家族の声
両親が死んだのは、ぼくがまだ八歳のときだった。ある事件に巻き込まれてともに命を落とした。その日はぼくの誕生日の前日で、両親の遺体の傍らにはラッピングされたゲーム機の箱が放り出されていたという。
両親に親類はなく、ぼくは当然の成り行きで施設に預けられることになった。両親が死んだという事実を容易に飲み込めなかったぼくは、施設の子供たちともなじめずにひとりでいることが多かった。
そんな天涯孤独となったぼくを家族として迎えてくれたのが一之瀬家だった。昔仕事の関係で両親にお世話になったという一之瀬のおじさんとおばさんが、ぼくを養子にしたいと申し出てくれたのだ。ぼくは正直、その頃のことを詳しく覚えていない。頻繁に施設に足を運んでくれる大人がいるということくらいしか認識しておらず、その目的やぼくとの関係なんてことは一切頭に入っていなかった。一年が経ち二年が経ち、徐々に心を取り戻していったぼくが自分の境遇をそれなりに受け入れられるようになっても、一之瀬のおじさんやおばさんは他人のままだった。新しく両親ができるという感覚が、ずっと理解できなかったのだ。
それでも一之瀬家にお世話になろうと決意したのは、信頼できる人の助言があったからだ。その人からの説得を受け、ぼくは一之瀬家に行くことにした。施設で育った子供たちの多くは引き取り手がなく、それに比べれば自分は恵まれている。そういうことにも気づかされた。そうして中学入学と同時に一之瀬家へと移り、ぼくはふたたび家族を持つようになった。
ぼくは目を覚ました後も起き上がらずに、ただ天井を見続けていた。両親の夢を見たのは久しぶりだった。もう何年も見ていなかった気がする。陰惨な事件とは無関係な幸せに満ちた映像が、目覚めたいまも頭にこびりついている。
ぼくは身体を起こした。大人三人は寝られるふかふかのベッドの上に座るような格好で考える。
今日は学校が休みだ。この龍館にきて初めての休日。どうやって過ごそう。一之瀬家でお世話になっていた頃は起床時間にも気を使っていた。休みの日でも、決まった時間に起きなければいけないという焦りがあった。この龍館でも規則正しい生活が要求される、ということをぼくは聞いた。だらしない生活は封印の強度を弱めてしまうらしい。部屋に最初からあった置時計は朝の七時を示している。
とりあえず部屋を出てトイレを済ませた。洗面所で顔を洗い、部屋に戻って着替えにとりかかる。クローゼットにはフォーマルなジャケットやワイシャツ、ベストが並び、ゆったりとした部屋着というものは見当たらない。この屋敷の主らしく振舞うためには服装もきっちりしないといけないという。ラフなTシャツとジーンズで歩いていたら、確かにちょっと違和感があるかもしれない。
着替えを済ませればあとは食事だ。お腹はすいていないけれど、食堂に向かわなくてはならない。特別な事情がない限り三食口にすることが義務付けられている。このままではとても胃が受け付けそうにないので、外の空気でも吸ってこよう。
回廊の窓から中庭を見下ろす。そこに魔物が眠っていると執事に説明された、あの中庭。噴水の水が朝日に照らされて輝いている。いたって平穏な光景だと思う。あそこにテレビゲームの敵みたいなのが眠っているとはちょっと信じられない。あそこに降りてみようかな。ふいにもう一度確認してみたい欲求に駆られた。そういえば鍵がかかっているから、まずは執事を探さないと。
「あの子に会わせて下さい!」
回廊から玄関ホールに通じる扉を開けようとしたとき、そんな金切り声が耳に飛び込んできた。
「お願いですっ、直接話をさせてくださいっ」
ぼくはノブを捻った状態のまま固まった。三階の回廊にまで届いてくるその声が誰のものか、自分の目で確認するまでもなかった。
それは、一之瀬のおばさんの声だった。ちょっとかすれているけど、間違いない。
「出来ないと言っている」
「どうしてですかっ」
「やつがここのお主人だからだ。ここの家の主でなくてはならないからだ」
「少しでいいんですっ。ほんの少しだけでもっ」
執事とのやりとりを、ぼくはそれ以上聞けなかった。開きかけた扉を戻した。音が鳴らないように扉を閉めると、崩れるようにその場に座り込んだ。両手で耳を閉じ、目をかたくつぶった。
顔なんて合わせられるわけがない。いまさら話すことなんて何もない。家出同然で飛び出した一之瀬家。別れの挨拶もせず、了解もとらなかった。それでいいと思った。育ててくれた恩はあるけれど、だからこそ家を出たほうがいいという結論を下したのだ。一之瀬家にとってぼくは異物で、家族の団欒を壊すやっかいものでしかなかった。おじさんやおばさんのぼくを見る視線には常に困惑と嫌悪が混ざっていて、おまえはこの家の家族ではないと言外に伝えていた。直接不満をぶつけられたことはないけれど、ぼくが邪魔者であるというのが一之瀬家の本音であることは間違いない。だからぼくがいなくなることこそが一之瀬家の幸せであって、それはおじさんやおばさんも望んでいることだ。
にもかかわらずおばさんの声は妙だった。なんかすごく必死さが伝わる声だった。あんな声はいままで聞いたことがない。いつも素っ気無かったおばさんの声は冷たく平坦だという印象しかなかったから、すごく意外に感じた。あれじゃあ、まるで、本気で心配しているみたいだ。
いや、まさかそんなことはない。ぼくは耳をおさえたまま首を振った。一之瀬家で暮らした四年間、愛情らしきものは一切感じたことがない。当然だ。家族じゃないぼくを愛する義務なんてそもそもない。そんなおばさんがこうしてここまでやってきたのはあくまで世間対を気にしたからで、ぼくのことを心配したからでは当然ない。あの声だってそういう演出の一部に違いない。
「おい貴様、よもや寝ぼけたわけではないだろうな」
回廊に座り込んでどれくらい経ったのか、その声に顔を上げると執事がぼくを見下ろしていた。
「客人だ。その様子だと誰かくらいはわかっているのだろう」
「会えってこと?」
ぼくは小声で言った。開いた扉から声が漏れてしまうことが、なんとなく怖かった。
「判断は貴様がしろ。本来なら封印の強度を弱めるような真似はしたくはないが、正式な契約もまだだから特別に許す」
会って話すことなんて何もない。いますぐ帰ってほしい。そう言おうとしたのに、ぼくの口は開かなかった。いつも窮屈で周囲に気を使うばかりだった一之瀬家の生活には未練なんて何一つとしてないのに。
「ごめんなさい、だそうだ」
「え」
「玄関にいるあの二人が伝えてほしいそうだ。あなたの気持ちをわかってあげられなくて本当にごめんなさい。わたしたちは反省している。だからもう一度話し合いましょう、だそうだ」
ごめんなさい。その単語にぼくは一瞬息がつまるような感覚を覚えた。玄関で待っているおじさんとおばさんの姿を想像すると胸が苦しくなった。嘘だ、と頭では理解していても、簡単に割り切ることができなかった。直接あって本人の口からそういう言葉を聴きたいという衝動がどんどん強くなるのがわかった。
「会いたくないって言っておいて」
ぼくは声を絞り出してそう言った。そう言うのが精一杯だった。
「それでいいんだな」
顔をうつむかせた。執事が扉を閉めようとする。
「あと」
「……早く言え」
「あと、いままで、ありがとうって」
執事は扉を閉めた。




