鬼か蛇か(二)
御子姫に呼んでくるよう言われ、連れてこられたのは将吾だった。それもあの日と同じように、着物姿と髪型も香りさえ奨弥に似せた姿の将吾だった。
「わざわざお越しいただきありがとうございます」
御子姫は、前もって打ち合わせ通り将吾に礼を述べた。
口が裂けてもこんな奴には礼など、例えそれが芝居であっても言いたくはない。
将吾の登場は、万が一を危惧して御子姫が手を打っていたのだ。
それも洋巳の気性を考えてのことだった。
切羽詰まっていた洋巳は、将吾を一目見るなり奨弥が来てくれたと安心した。
あの日、自分と契ったのは、この人に違いない。やっぱり、奨弥様だった。そうわかると嬉しさで涙が溢れた。
「洋巳、おまえの腹の子の父親は間違いないか?」
「はい、間違えるはずございません!! 私が奨弥様を間違えるなど!!」
「そうか……」
御子姫は深いため息を吐いた。
その姿は洋巳には、敗北にしか見えなかった。これ以上ないほどの。
──私は、勝った!!
これで堂々と子を産み育てられる。
対にもなれるかも知れない。
「それで間違いないのじゃな?」
御子姫は将吾へ向かって念を押した。
「そうですね。洋巳さんはなかなか離してくれませんでした。でも、そんなに求められて嬉しかったですよ」
奨弥と瓜二つの見てくれの、しかし似ても似つかぬ男。
──反吐が出る。こんな者に奨弥を重ねるな。
御子姫は、奏家総代としての奨弥へ、将吾について思うところがあると話をしていた。奨弥もまた、将吾ならやりかねないと身内の恥を詫びていた。
そんな思いを奨弥にさせてしまった。御子姫は胸が張り裂けそうだった。
「奨弥様!?」
将吾は御子姫の問いに答えると、洋巳の方へ見向きもせず立ち去っていった。
洋巳は、胸の奥底に沈めていた、あの日の記憶を無理やりこじ開けられたようだった。まざまざと蘇ってきた、悪夢。
奨弥様にこそ、決して知られたくない。
大勢の誰ともわからぬ輪紋衆に、寄ってたかってなぶりものにされながら。正気でなかったといえ、そうされることを求め続けた自分。
「どうじゃ。洋巳、考えは変わらぬか」
「はい。姫様もご覧になられましたでしょう? 奨弥様は嬉しかったと……」
洋巳は大粒の涙を流し始めた。トグロをまとった洋巳の口からは、なおもケガレが漏れ出ていた。
「奨弥様は、何度もと証言されました」
──ここまでやって、引導を渡さねばならぬのか
御子姫はもう、慈悲の心が折れていた。耐えに耐え、洋巳の毒に、そうだ、洋巳こそが大きな穢。
ホオズキの煎じた汁椀を持ち、御子姫は立ち尽くしていた。
殺すことはできないが、心をなんとかすることはできるだろうか。穢の源のような、ドス黒い。
──これ以上は見ておれぬ。
それでも、目を逸らすことは許されぬ。
代理が、御子姫を気遣い耳打ちする。
「檳榔子に致しますか」
それ相応に作られた薬を内へ施し、ほどなくして取り除く古い方法である。気を失わせ、気がついた時には終わっている。
それで、洋巳の心に大きな毒が残れば、いずれ戦に出た際には大海の、常世の大河の穢本体に呑まれてしまうだろう。
「いや、待て。それは最後の最後じゃ。悲しゅうなる」
洋巳が、苛立ちを隠すことなく御子姫へ向かってきた。
「もう、いいですか? お腹の子は奨弥様が先程認められました。私はこれで失礼……」
席を立とうとした洋巳を、周りの者達が取り押さえた。
「な、何するの!! やめてっ!!」
「あの男はな、奨弥殿ではない。従兄弟の将吾とやらじゃ」
「えっ!?」
洋巳は、おとなしくなると力が抜けたようにへたり込んだ。恐れていた事実が突きつけられる。
──奨弥様では、ない!? 嘘だ、嘘だ、嘘……!!
