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ぼくと執事と守りたい街  作者: たかと
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願望


 その後、しばらくして戻ってきた執事に連れられてぼくは食堂に降りた。たくさんのお客をもてなすためにあるような長いテーブルが中央に置かれている。食欲なんてほとんどなかったけれど、お主人の生活の一部として食べるという行為は重要らしい。空腹の度合いによってはそれなりに量も調節してくれるというので、少なめでと伝えてぼくは椅子に座った。


 出てきた料理は洋食で、またか、とぼくは思った。小ぶりのロールパンにスープにサラダという希望通り軽めのものではあったけれど、どうにも胃が受け付けない。


「何をしている。さっさと食え」


 一向に食事に手をつけないぼくに業を煮やした執事が言った。


「この程度、平らげられなくてどうする」


「量が問題というわけではないんだけど」


「言いたいことがあるのならはっきりと言え」


「和食って作れないの?」


 これまでに出された食事はすべて洋食、ご飯ものは一つもなかった。洋食が嫌いというわけではないし、一之瀬家でも朝食はパンだったけれど、これが毎日三食続くとなると話は別。


「毎日パンだとさすがに辛いかなと思って」


「貴様、ここがどういう種類の建物か理解して言ってるのか」


「えっと、洋館?」


「そうだ。洋館で洋食を食べるというのがもっとも理にかなっている行為である以上、貴様にはそれに従ってもらう」


「でも、これだけの建物の主なら、好きなもの食べられるんじゃないかな。和食は世界的に普及しているし、ぼく自身はなんと言っても日本人なわけだから、身体に合ったものを食べることのほうが主としても自然に振舞えると思う」


「自分のこととなると途端に口が達者になるようだな」


「だめ、かな」


 ぼくは傍らに立つ執事を、窺うように見上げた。執事は腕を組み、指で顎の辺りをさすった。


「とはいえ、貴様のいうことにも一理ある。なんといっても生活とは快適さが重要だ。生命力の源でもある食事に不満を持っていては、普段の行いにも悪影響がでるのは必至、よしわかった。和食もつくれる料理人を協会に要請しよう」


「要請? わざわざ誰かを連れてくるってこと?」


「味にこだわらないというのならおれがつくろう」


「……お願いして」


 ぼくはそう言って朝食に取り掛かった。


 その後、簡単な朝食を終えたぼくは、まだ食堂の席に座っていた。学校がないこの日、これからの行動が決まらない。あれだけ説明されたにもかかわらず、お主人としてどういうふうに振舞えばいいのか、いまだにわからない。生活をすることに意味があるというわけらしいけど、生活って具体的に何をすればいいのだろう。


「貴様は置物のつもりか」


 食器を洗い終えたらしい執事が食堂に戻ってきて言った。ぼくはこれからどうすればいいのか、執事に相談することにした。


「好きにしろ。風紀を乱さないなら基本的に何をやってもかまわない」


「娯楽とかはないのかな」


「本ならいくらでもある。図書室の蔵書数はそのあたりの本屋とは比べ物にならない」


「テレビはないの?」


「テレビだと?」


 執事は眉をしかめたように見えた。


「うん。ぼくの部屋にもないし、どこにも見当たらないんだけど」


「そんなものはない」


「一つも?」


「あのような偏った情報を流す不健全な媒体は不要だ」


 ぼくがテレビを欲しいと思うのは、単に暇をつぶすためだけの目的だけではなく、もっとほかに理由がある。スポーツの結果が知りたいからだ。


 プロサッカーリーグの中堅クラブに佐伯という選手が所属している。ポジションはフォワード。スピードを生かしたドリブルや飛び出しで一度は代表にも呼ばれた選手で、彼の名をさらに広めたのはその生い立ちにある。親からの虐待を受け、小さいころから施設で育ったという過去は活躍すると同時に大きくマスコミに取り上げられた。暗い過去を感じさせない気さくな人柄や爽やかなキャラクターはサッカーに関心のない女性をもひきつけ、また、年俸の低い頃からお世話になった施設へ資金を援助しているという話は美談として取り上げられ、彼の知名度を全国区へと広める結果となった。


