第十三話
「いやぁ!せぃ!はぁぁ!」
アーヴィング邸内の練武場では、一人の少年の気合に満ち溢れた声と共に剣戟の音が響き渡っている。アーヴィング家は代々魔術師の家系だが、魔術師として戦場に出る以上、最低限の訓練を積まなければならないということで練武場が屋敷に併設されていた。今、練武場ではウルリッヒが剣を振い、それをケントが捌いていた。つまりはヴォルフに言われるがままケントが稽古をつけてやっているのだ。
ケントは木剣だが、ウルリッヒが使っているのは練習用の刃引きされた鋼鉄製のロングソードだ。斬れないとはいえ直撃すれば骨が折れる危険を伴う行為だが、二人とも防具は付けずに動きやすい格好で剣を振っている。ウルリッヒは肩で息をしながら着ている服が汗でびっしょりと濡れているのとは対照的に、ケントは呼吸を乱さずに余裕の表情で剣を構えている。
ケントは稽古をつけてもらいたいと言われたものの、どうすればいいのかはわからなかった。彼は祖父に剣術を体系づけて教えられたことは無かったからだ。だからこそ、ケントは祖父にされたことと同じことをすることにした。それは、『ひたすら全力で攻めさせること』だ。稽古をつけている側は命の危険を感じない限り反撃はせず、ひたすらに捌き続けるという訓練だ。
「それで終わりか?まだ続けるか?」
「ハァ、ハァ!お、お願いします!」
ウルリッヒはまだケントに攻撃されていない。すなわち、彼を追い詰めていないということになる。実力差を肌で感じてはいたが、一矢報いたいという意思と少しでもケントの技術を学びたいという熱意で剣を振り続ける。
稽古をつけているケントはと言うと、ウルリッヒが思っている以上に追いつめられていた。ウルリッヒの剣の才能はケントの想像を超えている。実戦であればこの剣術と共に強力な魔法を使いこなすのだから魔法騎士見習いとはいえ、今でもその実力は魔法騎士の平均を大きく上回っていることだろう。
「ふん!」
「うっ!」
ウルリッヒの上段からの一撃を右から振りぬいた一閃で弾き飛ばす。万全なウルリッヒならば体勢を崩すことすらなかっただろうが、剣を手から落としてしまった。
「これ以上やっても疲れが溜まるだけで稽古にならんだろう。今日はこの辺にしておこう。」
「はい!ありがとうございました!」
ウルリッヒは律儀に剣を拾ってから鞘に納め、ケントに向かって深々と礼をする。そんな生真面目な少年のことが気に入ったケントは少しアドバイスを与えることにした。
「さて、今日の稽古だが、何か気になることがあったか?」
「最初の方は少しは太刀打ちできるかもしれない、と思ったんですが…。」
「途中から全く歯が立たなくなった、だよな?」
ウルリッヒは悔しそうに頷いた。
「そんな顔をするな。君の剣の才はなかなかのものだ。そこらの傭兵じゃ何人でも相手にならんだろう。けど、戦い方に大きな欠点があるんだ。」
「そ、それは!?」
「一言で言えば単調なんだな。その腕前なら、これまでは実戦形式でもすぐに片が付いただろ?そのせいで攻撃のパターンが少ないんだ。例えば、右から左への振りぬきから斬り返してからの上段。これが君が俺に対して行った中で最も多い連続攻撃だった。」
思い当たる節があるらしく、ウルリッヒの顔に浮かぶ悔しさがより一層強くなる。
「実際の戦闘…つまり殺し合いになった場合、相手が自分よりも格上だと単調な攻撃では絶対に勝てない。自分にとっての必勝の形ってのを作っておくことは大事だが、それに頼り過ぎちゃいかんのだ。…と、偉そうなことを言ったけどな、それは純粋な剣だけの戦闘に関する俺の意見に過ぎんよ。君には普通の戦士にはないもう一つの才能があるだろう?」
「魔法、ですか?」
