〜後日談1〜 翌年
ギルウェとネリーが結婚してから、一年が経った。
現在、二人が暮らす朝の一族の国キニフェでも夏至の祭りは盛大に開催される。
王宮・不死鳥の館の目と鼻の先……王都広場の真ん中で、大掛かりな焚き火を燃やし、夜通し歌い騒ぐのだ。 夜通し、といってもこの時期のキニフェは日が沈まない。 文字通り、夜中になっても明るい太陽が地平線の彼方に消えることなく見え続けるのである。 そのせいか、この時期のキニフェの民は皆、浮かれている……ということを除けば
「まぁ、この通りウェレスの祭りと、だいたい似たようなモノです」
ネリーは金刺繍の入った青色のドレスに金色の腰帯をつけており、舞う度にスカートのレースと橙の髪が優雅に翻っていた。
この日、ネリーは髪を纏めていなかったため、小さな角が二つ、波打つ橙色から覗いでいた。
エスコートするギルウェは黒に近い紺色生地の衣装。ところどころネリーの服と揃いの金色の縁取りがある。
「踊れて、とても楽しかったわ!」
民に混ざり、ひと踊りすることが出来たギルウェとネリーは、皆の輪から離れて休憩をする。
そこへ既に酒で出来上がっていた、顔見知りの城勤めの妖精達がやって来て、二人へ蜂蜜酒を勧める。
「ほれほれ。 ネリーさんもどうぞ!」
キニフェの城勤め人達は祭のために、塩漬けにしてある肉や、干し魚を使用した祝宴料理を何日もかけて準備する。もちろん酒類も欠かせないものである。
「わっわたしは! もし、酔って竜姿に戻ってしまったりしたら、大変なので……!」
ウェレスの地の民に比べるとキニフェの朝の民は大人しく、寡黙な方が多い……当初ネリーはそう認識していたのだが……このように、宴席では豹変する。
この一年、何度か見る機会があった光景なので、すっかりネリーも馴れてしまった。
「大丈夫、大丈夫! 皆、ネリー様が竜になっても怖がったりしないから!」
義足の医術士がそう言ったのを皮切りに、思わずお互い本音になる。
「本当ですか!? 最初は怖がられているのだと思っていました」
「そりゃあ最初はなぁ…… あっ、竜だからってわけじゃないですよ」
「俺たちぁ竜なんて見慣れてる! 昔いっぱい倒したからねぇ!」
キニフェの王宮には、朝の魔剣を受け継いだ女王フロレッタの癒しの力を求め、数多の患者達が押しかける。 しかし結界の守護や他にも様々な職務を持つ女王が、やって来た患者の対応を全てするわけにはいかない。そんなことをすれば、倒れてしまう。
そこで先ず女王の前に、王宮付き医術士達が患者達の具合を診て、医術士達の手に負えない場合フロレッタが力を添えることとなる。
年配の医術士達の中には、先の大戦で従軍した者らも、ちらほら居た。
「キニフェ民は他所から来たものは一応、何でも警戒するのさ」
「こっちから外に出かけて行くのは、大好きなんだけどね……」
外部を警戒するのはアヴァロンの聖竜とて同じだし、キニフェの妖精達も歌い踊るのが好きな民である……ネリーは、朝の妖精達のことを、親近感が抱ける民だと好ましく思っている。何より皆ギルウェと同じ綺麗な青の翼だ。
「(いくら祭りの時は無礼講とはいえ! 酔っ払いどもめ!)」
ネリーを囲もうとする顔見知り達を牽制しようと、妻を抱き寄せるギルウェだったが……そういう彼もまた既に酒を飲んでいた。
「ネリーさんは、城内のお手伝いもしてくれるし、子守だってしてくれるし」
「王宮で働きたがる女性が多いからね、子守は必要だ」
「そんなに大したことはしてません! 王宮の庭園で、ちょっと歌を教えてあげたくらいで……最初は近寄ってくれないので大変だったんですよ?」
ネリーとて一日中、付きっ切りで、何人もの子らの世話をしているわけではない。
邪魔にならず、それでいて王宮の窓からも見渡すことが出来る、人目に付く庭園で、なんとか気を許してくれるようになった子供達に歌や舞を教えていたところ……いつの間にか受け入れてくれる人数は増えていた。 最近では、患者達も暇つぶしにやって来る。
「皆、最初は照れてたのさ。 でも、ネリーさん面白いからねぇ」
「ネリー様と、ギルウェ様との、やり取り見てたら……ねぇ……いや、見るつもりは無かったんですよ? 無かったんだが、うっぷぷぷぷ」
「いやぁ、意外だったよねぇ。 思い出しただけで、おっかしいったら!」
「そうなんですの、そうなんですの!
