表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

前編



 私が生まれ育ったのは、王都から遠く離れた地方の小さな宿場町だ。

 両親が営む宿屋は、いつも旅人や商人たちの声で賑わっていた。そこで育った私は、幼い頃から少しだけ、他の子より器用でかしこいと言われる子どもだった。家の手伝いをしていたからだと思う。

 一度聞いた旅人の名前や出身地は忘れないよう頭の中で何度も繰り返して覚え、受付の手伝いのためお金の計算が早くできるようになった。野菜の皮むきやほつれたカーテンの直し、そういう些細なことをずっと続けていたから。

「アイリスは本当に器用で、努力家だねえ。教えたことを何でも吸い込んでしまう」

 両親はそう言って、幼い私を「賢くて可愛い自慢の娘」とかわいがってくれた。

 学校に通う年になった時、文字や計算の方法はすでに習得していたので、大きな街の学校に通い始めた。そこでは礼儀作法や、他の国の言葉、もっと高度な計算を知ることができた。自分の知らないことを学ぶのが楽しくて、どんどんのめりこんでいった。おかげで私の成績はいつもよかった。

 そして十五歳になった春、私の人生は大きく変わった。

 推薦入試で、特待生として、学費も生活費もすべて免除という破格の条件で、王都にある最高峰の学園へ合格したのだ。


 だが、夢と希望を胸に向かった王都の学園は、私がそれまで生きていた世界とは何もかもが違っていた。


「おい、見たか? 今年度の特進クラス……一人だけ、平民が混ざっているぞ」

「特待生枠でしょう。いくら頭が良くても、育ちの卑しい者が混ざるなんて不愉快だわ」


 学園全体の生徒のうち、平民の割合は一割にも満たない。そのほとんどは、商家の跡取りや、富裕層の子供たちで、私のような「ただの宿屋の娘」は皆無に等しかった。

 さらに、成績優秀者だけが集められる特進クラスは、一学年でわずか十名。男が八人、女が二人。その二人しかいない女子生徒の一人が、私だった。もう一人は、伯爵令嬢のクラリス様で、私以外この国の未来を担う高貴な貴族のお子様方で、まるで切り取られた城のようだった。


―― すごい、こんなきれいな人見たことない。貴族ってなんできれいな人ばかりなんだろう。


 初めて教室の席についたとき、私は自分には不釣り合いな場所に迷い込んだ高揚感と緊張の中で、そんな風に呑気に考えていた。特に、最前列に座る第四王子ギルバート様と、その側近である侯爵家のオスカー様は、まるで物語の絵本から抜け出してきたかのように端正な容姿をしていた。

 好きとか嫌いとかではなく。ただ、博物館で一級の芸術品を眺めるような、どこか現実味のない「貴族ってみんな顔がいいんだな」という薄い感想を抱いていただけだった。



 特進クラスという場所は、人数が少ないぶん、机を並べて議論する機会が多かった。皆学ぶことが好きで、勉強することが当たり前という感じで、教科書に書いてあることは一人でやっておけ、ということらしい。

 育ちの違いはあれど、学問を志す者同士。最初のうちは、全員がそれなりに節度を持って、仲良く接してくれていたと思う。ギルバート様もオスカー様も、平民の私に対してあからさまに見下すような真似はせず、対等に言葉を交わしてくれた。

 けれど、その「小さくて平穏な輪」は、教室の外の人間たちにとっては許しがたい不条理だったらしい。



「ちょっと、あなたたち。いい気になりすぎじゃないかしら?」


 入学から一ヶ月が経った頃、私とクラリス様は、校舎裏に呼び出された。

 待ち受けていたのは、普通クラスに在籍する、ギルバート様の側近候補であるレナード様たち。そして、その中央に毅然と立つ、ギルバート様の婚約者である侯爵令嬢のフランチェスカ様だった。

 フランチェスカ様は扇で口元を隠しながら、冷たい目で私たちを見下ろした。

「特進クラスで身分を忘れて、殿方に馴れ馴れしく近づいているという噂ですわ。特にそこの平民のアイリス。身の程を弁えなさい。ギルバート殿下にこれ以上近づくことは、この私が許しません」

 周囲の側近たちも、私を害虫でも見るかのような目で睨みつけてくる。

 隣に立つクラリス様は、上位の者からの圧力に顔を青ざめさせ、俯いていた。私はといえば、ただただ驚きと、どうしようもない身分の壁を前にして、「はい」と短く頭を下げることしかできなかった。


