第7話『アート』
「ん」
話し声とともに微かな殺気を感じた。粛善はカモメとの会話を中断して左手へ顔を向ける。川上のほうから宗治郎が着ていたのと同じ作務衣の男女が二人歩いてきていた。村の追っ手だ。
「まだ追われているのですか」
カモメも相手が誰なのかに気づいて呆れ顔をする。粛善は面倒だという気持ちを隠すことなく立ち上がる。
「坊主が寝ている間にもな、ちらほらと。捧げ物がないなんて村のもんは許せんのだろう」
どうやっても未羽を見つけることができないなら他の娘を生け贄に据えるのだろうが、村から相当離れたここまで捜しにくるのであれば、できる限り決めた娘にしておきたいのだとみえる。
しかし万が一を考えて、粛善は着ていた羽織を脱いでカモメの頭に被せた。カモメがきょとんとする。優等生にしては珍しく、粛善の行動の意味をはかりかねているらしい。粛善はふっと笑った。
「お前を身代わりにされちゃ困るからな。このまま隠れとけ」
木に立て掛けておいた竹刀袋から特大筆を取り出して、慣れた手つきで二つの絵を一筆書きで地面に描いた。釣竿とバケツだ。
粛善の血と水を混ぜて作った墨を吸収した特大筆は、描き終わった瞬間にその二つを現実の物として生み出してくれる。立体となったバケツと釣竿をカモメの近くに置いて、この辺りで釣りをしていたオッサンふうを装った。
カモメが苦笑する。
「ここまでして守ってもらわなくても」
「万が一があるからな。動くんじゃないぞ」
特大筆の先を肩に置いて、粛善はこちらに歩いてくる男女のほうへ向かう。徐々に相手の顔がわかるようになってくる。
歳を取ってかなり視力も落ちたが、それでも墨師特有の目の良さはまだ半分くらいは健全だ。二人の血走った白目に不快感を覚える。そこまでして『掟』なんてものを守らなければならないのか、と。
「おい、そこのおやっさん」
先に声を掛けてきたのは男のほうだった。十分オッサンの枠に入る年頃だが、粛善よりかなり背が低く、痩せている。そういえば宗治郎も年の割にはチビでひょろっこかったなと粛善はぼんやり思う。それだけ食が足りていないということか。
「この辺で坊主を見なかったか。赤髪で、雀のしっぽみたいに引っ詰めてる十九歳。同じ歳の女の子を連れてて、ああそうだ、こういう服を着てたと思うんだが」
しゃがれ声のその男は自分の服の襟元をつまんで見せた。粛善はふと疑問に思う。
「坊主のほうを捜しとるんか? 娘っ子じゃなく?」
生け贄に選ばれたのは未羽なのに、どうして宗治郎を捜しているのか。口に出してすぐに、ああと思い至る。そういえば、未羽の誕生日は今日だった。川で流されてきた二人を拾ってここまで連れてきたのが昨日の夜だから、彼女は今日、二十歳になったのだ。
『掟』では二十歳未満の娘とあったが、どうやら例外として男を選んでもいいらしい。
目の前にいる二人の表情が変わった。
「……アンタ、あいつらを知ってるな?」
しまった。ついなにも考えずに訊いてしまった。
「どこへ逃げた。なにか恵んでやったのか」
「いや別に、なにもやってはないが」
「生きてるんだな」
「いや、生きてるっちゃ生きてるが……」
シチューも食べてもらえなかったし。
宗治郎は人間でも未羽は言質霊だし。
逃走手段に使ったイノシシとどこまで意思疎通できるのかわからないから、どこへ逃げたかなど粛善には知りようもない。こういうのはカモメの得意分野だ。
女の視線が、粛善から離れた。
「……あそこにいる人は?」
羽織を被ったままのカモメに人差し指が向けられる。やはり、隠しておいて正解だった。
「私の釣り仲間だ。呑みすぎて酔っ払っとる」
「会わせてもらえるかしら。宗治郎かもしれないし」
女が爛々と目を光らせる。粛善の頭にある仮想の『面倒メーター』がみるみる上がっていく。
そもそもこうして話しに来たのは、会話をせずに追い払う方法が特大筆を使う以外に思いつかなかったからだ。言質霊の封印とカモメの保護以外に特大筆を振りたくない。そんな墨の無駄使いをしたくないのだ。
