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【地球が進化する日】 〜地球の夢を見る少女と、地球の声を聴く少年。ふたりが出会ったとき、世界は次のページをめくる〜  作者: 真野真名
【地球がクラスチェンジする朝に、君と出会った】

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第十五話 音のない地下室と、止めない決意




 市の外れに放置された、巨大な廃工場の夜は――ただひたすらに、寒かった。

 暦の上では間違いなく七月だというのに、錆びたフェンスを越えて敷地に足を踏み入れた瞬間、体感温度がガクンと下がったのだ。夏の夜特有の、あの生温かくてまとわりつくような空気が、この工場の周囲半径五十メートルの空間だけ、すっぽりと初冬のそれに差し替えられてしまったかのようだった。


「……装置が、本格的に稼働を始めているな」


 あおいが、白く濁った息を小さく吐き出しながら言った。


 彼のトレードマークである工事用の分厚いノイズキャンセリング・イヤーマフは、今は上着のポケットの中に突っ込まれたままだ。「今夜は使わない」と、昨日の夜、土手で星を見上げながら彼自身がそう決めたのだ。


「地球の熱エネルギーや振動を、強制的に『逆位相』に変換して相殺してるんだ。だからこんなに不自然に冷える。この周辺は、もうだいぶ地球の前兆音が乱されてるよ」


「蒼くんの体は、大丈夫なの?」


 私が横顔を見上げて聞くと、彼は前を向いたまま「今はね」とだけ答えた。


 今は――その言葉の裏に隠されたリスクがひどく気になったが、ここで立ち止まって問い詰めるような野暮な真似はしなかった。


 先頭を歩く宇津木博士が、手元のタブレット端末で建物の見取り図を確認しながら、皺くちゃのジャケットを翻した。


「キャンセラー装置の中枢は、この先の第二倉庫の地下だ。地上部分に見えているのは、市から電力を引っ張ってきている制御系と冷却システムに過ぎない。アルゴスの警備は、最低でも四人は配置されているはずだが」


「最低でも、ってことは、もっとウジャウジャいる可能性もあるってことですか?」


「ありますとも」と、博士は夜の散歩にでも来たようなあっさりとした口調で言った。

 「何しろ、世界を救う(と彼らが信じている)大計画の本番前夜ですからね。マフィア映画みたいに、サブマシンガンを持った黒服が巡回していてもおかしくはない」


「笑い事じゃないですよ……」


 私は深く、冷たい空気を深呼吸した。


 肺の奥に、草の匂いがした。


 今夜の風に乗って漂ってきたそれは、現代のアスファルトの隙間に生える雑草の匂いじゃなかった。もっと途方もなく古い、土と水と熱がドロドロに混ざり合ったような――私が、あの白亜紀の夢の中でしか嗅いだことのない、巨大で濃密な大気の匂いだった。


 来てる。

 地球が――すぐそこまで、来ている。


「……行こう」


 私がギュッと拳を握って言うと、蒼と博士が静かに頷いた。





 結果から言えば、サブマシンガンを持った黒服との銃撃戦は起きなかった。


 アルゴスの警備員たちは、最新鋭の監視カメラとセンサーに頼り切っていたらしい。宇津木博士がどこから調達してきたのか、見たこともない怪しげな電子錠解除ツールを配電盤に繋ぐと、地下への分厚い防爆扉は、拍子抜けするほどあっさりと「カチュン」という音を立てて開いた。


 薄暗い階段を降りた先に――『それ』は、あった。


 地下空間は、外から見る倉庫のサイズからは想像もつかないほど広大だった。やけに天井が高く、コンクリートの壁に沿って、人間の腕ほどもある太い黒いケーブルが無数に這い回っている。


 そしてその空間の中央に、巨大な円柱状の構造物がそびえ立っていた。

 高さは三メートルほど。表面は鈍い銀色のチタン合金のような材質で覆われ、そこから、ブゥゥゥゥンという重くて低い振動音が絶え間なく発せられていた。


 人間の可聴域ギリギリの、耳の奥というより内臓を直接揺すられるような不快な音域だった。


 その空間に足を踏み入れた瞬間、蒼が「くっ……」と顔をしかめ、たまらず一歩後ずさった。


「……うるさい」


 彼は普通の声のトーンで言ったが、血の気が引き、顔が少し青ざめていた。


「これが――逆位相の音だ。地球のクラスチェンジの前兆音を、全部打ち消すように設計されてる」


「逆位相って、具体的にはどういう感覚なんだ?」


 博士が円柱を睨みつけながら問うと、蒼はこめかみを押さえながら説明した。


「ノイズキャンセリング・イヤホンと同じ原理ですよ。外部から来るノイズの波形に対して、完全に逆の形の波をぶつけて、音の波を平坦にして消すんです」


「……普通の音楽を聴いているときに、真逆の波長の音を強引に重ねられている感じだ。音楽が消える。でも、それは自然な『静寂』じゃない。強力な圧力で無理やり作られた、息苦しくて不自然な『音のない真空地帯』なんだ」


 音のない場所。

 これが稼働し続ければ、地球のアップデートは強制終了させられ、ゆいの変容も途中でバグを起こして止まる。

 そして、途中で止まった結は、きっと……生きられない。


 私は、鈍く光る巨大な装置を見上げた。

 不思議と、激しい怒りや憎しみは湧いてこなかった。

 ただ、もっと静かで冷たい、「これを絶対に壊さなければならない」という純粋な事実だけが、私の中にすとんと収まっていた。


「壊し方は?」


 私は博士に振り返って聞いた。


「電源ケーブルを引き抜くとか、ハンマーで叩き割るとか?」


「中枢制御ユニットは装置の背面にある。そこを物理的に破壊するか、システムに直接アクセスして停止コードを――」


「電源ラインを切断するだけじゃダメだ。あの規模なら、独立した予備電源が最低でも三系統は内蔵されてるはずだ」


 博士の言葉を遮るように、蒼が少し荒い息をつきながら言った。


「俺が、直接打ち消す」


 私と博士が、同時に蒼を見た。


「俺の『聴器』を使って――この装置が出している逆位相の音に対して、俺の体からさらに『逆位相の波』を当てて、相殺する」


「それはつまり」


 博士が眼鏡の奥の目を鋭く光らせた。


「君自身が共鳴箱となって、地球の前兆音と『まったく同じ周波数の波』を、体内で増幅させて放つ、ということかね」


「そうなります」


「……そんな真似をして、人間の体は持つのか」


 蒼は、一瞬だけ間を置いた。


「わかりません」


 わかりません、という答えが、一切の強がりを含まない100パーセントの正直さだったからこそ、余計に恐ろしかった。


「やる、って言ったら……陽菜ひなは、俺を止める?」


 蒼が、静かな群青色の目で私を見た。


 私は奥歯を噛み締め、首を横に振った。


「……止めない」


 真っ直ぐに彼の目を見返して、言った。


「止めないよ。結を助けるためには、それしかないんでしょ。……ただし」


 私は彼の上着の袖をギュッと掴んだ。


「終わったら、絶対に私のところに『普通の白瀬蒼』として戻ってきて」


「……わかった。約束する」


 蒼が少しだけ口角を上げて笑った、その時だった。



 ふいに、背後から声が降ってきた。


「――来ると思っていましたよ」




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