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いつかこの復讐が灰になるまで 〜すべてを奪われた青年は、紅蓮の炎で空虚な獣を焼き尽くす~  作者: 不知火 ヌイ


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1話 『灰と誕生の日』


「灰すら残さず、焼き尽くしてやる――」


 廃ビル群に囲われた夜の中。

 無数の異形の怪物たちが、深紅の炎に包まれ、断末魔すら上げる間もなく塵へと変わっていく。


 燃え盛る炎の中心で、青年は冷たい瞳で灰を見下ろしていた。

 彼の右手に灯る炎は、底なしの憎悪を燃料に燃え続ける復讐の業火。


 彼がなぜ、人としての感情を捨て、すべてを壊す炎となったのか。

 ――それは、九年前のあの日から始まった。


 ***


奏斗かなと、お誕生日おめでとう!」


 リビングの扉が勢いよく開かれ、満面の笑みを浮かべた母親が大きなケーキを抱えて現れた。


 十本の色とりどりのロウソクが、きらきらと光の粒を散らしている。


「わぁ……!」


 奏斗の目は、チョコレートのプレートに書かれた「かなとくん」という文字に釘付けになった。


 隣では、父親が「こら、つまみ食いはだめだぞ」と、奏斗の頭を優しく撫でる。


 部屋は誕生日の飾り付けで彩られ、テーブルには母親の手料理、大好物の唐揚げが山のように積まれていた。


 どこにでもありふれているが、何物にも代えがたい幸福な光景だった。


「奏斗、おめでとう!」


 少し照れくさそうに、小さなプレゼントの箱を差し出してくれたのは、隣の家に住む幼馴染の神楽美咲かぐら みさき


 一つ年下で、いつも奏斗の後ろをついてくる、少し気の弱い女の子。


「ありがとう、美咲!」


 奏斗がプレゼントを受け取ると、美咲は頬を少し赤らめる。


 ロウソクの火を吹き消し、ケーキを切り分け、みんなで笑いながらプレゼントを開ける。


 美咲がくれたのは、手作りの星のキーホルダーだった。少し不格好だがそれも愛情が詰まった証。


「来年も、その次も、ずっと一緒にお祝いさせてね。奏斗」


「うん。美咲の誕生日は俺も祝ってあげるから楽しみにしててね!」


 他愛もない、子供の約束。


 けれど、その時の奏斗にとっては、この温かい時間が、優しい世界が、永遠に続いていくのだと、何の疑いもなく信じていた。


 ――だから、気づけなかった。


 幸福の薄皮一枚を隔てたすぐ外で、絶望が口を開けていたことに。


 そして、絶望が彼らを飲み込む瞬間は、すぐに訪れる。

 

 バツン、と何かが断ち切れるような音と共に、部屋中の明かりが消えた。


「停電か?」


「えー、なんでかしら? 奏斗〜、また部屋のエアコンつけっぱなし〜?」


 両親の呑気な声。


 だが、奏斗の胸には、形容しがたい悪寒が突き刺さっていた。


 ――コン、コン。


 不意に、玄関のドアをノックする音が響いた。


「こんな時間に誰だろう。お母さん、ブレーカー上げにいってくれ」


 父親が立ち上がる。母親は指示通りブレーカーを上げに向かう。


(やめろ。行くな)


 言葉にならない叫びが、奏斗の喉の奥で凍りつく。得体の知れない恐怖が、体を金縛りのように縫い止めていた。


 そして――


 父親がドアノブに手をかけた、その時だった。


 ゴウッ、という轟音と共に、どす黒い炎が玄関ドアごと父親を飲み込んだ。

 父親はそのまま部屋の奥まで吹き飛ばされる。


 玄関の先には人間とは見えない『何か』が立っている。

 すらりとした長身に、黒い外套のようなものを纏っている。だが、その輪郭は陽炎のように揺らめき、顔と思われる場所には、闇が広がっているだけだった。


「……あ……ぁ……」


 母親が短い悲鳴を漏らす。


『どうもこんばんは。――あぁ、すみませんね、せっかくのおめでたい日に』


 その声は、男のようでもあり、女のようでもあった。ただひたすらに、聞く者の心を不安にさせるような、不快な響きをしていた。


「な……なんだお前はッ!」


 先程の炎で全身に火傷を負いながらも、父親が家族を庇うように『何か』の元へ向かう。


 その手には、護身用の金属バット。だが目の前の存在は、そんなものが通用する相手ではない。無意味だと誰もが分かっていた。


『やはりあの程度では生きていますよねぇ。あぁ、申し遅れました。私は黒焔こくえん。全ての魂に祝福を授ける者』


 黒い何か――黒焔は、まるで舞台役者のように芝居がかった仕草で手を広げた。


『今日はあなたたちに祝福を授けに来た。さあ、その身を捧げなさい。苦痛なき魂の変革を、私が与えよう』


「うるせぇえええ!!!」


 父親が叫びながら、黒焔に殴りかかる。しかし、バットがその体に触れる寸前、父親の足元から、黒い炎が燃え上がった。


「ぐ、ああああああああああッ!?」


 黒い炎は一秒とかからず父親の全身を包み込み、パチパチとまたたく間に燃え上がる。そして、骨すら残さず黒い灰の山へと変わった。


「あ……なた……」

 