 ぼくは佐伯選手に直接会ったことがある。彼のいた施設というのが、ぼくがお世話になっていたところと同じだったからだ。高校卒業と同時にプロの世界に飛び込んだ彼は、どれだけ忙しくなっても定期的な施設への訪問は欠かさなかった。全国的に名前が知られるようになってからもその姿勢が変わることはなく、子供たちと触れ合っているときが一番楽しいと公言していた。年に一度のクリスマス会ではサンタクロースに扮して子供たちに直接プレゼントを渡すという毎年の恒例行事も続けていた。


 この施設でお世話になっていたときぼくは毎日のように不幸だと思って暮らしていたけれど


――と彼が子供たちの前でした話を昨日のことのように思い出す――


あとになってその不幸っていたいなんなのだろうとよく思うようになった。親と一緒にいられなくなったぼくは、とにかく将来プロの選手になることに必死だった。同級生のみんなが親と出かけたり、またはカラオケに行ったり買い物に行ったりしているときに、ぼくはひとりでボールを蹴っていた。親がもういないぼくには、早いうちから自分ひとりでも生きていく方法を見つけなければいけなかった。クラブ活動がないときも走ったりボールを蹴ったりして、少しでもあいた時間があればサッカーの練習に費やしていた。誰からの誘いも断わるぼくはあるとき、高校の友人にこう言われたことがある。お前、そんなサッカーばかりやって楽しくないだろって。


 ぼくは楽しかったんだ。サッカーが上手になることが、何か一つのことに打ち込むことが、楽しくて仕方がなかった。技術の上達を実感するごとに喜びを感じていたし、練習がつらいだなんて一度だって思ったことがない。どれだけ疲れても、どれだけ練習がきつくても、自分のためになると考えれば全部平気だった。だから楽しいよって言い返したら、その友達からは変なやつって言われたんだ。ああ、ほかのみんなは嫌々やってるんだってそのときに気づいたんだ。


 その頃からかな。それまで不幸だと思い込んでいた自分がバカらしく思えるようになったのは。確かにぼくには家族や友人と過ごす時間はなかったけれど、そのぶんサッカーを好きになることができた。親がいなかったからこそ、ほかのみんなよりサッカーを好きになれたと言ってもおかしくはないと思う。結果プロになれたし、こうしてみんなの前に立つことだってできたんだ。


 確かに親や家族というものはほかに代えがたいものかもしれない。でも親がいなかったら不幸になるとは限らない。ぼくは事実、親がいなかったからこそこうしてサッカー選手になれたわけだし、親がいなかったからこそみんなの前に立つことができている。そういう自分をぼくはいま誇りに思っている。君たちに勇気や希望を与えられる自分を誇らしく思う。


 たくさんテレビや雑誌で取り上げられるようになってからも施設を忘れずにいた彼は、ぼくにとって憧れの存在だった。施設で暮らすようになったばかりの当時、ほかの子たちに溶け込まずに塞ぎこむぼくを心配してくれた彼。施設にくるたびに声をかけてくれなかったら、ぼくの心は凍りついたままだったかもしれない。そう、一之瀬家にお世話になろうと決意したのも、彼の影響があった。


 そういうわけで、ぼくはいまだに佐伯選手を応援している。三十を過ぎて引退がささやかれる年齢になったけれど、まだまだ現役だ。その活躍をテレビで見たいと思う。


「どうしても必要だというのなら購入しても構わない」


 しばらくの沈黙の後、執事が不意にそう言った。もういいよ、と椅子から立ち上がりかけたぼくは驚いて座りなおした。


「え、ほんとにいいの?」


「推奨はしないが、生活に必要だと言うのなら止むを得まい。貴様の年齢を考えれば、異性に対する欲望を抑えられないのも無理はない」


「そんなつもりでテレビが欲しいわけじゃ」決定的な誤解がある。


「ほかに必要なものはあるか」


「ほかにもいいの?」


「基本的に許すかどうかはおれが決める」


「いまのところはないけど……あ、そうだ。この家の中を案内してもらいたいんだけど、いいかな。まだどこに何があるかもわからないから」


「いいだろう」


 それからぼくは龍館の内部を見て回った。一階には主に大部屋が揃っていて、大きなピアノのある音楽室や執事が言ったような図書室などがある。二階は個室が多く、執事もその一部屋を使っているらしい。三階はぼくの部屋、つまりお主人の個室だけとなる。


