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風の色

ある十月の出来事です。

 十月初旬の日曜日。

 茉莉香と夏樹は結婚式を挙げる。


 挙式を茉莉香の母校のチャペルにするか、パリにするかを話し合った結果、夏樹の当面の活動拠点であるパリに決まった。


「茉莉香ちゃん。とても綺麗よ」


 花嫁の控室で由里が囁く。


「昨夜、眠れなくて……」


 茉莉香が緊張した面持ちで言う。

 いよいよ今日なのだ。


「あら。でも、少し緊張したぐらいの方が初々しいわ」


 由里が茉莉香を安心させようとする。

 

「本当に綺麗! お星さまみたいに輝いているわ」


 沙也加がため息まじりに言った。

 沙也加は、彼女の夫と共に式に参列するためにパリを訪れている。


「そんな……」


 茉莉香は小さく笑った後、


「あら? なんだか、少しリラックスできたみたい」


 と言った。


 沙也加の言葉で肩の力が抜けたようだ。


「よかったわ。やっぱり、茉莉香ちゃんは笑っていた方が素敵だもの」


 由里が笑う。


 ウエディングドレスは、無名のデザイナーのものだ。

 クロエの紹介で、値段も手ごろだという理由で選んだのだが……。


「本当に素敵なドレス。それによく似合っているわ」


 沙也加がうっとりと見とれている。


 

 アイボリーのサテンのドレス。シンプルだが手刺繍が施され、胸元と袖がレースで覆われている。 

 さり気ないこだわりが垣間見られる、品の良いデザインだ。


 ドレスを試着した時、


「素晴らしすぎるわ。値段に見合わないんじゃない?」


 クロエに言うと、


「そう! 名が知られていないのは、今のうちだけ。いずれ彼は、世界中のレディのご用達になるわ」


 そう言って笑ったのだった。

 

 髪は巻いて後ろへ流している。、ティアラをつけ、ベールを纏った。

 ドレスは茉莉香に良く似合っている。

 鏡の前の自分は目も眩むほどだ。


「お時間です」


 式場係が迎えに来る。


「はい」


 小さなブーケ手にとり、ドレスの裾を軽く持ちながら、手を引かれて控室を出た。

 


 結婚式は小さな教会であげられる。

 聖堂の扉が開き、両親に左右から付き添われて茉莉香は歩き始めた。


 祭壇の前では、司祭と白いタキシードを着た夏樹が待っている。

 

 オルガンが聖歌を奏でる中、茉莉香は進んだ。


 やがて祭壇の前で夏樹と並ぶと、一礼をし、司祭が互いに相手を夫とするか、妻とするかと、名を読んで尋ねた。


 夏樹が


「はい、いたします」


 と、はっきりと答え、


 茉莉香も、


「はい、いたします」


 と、控えめながらもしっかりと答えた。


 司祭が結婚の宣言をし、祝福の祈りを唱える。


 夫となった夏樹は、妻となった茉莉香のベールを顔面から持ち上げ、後ろへ垂らした。

 

 覆いを外された二人は、顔を見合わせる。

 初めて会った者同士のように……。

 

 二人は互いに微笑むと、夏樹が茉莉香の頬へ軽く接吻をした。

  

 指輪を交換し、司祭が祈りを唱えて二人を祝福する。


 二人は見つめ合う。

 

 今日、自分たちは夫婦になったのだ。






 披露宴は、初めて茉莉香が語学留学の時滞在した、前川夫妻の友人の邸宅で行われた。

 庭園を利用したガーデンパーティーが用意されている。


「お天気が良くてよかったわ! 綺麗なお庭だもの」


 沙也加と由里が声を揃えて言う。


 空は高く澄んで、爽やかな秋風がそよと吹く。

 誰もが好天の喜びを口にした。


 よく手入れされた芝生の上に、花で飾られたテーブルが置かれ、食事や飲み物が並べられている。

 枝ぶりの良い樹の下に、新郎と新婦の席が設けられた。

 木漏れ日の降り注ぐ中、二人は並んで座る。


 出席者は、茉莉香の親族、友人、夏樹の職場の同僚、由里に亘……。


 親方もはるばる渡仏し、育修社からは、Jeune Ventパリ支部の青山が出席している。


「茉莉香ちゃん。夏樹君おめでとう」


 由里と亘が祝いの言葉を言う。


「ありがとうございます」


 この二人には、感謝してもしきれない。

 茉莉香と夏樹は、ただ、礼を言うしかなかった。


「しばらく日本を離れられないけど、時間を作って会いに来るわ。パリ支店の様子も見たいし。その時は、この人もつれてくるから」


 由里が亘の肩を軽く叩く。


「はい!」


 由里は多忙だ。

 だが、その日が早く来ればいいと思う。


「茉莉香。おめでとう」


 クロエが笑顔で二人を祝福する。

 茉莉香のブーケを受け取ったのは彼女だった。


「ありがとう」


 茉莉香が礼を言う。


「夏樹が忙しくなるのは年明けからよね? それまでは、いっぱい甘えちゃいなさい!」


「まぁ!」


 茉莉香が笑う。


 クロエ。

 不思議な縁で結ばれた、同い年の女流作家。

 彼女と共に成長していきたいと思う。



「あ……あの……おめでとうございます」


 シモンがやって来て、不器用な様子で二人を祝福した。

 夏樹の話では、シモンは故郷で登録の準備をしているという。

 茉莉香はシモンと目が合うと微笑んだ。茉莉香は以前彼と会っている。

 その話をいつか、夏樹にしようと思った。



 金髪の青年が、妻子を連れて現れる。


「茉莉香ちゃん。職場の先輩のパスカルだ。それとマリーとコレット」


 茉莉香が会釈すると、

 

