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御子母の惑星─みこものほし─第一部 運命  作者: 宮生さん太


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32/42

濁りの底

 洋巳は店で、将隆を待っていた。

 奏司を始末しようとしたが、邪魔に入ったのは御子姫だった。

 あれほど憎い相手なのに、いざとなると致命には至らせられなかった。


 御子姫が響家そのものだからだと、洋巳はようやく思い知っていた。

 それでもなお、傷つけたことへの動揺は消えなかった。


「おう、どうだ。うまくいってるか」


 店内に他に客がいないのを見て、将隆は無用心にも入ってくるなり、洋巳にそう挨拶した。


「ねえ、本当に奨弥、連れて来れるんでしょうね」


「なんだ、俺のこと疑ってるのか。しょうがないな。まずは一杯飲ませてくれないか」


 洋巳はセットを出し、水割りを二杯作りながら、今日あった出来事を話した。


「あいつは表には出さんからな。警察に捕まるようなことはない、安心しろ」


 ちょうどそこへガヤガヤと四、五名団体で客が入ってきた。


 洋巳が席を離れて相手をしている間に、将隆は先日の薬を数錠、洋巳の水割りに入れると酒を注ぎ足した。自分の水割りも同じように作り直した。


「まあ、今日は気にせず飲んだらどうだ」


「そうね、なんか飲みたい気分。飲んで忘れるわ」


 洋巳は半分ほど飲んだところで、団体客から声がかかりグラスを持って席を移っていった。


 団体客はどこかで宴会でもしてきたのか、すでにある程度酒が入っていた。どうやら常連客の一人が連れてきたようだった。


「ヒロミちゃん、もっとお客さん来て欲しいって言ってたから、連れてきてあげたよう」


 洋巳にゾッコンだが振られてばかりの親父だった。団体は皆、似たり寄ったりの親父たちだった。


「わぁ! どぉもありがとー! うれしぃわぁ! みなさん、今後ともよろしくねぇ」


 最初のうちは楽しく飲んでいた洋巳だったが、アルコールが進むにつれ、いきなり人が変わったようになった。突然叫び声をあげたかと思うと、客のボトルを持って親父の頭に殴りつけた。店は一瞬にして修羅場と化した。

 親父たちは洋巳を取り押さえ、誰かが警察を呼んだ。洋巳は、放心したように笑っていた。

 



