死亡確認の方法
「もう送った」
雑音の向こうで、父は黙った。
三年ぶりの親子の会話としては、効率がよかった。再会の挨拶も、生存確認も、恨み言も省略できた。司法最適化庁なら模範的な短縮事例として採用するだろう。
「何時に」
「たったいま。差戻し理由として」
「全文を読め」
命令口調だけは変わっていなかった。
私は画面に残る一行を読んだ。
「危害対象は九条灯ではなく制度信用であり、保護命令の目的が刑事司法の範囲を逸脱している」
「最後まで送ったのか」
「句点も含めて」
父が息を吐いた。電話の向こうに、低い機械音が規則正しく混じっている。空調か、換気扇か。少なくとも天国の環境音ではなさそうだった。
「その文は、私が三年前に提出した監査意見と一致する」
石段の下を車が流れていく。誰も止まらない。東京は、死人から電話が来た程度では渋滞しない。
「偶然?」
「四十二文字の完全一致を偶然と呼びたいなら呼べ」
「父さんの文章を読んだ覚えはない」
「読ませていない。提出後、十二分で非公開指定された」
三枝が私を見た。通話の内容は聞こえていないはずだが、私の顔は行政文書ほど非公開指定がうまくない。
「送ると何が起きるの」
「照合が走る。旧監査意見、私の除外ログ、灯の差戻し履歴が、同一の異常系列として束ねられる」
「もう赤くなった」
「何が」
「私の評価区分。高リスク」
「それだけか」
父の声に安堵がなかった。高リスク指定が軽症扱いになる家庭は、教育上あまり勧められない。
私のスマホが短く震えた。通話画面の上に通知が重なる。
『利益相反の可能性を検出しました』
『関連案件の監査権限を一時停止します』
続いて、もう一件。
『緊急再審査案件が割り当てられました』
『対象者:三枝直人』
『承認期限:二十一時十五分』
現在時刻は二十一時三分。
「父さん。三枝さんの案件が戻ってきた」
「上位審査か」
「緊急再審査。十二分後に自動承認」
父が小さく何か言った。雑音に削られて聞き取れなかった。
「灯。判決文の識別番号を読め」
「PR二〇三一―〇七―一九八」
「違う。再審査後の番号だ」
私は通知を開いた。
画面に新しい裁定文が表示された。
『ER二〇三一―一一―〇〇四』
『対象者 三枝直人』
『措置 指定施設への任意出頭要請』
『出頭猶予 二十四時間』
『不履行時措置 行政サービス本人確認の一時停止』
任意という言葉は便利だ。断った場合だけ生活できなくなる任意は、刃物より洗いやすい。
「ER二〇三一―一一―〇〇四」
今度こそ、電話の向こうで父が黙った。
「知っているの」
「その系列は、死亡確認案件だ」
「三枝さんは生きてる」
「だから使われる」
通話が一瞬途切れた。画面には接続中と表示されている。つながっていることと、届いていることは違う。制度と同じだ。
「出頭先を見ろ」
裁定文を一行ずつ下へ送る。
『出頭先 中央身元確認支援室』
『目的 本人性および生存状態の継続確認』
その下に、薄い灰色の脚注があった。
『本措置は刑罰ではなく、登録情報の整合性維持を目的とする』
私は三枝に画面を見せた。
「身元確認支援室を知っていますか」
「旧庁舎の地下です」
「何をする場所です」
「記録上、死んだ人間を作る場所です」
父の声と三枝の声が重なった。
私は通話をスピーカーに切り替えた。
「説明して」
「灯、三枝をそこへ行かせるな」
三枝の表情が固まる。
「九条先生ですか」
「三枝、端末を切れ。位置情報を――」
通話が切れた。
こちらからかけ直す。呼び出し音はなく、『現在使われておりません』と表示された。死人は、通信契約の解約が早い。
残り十一分。
私は再審査文を最初から読んだ。
『緊急再審査理由 対象者の本人性に重大な疑義が生じたため』
「本人性に疑義?」
三枝は自分のスマホを確認した。
「住民記録にアクセスできません」
「銀行は」
答える前に、彼の画面に通知が並んだ。
『口座名義情報の確認中です』
『確認完了まで振込・出金を制限します』
『公的個人認証の状態変更に伴い、決済上限を〇円に変更しました』
