失恋する前よりずっと
私は、ルイス様に少しの間だけ治癒室の留守番を頼み、アルビレオ様を追いかけた。
わずかに開いた扉からは、少しだけしか見えなかったけれど……あの黒髪と強いまなざしは、確かにアルビレオ様のものだった。私が見間違えるはずがない。
すぐに追いかけたつもりだったのにアルビレオ様の姿はもう無くて、私は辺りを探して走った。廊下にはいないようだから、もう外に出てしまったのだろうか。
(アルビレオ様……よかった、意識が戻ったのだわ。でも、なぜ何も言わず立ち去ってしまったの……)
裏口から外へ出てみると、今日も裏庭には洗濯物がはためいていた。一面広がるシーツの中を、スタスタと移動する黒髪が見える。アルビレオ様がそこにいる。
「アルビレオ様!」
私はシーツ越しに、アルビレオ様の名を呼んだ。その瞬間、アルビレオ様の動きが止まる。
「アルビレオ様、意識が戻られたのですね……!」
サラサラとなびくその黒髪を見ただけで、私は胸がいっぱいになった。
アルビレオ様の意識が戻った。無事だった。こうして、目の前を歩いていてくれる。そんなことで涙が滲むくらいに嬉しくて、思わずそばへ駆け寄ったのだけれど――
「……来ないで下さい」
アルビレオ様はこちらに背を向けたまま、なぜか私を見ようとしない。その上、近付く私を拒絶するかのように声は固く、他人行儀な距離を取ろうとする。
「アルビレオ様……?」
「せっかくルイス隊長と話をしていたのに、邪魔をしてすみませんでした」
そう言うとアルビレオ様は振り向くことなく歩き出してしまった。
「ま、待ってください! 邪魔なんかじゃありませんでした。アルビレオ様のお姿が見えて、嬉しくて私は……」
「ルイス隊長はもうご存知なのでしょう? ペルラが命の恩人であることを」
慌てて呼び止めるけれど、アルビレオ様はこちらの声を聞こうともしない。歩くのがとても早くて、私の足ではついて行くのがやっとだ。
「良かったですね。これでペルラも報われます」
「そ、そんな。ルイス様とは何も……」
「今もルイス隊長と二人きりでしたよね。俺が意識を失っている間に話はまとまったのですか」
(……アルビレオ様?)
もしかしたら、アルビレオ様は勘違いしているのかもしれない。
ルイス様のことを好きだと言っていた私と、命の恩人が私であることを知ったルイス様。私達が二人きりでいたから、何かあったとでも思ったのだろうか。
でもルイス様と特別な関係になるなんてとんでもない。むしろ私は、ルイス様と話したおかげでアルビレオ様への気持ちに気づいたばかりで――
「わっ……」
アルビレオ様のあとをついて歩いていたつもりが、考え事をした途端につまずいて転んでしまった。べしゃりと前のめりに倒れ込んだ私は無様にも泥まみれになる。
泥で汚れた治癒服と自分の駄目さ加減に、ため息が漏れた。
つくづく上手くいかない。アルビレオ様には誤解されてしまうし、なぜか拒絶されているし……私の顔すら見てもらえなくて。
でも、拒絶されてしまうのも当然かもしれない。
アルビレオ様は私を庇って刺され、生死の境をさまようほどひどい目に遭った。なのに私ときたら、ルイス様と二人きりで楽しげにしていたのだ。そんなところを目の当たりにしたら、幻滅されても仕方ない。
「わ、私のせいで、ごめんなさい……」
このまま相手にもされなくなって、もう友人としても傍にいられないのだろうか。
そうなれば、また私は治癒室から外を眺める日々に戻るだけ。今度はルイス様ではなく、アルビレオ様の姿を探す毎日を送るのだ。
ずっとそんな日々を送り、見ているだけでも平気だと言い聞かせていたけれど――アルビレオ様とのひとときを知ってしまった今、きっと私は立ち直れないに違いない。
そう思うと追いすがりたい気持ちでいっぱいなのに、私は突き放されることが怖くて立ち上がることが出来なかった。
そんな私の視界に、ふと愛しい人の影が落ちる。
「……大丈夫ですか」
思わず顔を上げると、すぐそこにアルビレオ様の姿があった。転けた私の前に跪き、手を差し伸べて下さっている。
「アルビレオ様……」
こんな時でも、アルビレオ様はやっぱり優しい。
その手を取ってしまえば、指先からこの想いが伝わりそうで。触れることを躊躇っていると突然、私の手首がアルビレオ様の力強い手に包まれた。
「あっ……」
「ルイス隊長のところへ、戻らなくていいのですか。俺を追ってきてどうするのですか」
強く切なげな瞳が、私を映してくれている。
どうして私は、この瞳に見つめられて今まで平気でいられたのだろう。こうして見つめ合うだけで、気持ちが溢れ出てしまいそうになるのに。
(好き……)
アルビレオ様のことが大好きだ。ずっとこの人と一緒にいたい。できればこんな辛そうな顔ではなくて――アルビレオ様には、笑っていてもらいたい。
けれどアルビレオ様は苦しそうに顔を歪めたまま、私からフイッと目を逸らす。
「早くルイス隊長のところへ戻って下さい。でないと、俺はペルラに酷いことを言いそうになってしまう」
「で、でも、アルビレオ様がお辛そうです。こんな状態のまま、放っておくことなんて出来ません」
「本当に、あなたは――」
不意に、手が強く引き寄せられた。
バランスを失った私の身体はグラリと傾き、アルビレオ様の胸に抱き止められる。
(えっ……)
「すみません……我慢できませんでした」
信じられない。どういうわけか、アルビレオ様に抱きしめられている。
(どうして? 拒絶されているわけではなかったの?)