「きれい!」


 コレットが茉莉香を羨望の眼差しで見つめ、周囲に笑いが起きた。





 一瞬、夏樹の顔に緊張の色が走った。

 視線の先には背の高い、眼光の鋭い男性がいた。彼は、ゆっくりと二人に向かって歩いてくる。


「ボスのガスパールだよ」


 茉莉香も夏樹からガスパールの名前は聞いていた。夏樹の雇用主であるという事情がなくとも、緊張を強いられる雰囲気がある。


 だが、


「やあ! 結婚おめでとう! 君には期待しているから、これからも頑張ってくれよ!」


 笑顔を向けられると、温かい親しみやすさが心に沁みた。

 チャーミングな笑顔だ。


(……それに……なんとなく夏樹さんに似ているわ)


 茉莉香はそれを口にしまいと思う。


 ガスパールは茉莉香も祝福し、夏樹を頼むと言った。


「はい!」

 

 茉莉香は笑顔でこたえると、ガスパールは嬉しそうに頷いた。

 

 屋敷近くのテーブルで義孝がグラスを手に取り、茉莉香と目が合うと笑いかけた。

 彼は高校を一年留年したあと卒業し、今年から現代フランス文学を学ぶためにパリに来ていた。

 浅黒い肌に、彫りの深い顔立ち。洗練された立ち振る舞いは、アジアのどこかの国の王族(ル・プランス)のように見える。


(いつの間にこんなに大人になったのかしら?)


 憎まれ口をたたいていたことが、ついこの前のことのような気がする。


(もしかしたら……)


 これからも縁が続くかもしれない。

 そんな予感が、ふと、頭をかすめた。

 





 人々は食事をしながら楽そうに語り合っている。


 皆が二人の門出を祝いに駆けつけてきたのだ。

 祝いの言葉をかけられては、礼を返す。

 それを何度も繰り返した。

 黒髪の青年が夏樹を何やらからかっていたが、夏樹は気を悪くすることもなく笑っている。

 

「茉莉香ちゃん」


 母が飲み物を持ってくる。


「わぁ。ありがとう!」


 緊張で忘れていたが、喉が渇いていたのだ。


「ママ……」


 母の瞳が潤んでいる。

 しばらくは離れ離れになってしまう。誰よりも自分を愛し、気にかけてくれる人。

 それなのに、一時は疎んで避けていたのだ。


「体に気を付けてね」


「ええ。ママも」


 しばらくは離れ離れになってしまう。いつ日本に帰れるかはわからない。

 母と娘は別離の涙を堪える。だが、今、新しい人生が始まろうとしている。これは喜びの涙だ。そう信じたい。


 柔らかな秋の日差しがシャワーのように降り注ぎ、時折、爽やかな風が頬をかすめる。

 茉莉香は、それらを映画のワンシーンのように眺めた。

 

 すべてが眩しく、きらきらとしている。

 夢のようだ。

 現実の事とは思えない。

 だが隣には確かに夏樹がいる。


 夏樹は笑顔で茉莉香を見つめながら、


「茉莉香ちゃん」


 と、呼んだ。


「はい」


 返事をすると、


幸福(しあわせ)になろうね」


 と、言った。



 ―― 幸福 ――



 夏樹がこの言葉を口にすることは初めてだった。


 才能と情熱に溢れ、それを実現する力を持ち、手を伸ばせば何でも手にいれることができる人間であったはずだ。


 だが、夏樹は自分のそれに関して無頓着だった。

 

 生い立ちのせいか、あるいは生まれ持っての気質のためなのか……。


 目の見えない人が色を知らないように、夏樹は幸福というものを考えたことさえ無いように見え、それが茉莉香を不安にさせていた。


 だが、夏樹が自らそれを望んでいる。


 幸福。

 風のように色を持たないもの。


 それは今、色を持ち、二人の間に流れている。


「ええ。幸福になりましょう」


 茉莉香は涙を堪えて微笑んだ。








 



 

  

  


 


 


今回で、お茶を飲みながら-季節の風にのって-は完結となります。

一年半に渡る連載となりましたが、ご愛読いただいた方には

深い感謝を申し上げます。


今後ともよろしお願い申し上げます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 高校生の茉莉香ちゃんからはじまり、夏樹くんと出会い、二人で色々なことを乗り越えて迎えたハッピーエンド。 二人の様子を見守ってきたので、まるで二人の親のような気持ちであります。 二人とも本…
[良い点] ふたりが公私ともに巣立ってくれたようで何よりです。様々な人のサポートが当人らを成長させていく様子をじっくりと読ませてもらいました。人間関係だけでなく作中を通して見聞の広さを感じました。 読…
2021/02/17 18:06 退会済み
管理
[一言] 同じ場所に立ち、二人の笑顔そ観ているように柔らかい気持ちになりました。 これまでの出来事が色々と思い出されて、何だか親戚のおばちゃんの心境になっています。 幸せになって良い二人です。 これ…
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