けれどギラギラとした執念を前にして、粛善は墨の補充よりも話し合いのほうが面倒に感じた。
「別にいいぞ。そーじろーとやらの坊主じゃないからな、起こさんようにそーっと行ってくれ」
男女は粛善の言葉など信用せずにどんどんカモメのほうへ歩いていく。おおかた宗治郎か未羽どちらかだと思っているのだろう。
粛善は一つため息をついて、肩に掛けていた特大筆を両手で持つ。カモメが座る位置まであと五、六メートルというところまで進んだ男女の背中に向けて、筆を動かした。一筆書きで描いたのは、アイアンメイデン。
「ひっ……!?」
女の目の前に上から鉄の塊が降ってきた。ズドォンッ! と大きな音を鳴らして地面を揺らし、女をぬるりと見下ろす鉄の処女。
粛善が移動手段に使っていた墨の川と同じく、特大筆で描いたものは粛善の思うように動かせる。アイアンメイデンはまるで生きた鉄の人間のように女を見下ろして、胴体にある扉をパカパカと開けたり閉じたりしながら中にある地獄の針を見せびらかす。
アイアンメイデンの顔がおどろおどろしい笑みを作った。
「「ぎゃあああああああッ!!」」
村から来た男女は一目散に駆け出した。粛善の横を通り、もと来た川上のほうへ全速力で走り去っていく。
「ビビりなやっちゃなあ」
脅したのは女のほうだけだったが、男もアイアンメイデンを見て顔を真っ青にしていた。むしろ女よりも先に走り出していた。相当なビビりだろう。
粛善は二人が逃げていく際に落としていった茶色い物を拾い上げる。かなり重い。
「これまた素晴らしいものを作りましたね」
ことが済んだと察したカモメが羽織を手に持ってこちらへやってきた。通り過ぎざま、アイアンメイデンの頭に手を伸ばして撫でている。
一筆書きで作った品々を、カモメは『アート』と呼んでいる。作られたアートたちはよくカモメから褒めてもらえるので皆嬉しそうにしている。アイアンメイデンは粛善の意思に関係なく顔を赤くしていた。
「いるなら持って帰っていいぞ」
「いえ、さすがに置くところがないので、これ以上は……」
カモメは本気で名残惜しそうに唸る。これまでにも持って帰ったアートたちでもう部屋がいっぱいなのだと聞いたことがある。そこへ全長二メートルの鉄の塊を置くとなれば、彼の勉強スペースがなくなりかねない。
それならしょうがないなと、粛善はアイアンメイデンの胴体に指を当てて十字を書いた。アイアンメイデンが、とぷんという音を鳴らして液体に変わる。地面に染み込んでしばらく黒い土になっていたが、やがて元の地面に戻った。
「カモメ、これ見てみろ」
やはり名残惜しそうなカモメの前に、粛善は拾った茶色い物を差し出した。
どうやら置き物のようだが、その先にはほとんど黒くなった血が付着していた。カモメは不快そうに眉を寄せた。
「こんなもので殴られたんですか。よく生きてましたね」
「頑丈だよな。まあ出血多量で死ぬ前に娘っ子が喰ったんだろうが」
カモメが作ってくれた先ほどの資料によれば、宗治郎が未羽をこっそり逃がそうとして見つかった際に殴られた傷が後頭部にあるはずだった。この血の着いた置き物が凶器で間違いない。
しかし宗治郎の後頭部を見たとき、あるはずの傷はそこにはなかった。出血の跡すらなく、皮膚が白く変色していただけ。あの白は、言質霊が餌として人間を喰った際にできる残滓である。
言質霊となった未羽は、宗治郎の後頭部の傷を喰ったのだ。
「治療に近いですね」
「そうだな」
「頭のいい言質霊だ」
正しく事実を見極めるカモメに、粛善は頷いた。
言質霊には、人を助けようとする意思は決してない。奴らに人のような感情は一切存在せず、人間に取り憑いて、自分が生き長らえるためだけに行動する。
未羽に取り憑いた言質霊からしてみれば、自分を守ってくれる宗治郎は生かしておいたほうが都合がいい。現にさっきもそうやって逃げられたのだから。
「いまさらですけど、追いかけなくて大丈夫なんですよね」