「うわっ」


 一通りを見終わって廊下を歩いているとときにぼくは突然転んでしまった。足に妙な感触があったからだ。なんかこう、細長いにゅるっとしたものが足首に一瞬巻きついたような感じがした。


「な、なに、いまの」


「カゲクイだ」


 ひとりで立ち上がるぼくに、執事は廊下の向こうを見て言った。


「貴様には見えないだろうが、龍館内部には数多くがうろついている」


「君には見えるの?」


「当然だ。それが能力の一つだからな」


 ぼくは廊下を見渡した。もちろん何も見えない。


「ほうっておいても大丈夫なの?」


「基本的に害はない。大抵が内部をうろついた後自然に消滅する」


「襲ってきたりはしないの?」


「やつらに攻撃的な能力はない。貴様が悪意に染まっていないならとりつかれる心配もない」


「とりつかれたらどうなるの?」


「そうならないのが貴様の役目だ」


「ああいうのと戦う必要はないんだよね」


「言っただろう。貴様がすべきは生活だ。人として行動することで、やつらの活動をおさえることができる。それを忘れるな」


 自分の仕事。毎日ここで生活することによって町を平和な状態に保つことができる。正直、いまだに実感がわかない。


「普通に生活するだけでいいんだよね」


「怖気づいたのか」


 恐々と確認するぼくに、執事はそう言った。


「そういうわけじゃないけど」


「やつらは悪意を主食にしているが、負の感情全般を好む性質も持ち合わせている。常に恐怖を感じていれば、それを入り口に貴様に入り込むこともある。その点を自覚しろ」


「……」


 黙りこむぼくを執事はじっと見つめていた。不安のほうが強く、大丈夫であると言い切ることはできなかった。


「これで部屋は一通り見終わったな。よし行くぞ」


「どこに?」


 ぼくは顔を上げた。執事の視線を正面から受け止められずに下のほうを向いていたから。


 執事は歩きながらこう言った。


「テレビを買いにだ」



 龍館から伸びる道は舗装されていない。土がむき出しの一本道で、幅も狭い。車が通れるようなものではなく、でこぼこした道はバイクどころか自転車にも適さない。買い物に出かける場合はとりあえず徒歩で道路まで出る必要があり、ぼくと執事は肩を並べて森の中を歩いていた。木々の緑は鮮やかで、空気も清々しい。


「ねえ、どうしてちゃんとした道がないの?」


 くぼみにつまずいたぼくはそう聞いた。


 執事はすたすたと歩きながら答える。


「往来を目的とした道が整備されていれば、ここから出て行ってくださいとこちらが教えているようなものだろう」


「カゲクイを足止めする意味があるということ?」


「ああ」


「ところで買い物って徒歩じゃないよね」


 龍館があるのは町外れの森の中であって、周囲に店らしきものはない。執事は免許も車も持っていないとさっき聞いた。


「安心しろ。車を呼んである」


 十五分ほど歩くと遠くに道路が見えてきた。危険 この先立ち入りを禁ずる、という立て看板のわきを抜けると、森の中にきれいな道路が通っている。片方は行き止まり、もう片方が町に通じる道。つまりは龍館だけのためにつくられた道路であるらしい。


 車はぼくらの到着を待っていた。車を呼ぶ、という表現を執事の格好の執事にされて勝手に運転手つきの黒い外国車を想像していたぼくは、カラフルな車体を見て一瞬目を疑った。それはタクシーだった。


「……」


「どうした。早く乗れ」


「うん」


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