後編
「どこへ引っ越しても、そこに住む有力者が勇者一行を呼び寄せるだろう。今では彼ら見たさに大勢が押しかけ、パレードを行ったりして一種の経済効果を生んでいるし」
結局数日間、辛抱をすることに決まる。彼らが滞在中は家族全員、ゆっくり家で過ごそうとなった。食糧も買いだめし、準備万端。
「たまには仕事を休んで皆でのんびり過ごすのもいいもんだ」
カードを切りながら父は笑うが、弟は口をすぼめる。
「でもカードゲームばかりじゃ飽きるよ」
「ふうん? それは負けが続いているから?」
にやにや笑いながら言うと、慌てて否定してきた。その様子から図星だと分かり、両親と私は笑う。
単純なカードゲームだからこそ夢中になれた。チョコレートを賭け、互いの近況を話しながら時間を過ごす。お腹が空いたらご飯を食べ……。時々各々の時間を過ごし、本を読んだりした。こういう穏やかな時間もいいものだなと思う。
でもふとした瞬間、彼らを思い出す。そんな時はぎゅっと胸元を握り締め、首を横に振る。いい加減忘れないと……。でも……。
やっと明日には勇者一行もこの町を去る。だけどなぜかアルコが来ていないと新聞を読み知った。そのことが残念だというコメントが連日並んでいる。
どうして主役であるアルコが来ていないのか不思議に思ったが、もう私には関係のない話。新聞を握りしめ丸めると、ゴミ箱へ捨てた。
その晩だった。
トントン。
夜遅くにドアを叩く音が響いた。
「誰だろう、こんな時間に」
来客を告げる音に父を先頭に玄関へ向かう。
「どなたですか?」
「……アンディです。イリスさんはいらっしゃいますか?」
その答えに家族全員、息を呑む。
村で会った時より覇気のない声だが間違いない、どうして勇者一行のアンディがここに⁉
「……なんの用件だ」
ドアを開けることなく父が問えば、内密の話があるので中に入れて下さいと頼まれたが、断った。
「ずうずうしい‼ どうして私たちがお前たちの願いを聞かねばならん‼ 帰れ‼」
「待って下さい! どうしてもマレンが話しがあると……!」
「あの女もここにいるのか⁉」
父が驚きの声を上げるが、返事はなかった。否定をしないということは、ドアの向こうにマレンが……!
そう思うと押さえていた怒りがついに発してしまった。家族が止めるのを無視しドアを開け、やはりそこに俯いて立っていた彼女の頬を叩く。
「よくも私の前に来られたわね‼ さっさと帰ってちょうだい‼」
「な……っ」
「貴様……っ」
アンディだけでなく、ヴァールもセゲイラもそこにいた。聖女を叩いたのが不敬だと言いたいのか、ヴァールとセゲイラが剣の柄に手をかけるので、抜くより先に叫ぶ。
「私を斬るつもり⁉ 人の婚約者を横取りしただけでなく、今度は私を殺すのね⁉ 人を裏切り自分勝手な思いから人を殺す! それがあんたたち勇者一行の本性なのね⁉」
「……っ」
二人は睨んだまま悔しそうに柄から手を離した。
大声を出したことで近所の人が窓から顔を出したり、何事かと家から出て来たりしているが、知ったものですか。むしろ皆にこいつらの本性を知ってもらいたい。
「それで? 今さらなに? 裏切ってすみませんでしたとアルコが言っているとでも伝えに来たの? 結婚の約束をしておきながら……! 新聞であんたたちが結婚すると知った時の私の気持ち、分かる⁉ 私たちをお似合いのカップルですわね。なんて言っておきながら、この泥棒猫‼」
もう一発叩きたかったが堪える。対するマレンは赤くなった頬に手を当てなにか呟くと、赤味を消す。これが癒し魔法なのだろう。それからぶるぶると震えると、涙を流し始めた。
「わ、私だって……。私だって、アルコのことを……。本気で、愛して……」
「だからなによ! 泣きたいのはこっちよ‼ 事前に連絡し、婚約を白紙にした上で結婚するならまだしも! 新聞で婚約者が別の女と結婚すると知った私の気持ちがあんたに分かるもんですか‼」
「その……。アルコは、君に……。会いに来ていないのか……?」
おずおずとアンディが問うてくる。
