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Fifth Element  作者: 藤風大地
紅蓮の剣闘奴隷

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第1話 昼下がりの組手と遠い日の記憶

抜けるような青空から、初夏の陽光が燦々と降り注いでいた。

ナイトレイ城の中庭。手入れの行き届いた芝生が広がり、色とりどりの花々が季節の香りを運んでくる。本来ならば、パラソルの下で優雅に紅茶でも傾けたくなるような、絵に描いたような平和な昼下がりだ。

だが、今のこの空間を支配しているのは、優雅さとはかけ離れた、荒々しくも小気味良い打撃音だった。

タンッ! タンッ! タァァンッ!!

乾いた木と木が激突する音が、まるで精巧に計算された音楽のリズムのように、あるいは互いの魂をぶつけ合う対話のように、絶え間なく響き渡っている。

風が巻き起こり、芝生が波打つ。

俺――クロノス・ナイトレイは、全身から滝のように汗を流しながら、眼前に迫る巨大な木剣の連撃を必死に捌いていた。

「オラオラァ! どうした坊主! 書類整理で体が鈍ってるんじゃないか!?」

豪快な笑い声と共に、俺に向かって怒涛の攻撃を仕掛けてきているのは、燃えるような真紅の髪を振り乱した屈強な女性。

我がナイトレイ公国の最強の矛であり、『火怒(ガード)』のリーダーを務める側近、ティランだ。

彼女は身の丈ほどもある巨大な木製のバスターソードを、まるで小枝でも扱うかのように片手で軽々と振り回している。その一撃一撃には、岩盤をも粉砕するような凄まじい質量と遠心力が乗せられており、まともに受ければ防御の上からでも骨が軋むほどの威力がある。

今日は魔力による炎の闘気は使わず、純粋な身体能力と剣術のみの組手だ。だが、それでも彼女から放たれる圧倒的なプレッシャーは、並の剣士なら相対した瞬間に腰を抜かすレベルだ。

「くっ……!」

右からの横薙ぎ。俺はそれを木剣の腹で受け流し、衝撃を足の裏から地面へと逃がす。

即座に翻った刀身が、今度は上段から俺の頭蓋をカチ割らんと振り下ろされる。

速い。そして重い。

だが、一ヶ月前の俺ならいざ知らず、地獄のような特訓を越え、彼女の剣筋を誰よりも間近で見続けてきた俺の目には、その起動ははっきりと見えていた。

「そっちこそ、反撃がくるんじゃないかって連打しかしないじゃないのか?」

俺は振り下ろされる木剣を、紙一重のサイドステップで回避しながら、ニヤリと笑って煽り返した。

大振りの攻撃を避けた直後、ティランの懐は大きく開いている。俺はそこへ踏み込み、コンパクトで鋭い突きを放った。

「チィッ! 生意気言うじゃねぇか!」

ティランは舌打ちをしながら、咄嗟に木剣の柄で俺の突きを弾き落とした。

そのまま強引に体を捻り、遠心力を利用した回し蹴りが俺の脇腹を襲う。俺はそれを前腕でガードし、反動を利用して大きくバックステップを踏んで距離を取った。

ザッ、と芝生を滑り、構え直す。

ティランもまた、木剣を肩に担ぐようにして構え、獣のような鋭い瞳で俺を睨みつけている。

お互いの荒い息遣いが、静かな中庭に響く。

この息の詰まるような剣の攻防は、かれこれ三十分ほど続いていた。

(……さすがに、キツくなってきたな)

俺は心の中で毒づきながら、木剣を握る手に力を込めた。

ここ数日、領地の運営や外交の書類仕事に忙殺され、机に向かってばかりいたのは事実だ。体が鈍っているというティランの指摘は、あながち間違っていない。

彼女は、俺がデスクワークで溜め込んだストレスと、鈍りかけた暗殺者としての勘を叩き直すために、こうして昼下がりの貴重な時間を割いて、全力で組手に付き合ってくれているのだ。

荒っぽい愛情表現だが、彼女なりの気遣いであることは痛いほど分かっていた。

だからこそ、俺も彼女に対して、中途半端な戦い方を見せるわけにはいかない。

「ハァ、ハァ……。やっぱり、坊主と打ち合ってると楽しいぜ。他の奴らじゃ、俺の剣をここまで受けきれねぇからな」

ティランは額の汗を手の甲で無造作に拭いながら、嬉しそうに歯を見せて笑った。

「光栄だな。だが、いつまでも受けに回ってると思うなよ」

「へっ! 来るなら来い! 返り討ちにしてやるよ!」

ティランが再び腰を深く落とし、大地を踏み締める。

次の一撃で、決める気だ。

彼女の筋肉が限界まで収縮し、爆発的な推進力を生み出す予備動作。

対する俺も、深く息を吸い込み、体内の魔力回路を全開にした。

純粋な剣術勝負とはいえ、ここから先は「力」と「力」のぶつかり合いだけでは突破できない。

ならば、俺の持つ最大の切り札を切るしかない。

「……これで決めるぞ!」

俺は低く呟き、全身の筋肉の繊維一本一本に、高密度に圧縮した魔力を流し込んだ。

リミッターを解除し、肉体の潜在能力を限界の彼方まで引き上げる、俺のオリジナルスキル。

後に、ティラン自身がこれを模倣して『オーバードライブ』という大技へと昇華させることになる、その原型たる力。

「【身体超強化(オーバー・ブースト)】!!」

ドンッ!!!!

