第十二話
貴族区画に入ったケントたちだったが、馬車の中は重い空気に支配されていた。理由は言うまでもなく先ほどのルーシャン候の態度や発言だ。ケントは殺気を収めたが激情を隠し切れておらず、サーリャは欲情を隠そうともしない視線に耐えられなかったらしく自分で自分を抱きしめている。ヴォルフはなんと声を掛ければいいのかがわからず、ルガールは諦めてケントのマントの中に籠ってしまった。
幸い、その憂鬱な時間はすぐに終わりを告げることになる。貴族区画は人通りが少ない上に他よりも圧倒的に狭いのでヴォルフの実家、アーヴィング公爵の邸宅に到着のに時間はほとんど掛からなかった。
「皆、着いたよ。王都にいる間はここでゆっくりしてくれるといい。」
「へぇ?伯爵の屋敷よりもデカいな。さすがは魔法で地位を築いたアーヴィング家だ。」
王国のすべての貴族が領地を持っているわけではない。所謂『貧乏貴族』という連中だ。だが、領土を持っていない貴族に力が無いわけではない。非常に優秀な能力を持っていることによって王都を拠点としてすぐそばで王を守護する任を与えられた場合だ。アーヴィング公爵家はそういう貴族の筆頭と言えるだろう。
アーヴィング家は何代にも渡って非常に優秀な魔術師を多数排出しており、王立大学の魔法学科の学部長を代々任されるほどだ。実際、宮廷魔術師でもある現在の学部長はヴォルフの父親、アーヴィング公爵なのだ。
門をくぐると両脇を二十人ほどの使用人が並んでヴォルフ達を出迎えた。そして馬車の前には一人の少年が立っている。その少年の年齢は十歳を少し過ぎた程度と思われたが、その金髪碧眼で非常に整った容姿は目の前の男と非常に似通っていることからケントとサーリャはその人物が誰なのかの察しはついた。
「おかえりなさい、兄上!お久しぶりです!」
「ただいま。それにしても、少し見ない間に大きくなったな!」
駆け寄ってきた弟の頭をヴォルフは愛おしそうに優しく撫でる。ヴォルフが一回り歳の離れた弟のことをとても可愛がっていることは、知り合った次の日から散々聞かされてきたケントはよく知っている。だが、そんなことを聞いたことが無くとも、目の前の兄弟の触れ合いを見ればそんなことは誰でもわかることだろう。現にサーリャは先ほどの恐怖を洗い流されたように微笑んでいる。
「さあ、お客様に挨拶をしなさい。」
「はい!ウルリッヒ・フォン・アーヴィングと申します!第一魔法騎士団で騎士見習いとして修行しています!未熟者ですが、よろしくお願いします!」
「サーリャ・アーグヴォルドです。こちらこそよろしくお願い致します。」
ウルリッヒはきびきびとしたというよりガチガチに固まった、騎士というには優雅さに欠けた礼を返す。どうやらサーリャの容姿を見て緊張しているらしい。そんなことに気付いていないらしいサーリャは満面の笑みを浮かべながら慇懃に答える。だが、緊張を解くどころかウルリッヒは余計に硬くなってしまった。
「ケント・シュヴァルツだ。ウルリッヒ君のことは君の御兄さんから良く聞いているよ。よろしく頼む。」
どうせすぐに王都を発つのだから、親友の弟とはいえそこまでウルリッヒと親しくしておく必要はないと判断したケントは普通に名乗るだけにしておくつもりだった。しかし、それまで顔を真っ赤にして凍ったように動かなくなっていたウルリッヒはこれまでの緊張が嘘のようにケントの手を握る。
「貴方がケント・シュヴァルツ様ですか!?兄上からよく話を聞いています!」
「そ、そうか。」
ウルリッヒは眼をキラキラさせながらケントを見上げている。それはまさしく自分の憧れの存在を前にした少年の反応だった。兄を心から尊敬しているウルリッヒは、兄が自分と同等以上に戦える戦士と認めたケントのことを兄と同等の敬意を抱いているのだ。
「さて、面通しも終わったみたいだから僕は行かせてもらうよ。あの方に話さなきゃならないことがごまんとあるしね。」
「え!帰って来られたばかりなのに、もう行ってしまうんですか!?」
「ははは。夕方には戻るよ。…そうだ!それまでケントに剣の稽古でもつけてもらったらいい。色々と勉強になるだろうからね。」
「おい、俺を巻き込むな。」
ケントは反論したものの、自分に向けられた期待の眼差しを無視することはできないことを直観する。彼は基本的に年下に甘いのだ。それをよく知っているからこそケントの反論を聞こえないふりをしつつ、ヴォルフは再度馬車に乗り込んだ。