「どの面下げて顔を見せると言うのよ! 村であんたたちを見送って以来、一度も会っていないわ!」
言えばアンディが突然頭を下げてきた。
「すまない! 俺たちはアルコに嘘を……! マレンがずっとアルコを慕っていたから仲間同士の方が幸せになれると思い、あんたが死んだとアルコに伝えて……‼」
その告白を聞き、息を吸いこみながら体を震わす。
……そういうことだったの……。彼らしくないと思っていた……。納得したわ……。きっとアルコのことだから、私の死を認めたくなくて確認を取らなかったに違いない……。その性格を見抜いて利用し、それで結婚したのね……? なんて酷い事実だろう。
それを聞いた父が拳でアンディを殴った。
「貴様ら‼ アルコに嘘をついて娘を傷つけたのか‼ なにが勇者一行だ! とんだ屑野郎の集まりじゃないか‼」
「すみません……。すみません……。アルコもマレンに優しく接していたから……。だから……。心変わりしてくれるのではと、マレンが言い出し……。結婚してしまえば、上手くいくと……。その為にはイリスさんが亡くなったと伝えるのが、一番いいと……。本当にすみません……。申し訳ありません……」
明るかったアンディがひたすら謝罪してくるが……。今さら謝られても……。結婚は生涯で一度のみという法律があるのに……。結婚相手が死別しても、恋人を作ることも許されないのに……。
「なにを勝手な……」
母はそう言うと力を無くしたように口を閉ざし、それ以上はなにも言わなかった。言葉にならないほど衝撃を受けたのだろう。
「それで? なんで今さら謝りに来た訳?」
怒りを含んでいるが、まだ冷静な弟が腕を組みながら尋ねる。そうすることで彼らを殴らないようにしているのだろう。
「アルコが……。行方不明なんだ……」
「だから?」
「結婚式を挙げた直後、アルコの両親がやって来て……。事実を知り飛び出して以来、行方が分からない……。きっと君を探している……。だからマレンたちとアルコだけでなく、ずっと君の行方も探していたんだ……」
「お義父様とお義母様は私に会ってもくれず……。家へ行って呼びかけても、返事さえしてくれないの……っ」
騙して結婚しておきながら、平気に彼の両親を『義父』、『義母』と呼ぶマレンの神経に、呆気にとられた。泣いて被害者面することにも呆れる。
魔王を封印した一行というだけで、本当に人格者ではなかったという訳ね。なぜ神様はこんな人たちを勇者一行に選んだのだろう。
アンディは謝るだけまだ他の三人に比べましに思えるけれど、それでもマレンに加担したことは事実で許すことはできない。
ヴァールとセゲイラは村で会った時以上に、マレンに盲信している。平気で私の前で泣いているとはいえ、彼女を慰め続けている。どうやら嘘をついたということに反省はないらしい。
「ああ、そんなに泣かないで、マレン。この女が見つかったんだから、アルコの居場所がもうすぐ分かるから」
「これでやっとアルコと一緒に暮らせる日が始まるんだ。泣いていないで、笑顔で彼を受け入れないと」
セゲイラはまるでアルコこそが罪人だと言っているようで、どうしてそんな発想になるのか理解できない。この三人は本当に自分と同じ人間なのかとさえ思う。
「……それでその……。アルコの行方を知らないか……?」
「そうだ! ここにいるんだろう⁉」
返事を待つことなくセゲイラが叫べば、頬に涙を流した跡を残したままの顔を上げ、マレンも叫ぶ。
「そうよ! 彼を返して‼ アルコは私の夫なのよ⁉」
そして私を睨んでくる。
私たちが勝手に彼らを、人間を救った英雄だから善人だと思いこみ、理想を押しつけていたけれど……。これはあまりにも酷い。周りの人たちも眉をひそめている。これにより冷静を取り戻し、再度告げる。
「さっきも言ったけれど、アルコとは村であんたたちを送り出して以来、一度も会っていないわ。だから彼がどこにいるかは知らない」
「嘘よ! ここにいるんでしょう⁉ ねえ、そうでしょう⁉ アルコ、返事をしてちょうだい!」