人を殴る必要はない。名前を疑えば、財布が先に閉じる。
「父も同じだった?」
「おそらく」
「公式には心不全で死んだ」
「死亡診断書そのものは本物だった可能性があります」
「本人だけが違う?」
三枝はうなずいた。
「二〇二八年十一月三日、都内で身元不明の急死者が一人出ています。年齢、血液型、既往歴の一部が九条先生と一致した。顔認証に使える画像はなかった」
「それで父にした」
「最初から計画されていたとは思いません。候補が存在し、登録上の矛盾を最小にする名義が選ばれた」
「死体に父の名前を与えて、父から名前を奪った」
「記録の上では、はい」
合理的だった。殺すより安い。拘束するより静かで、裁判も要らない。死亡した市民には弁明の機会がない。死者の社会信用スコアは下がらない。ただ、使えなくなるだけだ。
残り九分。
画面の下に承認と差戻しがあった。しかし私の権限欄には黄色い警告が出ている。
『利益相反対象のため、差戻しには補助監査官の同意が必要です』
「補助監査官は?」
『自動選定中』
待てば期限が来る。自動選定とは、人間が何もしなかった責任をシステムが丁寧に分配する時間稼ぎだ。
私は裁定文の添付資料を開いた。
本人性疑義の根拠が五件並んでいた。
『旧式職員証による立入』
『失効済み内部アカウントとの照合』
『死亡者・九条玲司に関連する非公開資料の保有』
『登録住所における居住実態なし』
『同一人物候補との顔類似度 八七・一%』
「同一人物候補って誰です」
三枝が答えなかった。
私は項目を押した。候補者名は非開示。画像もない。ただ、照合日時と照合場所だけが記載されていた。
『二〇三一年七月二十五日 二十時五十九分』
『旧司法最適化庁舎 東側監視カメラ』
四分前。この場所だ。
私は周囲を見た。石段、閉鎖された正面扉、道路、街灯。三枝のほかに立ち止まっている者はいない。
「私?」
「顔類似度なら違います」
「じゃあ、カメラに映った誰とあなたが似ていたんです」
三枝が東側の壁を見た。
「九条先生です」
私は通話履歴を見た。父は電話だけではなかった。この近くまで来ていた。
だが、八七・一%は高くない。親族ならともかく、他人同士の本人確認には使えない数字だ。
私は一行前へ戻った。
『死亡者・九条玲司に関連する非公開資料の保有』
死者との関係を疑われた三枝と、死者本人らしい人物が同じ場所にいた。テミスは二人を別人として扱うより、同一人物の登録不整合として処理する方が安いと判断した。
「本人性の確認が目的なら、二人が同時に存在する映像を出せば終わる」
「九条先生はもういません」
「あなたと私は同時に映っている」
「あなたは候補者ではない」
「候補者名は非開示です」
三枝が私を見る。
私は自分の監査記録を開いた。差戻し理由の完全一致で、父と私の案件は同一系列に束ねられた。なら、私も九条玲司の記録上の関連人物だ。
顔類似度は、親子なら八七・一%でも不自然ではない。
「テミスは、私を父の同一人物候補にした」
「年齢も性別も違います」
「本人性を判定しているんじゃない。記録の矛盾を最小にしている」
鏡は顔を映さない。都合を映す。
残り六分。
私は即時確認申立の欄を開いた。森川紗季の件で読んだ手続だ。端末不能時は紙で申し立てられる。だが今回は端末が使える。使える端末から、使えない人間を作っている最中だった。
『申立人 対象者本人』
三枝の公的個人認証は停止済み。
『代理人 法定代理資格を有する者』
私は該当しない。
『利害関係人 死亡・失踪・本人性疑義により直接不利益を受ける者』
私はそこを押した。
『不利益の内容を入力してください』
二百字ではない。ここは百字だった。人権は、入力欄ごとに長さが違う。
私は書いた。
『申立人九条灯は、同時刻同所で対象者と別個に撮影され、かつ同一人物候補と推定される。対象者と申立人が別人である事実は、対象者の本人性疑義を否定する。』
送信する。
『同一人物候補であることを証明してください』
「非開示にしておいて証明しろって」
「よくある設計です」
「知っています。六年署名してきたので」
