鉄砲五百艇!
季節はあっというまに移ろってゆく。ぎらぎらと輝く真夏の太陽は、いつしか柔らかな金色の陽射しになり、緑だった山々の木々の葉は、赤や黄色なってひらひらと舞い落ちる。その頃には、小さかった蚕も繭を作り、その繭を解いて人が絹糸を蓄えてゆく。人々が年を越す支度に慌ただしい頃、冬将軍が凍てつく寒さを運んでくる。春の女神の微笑みに、冬将軍が尻尾を巻いて逃げ出すと、土の中から待っていたかのように芽吹きが始まる。仕込んだ藍から真っ青な染料に仕上がってくる。季節の移ろう間、何度も養蚕場やら機織り場に足を運び、試行錯誤を繰り返して、ついに目の醒めるような真っ青に染まったド派手な衣装が出来上がった。
さらにド派手にするために、襟にはひときわ鮮やかなた紅をあしらってある。紅は、臙脂色とも言う。呉の国の臙脂山の藍なので紅だそうだ。紅も紅花を紅花餅にして、時間をかけて熟成して染料とする。藍にしろ、紅にしろ、仕込んでから時間をかけて熟成するところが、雄琴で新九郎さんに振舞ってもらった鮒寿司や、大原で食べた紫葉漬けや、大徳寺の納豆と似ている。しかも蚕のように、季節の移ろいに同期している。まるで藍や鮒寿司や紫葉漬けや納豆の中に、目には見えないが実在する生き物がいるようだ。
俺は、真っ青なド派手な衣装を衣装箱に戻すと、ごろりと横になった。
そういえば、日明貿易が破綻したとの噂が流れてきた。高い抽分銭を形骸化した室町幕府に納めて、商人が遣明船を請け負うよりも、私貿易や密貿易で利益を稼ごうと思うのは当然だ。まして今手に取っていた絹織物のように明に頼らなくても、国内で内製できる商品も増えている。無能で温和で何もせずに税ばかりを民衆にたかる室町幕府や守護職は、もはや害悪と言っていい。街道で運上をかすめ取る連中も、同業組合で組合金をかすめ取る連中も、時代の流れについて来れない連中は全て害悪だ。
もっとも平手先生に言わせれば、人間は感情の生き物であって、いくら理路整然とした合理的な正義であっても、そのためには人は動かないのだと言う。俺にはそこのところが全く理解できないが、既得権が守られて当たり前と思い込んでいる輩と、そいつらを担いでしがみついて甘い汁を吸っている連中は、まさに平手先生の言う感情の生き物だ。
ともあれ、商人と工人が活発に生産活動に携わるには、銭が要る。銭が経済活動の潤滑剤となる。六百年前のこの国に鋳造貨幣として富本銭だか和同開珎だかがあった。史実としてどちらか先かなどと言う議論は俺にとってどうでもいい。六百年間、それらの鋳造貨幣が流通しなかったという事実が重要なのだ。鋳造貨幣が貨幣として流通するには、それらに信用を与え不正を取り締まる政権が必要だ。平安、鎌倉、室町の政権は、貨幣に信用を与え不正を取り締まることができなかった。だから鋳造貨幣を流通できなかったのである。しかし商人と工人が台頭して経済を担い、時代が大量の貨幣を必要としている。だからこそ明で鋳造された永楽銭が流通しだしたのだ。そして親父は、永楽銭の不足がこれからの経済発展の妨げになると見込んで、信用ある新たな鋳造貨幣を作ろうとしている。
親父の構想を実現するには、勝手に銭を拵えられたり、改鋳されたりすることを取り締まらなければならない。特に砂張りで作った鐚銭は、銅の割合が低く、改鋳すれば価値がなくなる。つぶしが効かないのである。貨幣の乱発は「共有地の悲劇」を招く。だから貨幣としての価値を保つためには、決まりを守らせる力が要る。守らなかった輩に罰則を与えて取り締まる武力が要る。ちなみに鐚銭の価値は、含まれる銅の割合ではなく、文字で描かれている額面である。要は延暦寺のお札と同じだ。だからこそ庶民が恐れ入る権威が必要なのだ。
「鉄砲が届きました!」
家中の者の声に、がばっと跳ね起きて、庭に出た。
庭はまだ肌寒い。それでも薄紅色の桃の花が咲いていた。