「その通りだ。魔法騎士を目指すのなら、戦闘用の魔法を使うことを考慮した動きをするべきだろう?けど、さっきの君の動きは剣術としての動きだった。それが悪いとは言わないが、せっかく剣と魔法を両方使えるんだからお互いを生かす戦い方をしたほうが絶対にいい。だから君は単なる腕っ節を鍛えるよりも魔法との組み合わせを意識した立ち回りを心がけるようにするんだ。なに、ここにいる間はアドバイスや実験台くらいにはなってやるさ。」
「わかりました!では、これからもよろしくお願いします!」
先ほどまで悔しさをにじませていたウルリッヒの瞳は、今ではケントへの尊敬の念で輝いている。これまでウルリッヒは様々な魔法騎士や戦士と模擬戦闘を行ってきたが、彼らは決して自分に何かを教えてくれるということは無かった。有体に言えば将来有望で自分たちをすぐにでも一足飛びに抜かしていきそうな若者の才能に嫉妬していただけだったのだが、自分の欠点を指摘し、改善策を具体的に提示してくれたのはケントが初めてだった。
「これからは師匠と呼ばせてください!」
「し、師匠?うーん…少し恥ずかしいな…。まぁ、呼びたいように呼べばいいさ。」
「はい!師匠!」
親友の弟の見せる隠そうともしない無邪気な敬意の視線に応えない訳には行かず、ケントは困惑しながらも師匠という呼び名を許容した。人前で師匠と呼ばれることを想像すると恥ずかしいだろうが、年下に甘いケントの性格が出てしまったのだ。
すぐにでも稽古を再開したいと言うウルリッヒを説き伏せて、ケントはしばらく休憩させることにした。精神的には元気になったとしても、肉体的な疲労はそうやすやすと取れるものではない。まともに剣を握る握力が戻ったら再開すると言って練武場からケントは外に出た。
練武場の前はアーヴィング邸の裏庭にある。裏庭といっても非常に広く、刈り込まれた芝生が植えられ、花壇には季節の花が無数に咲き乱れ、中央には荘厳といっても過言ではない見事な彫刻が施された噴水が設置されている。その噴水の淵に座って本を読んでいる少女がいた。
「サーリャ。何を読んで…って『魔法学入門』?」
「あ、ケントさん。お疲れ様です。」
サーリャは本を閉じると、優しく微笑みながら噴水の淵に落ちた彼女の影に手を突っ込む。そしてその中から冷たい水が入ったピッチャーを取り出した。サーリャの『闇』の魔法は、闇の中にほぼ際限なく物体を保存することができるらしく、手ぶらのように見えて彼女は馬車一つでは収まりきらないような荷物を携帯しているのだ。
同じく影から取り出したコップに水をなみなみと注いでケントに差し出した。ケントは礼を言って受け取るとそれを一気に煽った。
「ふぅ、落ち着いた。それで、なんで魔法の本なんか読んでるんだ?」
「実は、魔大陸では学問としての魔法が無いんです。生まれながらにして様々な魔法が使える魔族もいるのですが、そういう一族の者たちを含めて皆感覚的に魔法を行使しているのです。ですから、学問として体系化された魔法を学んで私が使えるようになれば、魔大陸全体に大きく貢献できると思うんです!」
「へぇ。努力家だな。」
ケントにとっては素直な感想を述べただけだったが、褒められたはずのサーリャの表情は唐突に暗いものになった。
「才能がないだけですよ。私は王家に連なる者としては闇の魔法の威力が一段も二段も劣るんです。ですから、少しでも王族として故郷に貢献できることを探しているだけなんです。…父を殺して欲しいと頼みに来たのも結局は私が祖国に貢献していると思いたいだけなのかもしれないですね。」
サーリャはうつむきながら悲しげに微笑んだ。ケントは初めてサーリャの本音の部分を聞いた気がした。数日間の旅の中で、彼女はいつも輝くような笑顔を浮かべていた。しかし、それは自分の中に渦巻く不安を外から隠すための仮面だったのかもしれない。