私も兄上をオトした義姉上とは、一体どういう方なのかしらって本ッ当に、興味ありまくりだったんですのよ!」
いつの間にか純白のドレスのフロレッタまで話に混ざりこんでいた。
彼女の手には酒が、なみなみ注がれたコップ……日に焼けた顔も赤みが差している。
それを見てギルウェは溜息をつく。
「そうだ! 大戦中の、ギルウェ様の武勇伝、教えたげるよ!ネリー様」
「あれは先代が亡くなった直後、若かりし頃のギルウェ様が『弔い合戦じゃー!』と、皆をひとつにまとめ、魔海竜との最終決戦に挑んだ時の話だよ……」
正直、その話は以前にも色んな方から幾度か聞かされた……とネリーは思った。が、愛する夫の話だ。何度聞いても興味は尽きない。
「ネリー? 皆の言うことには尾ヒレが付いてますので!
真実と違うので、あまり本気にしないように」
「あぁん? だいたい合ってるじゃねえですか〜!」
「ちょっと、お摘みを取りに行きましょう! ネリー」
どうしようもない酔っ払い集団から、ギルウェはネリーを連れ出す。
「ギルウェ様は人気者ね」
「人気があるのはネリーのほう。 俺は子供扱いされてるのです」
ギルウェは苦笑しながら、料理の並ぶテーブルからチーズを摘む。
「そろそろ、あの酒飲み界隈からは離れたほうが良い。 酔いがまわると翼を出して飛び始める……こぼした酒を被って、大変なことになりかねない」
「はい。 冬至のお祭りの時に、見ました」
だがネリーが見たその時は『いいよ、いいよ。自分もよくやるから!』と、酒をかけられた側が言い、喧嘩になるようなことも無く、こぼした者と意気投合し酒を飲み直していた。 そういうものなのか。郷に入っては郷に従え。自分もやられたら、そういう対応をしようとネリーは思ったものだ。
「皆さん、面白い方々ですよね」
ネリーは楽しげに笑う。
冬至の祭の時も、この広場で焚き火を燃やした。
そしてフロレッタによる朝の魔剣の顕現を、ギルウェと一緒に見た。
若い女王が真白い刃に太陽の装飾が施された魔剣をその手に出現させ、先祖の魂と、これからの朝の一族の幸運を祈って暗い夜の空へ振り上げれば……鳥の尾にも似た虹色の光が翻った。
それはギルウェ達の家……名字の由来にもなった、自然現象を模した不思議な煌めき。
あの時もフロレッタはお酒を飲んでいて『大丈夫か』とギルウェや側近に心配されていたが『ちょーっと飲んでるくらいのほうが、上手く出来るんですの!』と笑顔で言い張り、実際その通りになった。
「ギルウェ様は、お酒お強いのですよね?」
「まぁ、こういう連中に囲まれてたせいで、何とか。これくらいでは、まだ大丈夫です」
「本当は……わたしも少し、飲んでみたいのです」
ネリーの手中には断りきれず、先程の酔っ払い共に手渡された蜂蜜酒のコップがあった。
今まではギルウェの協力もあり、飲まずに避けていたのだが、一年経つせいか皆、遠慮というものが無くなりつつある。
「では、ひと口だけ飲んでみたら?」
「よろしいでしょうか……!」
木製のコップに口をつけるネリー。一見するとジュースのような液体は、想像を超える味わいがした。
「! こういう、味なのですね」
ネリーはチーズの挟まったパンを食べ、もう一度、蜂蜜酒を飲み、満面の笑みになる。
「お酒もパンも美味しい……。 わたしはキニフェのパンも好き」
「……ウェレスに比べて、固くありません?」
「問題ありません! 燻製のお肉やお魚とも相性が良くって……ラズベリーのジャムも合いますね!」
「(俺はもっと他所の柔らかいパンが好き……!)」
こればかりはネリーと気が合わなかったようだが、ギルウェは何でも美味しそうに食べてしまう彼女の逞しさを愛おしく思う。