残り四分。
私は監視カメラの照合時刻を開いた。二十時五十九分十二秒。父からの着信は二十時五十九分十八秒。
六秒差。
父がカメラの前を通り、私に電話をかけた。テミスが映像から父を検出し、三枝の過去画像と照合した。だが、なぜ私ではなく三枝なのか。
添付資料の取得元を見る。
『比較画像 旧職員証登録写真』
三枝の古い職員証写真。
「父の旧職員証は?」
「除外時に失効しています」
「写真も削除?」
「通常は保存されますが、九条先生のものは――」
「存在しないから、次に近い画像を使った」
三枝は父の元補佐官だった。庁内の古い集合写真、入退庁履歴、資料へのアクセス傾向。顔だけでなく行動特徴まで含めれば、システム上の距離は近い。
父を消した結果、父を見つけても父だと証明できない。
完全な制度だった。自分で開けた穴を、別の人間で塞ごうとしている。
私は申立画面の「証明できない」を選んだ。
『申立資格を確認できません』
その下に、小さく別の選択肢が出た。
『不利益の発生を受け入れ、本人性照合を実施する』
内容を開く。
『申立人の公的個人認証を一時停止し、対象者との同時確認を行います』
『照合完了まで、両名の決済・行政サービス利用を制限します』
私まで名前を止めれば、三枝が別人だと証明できる。
「押せば、あなたも凍結されます」
「知っています」
「法案の本会議まで動けなくなる」
「キャッシュレス社会の欠点は、現金がまだ少し残っていることです」
「九条さん」
「一件ずつ片づけます。私は同時に二つも正しくなれない」
残り二分。
私は「受け入れる」を押した。
『本当に実施しますか』
確認画面は、責任の所在を人間に戻すためにある。システムは止めない。ただ二度、同意させる。
私はもう一度押した。
画面が暗くなり、通知が出た。
『九条灯の公的個人認証を一時停止しました』
『三枝直人との同時本人性照合を開始します』
三枝の端末にも同じ通知が届く。
数秒後、再審査文が更新された。
『対象者と申立人が同時に別端末から応答しました』
『行動生体情報の差異を確認しました』
『同一人物仮説を棄却します』
続いて裁定結果。
『指定施設への出頭要請を取消します』
『行政サービス本人確認の停止を解除します』
三枝の決済制限が解除された。私の方は解除されない。
『申立人九条灯の本人性について、別件照合を継続します』
事件は終わった。三枝は、少なくとも今夜は三枝直人として帰れる。
私は九条灯であることを保留された。
「すみません」
「あなたが謝ると、私が善意でやったみたいになる」
「違うんですか」
「監査です。誤った前提で人を消す裁定を差し戻しただけ」
石段を下りる。交通系決済を試すと、改札は赤く閉じた。コンビニの決済も、配車アプリも使えない。名前を止められると、東京は急に広くなる。
三枝が現金を差し出した。
「借りは作りません」
「返せないから?」
「返済履歴まで学習されるからです」
私は受け取らなかった。歩けばいい。父が三年間歩いた距離に比べれば、都内の駅間など誤差だった。
そのとき、旧庁舎の大型ビジョンが切り替わった。
『監査官制度見直し法案 本会議審議を明朝九時に前倒し』
私の端末にも庁内通知が届く。
『公的個人認証停止に伴い、量刑監査官資格を暫定停止します』
署名権限が消えた。
父の狙いは、私にあの一行を送らせないことだった。送れば同じ異常系列に入れられ、権限を奪われる。それは当たった。
だが、ひとつだけ残った。
私は三枝の裁定文を最初から読み直した。取消後に追加された処理履歴。その最下段に、照合対象データの参照元が記録されていた。
『生存候補者映像 登録名義:九条玲司』
『映像取得地点:旧司法最適化庁舎東門』
『取得時刻:二十時五十九分十二秒』
『次回照合予定地点:衆議院第二議員会館』
『予定時刻:八時四十分』
父は逃げているのではなかった。
監査官制度を消す本会議の二十分前、死者の名義で国会へ入ろうとしている。
そして私は、その入館を止める側の人間として予測登録されていた。
(第13話へ続く)