本当に誰もいないのに、家の中へ向かってマレンが叫ぶ。
それに合わせてヴァールとセゲイラもアルコの名を呼び出すという、正直不気味とも言える光景が始まった。アンディだけが申し訳なさそうに俯いているけれど、悪いと思うならこの三人を止めてちょうだいよ。
「……隠してただで済むと思うなよ? 俺たちは魔王を封印した英雄だ。お前らなんか雑魚をひねりつぶすくらい、簡単なんだよ」
セゲイラが凄んだ声を出すが、周りをよく見てものを言いなさいよ。私たちが大声を出し騒いだことで人が集まり、会話は全て聞かれているのよ? そう、今まさに私を脅している姿も発言もね。これだけ多くの証人の前で、よくここまで自分勝手に振る舞えるわね。
魔王を封印した自分たちは誰からも咎められないと、本気で思いこんでいるのかもしれない。
「そうか。では我々家族になにかあれば、勇者一行は英雄ではなく暴力集団になり下がったと、この状況を見ている人たちが証言してくれよう。魔王を封印し、魔物を倒せるほどの力ある者たち。その者たちが新たな悪人の集団になったとな」
父が言い、やっと自分たちの置かれている状況に気がついたらしい。驚いて見渡し、ひそひそ話す皆の姿を目にすると一瞬動揺を見せたが、なおも強気な姿勢を崩そうとしない。
「いいか⁉ アルコがここにいることは分かっているんだ! これから町長に頼みこんでいるから家を捜索し、アルコを匿い、妻ある男と不倫していた罪でお前を裁いてやる‼」
「そうよ、正義は私たちにあるんだから! 皆の前であんたの悪事を暴いてやるわ!」
「その自信、いつ崩れるかしらね」
「言っていなさいよ、田舎娘が。恥をかくのはあんたよ!」
どこまでも私を見下すヴァールは自信たっぷりだが、私には哀れに見えた。
ピュイ! セゲイラが口笛を鳴らせば、警察が集団で現れた。警察まで待機させていたのかと驚く。
裏口のないアパートの一階の我が家。小さいが個室もあり、住み心地は悪くない。そこに何人もの警察が入りこむ。
騒動により集まった人たちにも警察はアルコを見ていないか確認する。しかし誰も見かけたことがないと証言する。この時ばかりは彼が勇者で、顔を知られている有名人であることに感謝した。
意気揚々と捜査の様子を見ていたヴァールが、次第に怯えたように落ちつかなくなり始めた。今ではすっかり余裕を無くし、アンディに魔法を使っての家宅捜索をお願いしている。だから自信が崩れると言ったのに。
一度結婚すれば、その関係は解消されない法律があるので、伴侶がいる相手と特別な関係となれば、罪に問われる。もしアルコと再会して仲を取り戻していたら、私は裁かれる対象となる。だけどあの日から一度も彼とは会っていない。どこにいるのかも知らないから、裁かれることはない。
だけど、もし再会していたら……。ぎゅっと胸元を掴む。
「勇者アルコ殿が暮らしている証拠は、なにも見つかりません」
「嘘よ! 絶対ここにいるはずよ‼」
彼の痕跡がなにもないと魔法を駆使してまで警察は判断したのに、マレンは納得しない。彼女にとっては自分の考えが真実であり、事実は真実ではないのだろう。こうなると聖女というより狂人に近いなと思う。
「どうされます? 逆に疑いをかけられたということで、訴えることも可能ですよ?」
そう、こうやって謂れない疑惑をかけられたら、逆に名誉を傷つけられたと訴えることが出来る法律もある。法関係に聡いご近所さんに言われるが、首を横に振る。
「私はこの人たちともう二度と係わりたくありません。二度と私に接触しないのなら、それでいい」
「な、なによ! そんなことを言っていられるのも今だけなんだから!」
「覚えていなさい! あんたがアルコを匿っているのは分かっているんだから! いつか絶対、あんたの罪を暴いてやるわ!」
去り際まで往来の場所だというのに悪役のセリフを吐くマレンたちは、もはや英雄ではなかった。誰もが驚きや衝撃の眼差しを向けているのに、それに気がつくことなく帰った。
「まさか聖女様たちがあんな人だったなんて……」