「嘘よ!! ひどい!! 私が妬ましいからって、あんまりだ!!」
今にも御子姫へ飛びかからんとする勢いに、手荒く縄をかけられる。身動きが取れなくなると洋巳は、御子姫に向かって在らん限り罵りの言葉を吐いた。
それもすぐに、布を咬まされ封じられた。
そこへ、響家の奥を世話する者が剛拳を案内して来た。
剛拳の姿が目端に見えると、洋巳は急におとなしくなった。
「御子姫殿、勝手に申し訳ない。洋巳の対としてお願い申し上げます。腹の子については、私めに任せていただけませんか」
床に座して深々と頭を下げる剛拳に、御子姫は洋巳との対を決めた時の姿が重なった。
懐の深い、大した人物だと思った。
「よかろう。その代わり、奨弥殿の子だと言い張るなら、産まれたあかつきには、こちらで引き取らせていただく、よいな?」
洋巳が怒り、モゴモゴと何かを言おうとして、縄で縛られたまま暴れていた。
「洋巳、静かにしんちゃい。もういい、俺の子として育てよう。それでよしとせんか」
洋巳は剛拳を見つめながら、黙って頷いた。洋巳は剛拳に連れられておとなしく帰っていった。
その姿を、御子姫は剛拳に感謝しつつ見送った。
剛拳という男は、奏家の本家筋に生れながら体格が際立って大きく。力も強く、異形と変わらなかった。
心無い者は、剛拳のことを異形と言って憚らなかった。
それでも、剛拳が戦人の里で一軒家を構え暮らしていられるのも、本家筋の本筋に近しい生まれだったからだ。
ここでは、生まれがすべてだった。
洋巳が分家筋で、御子姫に対しこれだけ悪態をついても許されたのには、剛拳の存在が大きかった。
御子姫は、それさえ見越して、洋巳を剛拳と対にした節がある。
年の半分を、異形の里で暮らした御子姫に、頭領としての本分を教えてくれたのは長だった。
長は、稀なる奏家の異形だった。
響家では、掟やしきたり、家門のことばかり学ばされた。
しかし里では長が、遙か遠い昔語りを因果を含めて話してくれた。それはまるでお伽噺を聞くような心持ちであった。
その中に、湖から来た元祖のケガレの話があった。
今ある里に面した常世の大河ではない、大海(湖)から上がってきたケガレは言葉を喋っていた。
それは言魑魅──ケガレとなり人々を苦しめるので、頭に皮の頭巾をかぶせていた。
そのケガレは今でこそ死に絶えたが、大昔は運河の向こうの集落で結界を張り共にいたという。
ケガレは湖から生まれた魑魅だった。
そして響家の女は、ケガレを招きやすかった。洋巳に見え隠れするトグロは、常世の穢であろうが、ケガレに変わりはなかった。
なんとかして、祓ってやらねばならぬものだった。ケガレ憑きからは異形が生まれやすい。
いや、異形が生まれる──御子姫はそう長から聞いていた。
だからなんとしてでも、憑き物を祓わねばならなかった。
それは常世の大河へケガレ祓いの戦に出る者にとって、よくよく備えていても避けて通れぬ道でもあった。
だからこそ、身籠ってしまった女は戦には出られない。そして、その対である者もまた戦には出てはならぬ掟があった。
剛拳と洋巳は対となった日から、夫婦同然に一緒に暮らしていた。
戦では対として申し分ない働きをしていたが、洋巳が契るのをためらっていた。
剛拳はあの一件で、洋巳がどのようなことをされたのかわかっていたので、無理強いをするつもりは微塵もなかった。
家に帰ると、洋巳は泣きながら剛拳に抱きついた。よほど堪えたのだろう。どれほど泣いただろうか、洋巳は剛拳のやさしさを感じていた。
洋巳は剛拳を見上げると、涙を剛拳の着物で拭った。その手は着物の裾を手にして初めて、脚ではあったが直に肌に触れていた。
戦の時、受け止められて体を預けるたび、戦で力を出し体が当たることはよくあった。その都度、剛拳の懐の大きさを感じた。
「わしが守っちゃるから、心配すな」
泣き疲れて、子供のようにスヤスヤ眠る洋巳に向かって、剛拳は呟いた。