カモメに渡された羽織を着て、二人はもといた場所まで歩いて戻る。アートで作っていた食器や飯盒、焚き火も全て十字を書いて墨に戻して片付けた。
「黒弧で縛っておいた。坊主も娘っ子から離れるとは思えん。大変な事態にはならんだろう」
未羽の胴体に巻き付けた墨の塊『黒弧』が健在である限り、彼女は自由に人を喰うことができない。彼女の動く『髪』が少々厄介ではあるが、それもいまのところは問題ないと粛善は思っている。
カモメは首を縦に振った。
「未羽のフリをしている言質霊にとって、脅威から守ってくれるあの男は都合がいいですからね。利用できるギリギリまでは人間の真似をするはずです」
「そのギリギリのタイミングを見誤ればあの坊主も餌食になるがな。まあとにかく、いまは追いかけてもどうにもならん。坊主が心の整理をする時間も必要だろうしな」
粛善から見るに、彼は未羽が死んだことをはっきり認識していた。いまはまだ信じたくないだけなのだ。
だからしばらく時間を置けば、おのずと恐れを抱くようになる。
彼女はなぜ、死んでいるのに動いているのだろう、と。
「タイムリミットまでに『門』を見つけんとな」
特大筆を竹刀袋に収納して担ぎ、カモメのくれた資料だけを手に持った。
逃走した二人の行き先を調べるのはカモメに任せ、粛善はその辺をぶらぶら歩いて『門』を考える。これはいつものスタイルだ。
わかってくれているので、カモメも帰り支度を始める。アタッシュケースを持って、大きな翼を背中から出して広げる。服が破けるわけでもなく、やはりどこに収納していたのか粛善にはわからない。
「言質霊の説明は当主様がしてくださいね」
『カモメ』の術は不思議だなあと思っていると、嫌なセリフが出てきた。
カモメはほんの少し地面から足を浮かせた状態で粛善を見ている。じいぃ……っと、見ている。
「言質霊だけじゃありませんよ。言霊も門も、しっかり教えてくださいね」
「ええー……」
「ええーじゃありません」
「だって論理的な話はお前さんの得意分野だろう」
「封印するのは当主様なんですから、あなたから言わないでどうするんですか」
正論で返されてはすぐに反論できない。
粛善はぽりぽりと頬をかいた。
「説明なあ……難しいんだよなあ……」
悩まずにはいられない。
墨師にとって、言質霊は言質霊。言霊は言霊。門は門だ。それ以外の何物でもない。まったく知らない人へ伝えるにはどうすればいいのか。何度経験しても難しい。
「初めて聞く人にもわかるよう、噛み砕いて説明してくださいね」
「うぐ……な、なあカモメ、やっぱりお前さんが……」
「いやです」
「頼むよぉ……」
粛善の全力のお願いにも関わらず、カモメは軽やかに大空へ飛んでいってしまった。速すぎてもう姿が見えない。
去り際に「シチュー美味しかったです」とだけ言ってくるその優しさを、どうにか説明のほうへ持っていってくれないか。粛善は頑張って大声でお願いするが、カモメからの返答はいつまで経っても届かなかった。
【第7回 豆知識のカモメ】
カモメの部屋は粛善のアートでいっぱい
「お前さん、いつも持って帰ってくれるのはいいが、ほんとにいいのか?」
「なにがです?」
「だってほら、どんなに頑張って描いてもモノクロだぞ。色がないのは寂しくないか」
「いいんですよ、そんなのは。当主様のアート自体が好きなんです。デザインも凝ってますし」
「いや、でもなあ……」
「心配しなくても、元から置いてある家具はそれなりに色がありますよ。ほら、こんな感じです」
「……色っちゅうか、木製で統一しとるだけだろ」
「茶色があれば十分じゃないですか」
「わかった。私が悪かった。今度の土産は鮮やかめなものをチョイスする」
「アートでください」
「いや、だからもう少し色味をだな……」
お読みいただきありがとうございました。
《次回「はやく消えないかなあ」》
宗治郎の視点へ移ります。
イノシシで逃走してからのこと。
どうぞよろしくお願いいたします。




