7-8話 氷華の防塞
第七章:君に逢いたくて:
廃都クシャネを出発して3日、イリィタナルからは6日目の夕刻に、大翔は街道から外れた雪の竹林から、こっそりと北西方向を覗き見ていた。低い笹に隠れたその場からは、蒼く凍りついた美しい湖水と、その中央に建つ白い砂岩の大城が見渡せた。
くそ… あの先にツキカが居るはずなのに…。
実際に少年が目指す街タウバァは、この城から20Kmも離れていない。
それはアルテミス側の六番砦… 絶対防衛ラインを守備する『氷華の防塞』だった。少年はこの場所で、すでに丸一日を足止めされていた。
しかし氷華とは良く言ったよ……。
城の壁面からは、まるで鳥が両羽を広げるように、桜色の華やかな氷壁が連なっている。それは巨大なカーテンのように雪原を別けると、視界の彼方まで延々と続いていた。
その分厚い氷壁の内側に、不規則な輝きが浮かぶのは、魔力伝播の痕跡で、それが幾重にも重なると、まるで満開の桜が揺れているように見えた。あと数刻して日が落ちれば、それは美しく波打って、更に妖しく雪面に映えるのだろう。
アイナが言っていた、絶対不可侵の防衛線って奴だもんな…。
慎重に偵察をした結果、その氷壁は計画的に立てられた巨大なパイプと、それを繋ぐ編まれたワイヤーを芯にして、流水を凍らせた人工的な防壁だ。そしてその氷の中には、あの魔力ゼリーが微量に溶かし込まれているのだ。
それがどういう技術なのか不明だが、結果この100km単位の氷壁は、ひとつの魔力伝導帯となっていて、下手に破壊をすれば、流れ出した魔力で何が起きるか分からない…。
あの地下通路での暴走流体に似た現象になるのだろう。しかも当然、魔力吸収効果まであり、魔法攻撃にまで耐性がある。
厄介な防壁を造ってくれてるな… こうなると、バカ正直に砦の一本橋を渡ってやろうか?
少なくても十数キロの範囲で、身を隠す場所は全く無く、潜伏して進もうにも、当然雪原に足跡が残るだろう。更には飛行魔法で一気に飛び越えようにも、無数の探知系魔法陣が、防壁の天場に埋め込まれているのだ。
本当に鉄壁の守りだな… マジで敵の城内突っ切るか?
しかし潜伏と飛行魔法を併用しての、クイックバック的な走査の結果、多数の兵士とハンターが厳重に城内を警戒していた。ディメテルの砦と違って、かなり組織化されているようだ。
敵の士気は高そうだな… 簡単に看破される気は無いけど、ワンミスで全てが台無しだ。
潜伏三種を所有する大翔は、事実上魔力が枯渇するまで、継続して隠れ続ける事が出来る。そして本番であるタウバァへの侵入には、当然それを駆使するつもりだ。
しかしそれを、道半ばであるこの砦で使うのは躊躇われたた。潜伏とは、偶然誰かに触れられただけでも、解除してしまう繊細なスキルなのだ。この局面で勝負には出たくない。
そうなると、もう一つの選択肢か… 正直まったく気乗りしないな…。
少年は大きなため息を吐くと、準備のために竹林の奥へと引いていった。
◇
半日近くが経過して、夜明けも近い時間になっていた。じっとタイミングを見計らっていた少年は、渦巻くように雪が激しくなった瞬間を狙い、神隠し状態から低空飛行で飛び出した。
大粒の雪の合間を加速して、一気に凍結した湖面の上へと着地する。まるで砂丘のように風紋の連なるその場所で、雪の凹みに隠れるように、大きな純白の布を平張りした。
氷華の防塞までは約7km、城の上階からなら見分けがつく距離だろう。しかし彼は、保温効果付きの気配迷彩外套の上に、白の迷彩外套を重ね着した完全装備だ。
少年は素早く妖聖剣を抜くと、足元に垂直に突き立てて、下方向に夜闇を吐き出した。すぐに自分を中心にして弧を描くと、厚さ2メートルにもなる、切り出された氷塊を倉庫の中へと収納する。
次の瞬間、ザブンっと水音を上げ、その凍りついた湖へとダイブしていた。防具と武器の重量で、自然に深水へと沈んでいく…。
潜行する彼の頭部は、全頭兜にすっぽりと覆われていて、二分程の間隔で細かな気泡が吹き出ている。
地上でも試したけど、上手く呼吸できてるな。
首元で閉じられた鉄のヘルムは、覗き窓さえ無い密閉状態で、内側からの排気だけが弁を通じて可能だった。彼はこのヘルムの内部に、倉庫内の空気を取り出して、呼吸を可能にしているのだ。
ちなみにその空気は、凶獣の森で、ゴブリンの巣穴を吸引して全滅させた時のものだ。その膨大な体積の空気があれば、何日でも潜っていられるだろう。
それでも頭上を氷で閉じ込められた水中は、強烈な圧迫感があり、想像以上に恐ろしい。分割思考のひとつに、恐怖心を押し付けてはいるが、じりじりと思考全体に不安感が蓄積していく…。
視覚が無くて逆に良かったか…。
大翔は暗闇の湖底を、探知魔法による地形の立体化によって迷わず泳いだ。防寒効果のある護符やアクセサリーを重ねてはあるが、氷点に近い湖水の冷たさが、ゆっくりと肌まで浸透してくる。
さすがにこの水温じゃ、長くは潜ってられないぞ…。
彼は自分に強化魔法を重ねると、跳ね上がった身体能力で、遊泳速度を加速する。まるで白イルカが泳ぐように、水に体を乗せながら、敵城を目指して進んでていった。
15分も泳いだろうか? MAP上の立体図に敵城の建つ中島が近づいてくる。やはり水中では探知魔法が乱されて、特に人の気配が分かりにくい…。
忍者のウィラが、水中で索敵をやり過ごせたのが良くわかるな… これで潜伏までされた、まず発見できないだろ?
