奏家の闇
御子姫は街へ行く時には、必ず決まった神守衆の車に乗って出かけた。
とある建物の前で車が止まると、男が御子姫の隣に乗り込んできた。車は適当に街の中を流し、その間に要件を済ませる。
男が御子姫に渡した封筒の中には、将隆の隠し財産について網羅した資料が入っていた。
「ほう……早かったのう。よい働きぶりじゃ」
「いえいえ、この程度のこと、お時間さえいただけばどうということも」
御子姫は封筒の中身をざっと繰ると、三郎へ目を向けた。
「礼じゃ。引き続きよろしく頼む。ところで、神守の中で政財界に太いつながりを持つ者は調べられるか」
三郎の眉が、わずかに動いた。
「同じ神守を売るは忍びないか」
三郎はすぐに答えず、口元だけで笑った。
「売る、とは?」
「言葉を選んでやったのじゃ。……暴く、でもよいぞ」
運転席の一郎が、わずかにミラーをずらす。三郎は肩をすくめる。
「底の見えぬ、お方だ」
「そうか。今さら探り合うような間柄でもなかろう」
「今までは、まだ手心がございました」
「手心など残しておったら、こちらが先に喰われるわ」
御子姫はそう言って、また封筒へ目を落とした。その長いまつ毛の奥は、何を見据えているのか。
「できるか、できぬか、どっちじゃ」
問われた三郎は、ようやく息をついた。
「……乗りかかった船、お時間さえいただけば何なりと」
御子姫はそこで初めて、薄く笑った。
「よい返事じゃ」
整った顔立ちというのは、怖いものだ。雛人形のような笑みが、ずっと三郎を目で追っている。
「先日承った、お引き合わせの段取りは……」
「そなたに任せる。こういうことは、私より手慣れておろう」
三郎はやっと一呼吸置いて笑うことができた。
「また、物騒なことを仰います」
「そうか。褒めたつもりじゃったが」
御子姫は、表の仕事を将隆から奪い取る準備を着々と進めていた。
街へ出ると必ず寄る和菓子屋で、最中と金平糖を買う。
その包みの中へ、受け取った封筒など入れてしまう。本家へ戻ったら真っ先に双子が来て包みを御子姫の部屋へと持っていく。
「将隆殿から何度も連絡が……」
心配そうな代理の顔を見て、にっこりと御子姫は笑いかけた。
「大丈夫じゃ、なにもかも順調に進んでおる」
待たせておいた車に乗って、御子姫はまた街へ出かけていった。
先日とは違う料亭へ車を着ける。
先に政府側の大臣秘書官と関係省庁の者が来ていた。御子姫は到着するなり遅れたことを詫びた。
だが、席に着く頃にはもう、誰が主導しているのかはっきりしていた。
話は将隆ではなく、御子姫へ向けて進んでいた。杯を持った将隆は、横でおもしろくなさそうに黙っている。
御子姫との交渉の方が、話が早く、実入りもよかった。将隆がどれだけ私腹を肥やしてきたのか、皆もう薄々わかっているのだろう。
ただ、先日の会合ではまだ出ていない話があるようだった。
「ご存知かと思いますが、新型の流行性感冒が蔓延してきておりまして……」
「それとは別に、隣国から入ったまったく新しい病があるとか。まだ治療薬がないというのは本当ですか」
御子姫がそう問うと、相手はわずかに姿勢を正した。
「そちらの新型は、まだなんとか抑えております。ただ今流行の新型感冒は勢いが止まらず。高熱を発して、頭へ来ると危険です。こちらは治療薬がありますので、万が一の時はすぐさま病院の方へ」
そのようなものが里へ入れば、穢との戦どころではない。
いくら鍛錬を積もうとも、病の前では一度に崩れかねない。今は昔以上に、街が、人が、里に近い。
御子姫は、そのことだけが薄気味悪かった。
「ありがとうございます。承知いたしました。穢につきましては、今のところ大きな変異はございません」
お互いに目配せをしながら話が終わると、将隆はやれやれという様子だった。
先の大戦で失ったものを立て直し、ついこの前のイタチ掃討の十年大戦で戦える体制を築くことができた。これからという時に、今度は流行病である。
「お互い、気をつけねばなりませんね」
御子姫はそう言うと、お先にと頭を下げて立ち上がろうとした。その瞬間、将隆が後ろから腕を回した。
「叔父上、二匹目の泥鰌はおりませんよ」
御子姫は鼈甲の簪を抜くと、迷いなく将隆の頬へ走らせた。
「京の老舗の逸品じゃったな、勿体無いわ」
血を押さえる将隆を見下ろし、御子姫は乱れた着物のまま部屋を出た。
「女将、客はようよう選んだ方がいいぞ」