 しかし、特進クラスの授業は、私の意思など関係なく進む。

 このクラスはとにかくグループ活動が多かった。週に何度も、図書館の円卓を囲んで、資料を広げて共同研究を行う。

 必然的に、私はギルバート様やオスカー様と同じテーブルに座り、言葉を交わすことになる。

 そして、その様子を遠巻きに監視していたフランチェスカ様たちの嫌がらせは、日を追うごとにエスカレートしていった。


「あら、ごめんなさい。泥水が跳ねてしまいましたわ」

「平民の分際で、殿下と同じ空気を吸っているだけで有り難いと思いなさいよ」


 廊下を通ればわざとらしく肩をぶつけられ、教科書に水をかけられる。すれ違いざまに聞こえよがしの悪口を言われるのは日常茶飯事だった。私だけでなく、一緒にいるクラリス様まで巻き添えを食らっていることが、何より心苦しかった。

 そんなある日、私たちの様子がおかしいことに気づいたオスカー様がギルバート様と相談して、動いてくれた。


「フランチェスカ。それに、レナードたちも。僕のクラスメイトに対して、下劣な嫌がらせをしているというのは本当か」


 放課後の廊下で、ギルバート様がフランチェスカ様たちを厳しく口頭で注意したのだ。王子の怒りを買ったフランチェスカ様たちは、その場では真っ青になって謝罪し、引き下がった。

 これで終わる、と私は安堵した。

 でも、それは甘い見通しだった。


 しばらくして再開された嫌がらせは、以前よりもずっと陰湿で、目に見えない形へと変化した。私の私物がなくなっていたり、提出したはずの個人課題のレポートが、提出箱から消え去っていたりした。書きかけのレポートを持って何度も教師に相談していたことと、一緒に提出したことをクラリスが証言してくれたため再提出で済んだが、続く嫌がらせに次第に辟易していた。

 平民の私には、犯人を突き止める術も、抗議する権利もない。ただ耐えるしかなかった。

 しかし、事態を重く見た学園側――また、ある事情で彼らの動向を注視していた王家が、ついに各実家へと直接警告を入れる事態にまで発展した。王家からの直々の注意に、フランチェスカ様たちの家は大慌てになり、ようやく表立った嫌がらせは鳴りを潜めた。




 そんな騒動の最中、ある日の放課後。私は一人で図書館にこもり、次の試験に向けた猛勉強と、グループ活動のための資料準備をしていた。

 特進クラスのメンバーに迷惑をかけたくない。守られてばかりの自分が嫌だった。せめて、自分にできることで返そうと思い、資料の準備や整理を率先して引き受けていたのだ。

 カリカリとペンを走らせていると、不意に、対面の席に影が落ちた。


「やっぱりここにいた。いつも本当に真面目に頑張っているよね、アイリスは」


 見上げると、そこには優しい笑みを浮かべたギルバート様が立っていた。

 彼は私の手元にある大量の資料を見て、感心したように目を細める。

「これ、次のグループ活動の資料の準備だろう? ありがとう、いつも助かっているよ」

「いいえ……。私にはこれくらいしかできませんから」

「そんなことはないさ。……時に、アイリス。たまには息抜きに、どこかへ遊びに行かないか? いつも勉強ばかりでは息が詰まるだろう」


 王子の唐突な誘いに、私は心臓が一瞬大きく跳ねるのを感じた。けれど、すぐに冷徹な現実が頭をもたげる。私は平民で、彼は王子だ。これ以上、周囲に目をつけられるわけにはいかない。

「お気遣いありがとうございます、ギルバート様。ですが、学生の本分は勉強ですので」

 そう言って丁寧に断ると、ギルバート様は少し困ったように、どこか自嘲気味に微笑んだ。

「そうだけどね……。それを君のように百パーセントでできない人って、世の中には結構いるんだよ。――僕とかね」

「すみません!そういう意味では…。ギルバート様や他の人が家の仕事もされてることは分かってます!」

「あぁ、違うよ。そうじゃなくて…」


 何事にも全力で打ち込める君がすごい、とのギルバート様の言葉と、彼の私に向ける真っ直ぐな眼差しに、胸の奥がじん、と熱くなった。

 私の生まれや身分ではなく、私がここで必死にもがいて、努力している中身を、ちゃんと見てくれている。そう思うと、ほんの少しだけ。本当に、ほんの少しだけ、彼のことを「いいな」と思った。



