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ぼくと執事と守りたい街  作者: たかと
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夏休み

 

 夏休みに突入した。テレビが盛んに言うように今年は猛暑らしく、森に囲まれている龍館でも気温の高さが感じられた。


 長い夏休み、友達のいないぼくにとってはこれまで時間を使うのに苦労していた。一之瀬家では常にいい子供を演じなければならなかった。家でごろごろするわけにはいかなかった。そのため、よく図書館に行った。漫画の立ち読みと違って休憩もできる図書館は、長時間をもてあますぼくにとっては格好の避難場所だった。


 頻繁に図書館に足を運んだにもかかわらず、本を好きになることはなかった。それはあくまで一之瀬家から逃れるためという意識が強かったからかもしれない。


 ところが最近は違う。龍館に来てからは本を読むようになった。漫画ではなく活字のほう。図書室には本がたくさんあるので暇つぶしに、と読み始めたのがきっかけ。おじさんやおばさんの目をきにせず、ただ純粋に時間つぶしために読み始めたのがよかったのかもしれない。


 なんでも読むけれど、最近のお気に入りは(読み始めたのも最近だけれど)歴史の本。戦国武将とかもっと前の話とかのやつを読んでいる。すごく長いのもあるけど飽きないから余計に助かる。


 そういうわけでぼくは今日、本屋に行くことにした。新しい本は図書室にはないので自分で買いに行くことに決めた。まだ読んでないのもたくさんあるけど、どういうものが出ているのかを自分の目で確かめたくなった。時間があれば古本屋もさがしてみよう。これまで本屋と言えば漫画の立ち読みばかりだったからどこにあるのかがちょっとわからない。そういうのもちょっとわくわくする。


 ワイシャツ姿で外に出た。するとちょっとした違和感を覚えた。風景が少し違っているような気がした。なんだろう、と周囲を眺め回すと、違和感の正体が判明した。


 前庭に自転車が置いてあった。前かごのついた普通のやつ、色は黒。昨日までそんなものはなかった。


 自転車に近づいて触れようとしたとき、りょうちゃんが玄関から姿を現した。


「執事さんが購入したそうです。自由に使っていいそうですよ」


「執事が?」


「はい」


 自転車があれば格段に便利になる、とぼくは思った。とくに通学に重宝しそうだ。


 ――通学。


 夏休みが終わり、二学期が始まるまで、ぼくは龍館にいられるのだろうか。


 ぼくは自転車に触れた。


 ぼくの進退に、明確な答えはまだ出されていない。


 あの日、りょうちゃんと買い物をした後、ぼくは執事と話し合いの場を持った。自分の気持ちを正直に伝え、ここに、龍館にいたいと言った。お主人として働き、町の人たちの期待に答えたい。そういう思いを執事に伝えた。


 そのとき執事は黙って話を聞いていた。口をまったく挟まず、顔色も一切変えなかった。「貴様の言いたいことはわかった」そう最後に言って、部屋を出て行った。


 それ以後、この問題の進展はまったくない。繰り返し執事に尋ねても、軽くあしらわれるだけだ。お主人として認めてもらえるのか、それともやっぱりだめなのか、その結論は聞かせてもらっていない。


 自転車の購入は、このまま龍館にいてもいいという証? お主人として認めるという意思の現われ? これまでの執事の素っ気無い対応から諦めの気持ちを強くしていたぼくは、安心するというよりも混乱のほうが圧倒的に強かった。どういう意味なのかさっぱりわからず、煮え切らない態度をとり続ける執事への不信感は高まるばかりだった。


 玄関口にいるりょうちゃんのほうを見た。真意を確かめるために執事を呼んでもらおうとした。その必要はなかった。りょうちゃんの肩越しに、長身の姿があったからだ。

「これ、どういうこと」


 声を張り上げなくてもぼくの声は耳に届いたようだった。執事がこちらに向かって歩いてきた。


「自転車だ。移動に使うといい」


「ぼくのこと、追い出すんじゃなかったの」


「将来的にどうなるかは問題ではない。重要なのは現在、仮であろうとも貴様がお主人としてのつとめを果たしていることだ。そして執事の役目とはお主人の生活をより快適なものにするために最善を尽くすことだ。おれはその責務を果たしたに過ぎない」


「無駄な買い物ってわけだ」


「……正直に言おう」


 執事が外に出てきた。


「貴様がお主人として不適格だという判断は、すでに協会へと伝えてある。過去の事情をかんがみれば一之瀬悠太をお主人として採用するのは危険であり、龍館の機能を著しく損なう恐れがあると。親を殺された恨みというものは簡単に消えるものではない。それは協会の連中も理解できるだろう。おれの判断を尊重する、という返事はすぐにでもくると確信していた。ところが協会の返答は意外なものだった。現状維持のまま、しばらく一之瀬悠太の適性検査を続行せよ、というのが協会の出した答えだった」


