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システマイザー・信長  作者: 武田正三郎
風に吹かれて
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紙漉きの里へ

 風を感じるのが好きだった。


 目にも見えず、触れることもできないのに、確実に存在している風を感じるのが好きだった。


 どういうわけか、そのあたりの顔役の跡取り息子に生まれた。窮屈なこと極まりない。人の言うことは矛盾だらけで、信じられない。その点、自分の目と手て確かめた外の自然は、絶対に裏切らない。だから幼い頃から家を抜け出て、外で遊ぶことが多かった。


 その日いつものように、家を抜け出て遊びに行こうとすると、おかんが、俺にお守りを持たせた。延暦寺とかいう立派なお寺から苦労して手に入れたのだと言う。要らん、と言っても持たせるときかないので、仕方なく持って出た。家を出てすぐにごろりと草の上に横になった。お守り袋を開けてみると、意味不明の文字が書かれた紙切れが出てきた。腹の足しにもならん紙切れを、どうしたものかと、もて遊んでいるうちに、催してきた。起き上がって草むらに分け入って、そこで用を足した。すっきりしたその途端、お守りの中の紙切れの素晴らしく有意義な使い道が閃いた。即、実行した。


 家に帰って、お守りを持っていないことに気づいたおかんは、持たせたお守りをどこにやったがね?と聞いてきた。野グソをたれて、ケツ拭くのに使ったと言ったら、こっぴどく叱られた。持って行けとは言ったが、持って帰れとは一言も言ってないくせにこれだ。人の言うことは、どうにも矛盾が多い。なぜ叱られたのかも全くわからない。意味も解らない文字が書いてある紙が、ケツを拭く以外のほかに一体何の役に立つというのだ。ケツを拭いて何が悪い。まだ何も書いてない真っ白な紙ならまだ落書きに使えるのだが、文字が書いてあっては落書きにも使えない。もっとも、後日、あの紙が高価な美濃紙といわれるものであることを知って、ケツを拭かずに売っぱらえば良かったと少し後悔した。そして美濃紙に興味を持った。


 興味を持つととことん突き詰めたい。美濃紙と言うからには、美濃で作っているのだろう。美濃はここからそんなに遠くない。そう思ったらどうやって作っているのか見たくなった。ひとたび見たいとなると、いてもたってもいられなくなった。何事も自分の目と手で確かめたい性分なのである。家の者たちに聞きまくって美濃紙の情報をかき集めた。あれだけありがたがっているくせに、美濃紙のことを知っている者はほとんどいなかった。それでも美濃紙がどのあたりで作られているかを想像できた。


 手習いを終えて、昼飯を湯漬けで済ますと、野駆けしてくると言って家を出た。羊雲が天高く青空がすがすがしい。歩くのにうっとうしい袴を脱いで、いつもの小袖と、半袴を身に着けている。肌の露出を避けるため、腕と足には布を巻き、腰のまわりに七つ道具。野駆けのために工夫に工夫を重ねたスタイルだ。人が言う、「ちゃんとした服を着ろ」の「ちゃんと」の部分が理解できない。衣服は体温を保てれば、それでいい。


 庄内川の浅瀬を選んで泳ぎわたる。このあたりは川が多い。すぐに氾濫する。橋などかけても無駄だ。困るのはせっかく作った田畑がみなだめになることだ。しかも田畑の境がわからなくなって、しょっちゅうもめごとが起こる。守護職とかいう殿様はいるが、年貢を出せの一点張りで、まったく役に立たない。下手にもめごとの解決を陳情しようものなら、逆に増税を言い出す始末だ。上の者がまったく頼りにならないので、もめごとは自分たちで解決するしかない。せんだっても庄内川があふれ、田畑の境のことで里の連中がケンカをはじめた。うちの親父は腕っぷしが強かったせいか、そんなとき真っ先に飛び出していって仲裁に入る。親父はそうやってもめごとを収めているうちにこのあたりの顔役になったようだ。


 川が氾濫したあとは、一面に葦だのススキだのが生い茂る。その茂みの隙間から遠く飛騨の山々が連なっているのが見える。手前に少し低い山があって、そこまで転々と人里や田畑がある。このまま北に行けば、木曽川につきあたるはずだ。木曽川を越えたら、その向こうは美濃の国だ。美濃の国で、身分がばれたら下手すれば命が危ない。さすがにそのことは知っていたが、紙の里を自分の目で見たいという好奇心の方がまさった。


 木曽川は大きな川だ。平野の端っこにぼこぼこと盛り上がった山の間から、ゆったりとした深緑色の太い流れを作っている。うっかり泳ぎ渡ろうとすると流されかねない。また国境ということもあって、ところどころ番兵が目を光らせている。侵入者だと目をつけられれば、子どもといえど容赦しないだろう。木曽川を遠巻きに右に折れて、犬山の方へと進みながら、泳ぎ渡れそうなところを探すことにした。紫色に熟れたアケビの実を見つけた。それをもいでほおばり、日暮れを待った。


 秋の日はつるべ落とし。そうこうしているうちに暗くなってきた。真っ赤な夕焼けを背に山影が暗く沈み、木曽川の流れに空の残光が映えている。明るいうちに探しておいた浅瀬に行って、国境の木曽川を渡りきった。夕闇にまぎれて峠を越えて坂祝さかほぎという人里に忍び込んだ。人に見つからないよう里の真ん中は通らず、山のふもと道を歩いた。その山は、カナクズ山、と言うらしい。なるほど寺の鐘やら壊れた鍋やらいっぱいうっちゃってある。これが鋳物の原料に使われるのは後で知った。


 興味を持つと、触って確かめてみたい。まだ金物が貴重な時代だ。暗くなっているので、よく見えないが、何に使うのかわからない見たこともない金物がたくさんある。夢中になっていると、突然後ろから、何しとんねん? と声をかけられた。びくっとして振り返れば、背丈がありがっしりした体つきの男が鋭い目つきでこちらを見据えていた。


 美濃紙は1300年の伝統を持つと言われていますが、実際に美濃紙の記録が残っているのは江戸時代になってからです。鎌倉幕府の公用紙だった杉原紙はそのステータスを示すために分厚いものでした。美濃紙は原料を節約するためとことん薄くして原価を抑えました。薄くて光がよく通る美濃紙は、菜種油を使った行灯や提灯、あるいは茶の湯とともに書院造の障子にも採用され市場を広げていきました。戦国時代の奥美濃はまさに日本のシリコンバレーだったのです。

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