 それからの私は、さらに勉強に打ち込んだ。彼を含む特進クラスのみんなは、いずれ国の要職につくだろう。そんな彼らに釣り合う人になりたくて必死だった。そうして頑張っていたら、いつしか私は、毎回の定期試験でギルバート様と学年首位の座を争うライバルとなっていた。それが、うれしかった。



 けれど、そんなささやかな幸せは、二年生の冬にひびが入ってしまった。


 その日は、いつもより課題の量が多く、私は一人で教室に居残って、勉強と次週の研究資料の準備をしていた。気づけば周囲は真っ暗で、窓の外では激しい大雨が降っていた。

「いけない、早く帰らなきゃ」

 慌てて荷物をまとめ、教室の入り口に置いていたはずの自分の傘を探すが、持ってきたはずの傘はどこを探してもなかった。


―― また、嫌がらせか。終わったと思ったのに、まだ続いていたんだ。


 ふいに張り詰めていた糸が、ぷつりと切れた。

 昼間の疲労、絶え間ない周囲からの視線、身分の壁。誰もいない静まり返った校舎で、気が緩んだ瞬間、大粒の涙が溢れて止まらなくなってしまった。

 ただただこぼれ落ちる涙もそのままに、激しい大雨の中をずぶ濡れになって走って寮へと向かう。顔のそれが涙なのか雨水なのかも分からなかった。


「――アイリス!? どうしたんだ、そんなずぶ濡れで!」


 ふいに横から声をかけられ、振り返ると、そこには生徒会業務の帰りで大きな傘を差したギルバート様とオスカー様が立っていた。

 泣いている顔を、一番見られたくない人に見られてしまった。その気恥ずかしさと情けなさで、頭が真っ白になってしまった。

「アイリス、傘忘れたのかい? これを使いな」

 ギルバート様が慌てて私に駆け寄り、自分の傘を差し出そうとする。けれど、私はその手を拒むように一歩下がった。

「だ、大丈夫です! もう、こんなに濡れちゃってますから! 失礼します!」

 お辞儀しながら叫ぶようにそれだけ言うと、私は二人の静止の声も聞かず、泥水を跳ね上げて走って逃げ帰った。


 その夜、私は激しい高熱を出し、そのまま三日間、学園を休むことになった。


 そして私がベッドの中で熱にうなされている裏で、特進クラスではひとつの「決定」が下されていた。

 実はあの夜、雨のせいで、ギルバート様もオスカー様も私が「泣いていたこと」には気づいていなかった。ただ、女の子をあんな夜遅くに一人で帰らせてしまったこと、そして、本来ならクラス全員で分担すべきグループ活動の資料準備を、私一人が任せてしまっていたことに、強い罪悪感を抱いたのだという。

 二人は、私が休んでいる間に他のクラスメイトたちと相談し、資料準備をみんなで均等に分け合うこととしてくれたようだった。それは彼らなりの、私に対する優しさと配慮だった。


 けれど、何も知らない私は、休み明けに登校して、絶望することになる。


「あ、アイリス。体調はもういいのかい? あ、その資料なら、もう僕たちが終わらせておいたから。これからは僕らがやるから大丈夫だよ」

「え……? でも、私がやりますよ」

「いや、いいんだ。もうやり方も分かったし、気にしないで」


 次の機会も、その次の機会も、私が手を挙げても、みんなは目を合わせ、「今回は僕がやるよ」と言って私の手から仕事を奪っていった。

 言葉の裏にある意図を知らない私は、ただ恐怖した。


―― 私、何か、皆さんの気に障ることをしてしまったかしら。あの雨の夜、ギルバート様たちを振り切って逃げてしまったから? それとも、平民が生意気だと、ついに見限られてしまったの?)


 何度考えても原因は分からなかった。やっぱり今まで平民の私が高貴な皆さまと普通に仲良くさせてもらえていたことが奇跡だったんだ。胸を刺すような痛みのなかで、私は静かに結論を出した。これ以上、迷惑をかけてはいけない。私は私のあるべき場所へ戻ろう。

 それからというもの、私はクラスのみんなと物理的にも精神的にも距離を置くようになった。

 そんな私の態度に、クラスメイトたちも「どうして急に冷たくなったんだ」と戸惑い、教室の中には何とも言えないギクシャクとした、冷たい空気が流れ始めた。


 お互いの気持ちが分からないまま、最悪の空気の中で、最終学年である三年生を迎えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