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魔界の姫と用心棒  作者: 松竹梅
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第二十二話

 「ケント!」


 ケントの剣がへし折れた瞬間、ヴォルフは思わず立ち上がって絶叫した。その音は押され気味ではあったもののなんとか保てていた均衡が崩れる音だ。我を忘れているとはいえチャンピオンの剛剣を完璧に捌くのは剣と盾の両方をバランスよく用いて初めて行えていた神業だ。むしろケント以外であればここまで防ぎきることはできなかっただろう。

 だが、防御の手段でもあり攻撃の要であった剣が折れた以上、勝ち目が無いことは誰の眼にも明らかだった。ケントの強さを最も知っているはずのヴォルフですら悲痛な叫びを上げてしまうほど絶望的な状況だ。そんな中、ケントの瞳に諦めの色は無い。焦りや疲労はあっても決して諦めの色は無かった。瞳に宿っているのはどんな小さな好機をも決して逃すまいとする鋭い輝き。決して狩られる側の眼光ではなく、むしろ手負いの獣特有の油断ならない獰猛な眼だった。

 そして観客の中にも彼の勝利を信じている者も一人だけいた。彼女は泣きそうな顔で掌を力いっぱい握りしめながらも、決してケントから眼を離すことは無かった。ヴォルフには気恥ずかしさからケントの下心丸出しの条件を引き合いに出したが、実際のところサーリャはケントを全面的に信頼すると決めている。それは彼の強さに対してだけではなく、見ず知らずの彼女を保護してくれたケントの優しさと器量の大きさに対してもだ。信じると決めた以上、サーリャは心配することはあってもケントの敗北を想像することはできない。それは彼への侮辱となるからだ。だからサーリャはただ黙って彼の勝利を、帰りを待つだけだ。


 「…若旦那、悪いことは言わねぇ。あの兄ちゃんのことは諦めなせぇ。あの兄ちゃんに免じて船は造りますよ。」

 「そんな…!」

 「俺は何度もここに来て見た経験から言わせてもらうと、ここからのどんでん返しってのは無いですなぁ。けどまあ、いいものを見させてもらいましたよ。」


 ヴォルフは何も言い返せない。反論できる根拠を持たないからだ。事実、彼の中でもケントが勝つ光景は浮かんで来ない。勝利を信じたいという感情は、その明晰な頭脳による理性が否定する。ケントは敗北し、ここで死ぬ。その未来はゆるぎないものなのだ。

 追い打ちをかけるように今度はケントの盾が破損した。ケントは両手の武器を失いつつある。後は殺されるのを待つだけだ。そしてそれに大した時間がかからないことも皆が悟っていた。

 一部が欠けた盾で必死に攻撃を捌き続けたケントだったが、その防御も一分と保たなかった。ついに捌ききれなくなって、盾で正面から攻撃を受けてしまったのだ。ただでさえ酷使された盾は当然のごとく完全に砕け散ったが、その武具としての意地を見せたとでも言うのだろうか、ケントは左腕の骨折だけで済んだ。これから殺されることを前提とすれば百人中百人がそれがどうしたと思うようなことだが、それはケントにとっては何よりの行幸だった。

 ケントの盾が破壊されたことでチャンピオンは完全に油断したようで、さらに攻撃のみに専念するようになった。狂戦士と化したことで戦士としての理性を失いつつも、本能で武器を持っているケントを警戒していたのだが、その警戒するべき要因が失われた獣は解放されたようにその衝動に任せて暴力を振るう。その様はまるでこれまでは理性を保っていたと錯覚するほどの暴れようだった。

 だが、その濃密な密度ではあるが単調な攻撃は疲労困憊のケントであっても動きを読むことは容易い。そしてついに待ちに待った好機が訪れる。


 「ふっ!」

 「グ!?」


 ケントは左からの攻撃に合わせて踏み来むと同時に肘をチャンピオンの握る手の指に叩き込む。ベキリという鈍い音とともに一瞬だけチャンピオンの動きが止まる。狂戦士となって痛覚が麻痺しているとはいえ、突然の痛みと唐突な反撃に面食らったのだ。そして戦士としてのチャンピオンならば晒さなかったであろう一瞬の隙をケントは見逃さない。

