二人の帰り道
あっという間に日は落ちて、あたりはもう薄暗くなっていた。
城の裏口から城壁の内側に沿って歩けば、やがて女子従業員寮へ辿り着く。私とアルビレオ様は、寮までの道のりを二人で歩いた。
「……こんなに暗い中、いつもひとりで帰っているのですか」
「ええ、基本的にはひとりです。寮へ帰るだけなので」
「危険ではありませんか。もし怪しい人物がいてもこれでは分からないではないですか」
アルビレオ様は辺りを警戒しながら、心配げに呟いた。
確かに灯りは全く無く、城の窓からこぼれる灯りもここまでは届かない。日が落ちれば月明かりを頼りに帰るしかなくて、普段この通路を利用しないアルビレオ様には色々と気がかりなのかもしれなかった。
私にとってはいつもの帰り道なのだけれど。
「あまりそのように考えたことはありませんでした。皆ここを通って帰りますし、城壁の内側なので安全かなと思いまして」
「くれぐれも気をつけて下さい。毎回こうして送り届けられたら良いのですが、そうもいかないので。ペルラに何かあれば、俺は――」
「大丈夫ですよ。いざとなれば、城に助けを呼べる距離ですから」
アルビレオ様は相変わらず過剰に心配してくれる。私はそんな彼を安心させたくて、微笑んでみせた。
「それに私に興味のある奇特な方もいらっしゃらないでしょうし」
マルグリット様のように美しい方ならまだしも、私のように存在感の無い地味な人間をわざわざ狙う人なんていないだろう。
そのことも安心材料の一つになればと思い口にしたのだけれど、アルビレオ様はさらに眉をしかめてしまった。
「……ペルラ。もっと自分を大切にして下さいと、そう伝えたつもりだったのですが分かっていますか?」
「あ……す、すみません。つい」
「あなたは誰から見ても魅力的な女性です。そこをお忘れなく」
アルビレオ様は、私の自虐めいた言葉を聞き流さなかった。きっぱりと『魅力的な女性』などと言われ、思わず頬が熱くなる。
私は暗い夜道に感謝した。こんなに赤くなった顔は見せられない。
「私のことをそんなふうに言って下さるのは、アルビレオ様だけです」
「いいえ、きっと俺だけでは無いはずです。このあいだのパーティーでも早速絡まれていましたし、第二治癒室に来る男達の中にはきっとあなたに想いを寄せる者もいるでしょう。ペルラはもっと自覚すべきです、何かあってからでは遅いのですから――」
そこまで言って、アルビレオ様は気まずそうに顔を背けた。
「――すみません、また説教くさくなってしまいました」
「い、いえ」
「でも、今日のように分け隔てなく治癒するペルラの姿を見ていたら本当に……心配になるのです。男が期待してしまいそうで」
「期待?」
(なんのことかしら……)
私は治癒師で、患者さんを治癒することが仕事だ。身体に不調があれば老若男女関係なく治癒魔法をかけるし、誰かを特別扱いしているつもりもない。そうすることが治癒師として当たり前だと思っているけれど、アルビレオ様はその様子に心配してしまうらしい。
「期待させるようなことは、何もしていないはずなのですが」
「……ですが今日は、手を握っていました」
「手を握って……? もしかしてブルーノさんのことですか?」
アルビレオ様はどこからか、手当ての様子を見ていたらしい。あの時はトゲを抜くことに集中していただけなのだけれど、それを勘違いしているようだった。
「すみません、つい見てしまって。ペルラがずっとあの方の手を握っていたので、あれでは期待されてしまうのではないかと」
「あれは……手にトゲが沢山刺さってしまっていたので、抜いていただけなのですよ。ブルーノさんに期待されるようなことはしていません」
「トゲ?」
「はい、もうそれは手のひら一面にビッシリと。ずいぶん時間がかかりましたが、なんとか綺麗に抜くことが出来ました」
「そ、そうだったのですか……てっきり、手を握り合っていたのかと」
私の弁解に、アルビレオ様も納得して下さったようだ。リンゴの袋を抱えたまま、アルビレオ様は「すみませんでした……」と恥ずかしげに頭を下げた。
「……俺は無意識に嫉妬をしていたのかもしれません」
「嫉妬? ブルーノさんに、ですか?」
「そうです。ブルーノさんだけではありません、ペルラの治癒魔法を受けた皆に嫉妬を」
話しているうちに寮の灯りが見えてきた。
アルビレオ様は話を続ける。
「ペルラは皆に容易く治癒魔法をかけるでしょう。それが妬ましくてたまらないのです。でも城の決まりがある以上、騎士である俺はペルラの治癒魔法を受けることが出来ない。ルイス隊長はペルラに治癒してもらえたのに」
まさかアルビレオ様がそんなふうに思っていたなんて気付かなくて、私は気の利いたことが何も言えなくなってしまった。
「ペルラに治癒してもらうことは、俺の夢です」
「そんな大袈裟な……私の治癒魔法なんて普通でしょうし」
「普通なんかじゃありません。特別ですよ、俺にとっては」
寮の手前まで送って下さったアルビレオ様は、「では、また」と言って去っていった。
去り際に渡されたリンゴの袋がずっしりと重い。
(特別……特別ってどういうこと? 友人として? 恩人として……?)
私は思わず、アルビレオ様の『特別』という言葉を反芻した。
友人としてルイス様の恩人として、大事にされ過ぎている自覚はあった。でも、今日のように『特別』だと言葉にされたのは初めてだったのだ。
あんなふうに嫉妬をぶつけられたら、私こそ勘違いしてしまいそうになる。
アルビレオ様には好きな人がいるはずなのだ。失恋しても忘れられないくらい、大切なお相手だ。いくら私のことを特別扱いして下さっているからといって、勘違いするわけにはいかない。
(私は友人……友人として……!)
私は精一杯深呼吸をしてから寮へと歩き始めた。平常心を取り戻すためだ。
そうして暗闇に背を向けたところで、後ろの木陰からガサリと足音が響いた。
「ペルラ・アマーブレさん」
私を呼び止めるその声は、聞き慣れないものだった。
上品な、女性の声だ。あちらは私のことを知っているようなのだけれど、薄闇のせいで目を凝らしてもハッキリとその姿が分からない。
「ど、どちらさまですか……?」
私が声をかけると、相手はこちらへ歩みを進める。
徐々に近付くその姿には見覚えがあった。ついこの間、街で見かけた。マルグリット様の隣で、優しげに微笑んでいたあの侍女だ。
「フェメニー伯爵家のドラと申します。こんばんは、ペルラ様」