そこで島の岩盤の左右に、氷の壁が存在するのが知覚できた。近づいて細かく探れば、どうやら地上とは逆に、海中に冷気を送って凍結させているらしい。氷の下にまで防壁があるとは、想像以上に厳重だ。
すでに体は震える程に冷え切っていて、水中に閉じ込められている感覚に、次第に焦りが湧き上がってくる。
だが残念だったな… これなら余裕で斬り裂けるんだ。
流石に、氷下の湖底にまで魔力ゼリーの注入は無理だったらしい。水中にあるとはいえ、ただの氷壁など妖聖剣に掛かれば紙と同じだ。少年は夜闇の剣を構えると、冷気パイプの合間を狙って、三度も幅広の突きを撃ち込んだ。
氷壁に三角の亀裂が刻まれ、流れがその三角柱を押し出していく。すぐにその欠落に吸い込まれるように、大翔の姿が壁を越えていった。
っと……。
防壁の先へと吐き出された少年は、その頭上に四人組の人影を探知して息を呑む。分厚い氷を挟んでも、その距離は僅か5mしかない、潜伏しているとはいえ、あまりに距離が近すぎた。
彼は体の動きを止めると、水流に漂うように、その場から距離を離していく。兜で見えないが、実際に彼の頭上には、ランタンらしい淡い明かりが、氷天を朱色に透過していた。
そうして慎重に城から遠ざかっていくと、ようやく対岸の砂地が近づいてきた。既に潜水して30分弱、冷気は体の芯まで凍えさせて、体力が微ダメージを受けて削れている。
結構やばかったな… これ防寒付与が無かったら、数分も保たないだろ?
少年が氷上を走査して、上陸ポイントを探していると、突然と何かに絡み付かれて、強引に湖底へと引き込まれた。
何だ!! 何も探知してないぞ?
脚に取り付いたヌルヌルが、胸まで這い上がってくると、一気に全身が触手の束に飲み込まれる。巻き付いてくる細長い物体は、兜の中まで入り込むと、一気にそれを拐っていった。
くそっ… ヘルムが……。
凍結寸前の冷水が、一気に顔を包み込むと、開放された視界には半透明の長い管器が、無数に巻き付いているのが見えた。
:鑑定:
捕食のアクアネモネ LV16
北部の水温の低い湖底に群生するイソギンチャク 1個体は脆弱だが大群で獲物に絡みつき、群生の中に引き込んで捕食する
可食
食えるんかい! いや、つまりこいつは魔物じゃなくて、ただの生物扱いってやつだ… しかし、このまま群生の中に引き込まれるのも気持ちが悪い。
どうやら極めて高い親水性のために、水と混同して探知出来なかったらしい。更には呼吸用の兜を持っていかれたのも痛かった…。
息を止めたまま、妖聖剣に手を伸ばそうとするが、前手で括られていて、どうにも届きそうにない。軽く藻掻いているうちに、ぐんぐんと湖底の人喰い森へと沈下していく。
氷下とはいえ、此処で派手な魔法は撃ちたくないな…。
小さく気泡を吐きながらも、息もそろそろ限界に近かった。そしてついには、足先が群生の先に飲み込まれてしまう。
やめぃ! 男の触手プレイとか誰得だよっ!!
ー 混乱の毒霧 ー
その直後、透明度の高い湖水の中へ、紫の塗料を流したように、猛毒が周囲を侵食していく。生物に対しての中毒効果は絶大だ。絡んでいた触手は感電したように、一斉に離れて逃げ惑うが、すぐに力尽きて水中を漂い始めた。
彼は自身にも浸透した毒効果を、治療ですぐに中和した。自爆して毒化したのはご愛嬌だ。
毒水はそのまま沈殿すると、湖底を埋めた群生の一部を、まとめて死滅させていく。
まずい… もう息が保たない…。
大翔は一か八か、口の中へと直接空気を送り込むと、体積が多すぎて殆どを水中へ吐き出してしまった。
ヤバっ! 無理すると肺が破裂するぞこれ…。
すぐに一呼吸分に調整して、気道へと優しく吹き込めば、今度こそ無事に呼吸することに成功した。
無理に吸い込まず、肺に満ちる新鮮な空気を、ただ吐き出すだけの方が具合が良い。何度か繰り返して要領さえ掴めれば、もうヘルムも必要なく、まるで水中で呼吸するように、自由に湖底から浮上する。
慣れれば楽だなこれ。ウィラもこうやって水中に潜んでたんかな?
湖底から生還した彼の手が、頭上の氷天に無事に触れた。
積もった粉雪の一部が陥没すると、そこからずぶ濡れの少年が這い上がってくる。歯の根が合わない程に、激しく震える体に活を入れ、空中へと浮き上がった。
さっさと身を隠せる場所へ移動して、暖を取らないと低体温症で死にそうだ。
「さびいいいいいっ!!! いや、マジ酷い目にあった。寒中水泳はもうこりごりだ!」
暗闇に映える、防塞の華麗な輝きを背に、少年は飛行速度を上げていく。その行く先は薄く空が白み始めて、いつの間にか雪も降り止んでいた。
この旅で最大の難関とされていた『氷華の防塞』突破を試みるヒロト。それは一歩間違えば、死に戻りするような過酷なやり方でした。それでも彼は諦めません。半年以上も待ち焦がれた、ツキカとの再開が、もう目前なのですから…。
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