王都アードラスバウム、その中央の丘にそびえ立つ純白の巨城。それこそゴルドアードラー王朝の象徴にして世界で最も堅固とも謳われるギュルムント城である。久しく見ていなかった王城の威容に満足げなヴォルフは、自身が仕えるべき男に面会していた。第二王子エルンスト・フォン・ゴルドアードラー。王国の後継者として相応しい器量と能力を持つ、ヴォルフが忠誠を誓う未来の王だ。
「お久しぶりでございます、殿下。この度の突然の訪問をお許しください。」
「良い。それにここには俺とゲオルグしかおらん。堅苦しいのはよせ。」
「それでは…いやはや、本当に久しぶりですね、エルンスト様。ゲオルグさんもお元気そうで何よりです。お父上には色々とお世話になりました。」
「ははは。王国最強の魔術師と名高いヴォルフ君の役に立てたのなら、父も喜んでいるでしょう。」
第二王子の私室に居るのは三人だけだった。部屋の主人たるエルンスト、来訪したヴォルフ、そしてエルンストの秘書官を務めるゲオルグ・フォン・ブラオスローザである。名前の通り彼はブラオスローザ伯爵の一人息子であり、父と同じくエルンストを支持する男だ。彼は秘書としての事務作業に優れているだけではなく、剣術・魔法は並みの魔法騎士では歯が立たず、さらには参謀としての頭脳をも有するまさしくエルンストの片腕と言える鋭才であった。
「オスカーか…。俺も久しく会っていないな。たまには顔を見せろと親父殿に伝えておけ。」
「かしこまりました。手紙で伝えておきます。」
「うむ。それで、ヴォルフよ。オスカーから文書で連絡は届いている。隣国同士の小競り合いの件はよくあることだが、問題は魔大陸のことだな。お前のことだ、色々と情報を手に入れたのだろう?」
「はい。王都への道中で聞き出したことをお伝えするべく馳せ参じました。なかなか興味深い内容でしたよ。」
ヴォルフはサーリャから聞き出したことをすべてエルンストとゲオルグに言って聞かせた。それは些細なことから魔大陸全体の行政システムに関することまでと多岐に渡ったが二人はヴォルフの言葉を一言一句聞き逃さないように集中していた。
「なるほど?ということは魔大陸は、いや、魔族は思っていた以上に知性的な社会を築いているようだ。魔族は人類を遙かに凌ぐ肉体能力を持っているのにも拘わらず、人類に匹敵するか、それ以上の明晰な頭脳を持っている個体もいるということだな。流石は聖国も恐れる存在…亜人とはわけが違う、か。ふん、人類である俺としては面白くない話だ。」
「ですが、それならば交渉の場を設けることさえできれば友好関係を結ぶことも容易なのではないでしょうか。神官たちは大反対するでしょうが…。」
「なんとでも言わせておけば良い。そもそも政治に口をはさむ権利は奴らには無いのだ。場合によってはそれを口実に国に帰っていただくかもしれんな。」
エルンストはギラギラした輝きを放つ瞳と共に、ニヤリと口角を釣り上げる。ヴォルフは自らの主が時折浮かべる獰猛な笑みは、王都の民衆には見せられない。民衆の抱く『高潔で慈悲深く、武勇に優れた王子』というイメージとはかけ離れたものだからだ。エルンストが王となるにふさわしい能力と器量を持っているからこそ、『卑劣な手段を駆使して政敵を排除するための暗闘を厭わない』という負の印象を抱かせるわけにはいかないのだ。
ゲオルグも同じことを考えているようで、露骨に嫌そうな顔をしていた。自分にとって無条件で信頼できる家臣であると同時に貴重な友人二人の説教を食らう前にエルンストは慌てて話題を換えることにした。
「コホン。とにかくだ。ヴォルフはその姫と行動を共にしてくれ。情報の収集とできることなら懐柔も進めておいてくれると助かる。お前の交渉は俺が国王となった後で必ず役に立つだろうからな。姫と言えば、ヴォルフよ。もう我が妹には会ったのか?お前が戻ってくるのを首を長くして待っていたんだぞ?相変わらず顔には出さんが。」
「それが、すれ違いになったらしく会えておりません。」
「姫様のことです、ヴォルフ君のことを聞きつけてアーヴィング邸へ向かったのでしょう。…御一人で。」
「我が妹ながら何とも困ったものだ。ヴォルフがいなければ嫁の貰い手がいなかったところだ。」
「そんなことはありません!彼女はこれ以上に無いほど魅力的です!」
実の兄と同僚に対して妹の魅力について必死に語りだした友人に、エルンストは何とも言えない複雑な気分にさせられたのだった。