俺の足元で、空気が破裂したような轟音が響いた。

芝生が円形に吹き飛び、土煙が舞い上がる。

俺の体は、ティランの視界から一瞬にして掻き消えた。

「なッ……!?」

ティランが驚愕に見開いた目の前。

俺はすでに、音速を超える速度で彼女の懐へと潜り込んでいた。

速すぎる。ティランの動体視力をもってしても、俺の残像を目で追うだけで精一杯だったはずだ。

彼女が巨大な木剣を防御のために引き戻そうとするよりも早く、俺の振るった木剣の腹が、彼女の鳩尾のわずか数センチ手前に到達していた。

寸止めするつもりはない。これは真剣勝負の組手だ。手加減すれば、かえって彼女の誇りを傷つける。

ドゴォォッ!!

重く、鈍い打撃音が響いた。

俺の木剣の攻撃が、ティランの強靭な腹筋にまともに喰らった。

いくら鍛え抜かれた肉体とはいえ、音速の踏み込みから放たれた魔力強化の一撃だ。

その衝撃は凄まじく。

「ぐふっ……!!」

肺から空気を絞り出されるような苦悶の声を漏らし、ティランの巨体が、まるで木の葉のように宙を舞った。

数メートル先まで吹き飛ばされ、中庭の芝生の上をズザザザッ! と派手に転がっていく。

「……ふぅ」

俺は木剣を振り抜いた姿勢のまま、ゆっくりと息を吐き出し、張り詰めていた魔力を解いた。

身体超強化の反動で筋肉が微かに悲鳴を上げているが、心地よい疲労感だった。

「……くそっ! また負けた!」

数メートル先で、土埃にまみれたティランが、大の字になって芝生に寝そべったまま、悔しそうに叫んだ。

彼女は木剣を放り投げ、両手で顔を覆って天を仰いでいる。

勝負あり、だ。

「今回も俺の勝ちだな」

俺は木剣を下ろし、ゆっくりと彼女の元へと歩み寄った。

そして、大の字に倒れているティランを見下ろし、心底楽しかったというようにニカッと歯を見せて笑った。

書類仕事の鬱憤も、日々の重圧も、全て汗と一緒に流れ落ちたような、清々しい笑顔。

ティランは顔を覆っていた指の隙間から俺の顔を見上げ、不貞腐れたように唇を尖らせた。

「……その笑顔にはムカつくぜ。余裕ぶりやがって」

ティランは悪態をつきながらも、その声には怒りよりも、どこか嬉しそうな、愛おしむような響きが混じっていた。

「だが、その顔を見ると思い出すぜ」

「……思い出す?」

俺が不思議に思って首を傾げると、ティランは芝生の上に寝転がったまま、遠くの青空を見つめるように目を細めた。

「あぁ。坊主と出会った時をな」

出会った時。

その言葉に、俺の脳裏にも、かつての鮮烈な記憶が蘇ってきた。

俺とティランは、ただの「主人と従者」という言葉では片付けられない関係だ。

暗殺貴族の当主と、その最強の側近。

だが、その関係性の根底にあるのは、絶対的な服従でも、恐怖による支配でもない。

お互いの命を預け合い、背中を任せ合う、あまりにも深く、そして血よりも濃い『絆』によって繋がっている。

俺は、寝転がっている彼女に向かって、無言で右手を差し伸べた。

ティランは俺の手をじっと見つめ、やがてフッと口元を緩めると、その大きな手で俺の手をガッチリと掴んだ。

「よいしょ、っと!」

俺が引っ張り上げる力と、彼女自身の腹筋の力で、ティランは勢いよく立ち上がった。

彼女の手にできた無数の剣ダコと、温かく力強い感触。

この手を繋ぐたびに、俺は彼女が隣にいてくれることの頼もしさと、彼女を守らなければならないという当主としての責任を再確認する。

「そういえば……名前も坊主に貰ったんだっけな」

ティランは、俺に引き上げられながら、ぽつりと懐かしむように言った。

服についた芝生を払いながら、彼女の瞳は、目の前の俺ではなく、もっとずっと遠い過去の景色を見ているようだった。

「あー、そういえば、『ティラン』って名付けたのも俺だったな」

俺は苦笑交じりに頷いた。

そうだ。彼女は最初から「ティラン」という名前だったわけではない。

このナイトレイ城に来る前の、彼女の本当の名前。

それは、『ラージュ』。

彼女がかつて、泥と血にまみれた絶望のどん底で生きていた頃の名前。

ルナリア王国の地下にある、狂気と欲望が渦巻く闘技場。

そこで奴隷同然の扱いを受け、ただ見世物として魔獣と殺し合わせられていた、一人の孤高の剣闘士。

彼女は、生きる希望も目的も失い、ただ自らを殺してくれる絶対的な強者を探し、血塗られた砂の上で『死に場所』を探していたのだ。

あの時。

幼かった俺が、闘技場の観客席から彼女の気高い剣筋を見出し、その絶望に沈んだ瞳と真っ直ぐに目が合った瞬間。

そこから、俺たちの運命は大きく交差し始めたのだ。

ティランの横顔を見つめながら、俺の意識もまた、現在の中庭の温かい陽だまりから、あの血生臭く、絶望に満ちた過去の記憶の中へと、ゆっくりと沈み込んでいくのを感じていた。


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