を裂く。

 

「ユリウス、彼女を下ろして。結界を張る、今すぐに」

「このままにはできない!」


 ユリウスさんの返答は即座だった。

 その声には揺るぎない意志が込められていた。

 彼の瞳はまっすぐにクラリーチェさんを見据え、決意の光を宿していた。


「魔力が……漏れてる……!」


 ユリウスさんが歯を食いしばりながら声を絞り出す。

 リゼリアさんの身体からあふれ出す魔力は、もはや制御の域を超えていた。


 空気が軋み、周囲の魔力の流れが乱れ始める。

 

「我が祈りは光の盾となり、闇を拒む障壁と化す!聖域結界──ルミナス・アージス!!」


 クラリーチェさんの詠唱が静かに、しかし力強く響き渡る。

 足元から広がる光は、彼女の意志の強さを映し出すように澄んでいた。


 魔力の波動が空間を包み込み、透明な結界が一行を守るように展開される。

 それは、リゼリアから漏れ出す異質な“正気”──常軌を逸した魔力の奔流が、学院内に広がるのを防ぐための防壁だった。


 額に滲む汗すら、彼女の集中を乱すことはなかった。

 紅い瞳は、ただ仲間を守るという一点に向けられていた。


「アニー!誰でもいい、先生か……生徒会役員を連れてこい!!」


 ユリウスさんの怒鳴り声が、張り詰めた空気を切り裂いた。


 その声には焦りと決意が滲んでいた。

 リゼリアさんの魔力は制御を失い、今にも何かが溢れ出そうとしている。


 この異常事態を鎮めるには、学院内でも特別な力を持つ者の助けが必要だ──


 ユリウスさんはそう判断し、迷いなく叫んだのだった。


「え、えっと!」


 ユリウスさんの言葉に、胸の奥で、迷いが渦を巻いた。

 ──傲焔あざまるを使えば、リゼリアを救うことはたやすい。


 だが、それは同時に、自分が“勇気の聖女”であることを明かすということ。

 それは任務の失敗を意味し、何より──この混乱を仕組んだ“何者か”を取り逃がすことにも繋がる。


 拳が震える。

 目の前で苦しむ仲間と、果たすべき使命。

 その狭間で、彼女の心は激しく揺れていた。


「アニー、急いで。あなたなら、状況を正しく伝えられるはずよ」


 クラリーチェさんの声は鋭くも落ち着いていた。

 その瞳には焦りではなく、確かな判断と信頼が宿っている。


 一瞬戸惑ったが、その言葉に背を押されるように頷いた。

 

「す、すぐに戻ります!」


 振り返ることなく駆け出した。

 足音が石畳を打ち、風が頬を切る。

 その胸の奥には、怒りにも似た感情が渦巻いていた。


 ──許せない。

 この混乱は偶然ではない。

 誰かが仕組んだ罠であり、クラリーチェさんも、リゼリアさんも、ただの駒として利用されている。

 その黒幕が、どこかでほくそ笑んでいるかと思うと、心は燃えるように熱くなった。


 走る。

 仲間を救うために。

 そして、すべての真実を暴くために。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