「少しお尋ねしたいことがございます」


 美琴が険しい表情をして、居間でくつろいでいる将隆の元へやってきた。

 将隆はまだ何かあるのかと、うんざりした顔をした。


「これはいったい何でございますか」


 美琴は懐紙の包みを将隆の目の前に置いた。

 そこには長く白い髪の毛が丁寧にまとめられてあった。誰がどう見ても、御子姫が変幻した際のものだとわかる代物だった。


「帆波のことがあったので遅くなりましたが。御子姫様の(こう)()が背広からいたしましたので気がつきましたの。何かございましたか、もしやとは思いますけど」


「ふん、そんな勘ぐられるようなことはない。総代のことで言い争いになっただけだ」


「ではこの方の仰ってることは、いかがですか」


 美琴はテーブルにボイスレコーダーを置くと再生した。そこからは洋巳の声がした。将隆が御子姫を手篭めにした話が録音されていた。


「だから、どうだというのだ」


「あなたは、経紋衆……いえ、今では、輪経紋衆すべてと戦でも起こすおつもりですか。あの御方は、一族の祖に等しい方なのですよ!」


 詰め寄る美琴に、将隆は大笑いし、レコーダーを床へ投げつけた。


「あなたは、この里で生きていけるとお考えですか!」


「おまえ、よくそこまで言うようになったな。将吾たちのことも、おまえが裏で仕組んだことくらいわかっているんだ」


「よくまあ! 何をなさったのか、わかって言ってらっしゃるんですか」


「どうということないだろう。血筋に変わりはない」


 美琴はもう理解したくもなかった。血筋さえ違えねば何をしてもいいという、この男のやり方。


 あの日──精進潔斎に入った日、受けた屈辱。兄弟に手伝わせて無理やり出陣できなくさせて、しかもそのまま身ごもってしまった。


「本当に、将吾があなたの子でなくてよかったと思いますわ!」


「やはりそうか、やけに奨弥にそっくりだと思えば」


 将隆は腹を抱えて笑った。その顔は鬼畜のそれだった。


「それなら、ちょうどいいだろう。帆波には俺の子を生ませただけだ」


 美琴にはもう、これ以上この男に返す言葉は持ち合わせていなかった。


 二人が言い争いになっているところへ電話が鳴った。美琴は居間にある電話を取ると、街の警察からだった。

 警察だと聞くと、将隆は美琴から受話器を奪い取った。


 警察からは、洋巳が逮捕勾留されたことの連絡が来た。将隆が当日店にいたことを、客の一人が話していたという。


 美琴が何があったのか聞くと、先程までとは大違いに急に不機嫌になった。

 その後数日、将隆は出かけることなく、自室にいた。時折、怒鳴り散らす声がしていた。


 美琴には、その数日の沈黙がよく見えた。   


 将隆は怯えているのではなかった。洋巳が捕まった今、次に誰を切り捨てれば自分だけは助かるか、そればかりを考えている顔だった。

 

 帆波のことも、あの娘のことも、洋巳のことも、将隆にとっては皆同じなのだと、美琴は知った。

 何より、美琴自身のことさえも。

 美琴は、ようやく将隆を見切った。


 欲しい時に使い、邪魔になれば捨てる。ただそれだけだった。

 御子姫にまで手をかけ、奏司の命さえ弄ぼうとした。それでもなお己だけは生き延びるつもりでいる。

 次に、孫たちにまで手を伸ばすようなことがあれば。


 この男は、老いてなお止まらぬ。ここで終わらせねば、また誰かが踏み潰される。


 美琴は思った。これはもう、恨みではない。

 長く家に棲みついた澱を、誰かが底からさらわねばならぬのだと。




 勝手口にわざわざ、馴染みの漁師が魚を届けに来ていた。


「本当に、よろしいんですか」


「ええ、無理を言って悪かったわね。おまえには感謝してるわ、本当にありがとう」


 美琴はビニール袋に入れた現金を、魚を取り出した後のクーラーボックスへ一杯に入れた。


 漁師は大きなウマヅラハギに似た魚を届けた。


 美琴は古伊万里の皿に、ハギの魚の薄造りをきれいに盛り付けると、その真ん中に小皿に魚の肝を添えた。大きな盆にぽん酢に薬味も一緒に乗せて準備した。

 日本酒を用意して燗をつけ始めた。


 どこにも出かけられず、将隆は苛立っていた。

 居間でくすぶっているところへ、美琴は刺身を持っていった。


「旬の走りのウマヅラハギの刺身です。大きなもので肝も立派でしたので、いかがですか。いま、日本酒も燗をつけていますから」


 美琴は酒を届けると、将隆に酌をして部屋から出て行こうとした。

 将隆は呼び止め、おまえも一杯飲めと猪口(ちょこ)を渡した。美琴は将隆に渡された酒を飲むと、まだ少し料理があるのでと部屋を後にした。


 酌をした酒を飲まずに先に飲ませるなんて、用心深い男だと美琴は思った。毒でも入れているとでも思っているのだろうか。

 御子姫のことがあってから、特に用心深くなっている。

 所詮は、小心者なのだ。


 刺身以外にも用意した小鉢数品と、燗をつけた徳利(とっくり)も持って部屋に戻ってきた。


「いかがですか」


「ああ、まあカワハギの方が美味いが、ここまで立派なウマヅラなら肝も大きくて美味いな」


「それはようございました」


 美琴は小鉢と徳利を置くと、そう言って出ていった。


「毒は入れておらんようだな。そこまで馬鹿ではないということか」


 美琴は将隆がしっかり肝を食べているのを見届けた。

 将隆の部屋に夜間に飲む水を、水入れに入れて用意する。そこへ念には念を入れて、フグ毒をほんの少し入れておいた。


 もうどれほど長い間、持っていただろう。

 意を決して、本家奥よりいただいてきた。使わずに済むなら、それでよかった。己が耐えるだけで済むうちは。


 ──もう、今宵ばかりはとどまる理由が見つからない


 私怨は、(ケガレ)を呼ぶぞ。御子姫が毒とともに諭した言葉が甦る。


 ──はい、もうとうに越えております


 将隆の部屋に水入れを置くと、美琴は先に休むといって部屋に下がっていった。

 その時ふと、姉、美鈴の気配がした気がした。


 翌朝、将隆の部屋に行くと、将隆は床に倒れていた。胸をかきむしったように苦しんで息絶えていた。


「ハギだけでよかったようね」


 水を飲んだ形跡のない水入れを持って、美琴は階下へ降りた。台所で流しに水を捨てると、水入れをきれいに洗って片付けた。

 

 将隆の死因は心不全と診断された。


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