「別にいいんじゃないか?自分のためでも。」
「え?」
軽蔑されるに違いないと思っていたサーリャは驚きと共に顔を上げた。ケントは空を見上げながら自分が感じたことをそのまま口に出す。
「親父さんは殺す以外に手がないんだろ?なら殺すことができるかもしれない存在を探すことは間違ってないはずだ。」
「でも…。」
「親父さんの命を以って自分の価値を高める、みたいになるのが嫌なんだろ?確かにそんな風に考える奴は少なからずいると思う。けどよ、親父さんを殺すことについて散々悩んだ結果なんだろ?なんとなくだけど、爺さんの墓の前で俺に親父さんを殺してくれって頼んだ時のサーリャには…なんていうか鬼気迫るものがあった。その時、君の決心の固さを肌で感じた。」
ケントは一旦区切ってサーリャの顔を横目で盗み見た。すると彼女は瞳に今にもこぼれそうになるほどいっぱいの涙を溜めていた。
「あー、えっと、だから俺が言いたいのは…つまり、誰が何と言おうが俺はサーリャの意思を尊重するってことだ。だから自分を必要以上に卑下することはないって。」
「ありがとう、ございます。」
サーリャは涙を拭うといつものように笑顔を浮かべた。ケントは少しは元気づけることができたと安心する。
「それで、魔法は使いこなせそうか?」
「はい!簡単なものならもうできますよ!」
サーリャはそう言って掌の上に小さな火球を創りだす。『炎』の魔法は比較的習得が容易いといわれる四属性、かつその中でも最も簡単な部類の魔法ではあるが本を読んだだけで使えるようになるのは普通ではない。ケントの知りうる中でそんな天才はヴォルフだけだ。サーリャは闇魔法が一族の中でも一段劣ると言っていたが、多種の魔法を自在に操れることの方がよほど優秀と言えるのではないだろうか。
そんなことを考えていると、ケントは屋敷が慌ただしくなったことに気が付く。使用人の皆が無駄口を一切叩くことなく、ギリギリ小走りにならない早歩きで屋敷内を行き来しているのだ。サーリャも異変に気付いたらしく、不安げにケントを見つめている。状況を把握している使用人を捕まえて話を聞こうとする前に、ケントは後ろから近づいて来る者に気が付いた。
「師匠!ここにおいででしたか!」
「何かあったのか?屋敷がさっきから騒がしいが…。」
「そのことなんですが、師匠とサーリャさんは私に付いてきてください。お二人に会いたいと仰る方がお見えになったんです。」
ケントとサーリャは顔を見合わせる。ウルリッヒの切羽詰まった様子からして来客は王国でもかなりの地位に立つ人物なのだろう。そんな相手とコネを作ることができるなら願ってもないことだが、その反面、サーリャを不用意に他者に会わせるわけにはいかない。どのようなことが起こるかわからない上に、場合によっては王国にはいられなくなるかもしれないからだ。
だが、アーヴィング家に客として招かれているのだから断るわけにはいかない。サーリャも解っているらしく、覚悟を決めたと言わんばかりに力強く頷く。
「わかった。今から行こう。それで、俺達に会いたいってのは一体どちらさんなんだ?」
ケントの質問でウルリッヒの顔が強張った。額に脂汗を浮かべながら眼を泳がせる彼の様子は、真実を言うべきか言わざるべきかを迷っていることを如実に表していた。結局、言うべきだという結論に達したらしく周りに聞いている者がいないことを確認してから二人にしか聞こえないような小さな声で言った。
「いらっしゃったのはヒルデガルド・フォン・ゴルドアードラー姫殿下。国王陛下の長女にして『氷の君』と呼ばれている、兄上の妻となる女性です。」