 呆然と呟く母親の前に、黒焔はいつの間にか移動していた。


『次はあなたですね。案ずることはありません。すぐに、愛する人の元へ送ってあげますよ』


 黒焔の指先から出た黒い火の粉が、母親の額に触れる。その瞬間、母親は悲鳴を上げる間もなく、燃え上がり、崩れ落ちた。


 奏斗は目の前の光景に理解が追いつかない。

 涙も出ない。ただ、恐怖によるカタカタと歯の根が鳴る音だけが、やけに大きく自分の頭の中に響く。


 黒焔が、ゆっくりと奏斗と美咲の方へ向かう。その視線が、二人を捉える。


『さあ少年、あなたにも祝福を』


 そのとき、美咲が奏斗を庇うように前に出る。震えながらも、その瞳には強い意志が宿っていた。


(やめろ、逃げろ)と叫びたかった。だが声が出ない。


 黒焔は嘲笑うかのように、ゆっくりと手を掲げる。


『美しい友愛だ。だが祝福を止めることは許されない』


 掌から黒い炎が放たれ、奏斗を飲み込もうと迫る。


 死ぬ。そう思った瞬間、奏斗の感情が爆発する。


 父さんが死んだ。母さんが死んだ。俺も殺される。俺の次はきっと美咲も殺される。なぜなんだ。どうしてなんだ。みんな笑っていたのに。


 理不尽だ。許せない。

 こんなこと、あっていいはずがない。

 憎い。目の前の、こいつが。俺の世界を壊した、こいつが。


 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!


 ――ゴウッ!!!


 その時、奏斗の全身から、紅蓮の炎が爆発する。


 迫り来る黒い炎を、奏斗から(ほとばし)った赤い炎が真正面から弾き飛ばす。


『――ほう?』


 黒焔が、初めて驚嘆の声を漏らす。


 奏斗は、灰と化した両親の亡骸を見下ろし、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。

さっきまでの子供の無邪気さは、自身の炎と共に焼き尽くされた。


 今、ここにいるのは、復讐の化身。


「――お前は。俺が、殺す」


 地獄の底から響くような声と共に、奏斗が放った紅蓮の炎が、凄まじい熱量を持って黒焔を飲み込む。


『なるほど。憎悪を燃料とする炎か……』


 黒焔は平然と炎の中から歩み出てくる。

 だが――その顔を覆っていた黒い陽炎の一部が、わずかに焼け焦げていた。


『実に人間らしい、愚かで美しい輝きだ。私の炎を相殺し、あまつさえ傷をつけるとは……素晴らしい』


 黒焔は、轟々と燃え上がる奏斗の炎を意にも介さず、近づき奏斗を蹴り飛ばす。


『だが、今日の目的は君ではない』


 黒焔の影のような手が伸び、美咲の体を掴む。


「――ッ! やめろ! 美咲に触るな!」


 奏斗は美咲の元へ向かおうとするが、黒焔は片手で奏斗の頭を掴み、それを静止する。

 そして、首を大きく傾け、腰が抜け座り込む美咲の顔を覗き込む。


『やはり……原罪げんざい様の仰るとおり。普通の人間ではないその肉体。君こそが、我らが悲願のための礎となるべき存在。……本当に素晴らしいですね』


「いや……いやぁっ!」


 美咲の悲鳴が、奏斗の炎によって燃えるリビングに響き渡る。


 黒焔は美咲を軽々と抱え上げると、奏斗に最後の言葉を投げかけた。


『人の子よ。全てを焼き尽くし滅ぼす、その燼滅たる炎。絶やすことなく燃やし続けろ。君がその炎私を焼き尽くすまで成長した時、再び相見えよう』


 黒焔は、見下し、心底楽しそうに嗤った。


『その時まで、憎しみを絶やすな』


 その言葉を最後に、黒焔は美咲を抱いたまま、音もなく闇の中へと溶けるように消えていった。


「待て……待てよぉっ!」


 伸ばした手は、空を切る。


 返せ。俺の家族を。俺の美咲を、返せ――!


 奏斗の叫びは声にならず、燃え盛っていた紅蓮の炎が、命の火が消えるように急速に勢いを失う。


 視界がぐにゃりと歪み、全身から力が抜ける。床に倒れ込む奏斗。


 熱かったはずの体は、急速に冷たくなっていった。


 眼の前に見えるのは、自分の炎によって燃え盛る家。

 床に散らばっている、両親だったもの。

 そして、美咲がくれた星のキーホルダー。


 それが彼がこのとき最後に見た光景だった。


 憎悪と無力感に苛まれながら、少年の意識は、深い深い闇の中へと沈んでいった。


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