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御子母の惑星─みこものほし─第一部 運命  作者: 宮生さん太
第一章 鬼が生まれし時

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始まりの刻

「また運河の堰(せき)まで、穢(ケガレ)が来ておる」


「またか!今年に入って何度目だ」


「戦(いくさ)の準備をせいっ!!」


 若い響家(キョウケ)の経紋衆(きょうもんしゅう)が慌ただしくしている。


 その中で一人、部屋で茶菓子を食べながら悠然としている者がいる。

 戦の報せが届く中、もう三つ目の最中だった。


 響家経紋衆の頭領。

 御子姫(みこひめ)と呼ばれている。名はない。


 『名』は呪言避けに、初めから付けない。古いしきたり。


「唱(となえ)、言葉(ことは)……腹が減ってはなんとやらぞ」


 御子姫の鷹揚(おうよう)とした態度はいつものことだった。


「美味い最中じゃ、餡と餅と、ちょうど良い。食って行かぬか?」


 御子姫付きの世話係の双子、唱と言葉。

 二人は、御子姫との対(つい)となる奏家(ソウケ)輪紋衆の総代が欠けているので、戦(いくさ)でその穴埋めをすべき役目を果たしていた。


 御子姫の力は、一人で強大な穢(ケガレ)へと立ち向かっても瞬時に祓えるほどであった。その戦振りを間近で見つつ、習い、手助けをするのが、いまの彼女たちの仕事であった。


