第13話:拾われたスキル
魔物の群れが沈んでいくにつれ、通路に静けさが戻ってきた。
石畳に残る血と泥の匂いが、冷たい空気に混じってゆっくりと薄れていく。
最後の一体が石畳に倒れると、金属が擦れるような小さな音だけが残った。
ミリアリアさんが剣を収める。
刃が鞘に滑り込むとき、短い金属音が暗がりに吸い込まれた。
オーグさんが拳の握りを解く。
指先に残る振動が、まだ戦いの余韻を伝えてくる。
乱れた空気が、ゆっくりと落ち着いていく。
私は壁から離れ、若い男のそばに戻った。
壁の冷たさが背中に残り、石の冷気が足元からじわりと伝わる。
彼は壁に背をつけたまま、床に座り込んでいた。
膝を抱え、震えが止まっていない。
呼吸のたびに胸が小さく上下し、その音が静寂の中で大きく響いた。
「……大丈夫ですか」
声をかけると、彼はゆっくりと顔を上げた。
泥と汗が張りついた顔。
目の下に深い隈。
喉がひゅっと鳴った。
「……はい。助けていただいて、ありがとうございます」
声はかすれていたが、礼儀だけはきちんとしていた。
言葉の端に震えが残り、感謝の重さが小さく伝わってくる。
ミリアリアさんが静かに近づいてくる。
彼女の足音は石に吸われるように柔らかく、しかし確かな存在感を放っていた。
「何があった」
問いかけは短かったが、責めるような響きはなかった。
ただ、状況を把握しようとしている声だった。
男は少し躊躇してから、口を開いた。
「……仲間に、置いていかれました」
その言葉に、通路の空気がわずかに沈んだ。
言葉の落ちる瞬間、床に残る埃が舞い上がるような気がした。
「話せるか」
「……はい」
男は膝の上で手を組んだ。
震えていたが、止めようとはしなかった。
指の節が白くなり、爪の先に力が入っている。
「……ロール"料理人"というのを、ご存じですか」
聞き覚えがなかった。
ミリアリアさんも、わずかに眉を動かした。
「初めて聞く」
「そうですよね。教会が設立されてから、初めて発現したユニークロールだと言われています。でも実際には……リンゴや死んだ魔物を変換するだけで、何の役に立つのか、僕自身にもわからなくて」
男は道具袋から茶色い物体を取り出し、地面に置いた。
布が擦れる音が小さく響き、湿った空気に甘い匂いが混じった。
「これが、その変換したものです。アップルパイ、と言います。ガルドさん──パーティーのリーダーは、これを見て……」
そこで言葉が詰まった。
続きを言わなくても、想像がついた。
彼の肩が小さく震え、視線が床の一点に留まる。
「本当のことを言えば、連れてきてもらえなかったと思います。だから……最初は、隠してました。それでも、いつかは戦力になれると思っていたので」
言い訳のような、懺悔のような声だった。
胸の奥で何かが固まるような音がした。
「ここまで荷物を運んで、それで……ダンジョンの中で、スキルがばれて。魔物が出たとき、囮にされました」
男は顔を上げなかった。
膝の上の手が、白くなるほど握られていた。
唇が震え、目に光が戻らない。
「名前は」
「……ケビンです。ケビン・ハーツ」
「そうか」
ミリアリアさんは短く頷いた。
責める言葉はなかった。
その頷きには、計算と慈悲が同居しているように感じられた。
オーグさんが腕を組んだまま、ケビンさんを一瞥する。
何かを言いかけたが、口を閉じた。
彼の胸の奥で何かが渦巻いているのが、表情から伝わってくる。
沈黙が落ちる。
石の壁がその沈黙を受け止め、時間がゆっくりと流れた。
そのとき、私の後ろから小さな気配が動いた。
「いいニオイ!」
メグーちゃんだった。
銀色の髪が揺れ、銀の瞳がケビンさんの腰の道具袋を真っすぐに見ている。
小さな体が弾むように前へ出ると、空気に甘さが一瞬広がった。
「匂い……?」
ケビンさんが戸惑いながら袋を開ける。
中から、茶色い物体が現れた。
湯気は立っていないが、温かさを想像させる匂いが鼻をくすぐる。
「わー!」
「……キミ、それが何かわかるの?」
「たべもの!」
ケビンさんの表情が、わずかに揺れた。
驚きとも、困惑とも取れる顔だった。
長い間抱えていた恥が、ほんの少しだけ薄れたように見える。
私はその物体に顔を近づけ、そっと匂いを嗅いだ。
「……薬草の匂いに、似てる……?」
呟いた瞬間、ミリアリアさんの目がわずかに細くなった。
彼女の鼻先に届いた匂いが、何かを思い出させたらしい。
「ケビン殿。それは何だ」
「僕のスキルで、リンゴから生成したものです。名前は……アップルパイ、と言います。何の役に立つものかは、わからないんですが」
「それ、たべたい!」
メグーちゃんが目を輝かせた。
銀の瞳が星のように煌めく。
小さな手が無邪気に伸びる。
「……メグー、後でな」
ミリアリアさんが小さく微笑んだ。
その微笑みは、戦場の中で見せるには柔らかすぎる光だった。
そのとき──。
空気が変わった。
地の底から這い上がるような低い唸り声が、通路の奥から伝わってきた。
振動が足元を伝い、石の目地が微かに鳴る。
続いて、もう一つ。
音の質が違う。二種類の気配が、通路の奥から近づいてくる。
「……けっ」
オーグさんが舌打ちをした。
大斧を引き抜く。刃が薄暗い魔力灯の光を鈍く弾いた。
金属の冷たさが手のひらに伝わり、戦闘のテンポが一気に短く切り替わる。
「この気配はグリフォンとキマイラか。ここの第一層は、えらく賑やかだなァ」
「陣形だ、オーグ」
「了解だァ!!」
ミリアリアさんが剣を抜き、前へ出る。
鋭い空気の切れ目が生まれ、時間が一拍ごとに短くなる。
オーグさんが後ろを固める。
彼の背中が壁のように広がり、振動が緊張を増幅させる。
「アニー、メグーを頼む」
「はい!」
私はメグーちゃんの手を取り、ケビンさんとともに中央へ身を寄せた。
小さな体の鼓動が私の掌に伝わり、恐怖と期待が混ざった温度を感じる。
「ど、どうしたんですか……」
ケビンさんが小さく呟いた。
その声に、恐怖が戻りかけていた。
私には、答える言葉がなかった。
ただ、二人の背中を見ていた。
刃先に光が集まり、呼吸が短くなる。
時間は刃の厚みのように鋭く、今ここに集中していた。




