サンスケと新九郎
気がつけば男たちに囲まれている。体中から冷汗がどっと流れ出てきた。
「何しとんねん?」
とその男が再び今度は少し強い口調で尋ねた。
「ここの金物、見とったがや」
「見たことない顔やが、どっから来たんや?」
ここで尾張から来たと答えたら殺されるかもしれない。でもほかの答えを準備したところで、追及されればばれるのは時間の問題だ。むしろ生き延びた後の心象が悪くなる。囲みを破って逃げるという手もある。しかし殺されるリスクはもっと高い。ここで殺されるかどうか悩んでも何の役にも立たない。殺される確率がもっとも低く、かつ生き延びた場合の損害がもっとも少ない選択をするだけだ。瞬時に答えをはじき出した。
「尾張から来た」
ほう、とその男は少し驚いたようだった。相手もこちらの計算を瞬時に読み取ったらしい。これ以上、聞いても何の得にもならんと思ったのか、改めて頭のてっぺんからつま先までねめつけると、
「そら、ばれたら困るら」
とぼそりと言った。そして、
「俺に、おまえの生まれや身分は関係ない」
とはっきり言ってから、
「俺らに危害を加えるつもりなんかないんろ?」
と聞いた。素直にこくんとうなずくと「そんならもう子供に用はないがや」とくるりと背を向けて立ちさろうとした。その後ろ姿に反射的に叫んだ。
「待ってくりゃー、俺に美濃紙の里を見せてくれんか?」
男は足を止めて再びあの鋭いまなざしをこちらへ向けた。すでに冷や汗はどこかに行った。自分の生き死により、美濃紙への興味がまさっていたの思い出したのだ。男が訳を聞こうかというので、美濃紙でケツ拭いてこっぴどく叱られて、美濃紙に興味を持ったと話すと、男は腹を抱えて笑い出した。大真面目に話したことを笑われて少々いらっとしていたら、話はわかった、だがタダで人にものを頼むというのは虫が良すぎるというものやら、と言われた。そして男の雑用を手伝うかわりに紙の里に案内してもらうことになった。当時、雑用に従事し身分の低い男性奉公人は「サンスケ」と呼ばれていたので、それにならって男は俺を尾張のサンスケと呼んだ。サンスケだろうがうつけだろうが、名前は人を区別できればそれでいい。
夜は、津保川に沿って関という里に連れてゆかれた。そこでさっそく夜の飯場の炊き出しを言いつけられた。炊き出しなんかしたことがなかったので、最初はまごまごしていたが、すぐに慣れた。その男は、飯場のみんなから、新九郎さん、と呼ばれて慕われていた。あらてめて飯場に集うひとたちを見ると、尾張ばかりでなく遠国から来てると思われる連中がたくさんいた。言葉の訛りから気が付いたのだ。馬があう、とはこのことだろう。俺は、新九郎さんとひとつふたつ言葉を交わしただけで、すぐに仲良くなった。周りの男たちによれば、新九郎さんは、才能あふれる子どもにモノを教えるのが楽しいのだという。才能って何だ? と思ったが、そこにこだわるとうるさそうなので、口には出さずに黙っていた。
明け方。とんてんかんてんと響く音で目を覚ました。いつの間にか眠ってしまったらしい。新九郎さんに聞いたら、鍛冶の音だという。包丁、鋤、鍬などを作っているそうだ。なるほど包丁も人が作らなければ、この世に生まれてくることはない。家の床の間に刀が飾ってあったのを思い出して、刀も作っているのかと聞いたら、いやな顔をした。刀より包丁のほうがよほど役に立つら、と言った。まったくその通りだと思った。包丁がなぜ切れるようになるのか、とても興味を持った。この次は包丁の里を見せてもらおう。
長良川を舟でさかのぼる。途中曲がりくねった板取川へと舵を切った。しばらく川を上ると紙漉きの里がそこにあった。原料は楮やみつまたといった低木だ。楮は脂が少なく繊維が長いので、紙漉きに適しているのだという。この原料を灰汁で軟らかく煮て、棒で叩いて繊維をほぐす。それをきれいな水に散らして、繊維を絡ませながら布で救いとる。紙漉きだ。そのまま乾かせば紙のできあがりだ。もっとも売り物になる紙を作れるようになるには師匠に弟子入りしてから十年はかかると言う。
ほかの木では、だめなのかと新九郎さんに聞いたところ、脂が多すぎて灰汁では煮溶かせないのだと言う。もし、灰汁より強力に木材と煮溶かす薬剤が手に入れば、大量にある木材を使ってもっと安く良い紙が作れるのだが、と言って腕組みしてみせた。確かにこの時代、人類で苛性ソーダを知っていた者はまだ誰もいない。
美しいとはどういうことか? と尋ねると新九郎さんは、答えるかわりに2枚の紙を取り出して灯りに透かしてみせた。片方だけが圧倒的に明るく、紙の繊維がきらきらと輝いていた。もはや説明は要らなかった。これが美濃紙だ、とにやりと笑った。紙が丈夫だから薄くでき、それで明るくできるのだという。美濃紙を灯りに使うと、明るい分だけ灯りに使う油の量を節約でき、その分だけ高く売れるのだ、と教えてくれた。
ふと、おかんが持たせてくれたお守りを思い出した。使われていたのは、今見た美濃紙とはまるで違う黄ばんでもさもさの分厚い紙だった。偽物? あれを美濃紙と偽って高価で売っているとしたら延暦寺のどこが立派なんだ、と疑問に思った。このことを新九郎さんに話すと、じっと見つめ返してから、そのうち延暦寺に連れてってやる、と言ってくれた。
別れ際に、見るからに最上等の美濃紙を取り出した。その最高の美濃紙に黒々とした墨で、「サンスケ入ルヲ許ス、長井新九郎」と書いた。最後に読めない文字でなにやら書き足した。おかんがありがたがっている達筆というやつだ。それを花押と言うと知ったのはずっと後のことだ。誰も読めない文字を書いてどうするのだと聞くと、これは誰にも読めないのではなくて俺にしか書けないように書くのだ、だから偽者を作れないのだ、と説明してくれた。新九郎さんの説明は明快だ。そのお守りを袋に入れて首からぶら下げてくれた。このあたりで誰かに出会ったら、これをみせりゃーいいがね、おかんのお守りよりゃーはるかにきくわ、とからからと笑った。
実際そのお守りのご利益は絶大だった。あとで出会った人にお守りを見せてみたら、ほんとうにすぐに仲良くしてくれた。お守りが効くとはこういうことなのだと合点が行った。新九郎さんの言葉は確かめる方法も示してくれるので、信じることができた。驚いたことにこのお守りは美濃ばかりでなく尾張でも効いた。自分のことをサンスケと呼べと新しい仲間に宣言すると、決まってその中から仲良くしたいと新九郎さんにゆかりの者が名乗りをあげるのだった。
奥美濃の関は包丁、剃刀、爪切りなど刃物の日本屈指の名産地です。漉いた美濃紙を美濃版に裁断するのに専用の包丁を使います。包丁を作る方では、包丁の切れ味を使うのに美濃紙を使います。包丁の切れ味とはうらはらに紙と刃物は切っても切れない縁があります。今ではドイツのゾーリンゲンの刃物まで関で製造しているようです。