「がっかりだな」
まるで嵐のようなこの出来事は、すぐさま町中に知れ渡り、やがては他の町にも伝わり……。世界中に広まった。彼らが有名人だからこそ、広まるのは速かった。
それでも変わらず彼らを英雄視する人はいたが、幻滅する人の方が多かった。人間を魔王の手から救った人物たちだからこそ、尚更だ。
あれからマレンは有言実行だと近くに越してくると、堂々と我が家の監視を始めた。もちろんアルコが出入りし、私が法を犯している証拠を得るために。自分の考える真実の正しさを証明したくて、必死なのだろう。
こうなるとマレンたちは英雄ではなく、『厄介人』というのが近所内で当然の認識となった。
ヴァールとセゲイラはわざとと言わんばかりに我が家の前を歩くが、アンディは姿を見せない。彼らと距離を置いたのか、魔法を使って姿を消し、どこからか監視しているのかは分からない。そしてマレンは一日の大半を窓辺に立ち、我が家を監視している。
私に非はない。だけど始終監視される毎日は、さすがに精神に負担がかかる。
「疲れた……」
今日も買い物に出掛ければヴァールが隠れることなく後をついてきて、気疲れした。
近所だけでなく町の住人の大半は我が家に同情してくれ好意的だが、もともとアルコと婚約していたから疑わしいと冷たく当たる人もいる。だけどここから逃げてもきっとマレンたちは追ってくる。そのたびに引っ越すのは面倒だ。今や私とアルコ、マレンの関係は世界中に知られ、どこで暮らしても同じこと……。
ベッドにぼすんと身を投げ、ため息を吐く。
アルコが勇者に選ばれなかったら……。村で結婚し、一緒に農作物を育て……。子どもを産んで、その子たちと幸せに暮らしていたのかもしれない……。
ぎゅっと胸元を握りながらそんな未来を浮かべていると、突然二人の人物が音もなく部屋に姿を現した。
「な……‼」
叫ぶ前に口を塞がれる。
「静かに!」
小声で囁くように言ってきたのはアルコだった。もう一人のアンディは手はず通りにと言い、部屋から出て行く。二人になると絶対に大声を出さないように言われ、頷くと塞いでいた手を離してくれた。
「アンディが協力してくれ教えてくれたんだ、君がここに住んでいると。あいつは今から堂々とこの家を出て、マレンたちには魔法で突然家へ侵入したが、やはり僕はいなかったと告げるようになっている」
「ちょ、ちょっと待って。あなたアンディを本気で信じているの? アンディもあなたを騙したのでしょう?」
「アンディもあいつらがここまでとは思わなかったんだ。僕の両親を結婚式に呼ぶと嘘がばれるから、その前に入籍して結婚式を強行しようと喜んで話す姿に寒気がしたと。さすがにまずいと思い止めようと忠告しても、無視されたそうだ。全く悪いと思わず僕の両親の家に押しかけたりする三人の動向に注意しながら、アンディはこれまで僕を匿ってもいてくれたんだ」
「じゃあアンディはこの家に来た時から、本当はあなたの居場所を知っていたの?」
「ああ」
……悪事だと気がつくのに遅すぎる。
だけど彼なりに反省し、だから父に殴られた時、抵抗も逃げもしなかったのだろう。
「……アンディから聞いただろう? 僕はあの時怖くて君の死を確かめられなかった。死んだという言葉をまた聞きたくなかった。君と一緒に幸せに暮らしたくて、だから頑張っていたのに……。それなのに君が死んだと聞いて……。世界が終わった気分だった……。なにもかもどうでもよくなって……」
ぎゅっとアルコが抱きしめくる。
「会いたかった……! ずっと君に会いたかった‼」
「わ、私……。あなたが、心変わりしたかと……。信じたくなかった……。だけど結婚すると発表され……」
温もりからまだ彼が自分を愛してくれていると伝わる。あの頃のように愛しい気持ちで泣きながら抱きしめ返す。二人の気持ちは昔のように通じ合っている。だけど……。
「あなたはマレンと結婚したから……。だから私たち……」
「……分かっている。その上で君に尋ねたい」