 もちろん、唱も言葉も、十部人部(じゅうにぶん)に強かった。

 だからこそ、対となるべく輪紋衆の見定めも厳しかった。


「姫様、今日は出航前に見定めねば」


「ああ、そうじゃったのう」


 呑気なものである。


「本厄の十八までもう間がありません」


 御子姫だけでなく、輪紋経紋衆、いわゆる《以比勿(バケモノ)》と呼ばれる者もまた人には変わりなく、厄年には穢(ケガレ)と戦う力が半減してしまうのであった。


「神守(かもり)になろうとも、あの者は約束は違えまい」


「姫様はお人が良すぎでございます」


 確かに、前代未聞のことだった。

 一度血の契りを成した、事もあろうに、経紋頭領である御子姫と輪紋総代の『対』の解消など。


「いろいろ、あるのじゃ、総代ともなれば」


「そのようなこと、当たり前でございます。ならばこそのお役目なれば」


「もうどっちでもいい、役目は変わらん。新しい総代が決まるまでじゃ」


「それよりも、いざという時のために、唱と言葉の対を真剣に考えねばな」


 御子姫は戦さ場用に、白装束へと着替えた。

 戦に出る時は、それが大したことがなかろうと、何年もかかる大戦(おおいくさ)であろうと、出港前の準備は大して変わりはなかった。


 船着き場は、経紋衆、輪紋衆、それぞれが出航のために作られた運河に面してあった。

 まず輪紋衆が先に乗り込む。輪紋衆には屈強な男衆が多く、術の性質上、経紋衆を守る立場にあった。


 後からゆっくりと、経紋衆が乗り込む。対が陣取る位置を見渡す。

 特に力ある対は、船の上で跳ぶ。出港前の確認は、互いに術を放つ空間の確認だった。


 最終的に大運河に集まった両方の船に乗る戦人の力を、御子姫が見極め船列を決める。

 ただ、今は輪紋衆には頭となる総代が欠けていた。その分を補うため、慣習に縛られぬ戦を行っていた。


 戦の形が変わることは珍しくなかった。

 先の大戦で経紋衆の頭領は、別々の船に乗っていた経紋衆と輪紋衆を同じ船に乗せ、すぐに術を用いての戦ができるよう仕様を変えた。


 その時その時の戦の大きさと、人員の揃い方によって、長い年月を経て戦い方も変わっていくのである。



 出港前に見定めねばと聞き、御子姫の心中(しんちゅう)は一瞬にしてざわついた。


「そうであったの、楽しみじゃ」


 心中とは裏腹に、言葉がついて出る。


 ──一度は対となり血の契りを成した男の……


 名を奏司(そうし)と付けたと聞いている。


 初めて会う、自分を置いて失踪した男の子供。総代という立場も捨て置き、悲しみを通り越して呆れた。

 その挙げ句、よりにもよってあの女との間に子までもうけるなど。


 怒りなどという、単純なものではない。


 御子姫は、誰にも気取られぬよう振る舞った。


 今夜は大した量ではない穢(ケガレ)の始末。

 一番は、御子姫の対となる男子の成長ぶりの確認。

 船列は、御子姫の船を先頭に輪紋衆が付き従った。


 御子姫を要する先頭に立つ戦船は、まばゆいばかりの神々しさだった。

 その船が、いつもなら絶対止まらぬ船着場に着けられた。

 船を見送る人々の間にざわめきが起きる。


 艶やかな真っ黒な黒髪に、白い肌が高揚した、年の頃十七、八の女。

 しかも年相応以上の憂いを帯びた女だった。

 それが、船から一飛びで降りてきたのだ。


 御子姫は、母親に手を握られている男の子の前に歩み寄った。


「名前はなんという? いまいくつじゃ?」


 男の子はしっかりと御子姫を見て答えた。そう教えられたのだろう。


「名前は奏司(そうし)。年は十歳」


 そうか、そうかと言って、御子姫は愛おしそうに頭を撫でた。その指先が、ほんの一瞬だけ止まった。

 奏司は、不思議と嫌がりもせず、御子姫をじっと見つめ返してきた。


 母親は、男の子を絶対離すまいと、ギュッと手を握りしめた。


「約束は、忘れてはおらぬじゃろう?」


 御子姫の、冷え冷えとした声だった。


「先に、禁を犯し、私から対を奪ったのは、誰じゃ」


 子供の母親は観念したように、目を伏せた。ただ、心の中では、何かが未だにくすぶっている。

 いつもそうだった。いつまで経っても、この女がいる限り、心の平穏などないのだ。


 御子姫には、母親の心内(こころうち)が透けて見えるようだった。


「そうであろう? 私は何度おまえを許せば良いのか、のう? まあ、よい。子供の前じゃ」


 御子姫は、男の子の頭をぽんぽんと軽く撫でた。不安を与えないようやさしく微笑みかけ、くるりときびすを返した。


 背中越しに、母親へは静かに伝えた。しかし、やはり顔を合わせると、以前のことが思い出され平静さを保つので精一杯だった。


「元総代に伝えておけ。心して育てよと」



 運河の水門は二重だった。最初の閘門(こうもん)は現世(うつしよ)との境。

 船が閘室(こうしつ)に入ると、一つ目最初の門は完全に閉ざされる。

 そして二つ目最後の門が一度、開けられれば、その先は常世(とこよ)。

 常世へとつながる大河であった。


 船を見送るように、堤には篝火が焚かれる。船は常世の大河から戻る時、篝火を目印に戻る。


 常世の大河が果てなく続く。その空は絶えず、夕闇のように暗い。だが、もっと暗いのは大河であった。

 波は立つのに音もない。水が揺れているのに、揺れている気がしない。いつも、足元が定まらぬような、不安定さだけが残る。


 だから、戦では跳ぶ方がよい。

 船は今夜の戦さ場へ向かう。


 ただ船だけが、どこか別の場所を進んでいるようだった。


 穢(ケガレ)がどこからともなく湧いてくる。

 その常世に吸い込まれていくように、船団は続く。


 御子姫を乗せた船が先頭をいく。

 大きな鯉(こい)のような魚だが、頭(かしら)が人に似た面(つら)になっている。

 そんな魚が何匹も何匹も襲ってくる。気がつけば数は増えている。

 大きな口に髭(ひげ)、目玉はギョロギョロとどこを向いているかわからない。


「ザコなどいちいち相手するな。じきに大物が来よう」


 今夜は大きな穢(ケガレ)とならぬよう、ザコの掃除が目的。


「よいか、皆の衆、訓練だと思え」


 御子姫の檄(げき)が飛ぶ。


「輪紋衆が、経紋衆を守りながら、輪紋を張って経紋を受け止めよ。経紋衆は、ありったけの力を込めて唱えよ。互いに対同士が一番良い頃合いで、輪経紋の術を放つのじゃ」


 そう言ったかと思うと、御子姫は空高く舞い上がった。


「仕舞いじゃ」


 その声に、船団の誰もが息を呑んだ。


 たった一人で、祓言葉を唱え始める。髪がみるみるうちに真っ白になり、瞳は紅く暗い水面を睨(ね)めつける。白い肌には経紋が煌々と浮かび上がる。


『吐普加美依身多女(トホカミエミタメ)』


 静かな声が響く。

 誰も声を出せず、ただその美しさに魅入るしかなかった。


 御子姫の体から、光り輝く経紋が発せられ、螺旋を描き宙を舞い大河に向けて打ち下ろされる。

 トグロのような大物でさえ、ザコの穢(ケガレ)と共に跡形なく消え失せた。

 

 これは、経紋の御子姫の力の片鱗に過ぎなかった。


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