美琴は居間で、一生懸命に掃除をする娘を見ていた。
娘を呼ぶと、二人分のお茶の用意をさせ、一緒にお休みしましょうと座らせた。娘は、街で買ってきた洋菓子を美味しいと言って、満面の笑みでほおばっていた。
その無邪気さが、美琴にはかえって痛かった。まだ、こんなふうに笑える娘なのだと思った。
それなのに、この家では最初から何かをあきらめさせられている。
帆波も、最初はこんな笑い方をしていたのではなかったか。
そう思うと、美琴は目の前の娘を直視できなかった。
誰もが少しずつ諦めることで、この家は保たれてきたのだとしたら、それは家ではなく、ただの澱だとさえ思えた。
一通り食べ終えた頃、美琴はおもむろに話し始めようとすると、先に娘の方が口を開いた。
「申し訳ありません。でも、私……」
娘は親から言われたことを、美琴にぽつぽつと話した。
自分は前給金でこの屋敷へ来たこと。そこには、主人の欲の相手をすることまで含まれていたこと。
「奏家の末筋で、それも女に生まれたら、だいたい皆同じようなものです」
娘は、泣きながら言った。奏家の者同士では子ができない。だからその点だけは、安心してほしい、と。
美琴は胸が潰れる思いで、その言葉を聞いていた。
奏家の闇は深かった。
格の低い家の娘は、働きに出され、仕え、使われる。
男は武勇で道を開けても、女にはそれがない。
生まれた家と性別が、そのまま一生の値打ちになるような場所だった。
美琴は娘から聞いたことを、御子姫に打ち明けた。
すると御子姫は、静かに眉を寄せた。
「娘だけではあるまいな」
その一言に、美琴は息を呑んだ。
御子姫は、美琴がまだ口にしていないことまで、すでに見通しているようだった。
将隆の息子である将吾は、妻帆波の様子がおかしいことを不審に思い、問いただしていた。
そこでとうとう、帆波が義父将隆から受けていたことを知ってしまった。
将吾は呆然とした末、自分もまた若い頃、経紋衆の洋巳に乱暴を働いたことを帆波に打ち明けた。
それは御子姫から、若気の至りとでも思うほかないが、それでもよければと、婚姻の折に釘を刺されていた一件でもあった。
「俺は親父に似たところがあった。だが、帆波と夫婦になってから、守りたいものが何か、やっとわかった」
そう言って将吾は、泣く帆波を抱きしめた。
帆波は二人目の子を抱いたまま、震える声で答えた。
「お義父様は、忘れた頃にいらっしゃるのです。将吾さんに知られてもいいのか、と何度も……」
そこまで聞くと、将吾はもうそれ以上言わせなかった。
「もういい。ここを離れよう」
美琴から相談を受けた御子姫は、すぐに手を打った。
帆波と将吾、その子らを、将隆の手が及びにくい響家側の里へ移すよう取り計らったのである。
さらに、将隆の元に置かれていた娘も、お手伝いとして一緒に出すことにした。
将隆は最初こそ腹を立てたが、息子に縁を切られたことで、それ以上強くは出られなかった。
家の中でさえ、少しずつ足場が崩れ始めていた。
御子姫はすでに、流行性感冒の対策を行っていた。
新型の予防薬があるというので、神守の病院から里まで出向いてもらい、戦に出陣する者や世話をする者すべてに予防注射を打つことになった。
さらに、街への外出を極力避けるため許可制にした。
厳しい措置を行うにあたり、御子姫はまだ巷でほとんど話題に上がっていなかった、隣国からの新しい病についても説明した。
その中、御子姫はどうにも胸騒ぎがしてならなかった。
街へ出たついでに、予防注射に連れて行こうと奏司の元を訪ねた。
学校へ迎えに行くと、担任教師は困ったように笑った。
「もう一週間近く……連絡は入れているのですがどうにも。前から来たり来なかったりはありましたので」
「いつからじゃ!」
御子姫の剣幕に、担任は一瞬にしてことの重大さに慌てふためいた。
最新の住所まで行くと、古い雑居ビルのような場所で、以前の暮らしぶりとはあまりにかけ離れていた。
御子姫は唖然とし、しばらく車から降りることができなかった。
外を眺めていると、ビルから親子が言い争いながら出てくるのが見えた。
洋巳と奏司だった。
洋巳は腕を振り払い、それでも追いかける奏司を引っ叩くとさっさと行ってしまった。
洋巳がいなくなるのを見計らい、御子姫は泣きながら戻ってくる奏司を呼び止めた。
「助けて」
奏司は御子姫にすがりついた。