 怯んだことを確認する時間も惜しいとばかりにケントはチャンピオンの背後に回り込み、その背中に飛びついて首を裸締めにした。ケントはあらん限りの力でその首を締め上げる。確かにケントの左前腕部は骨折しているために全力とは言えないものの、腕が切り落とされていればこの反撃は中途半端になっていただろう。


 「グギギ…ガガガアア…!!」


 どれほど屈強な肉体を持っていたとしても首を締めあげられてはどうしようもない。現にチャンピオンは口から涎をだらだらと垂れ流しながら目を血走らせている。このまま締め続ければ確実にチャンピオンを殺すことができるに違いない。観客は予想だにしない逆転の一手に、結末を決して見逃すまいとただ凝視していた。

 しかし、チャンピオンも座して死を待つほどお人よしではない。覆いかぶさるケントを振りほどかんと体を激しく動かしながら、手に持っていた剣を放り投げると闘技場の壁面に向かって走る。そして壁に背を向けると思い切りケントを石造りの壁に叩き付けた。ケントの全身が軋み、悲鳴を上げる。頭を打ち付けられて視界が霞み、意識が朦朧とする。呼吸ができない苦痛を兜によって感じることはないチャンピオンも動脈を圧迫されることで酸欠状態になることは免れない。『再生』はあくまでも身体の損傷を超速度で治癒するだけであって体内の酸素量を増やせるわけではないのだ。

 互いの身体と精神の双方を少しずつ削っていくような戦いだ。一見するとその様子は子供の喧嘩のように見えることだろう。だが、その場にいた全員の目にはこの原始的な闘争が、今まで観てきたどんな戦いよりも凄惨にして壮絶に映ったに違いない。そう感じさせるだけの迫力があったのだ。

 互いの命を燃やし尽くすような拮抗がそう長く続く訳がなく、そしてその勝者は必然的によりスタミナが残っている方になる。力尽きたようにズルズルと背中からずり落ちて地面に横たわったケントを、チャンピオンは何度も何度も踏みつける。そこには死力を尽くして戦った相手への敬意などは微塵もなく、ただ怒りのみがあった。チャンピオンはピクリとも動かなくなったケントの首を左手でわしづかみにして持ち上げると、ゆっくりとその指に力を込めていく。すでに意識のないケントを窒息死させようというのだ。狂戦士となったことで顕在化した嗜虐性がそうさせている。観客の大半は目を背ける。彼らは確かに殺し合いを見世物として楽しむためにきているのだが、それは何も人殺しを見ることが目的ではない。あくまでも戦士の戦いを見物しに来ているのだ。このような無抵抗の相手を残酷な手段で殺す様を見に来たわけではないのだった。


 「ケントさん!」


 殺人ショーと化して静まり返っていた闘技場に若い女性の声が響く。その声の主は涙を流すまいと必死にこらえて続ける。


 「約束を破るんですか!?あなたがそんな不誠実な…いいえ、根性なしだとは思いませんでした!こんなところで…こんなことであなたが亡くなっても、私は幻滅することはあっても悲しんだりしません!あなたは…!」


 目元にたまった大粒の涙が見える位置にいる者たちはもちろんのこと、震える声での悲痛な叫びが本心ではないことをすべての観客が悟っていた。


 「あなたは!私の!用心棒でしょう!ならば、負けるなんて、許しません!」



 ケントの思考はまるで蕩けてしまったかのようにまとまらない。なぜこんな状態になっているのか、自分は何をするべきなのかを考えるどころか、自分自身のことすらわからない有様だった。今のケント・シュヴァルツは自我を持たない意識を持った肉塊を成り果てていたのだ。

 そんな自分の体が持ち上げられる。首を何かにがっしりとつかまれて宙ぶらりんになってもケントの意識には何もない。ただされるがまま、首を圧迫される痛みも苦痛も何も感じられなかった。

 そんな中で音が聞こえてくる。その音、いや、声は聞き覚えがあった。昔から幾度となく聞いてきたわけではないが、彼にとってその声の主はただの他人ではなかったはずだ。そしてその声は最後にはっきりと言った。『負けるな』と。

 ならば戦おう。必ず勝利してみせよう。胡乱な意識の中にれっきとした意思が芽生えたとき、だらりと垂れ下がったケントの指がピクリと動いた。

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