第1話:終わりの地で、始まりを
「……もう、終わり」
大砂海の中心。
どこまでも続く金色の砂の海原に、私はぽつんと立ち尽くしていた。
焼けつくような日差しが容赦なく降り注ぎ、肌を刺す熱風が頬をなでる。
視界の先には、無残に横たわる小型の飛空艇。
帆は破れ、船体は傾き、まるで命を失った獣のように沈黙していた。
飛竜の吐いた灼熱のブレスは、船底を容赦なく貫き、鋼鉄の装甲をも溶かしていた。
墜落の衝撃で飛行石は粉々に砕け、青白い光を放ちながら風に舞い、砂嵐の中へと吸い込まれていった。
まるで、希望そのものが風にさらわれていくようだった。
──もう、帰る術はない。
救援信号は発した。
だが、この地に足を踏み入れる者は稀で、しかも今は魔物が跳梁跋扈する危険地帯。誰が好き好んで、命を賭してまで助けに来るというのか。
そんな奇特な人間が、この荒んだ世界に残っているとは到底思えなかった。
胸の奥がじわりと冷たくなる。
喉の奥がひりつき、息を吸うたびに肺が焼けるようだった。
──そのときだった。
「っ!?」
地面が突如として激しく揺れた。
砂の下から突き上げるような衝撃に、私は思わず膝を折り、砂に手をつく。
心臓が跳ね、背筋を冷たいものが這い上がる。
耳を澄ますまでもなく、地の底から響くような「ゴゴゴゴ……」という低い唸りが聞こえてきた。
砂の海が波打ち、まるで巨大な獣が地中を泳いでいるかのように、地面が不規則に盛り上がっていく。
振り返った瞬間、視界の端に異様な光景が飛び込んできた。
砂が渦を巻き、地面が爆ぜるように裂ける。
そこから現れたのは──
「……砂竜!?」
砂竜──
地を這う竜種。伝承でしか聞いたことのない存在。
だが、今、目の前に現れたそれは、まさしく語られてきた恐怖そのものだった。
全長十メートルを優に超える巨体。
岩のように硬質な鱗に覆われた体躯が、砂を割って姿を現す。
口元には無数の牙が蠢き、まるで地獄の門が開いたかのようだった。
砂の奔流が唸りを上げ、私を目がけて突進してくる。
「っ、うそ……!」
私は反射的に身を翻し、砂の上を転がるようにして逃げた。
足がもつれ、膝を擦りむきながらも、必死に這うようにして距離を取る。
背後で砂が爆ぜ、熱風が背中を焼いた。
振り返ると、砂竜の顎が空を裂いていた。
「くっ……!」
腰のポーチから小型の閃光弾を取り出し、震える手で起動スイッチを押す。
白い閃光が炸裂し、砂竜が一瞬たじろぐ。
その隙に、私は立ち上がろうとするが──足が、動かない。
恐怖で、膝が笑っている。
「た…助けて……!!」
声が裏返り、喉が裂けるほど叫んだ。涙が頬を伝い、視界が滲む。
誰にも届かないと分かっていても、叫ばずにはいられなかった。
砂竜が跳ね上がり、空中でその巨体をくねらせる。
砂が雨のように降り注ぎ、私は腕で顔を覆った。
次の瞬間、砂竜はその巨体を地面に叩きつけた。
その衝撃で、砂嵐が巻き起こる。
私は吹き飛ばされ、砂に転がる。
肺に砂が入り、咳き込みながらも、必死に体を起こす。
だが、足が震えて立てない。
──このまま、喰われる。
私は目を閉じた。
舌を噛み切れば、少しは楽になれるかもしれない──そんな絶望的な考えが、脳裏をよぎる。
──そんな時だ。
「……ハートを盗む」
砂嵐の唸りに紛れて、低く、しかし確かに響く男の声が耳に届いた。
「え……?」
次の瞬間、砂竜がまるで糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
全身を痙攣させながら、砂の上でのたうち回るその姿は、まるで心臓を撃ち抜かれたかのようだった。
「大丈夫か?」
背後から再び声がした。振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。
漆黒の髪、深い闇を湛えた瞳。
全身を黒のコートで包み、その佇まいはまるで夜の化身のようだった。
だが、その整った顔立ちは、どこか現実離れしていて──まるでおとぎ話の王子様のようでもあった。
「……俺の黒髪と黒目、そんなに珍しいかな?」
「あ…い…い…いえっ!」
私は慌てて首を左右に何度も振りながら、震える声で奇声を放つ。
胸の鼓動がうるさいほどに高鳴っている。
見惚れていたなんて、口が裂けても言えない。
そんな私の姿に、彼はふっと笑い、安堵したように息を吐いた。
「怪我はなさそうだね。よかった」
「あ…あの……ど…どど…どう」
「どう?」
「ど、ど、どうして…た、助けてくれたんですか?」
相変わらずどもってしまう。
上手く言葉が出てこない自分が情けなくて、視線を落とす。
「救援信号を出したのは君だろう?」
「そ…それは……はい。でも、あの……」
私はいつもこうだ。
伝えたいことがあるのに、言葉が喉で詰まってしまう。胸の奥がもやもやして、息苦しくなる。
「…冒険は自己責任」
「っ!」
その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられる。
「冒険は…自己責任だから、助けてもらえたのが不思議なのかな?」
「は…はい」
そう、冒険は自己責任。
墜落しようが、魔物に襲われようが、それはすべて自分の選んだ道の果て。
誰かに助けを求めること自体が、甘えなのだと、ずっと思っていた。
でも──
「冒険は自己責任なら、冒険の途中で困っている人を助けるか助けないかだって、同じような自由があっても良いだろ?」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
凍えていた心に、そっと火が灯るようだった。
「…そ……そ…それは…すごく…その」
言葉にならない想いが、喉の奥で震える。
「……飛空艇は、もうダメそうだね」
彼は座礁した飛空艇を見つめながら、静かに言った。
「近くの街まで送ろう」
「えっ、いい…んですか?」
「困ったときはお互い様だからね」
その微笑みは、砂嵐の中でも確かに温かかった。
彼は空を見上げ、右手を高く掲げる。その掌から放たれた光が、夜空を裂くように走り、雲の向こうから巨大な飛空艇が姿を現した。
砂嵐をものともせず、空を滑るその姿は──まるで、希望そのものだった。