 ぼくはぽかんと口を開けた。予想外の答えだった。


「一之瀬悠太の名前はすでにお主人として地元に浸透している、というのがその理由だった。久しぶりのお主人に町の住人は期待しており、それを撤回するのはよほどの理由がない限り難しいというわけだ。期待は容易に失望に転がり落ちる。貴様がお主人でなくなれば町中が混乱に陥る可能性もある。負の感情が拡散すれば、それだけカゲクイが動きやすくなる。協会はそれを危惧した」


「それは、いつかはぼくをお主人として認めてくれるということなの?」


「違う」


 かすかな希望を託したぼくの言葉を、執事は一蹴した。


「これは貴様の適性云々を超えた話だ。もっとわかりやすく言えば、町の住人が納得さえすれば、いつ貴様を追い出しても構わないということだ。感情に左右される龍館を管理するところが、町の住人に不安を与えることなどあってはならない」


「それは矛盾した話ではありませんか?」


 執事のわきにどけていたりょうちゃんが口を挟んだ。


「ジン様の龍館の滞在が長ければ長いほど、町のみなさんはそれを当然のものとして受け止めるはずです。一度既成事実として認識されれば、それを覆すのは容易なことではありません」


「もちろん協会もその点は指摘していた。だからこそ、もっともよいであろう道筋も同時に指摘していた」


 りょうちゃんからぼくに顔を向け、執事は言った。


「それは貴様が自主的に龍館を出て行くことだ」


「自主的に」


「こちらが一方的にやめさせたとなると、熱意ある若者の夢を奪うとはけしからん、という反発が起こる可能性が高い。だが貴様が自分の意思でやめた場合はどうだ。まだ彼も高校生、大人でもやりたがらない仕事を押し付けるのはかわいそうだ、という空気が生まれるだろう。そうなればふたたび訪れるお主人不在という不安も軽減され、混乱も最小限に抑えられる」


「ぼくはやめたりしない」


 町の人たちの顔が頭に浮かぶ。あの笑顔を裏切るまねはできない。したくない。


「もし一之瀬家に戻るのが嫌なら、協会のほうで家も用意すると言っている。学生のうちは生活費を支給することも約束する。これなら貴様も納得できるだろう」


 家? アパートとかマンションとか、ぼくひとりでも生活ができる場所を、ただでくれる? 一之瀬家に戻る必要がないのなら、それもいいかもしれない。


 違う、そうじゃない、執事の目をまっすぐ見たままぼくは内心、首を振った。


 確かにぼくがここへ来た理由は一之瀬家にあった。血の繋がりのない家族に気を使い、凛との確執は修復できないまでに悪化していた。ぼくはそんな環境に疲れ、一刻も早くそんな状況から抜け出したくて、その一心で龍館の扉を叩いた。


 でも、それはもう過去のことだ。いまのぼくは違う。町の人たちの期待にこたえないといけない。ぼくを応援してくれる人たちのために、お主人にならないといけない。それだけが、ぼくの生きがいだ。


「ぼくは両親のことで君を責めたりしない、それは約束するよ」


「それが今後も続くとは限らない。何かをきっかけにしておれに対する憎しみが吹き出すかもしれない。年をとればとるほど、記憶が鮮明になるという場合もある。ありえない、と断言することはできないはずだ」


「でも、町の人たちはぼくに期待している。ぼくにお主人になってほしいと思っている」


「まるで、町の人間に押し付けられたような言い方だな」

「そ、そんなこと」


「それは本当に貴様の意思なのか。何かを言い訳にすることで、曖昧な自分の表面だけを確かなものにしようとしているだけではないのか」


「……」


「とにかく、何度言っても同じだ。貴様はお主人にふさわしくない。諦めて新しい人生をさがすことだ」


「どうして、どうしてわかってくれないんだよ!」


 ぼくは声を張り上げた。頑として認めない執事に、不満が爆発した。


「いいじゃないか! ぼくをお主人にしたからといってなんの問題があるっていうのさ! 万が一両親のことでぼくが自分を失って、カゲクイに感染して、そうしたらそのときは殺せばいいだけの話でしょ。前のお主人を殺したときみたいに、ぼくのことも殺せば済む話じゃないか!」


 執事は黙ってこっちを見ていた。いつもの顔だ、とぼくは思った。感情の読めない、仮面を貼り付けたような表情。


「受け取れ」


 執事がぼくに向かって何かを放って寄こした。銀色の何かが空中を飛んで手の平の中におさまった。それは自転車の鍵だった。


「盗まれないように気をつけろ。一応、税金で購入したものだからな」


 執事はそう言って、館内に姿を消した。

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