執事との会話
ところでぼくはこんなところまでやってきておきながら仕事の内容がどういうものなのか、まったく知らない。
ここをバイト先に選んだのは募集要項が魅力的だったからだ。面接はいつでも構わない、履歴書は不要、年齢性別にこだわらず、もちろん経験は問われない。学生も可、住み込みで高級待遇、わずらわしい人付き合いはなく、仕事も簡単、とくれば興味をひかれない人はいないはず。とくにぼくにとっては学生でも住み込みが可能だという点が重要で、というか仕事の内容自体が「居住」だという。
ある建物に住むだけでお金がもらえる、つまり自立ができる。アルバイト情報誌の片隅にこの記事を見つけたとき、ぼくはまず目を疑った。仕事が住むことだけなんて聞いたことがないし、「あなたも立派なお主人になろう」という文言は理解不能だった。どうやらこの職業の名前がお主人というものらしいけど、そんな職業あっただろうか。
そういうわけで、ぼくはここまで半信半疑でやってきた。情報誌にはそれ以上に詳しいことは書いていなかったから、自分で確認するしかなかった。とにかく記されている住所にこうしてやってきて、いまその関係者らしき人物を目の前にしている。
「貴様、そんなことも知らずにやってきたというのか」
お主人について知識がないことを白状すると、男性はぼくに向かってそう言った。ここは一階にある応接間らしき部屋で、そこで向かい合ってソファに座っている。男性とぼくの二人だけで、ほかに人はいない。ぼくが素直に謝ると、男性はしばらく考えているような間を置き、教科書を見せろ、と言った。
「え、教科書?」
「日本史の教科書だ。カバンに入っているなら出せ」
ぼくは教科書を毎日持ち帰るし、ちょうど授業があったのでその要請に従った。教科書を受け取った男性はぱらぱらとページをめくった。
「やはりないな。高校でも教えていないのか」
「何がですか」
つい勢いでそう聞いてしまったぼくはすぐに後悔した。男性の鋭い視線に射すくめられ、目をそらす。パタン、と男性がテーブルに教科書を置く音がする。
「異能者についての記述だ」
しばらく沈黙が続いた後、男性がそう言った。ぼくはまったく知らない単語だったので聞き返した。
「異能者ってなんですか」
「古来よりこの国を裏から支えてきた特殊な能力を持つ人々の総称だ。様々な呪術を駆使し、カゲクイと呼ばれる魔物から人々を守るために存在している」
いきなり話が物語めいてきた。呪術? それって魔法みたいなもの? 陰陽師とかなら聞いたことあるけれど、あれってすごく昔の話だし。何かの冗談かな。でも男性の顔は真剣そのものだ。
「それっていつの話なんですか?」
「存在している、と言っただろう。まったく、貴様は本当に何も知らないらしいな。この土地の人間ではないということか」
「……」
「おい、聞いているのか」
「あ、はい。そうです。数年前に越してきたんです」
「やはりな。蛇穴が周囲にない地域で育った人間には時折そういう無知なやからが出てくるのも珍しくないと聞く。特に大都市の出身者に多いらしいな。蛇穴を避けることを前提とした都市計画が理由だが、まあ、貴様がどこの出身であろうとこの際問題ではない。さっそく合否を言い渡そう。貴様を採用することはできない。以上だ」
「え?」
あまりにもあっさりと言われたので理解が遅れた。
「ど、どうしてですか!」
「貴様はお主人のなんたるかをまったく知らないのだろう。そういうやつに任せられるほどこの仕事は楽なものではない」
「でも仕事は簡単だって」
「それは関係者が勝手に出したものだ」
男性は雑誌を指さした。
「あまりにお主人になりたがる人間がいないものだから、焦りを覚えたのだろう。一応は許可したが、そのような呼び込み文句までは承知していない。おれの意図を正確に反映したものではないし、実際の仕事も楽なものではない。誤解を与えたのなら、謝ろう」
「謝らなくてもいいです。その代わり教えてください。お主人ってなんなのか、ちゃんと理解すれば認めてくれるんですよね」
「家族には断わってきたのか」
「そ、それは」
「なら引き返せ。ここは家出をした子供の避難場所ではない」
「お願いしますっ」
ぼくはソファをおりて土下座した。やわらかい絨毯に手をつき、額をこすりつけた。
「ぼく、なんでもします。どんなことでもしますから、どうかここにおいてください!」
必死だった。簡単に諦めるわけにはいかなかった。相当な決意をしてここまでやってきた。
「頭を上げろ。いくら懇願しても結果に変わりはない」
「じゃあ試してください! ぼくが本当にふさわしいかふさわしくないか、確認してください!」
「事情だけ聞いてやる」
いつまで経っても頭をあげないぼくに、男性はため息をついてそう言った。
ぼくはソファに座りなおし、なぜこの仕事を選んだのか、その経緯を説明した。一部をぼやかしたまま。
「さっきの指摘は正解だったわけか」
すべてを聞き終えると、男性はやや呆れた様子で言った。
「ぼくは本気なんです。どんなにつらいことでも耐えます。だからどうかおいてください」
「生半可な気持ちではこなせない。諦めろ」
「だったら毎日来ます。ぼくが本気だっていうこと、それで証明します」
「熱意があればつとまるものではない。お主人にもっとも必要とされる要素は理性だ。どんな物事にも動じない心の強さが求められる。家族関係に悩んだ程度で家を出たいという貴様にその資格があるというのか」
「それは」
「心が軟弱であればお主人はつとまらない。それは貴様の死に直結するだけではなく、多くの町の住人を危険に晒すことに繋がる。自信がないならやめておけ」
死や危険という単語を使うこの男性に、ぼくはだんだんと不信感を抱くようになっていた。ただのアルバイトにしては大げさすぎる。追い返すための口実に違いない、ぼくはそう判断した。
「じゃあ、責任者を呼んでください」
別の人に話を聞いてもらうしかないと思った。この男性では埒が明かない。広告を出すくらいだから本当のところは人手がほしいのだろうから、もっと偉い人に頼めば理解してもらえると思った。
「責任者はおれだ」
「あの、ぼくが言ってるのは面接の責任者ではないんですけど」
ぼくが言いたかったのは会社としての責任者だった。ただの面接官ではなかった。
「ここで働いているのはおれひとりだ。部下も上司もない。採用するかどうかの判断もおれがする」
「じゃあ、あなたが社長なんですか?」
ぼくは若干混乱していた。アルバイトを募集するということはそれなりの規模の会社で、複数の人が働いているものとばかり思い込んでいた。それがひとり? ほかに働いている人は誰もいない? いったこれはどういうことなんだろう。
「おれか? おれは――」
ぼくの問いかけに、男性はこう答えた。
「おれは執事だ」




