其の十六(終)
紅子と稔の章、最終話です。
稔は紅子と菖蒲を並ばせて、それぞれ刺青を見せるように言った。そしてそれぞれの紋様を眺める。
「やっぱりね。身体に血を刻むなんて、悪趣味だな」
彼はそう言うと嘆息した。そして、怪訝な顔でこちらを見る二人に微笑んでみせる。
「百聞は一見に如かず。まずは解呪してみせよう」
そう言って稔は、やおら紅子の鎖骨あたりに手を置くと、目を瞑って何事か唱えはじめた。途端に女の胸元が、ぼう、と青白く光る。
紅子はその光を見ると、なんだかこの世に戻ってきたときの心地を思い出すようだった。
暗い中に、一筋の灯火を見つけたときの、あの胸のあたたかさを。
彼女がぼんやりとその光景に見惚れていると、稔はその光の中にそっと指を二本、差し入れる。そしてしばらく機を待っていたかと思うと、何かを勢いよく引き抜いて手中に収め、力一杯握りつぶした。
刹那、ばちっ、火花が散った。
その瞬間、紅子と菖蒲は、あっ、と小さく悲鳴を漏らす。
「――消えた」
「――私も」
菖蒲は胸元を押さえて、紅子は背中をさすり、そう呟いた。
すかさず菖蒲は男に詰め寄る。
「一体、何をしたの」
稔は語った。
「そもそもこの術式は人間の魂と魂を一対一で結び付けるものだ。ゆえに術を掛けた術師の魂をもってでないとこの呪いは解けない。そしてその仕組みは揺らぐことはない。では、この術に第三者が入り込める余地があるとしたら、それはどういった場合だろう? 答えはまさに術者が『人形』となり、それを作った『人形師』がいる場合だ」
紅子も菖蒲も固唾を飲んで彼の言説に聞き入っていた。
「人形師は生き人形に魂を呼び戻すだろう。その手のものの扱いは得意でね。今回はその技術を応用したんだ。紅子さんの魂に干渉して、絡み付いた呪いを引っ張り出して捻り潰しておしまい、というわけだったのさ」
得意気な稔とはうらはらに呆然とした菖蒲は、再び胸元をさする。
「終わったっていうの? こんな呆気なく――」
「この手の呪いは一対一だからこそ強固になる。けれど、そこに第三者が介入してしまえばあっという間に均衡が崩れて終わりというわけさ」
菖蒲はしばらくぼうっとしていたが、ふと顔を上げると不安げな顔で稔を見た。
「でも頭領が復活したら――」
「大丈夫、さっきまであった呪いはもうない。これは術者の血をもって刻まれる術だ。万が一、再びこの世に現れたとしても、彼にはもう術は結べない」
血の通わない人形だからね、と稔は肩をすくめる。
男の言葉を聞くと、菖蒲はいままでの様子とはうってかわって、穏やかな表情を浮かべて深く息をついた。
「――これで、やっと自由だ」
着物の胸元をきつく握りしめながら、感慨に耽っている菖蒲を、稔と紅子は優しく見つめていた。
その時だった。
「え」
ほんの一瞬の出来事だった。紅子はいつの間にか背後に忍び寄っていた人物に後ろ手に何かを握らされた。そして、身体をよじる間もなく、その人物がぶつかるように体重を掛けてくる感触が背中に伝わってくる。――生温かく鉄臭い何かが紅子の背を伝った。
「油断、した、な」
途切れ途切れに発せられる男の声を聞くと、紅子はおもむろに振り返る。
邪悪な笑みに醜く歪む皺の多いその顔を見て、彼女は全てを悟った。
「おま、えが、の、ぼる――」
途端に紅子の四肢から力が抜けていく。意識も紗幕がかかったように朧げだ。近くにいるはずの稔と菖蒲が叫んでいる声がどこ遠くに聞こえる。
最期に男は笑った。そして言った。
「これ、で、俺、の、勝ち、だ、稔――」
そのあまりに醜悪な表情に、紅子の心は凍りついた。
だがそれを感じられるだけの身体の感覚がいよいよ無くなっていく。
(ああ、私――)
紅子はそっと目を閉じた。
(今度こそ、死ぬのね)
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