体を離すと質問される前に、いつも服の下に隠し身につけていたネックレスを取り出し、チェーンに通していた物を見せる。
「これが答えよ」
「それは……」
アルコも同じく服の下からネックレスを引っ張り出すと、チェーンに通していたお揃いの物を見せてくる。
改めてチェーンから外したそれを、お互いの左手の薬指に嵌める。立会人もいない、二人だけの儀式。そう、あの星空の夜と同じ。
私は一度、この指輪を捨てた。だけどどうしてもアルコを思う気持ちが手放せず、また拾ってこうして持ち歩いていた。憎いのに、愛が捨てられなかった……。
「転移魔法の道具は持ってきた。いいかい?」
「ええ」
アンディから話を聞いた家族がドアを開け、私たちを見つめている。複雑そうな表情の三人に笑顔でさよならと手を振り、彼の持参した道具で二人一緒に別の場所へと飛んだ。
家族には後で手紙を書こう。マレンたちも手紙まで手出しできないはず。だけど郵便屋さんにも信者はいるから、別の名前で出した方が良いわね。
これで私たちは法律により裁かれる対象となった。
それでも私たちは同じ指輪を嵌め、共に歩く道を選んだ。それが法を犯す罪人の道と知りながら……。
◇◇◇◇◇
「時間はかかったけれど、やっと法が改正されたよ」
イリスの墓前に花を供える。
「……イリス、僕は思うんだけどさ……。僕は勇者ではなく、なにがあっても夫婦関係が解消できない、馬鹿げた法律を変える立役者に選ばれたんだと思う」
あれからしばらく、アンディに助けられながら二人でひっそりと暮らしていたが、話し合い、騙され結婚してしまった事実を世間にきちんと公表し、二人で法改正を訴えるために戦うと決めた。
勇者であった僕が声を上げたことで、これまで耐えていた人たちも声を上げ、賛同者は想像以上だった。
中には不正な手口で知らぬ間に入籍届けを提出、受理され、それまで会話をしたこともない者と夫婦になった人もいた。そういった人たちは泣き寝入りし別居などで我慢していたが、中には夫婦になった。それだけの理由で一緒に暮らすことを強要される生活を送っている人もいた。
愛し合って結婚したものの、毎日のように暴力を受けているのに逃げられない人たちもいた。
そういう被害者と一緒に、僕たちはさらに声を上げた。
「夫婦関係を解消できる権利を! 望んでいない結婚をした被害者に救済を‼ 騙され結婚させられ一生苦しめる法が、本当に人々のために必要なのか⁉」
これに反対する筆頭がマレンだった。
何年かぶりに対面したマレンは、あんなに柔らかかったはずの髪の毛が櫛を通していないかのように剛毛となって絡まり、穏やかだった目は吊上がって常に辺りを睨みつけ、別人のようになっていた。
姑息な手を使い、自分の愛する人物を手元に置きたい奴らにとって、マレンは扇動者としてまさに打ってつけだった。
「自分の愛を貫いてなにが悪いの⁉ 一緒に暮らし続ければ情も生まれる! 長く続いた文化を否定するの⁉ 世界の皆よ、聞きなさい! 魔王は封印されているだけ! 私は聖女! 特別な力を神より与えられし者‼ この力を使えば、魔王の封印を解くことも可能! 法を犯す罪人の言葉に惑わされる者が増えれば、世界を正すために魔王復活も厭わない! それが私に与えられた使命‼」
虚言を吐き、恐怖から味方を得ようとした。だがアンディたち魔法使いや歴史研究家、さらには宗教家が、魔王の封印を解くことができるのは、魔王自身が力を取り戻した時のみと声を上げ反論した。そこに加勢するよう、僕も声を上げる。
「できるものならやってみろ! また僕が封印してみせる!」
「く……っ」
マレンは実行しない。いや、端からできないのだ。これによりあらゆる手段を用い、相手を支配する本性が知られると、彼女の味方は減り始めた。
それでもなにが事実か分からない人は多く、申し訳ないことに彼らは僕たちに振り回され続けた。それなのに国王はこの問題から目を背け、解決しようとする姿勢を見せようとしない。
なぜなら多くの権力者がマレンのように、無理やり入籍した者が多いからだ。彼らを敵に回したくない国王の本音が見えた。