「昨日のケーキも良かったですけれど、今朝のミルクのお粥も……美味しかった」
つい最近のことなのに、懐かしそうに語るネリー……の頬は、いつになく赤く。
手に持つ、蜂蜜酒が注がれていたコップの中身は、既に空だ。
「(? まさか……いや、あんな一杯で? 確かにペースは速かった気がするが)」
「ギルウェ、様……なんだか、暑くなってきました……先程、踊り過ぎたのでしょうか」
「ネリー? まさか、酔っ払って」
「……脱いじゃっても、良いですか……?」
当然、酒気によるものではあるが……しかし紛れもなく火照った様子のネリー。胸元に指をやり、もう我慢ならないのだという調子で、ドレスの青い布地を引っ張る。
「ちょ、待あああああ! ここでは、いけません!」
ギルウェが言い終わるか終わらぬかのうちに、二人を上空から酒が襲った。
「あ、すいませーん!」
「やっちまったな!ギャハハ」
「ちょっとー! ネリー様に、なんてことしてんだい!?」
流石に酒をかけた相手が相手である。 一部始終を見てしまった素面の女官が、怒りだした。
「……ふふふっ!」
幸い(?)なことにネリーは、ケラケラおかしそうに笑いながら……濡れてしまった服を今にも脱ぎ出しそうな勢いで腰帯に手をかけていた。
「!!! とっとりあえず浴室に! その前に、着替えか!」
ネリーに酒をかけた者らを正座させ、叱りつけていた年配の女官にギルウェは声をかける。妻は怒ってないし、そんなことはもう良いから、王宮の浴場までネリーの着替えを持って来て欲しいと。
半端な時間だが、ぬるい残り湯がまだ残っているはずだ。ギルウェは酒でベタつく……とはいえ楽しげなネリーを抱え、王宮内の浴室へ向かった。
***
キニフェでの夏至祭を終えたギルウェとネリーは、フロレッタに許可を貰い、ウェレスへ結界生成の旅に出た。
昨年ネリーが創った結界は長持ちしているようだったが、不備がなくとも定期的に結界を重ねて強化することは重要だ。
移動のため、まる一日は大きな船の上で過ごさねばならぬ旅。
「ネリーはお酒には弱いが、船酔いには強そうで安心です」
キニフェに行くために初めて乗船させた時も大丈夫だったし……だいたいグリンにも恐れず騎乗するネリーなのだし、とギルウェは判断する。
「……ギルウェ様、あの……昨日は本当に、ご迷惑を……」
ネリーは思い出しただけで、恥ずかしくて仕方が無かった。記憶は、しっかりと残っている。
「(ギルウェ様に、お酒まみれのドレスを脱がしていただいて、その後、お風呂で洗……あぁ! お祭りで、みんな出払っていたから人気が無かったとはいえ……!)」
「そ、その話はもう……迷惑だなんてことは、ありませんから」
ギルウェは昨日の一件で、『ネリーに酒を摂取させるのは二人きりの時に』ということを学んでいた。
「とりあえず誰も風呂を使っていなくて幸いでした。 また、皆の噂のタネになってしまうところです」
しかしネリーの着替えを持ってきた女官がニヤニヤしていたので、もう手遅れかもしれんが!とギルウェは一瞬思った。一応、『ギルウェ様の服にもお酒がついちゃってるじゃないですか。もう一緒にお風呂に入ってこられたらどうです?大丈夫、内側から鍵をかけてしまえば良いし!私は喋りませんよ!』などと言っていたが……。
「来年は、キニフェの夏至祭じゃなくて、ウェレスの夏至祭に出席しましょう。
そのまま結界を補強しに行けますし」
「でも……キニフェのお祭りも楽しいですから。
一年おきに、というのはどうでしょう」
船上でネリーは、そうギルウェに笑いかけるのだった。 水平線は青い空と境界を接し、どこまでも続いている。