そこには親父が長浜の国友鍛治に注文していた鉄砲五百艇が納入されていた。ずらりと並んだ鉄砲五百丁艇。これほどの数が揃ったのは、ここしかないであろう。濃姫も竹千代もほかの家の者もみんな目を丸くして見ている。甲賀で作られたという。濃姫の短刀も甲賀で作られていた。甲賀の里には、そういう技術があるのだろう。おびただしい数の鉄砲から一艇を手に取って眺めた。ずらりと並んだ鉄砲が庶民が恐れ入る権威となりえるか。自分でも撃ってみたいのだが、本能寺でちょっと見学したきりなので、さすがに心もとない。
そこで親父が家中に召し抱えていた鉄砲研究者を呼び出し、試し撃ちをするように言った。ところが長々と御託ばかり並べていて、一向に要領を得ない。困ったものだ、どうしたものかと思案していたら、傍らで様子を見ていた濃姫が、「よいしょ」と一艇を取り上げた。しばらく鉄砲を見ていたが「だいじょうぶそう。撃ってみていい?」と言って、火薬をつめはじめた。おいおい、出来るのか? 濃姫は、お茶を淹れるように淀みない所作で火薬を詰め終わると、ぴたりと的に照準をあわせた。いつものふわりとした雰囲気が、氷の鎧となって濃姫の体表に凝縮し、凄まじい気が発せられてあたりの空気をぎりぎりと縛り付けた。重心が上から下へと滑らかに沈んでゆくのがわかる。家中の者ががあっけにとられて見守る中、引き金を引いた。
「ドスーン」
一発命中である。
周囲からどよめきが起こった。
「すげぇ……」
鉄砲の威力に驚いたのか、濃姫の技術に驚いたのかわからない。俺もしこたま驚いた。
濃姫は振り返ると「なかなか具合がいいよ」と、屈託のない笑顔を俺に向けた。いつのまにか、あたりの空気は元に戻っている。鉄砲については美濃の舅殿に習ったと言うのである。
青くなってこそこそ逃げだそうとしている鉄砲研究者の首根っこを捕まえた。鉄砲の研究者として禄を食んでいたのだから、それ相応の働きをしてもらわねば困る。俺は、そいつの顔を忘れないようにぐっと引き寄せ、その因果を含めた。できるだけにこやかに話したつもりなのに、どういうわけだかびびって失禁してしまった。
濃姫を娶るかわりに要求した鉄砲五百艇だったが、支払いはまだである。親父の信用取引である。さすがに国友も親父のツケだけでは信用ならないらしい。鉄砲五百艇の支払い証文の連帯保証人に美濃の舅殿を指名した。もし親父の構想が頓挫すれば、支払い証文は莫大な負債となる。そうなれば家が潰れる。連帯保証人である美濃の舅殿も同じ立場である。まして舅殿は、美濃の保守派を抑えて、濃姫をこちらによこしたぐらいだから、親父の構想が破綻すれば、美濃の保守派が黙ってはいまい。
しばらくして、その舅殿から便りが届いた。会見したいと言う。大方、鉄砲が納入されることを聞きつけて、検分するつもりだろう。親父の体調が悪いので、その代理で動いている俺様が、うつけかどうか見極めようと言う魂胆もあるだろう。そうだ、真っ青なド派手な衣装のお披露目の相手にしてやろう。ド派手な衣装を見せて度肝を抜く相手としては申し分ない。茶の湯をたしなむ風流人だか鉄砲の研究者だかわからんが、美濃の蝮とやらに思い切りはったりをかましてやる。
会見場所は、尾張と美濃の境界付近、富田の聖徳寺と決まった。
同じ頃、別の便りも届いた。竹千代の父、松平広忠が死んだと言う。竹千代は泣いていた。親父にたった百貫文で買い取られて、俺たちのところに来た。親父が竹千代を人質に同盟をもちかけたとき、竹千代の父は、人質を殺してもよいと言い放った。親父が敵ながらあっぱれと褒めていたその竹千代の父が死んだと言う。戦国の世とは言え、幼い竹千代を気の毒に思う。うまく慰める言葉も思いつかず、とりあえず「俺が父になってやる」と言った。泣きじゃくる竹千代が、若すぎると言うので、「では兄になってやる」と言い直した。そして「俺は約束を守る男だ」と付け加えた。言いながら改めて「信用」ということについて思いを馳せた。