だから僕とイリスは法を犯している罪人なのに、法廷に呼ばれない。裁判が始まってしまえば、嫌でもこの問題と向き合わなくてはならなくなるから、とにかく逃げの姿勢を貫いた。
そんな何年経っても混乱を静めようとしない姿勢に、多くの者が不信感を募らせた。国王への支持率も下がる。それに焦ったのか、ようやく議題に上がるようにはなったが、いつも結論は出ない。それに業を煮やした僕は、城へ返上した勇者の剣を呼んだ。それだけで岩に突き刺さっていた剣は僕の手元に飛んできた。
「偽り人々を惑わすことを止めろ、マレン! 神に力を授けてもらいながら非人道的な振舞いを続けることには我慢ならない! 国王よ、混乱を静めもせずマレンの虚言を許し、多くの者に混乱や恐怖を招いている状態を放置し、被害者を救済しないというのなら僕に考えがある! この剣を折る!」
神から人間に与えられた、魔王に抵抗できる武器。卑怯だが、僕はそれを人質として利用した。
子孫に武器を与えず人間が滅ぶ世界を目指したいのか! 自分本位の権力者たちと馬鹿げた法律、現在の被害者、そして子孫のどちらを守るのかと国王へ問う。
「ひ、卑怯よ! それでも勇者なの⁉」
ヴァールが非難してくるが、それを言うならお前たちもその勇者の一行。卑怯者なのはお互い様だ。
何年もかかり色々あったが……。やっと今日、夫婦関係が解消できる世界となった。マレンとは偽りの夫婦だったと誰もが知っているので、僕たちは世界初の夫婦関係が解消された二人となった。
マレンは認めないと叫んでいたが……。見苦しい姿だった。彼女はもう僕を愛していない。ただ敗北を認めたくないだけだろう。
ずっと彼女に付き添っていたヴァールとセゲイラは、納得しないと叫ぶマレンの隣で、神から与えられた剣を落とした。彼らは年齢以上に老けこんで見え、二人とも僕たちと戦う以上の心労があったに違いない。
あの日から僕の指には、ずっとイリスとお揃いの指輪が嵌まったまま。埋められた彼女の遺体にも指輪は嵌められたまま。
独り身になれたけれど、君と夫婦になれるのはあの世か……。
「……イリス、もう少し待っていてくれ。きっと近いうち、僕もそちらへ行くだろうから。そこで今後こそ結婚しよう」
まるでそれに返事をするよう、一匹の美しい虹色をした蝶が供えた花に止まる。その羽は指輪に埋まった石と似た色だった。それを見て微笑む。
墓地を出れば大勢の記者が待ち構えていた。
「アルコ様、今のお気持ちを! 騙され愛する女性と引き裂かれ、やっと夫婦関係が解消でき、どのようなお気持ちですか⁉」
「マレン様は認めないと言われ、復縁を望む訴えの手続きを行うと宣言されました。復縁の可能性は?」
「復縁もなにも、彼女と夫婦生活を送ったことは一日もありません。僕が愛しているのは、ただ一人。それはマレンではありません。今も僕の心は亡くなった彼女だけに向けられています。マレンとは、二度と係わりたくありません」
墓地で見かけたのと同じ蝶だろうか。
記者に答える僕の肩に虹色の羽を持つ蝶が舞い降りる。そして指輪の石が太陽の光を浴び、虹色の輝きを放った。
お読み下さりありがとうございます。
こちらは元々「悲恋」をテーマに描き、誤解が解け再会したものの、アルコが結婚しているのでお揃いの指輪を捨てず持ち続け、別れる結末を考えていました。
が、ちょうど後編部分のプロットを書いている最中にいろいろあり、不正や嫌がらせに我慢ならない感情をマレンに置き換え、結末やテーマが変わりました。
作中の指輪の石は、宝石や鉱物好きの方はピンときたかもしれません。
そう、ラブラドライトが元になっています。
私も小さいものですが持っており、それを見ながら作品を書きました。
漢字の変換ミスを教えて下さり、ありがとうございます!
□感想とレビューについて□
令和2年1月21日(火)
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