こんなことになるとは思わなくて、私はカチカチに固まった。私のものなのかアルビレオ様のものなのか分からないけれど、胸のあたりから激しい動悸も聞こえてくる。
「……ペルラとルイス隊長は、本当なら結ばれるのが自然です。それがあなたのためだと分かっているのに、俺はどうしても二人のことを応援出来ないのです」
アルビレオ様の身体から、直に声が響いてくる。その声はひどく熱っぽくて、聞いているだけで頭がクラクラしてしまいそうだった。
私は必死で自我を保ちつつ、建前の会話を続けようとした。
「あの、どういうことですか……?」
「俺は酷い人間なのです。ペルラには報われて欲しいと言いながら、このままルイス隊長に失恋したままでいて欲しいと思っている」
こうしている間にも、アルビレオ様の腕に力がこもっていく。どうしていいのか分からず、私はそのまま身を委ねるしかなかった。
「好きです、ペルラ。俺はあなたのためなら何でもします。だからどうか……ルイス隊長のものにならないで下さい」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
私は混乱した。いや、抱きしめられた時から混乱はしていたけれど、さらにわけがわからなくなった。
アルビレオ様には、好きな方がいたはずだ。それで私も同じ失恋仲間として、仲間意識を持ったりして……
「アルビレオ様には、好きな方がいらっしゃったのでは……?」
「好きな方?」
「失恋したと仰っていたではありませんか! 失恋してもまだ忘れられない方がいらっしゃると」
「そうです、ペルラのことです。あなたがルイス隊長を想っていると知ってからも、諦めるなんて出来ませんでした」
「わ、私のことだったのですか!?」
「ええ。失恋する前より、ずっと好きです。ペルラがルイス隊長の恋人になるなんて、俺には耐えられそうにない」
アルビレオ様の力はどんどん強くなって、もう抜け出せないほどぎゅうぎゅうに抱きしめられてしまっている。
混乱する頭で、私はこれまでのアルビレオ様を思い返した。友人にしては過剰なほど大事にされていたのも、こんな私をいつも肯定して下さっていたのも、好きでいて下さったからなのか。
納得すると同時に、身体がカッと熱くなった。擦り寄るように抱きしめられ、息の仕方も忘れてしまっている。
「ペルラ、俺の恋人になって下さい」
「こ、恋人……私が、アルビレオ様の恋人!?」
「きっと、あなた好みの男になれるよう努力します。ルイス隊長に近付けるように頑張りますから……どうか俺を好きになって下さい」
「好きです! もう好きです。だから少しだけ休憩させていただけませんか……!」
息も絶え絶えにそう呟くと、アルビレオ様は急に私の顔を覗き込んだ。おかげで一瞬だけ、腕の力が緩んでくれたような気がする。
「……ルイス隊長ではなくて、俺を?」
「そうです。私、アルビレオ様が好きです。ルイス様のようでなくても、そのままでいいのです。何もしなくても、そのままのアルビレオ様が私は……」
「本当に……?」
アルビレオ様は、信じられないとでも言うようにその瞳を瞬かせている。
「本当に本当ですか? 後でやっぱり違ったと言っても、俺はもう離せません」
「ほ、本当です。アルビレオ様のことが大好きです。ただ、いきなり恋人というのは心の準備がまだ――」
「ペルラ……!」
満面の笑みを浮かべたアルビレオ様は、私の身体を再びきつく抱きしめた。
苦しくて、また息が出来なくなってしまった。けれど、アルビレオ様の笑顔がとても嬉しくて――私は腕の中から逃れることを諦め、その背中をきつく抱きしめ返す。
「ありがとうございます、ペルラ。一生大切にします」
アルビレオ様の嬉しそうな声が、胸にじんわりと沁みこんでいく。
その声に、私は一生分の幸せを約束されたような気がした。
次回、最終話となります。
いつも投稿にお付き合い下さり、本当にありがとうございました!とても嬉しかったです。




