一日の終わりに
アルビレオ様と街へ出かけた日から数日後――
その日は朝から目が回るような忙しさだった。
「失礼します――あ、今日は混んでますね?」
「こんにちはアルビレオ様。すみません、ただいま取り込み中でして……!」
「いえ、こちらこそこんな時にお邪魔してすみません。出直します」
たまたま顔を出したアルビレオ様が驚いて出直すほど、治癒室は患者さんで溢れかえっていた。いつも閑散としている第二治癒室にしては珍しく、部屋にある椅子も満席だ。
それぞれの症状としては切り傷だとか腹痛だとか、軽い治癒魔法で治せるものばかりだったのだけれど、どういうわけか患者さん同士でタイミングが重なってしまう時がある。
まさに今日はそんな日で、立て続けに患者さんが舞い込んで――私はアルビレオ様のことを気にかける余裕もないくらい必死だった。
中でも最後に並んだ患者さん、造園技師のブルーノさんには途方に暮れた。
今日はサボテンという南国の植物を扱っていたそうなのだけれど、誤って触った際にトゲが刺さってしまったらしい。
ブルーノさんが駆け込んできた時、その大きな手のひら一面には、細かなトゲがびっしりと刺さっていて。
慌ただしい中で、私は未知との遭遇に頭を抱えた。こんなにトゲのある植物を見たのは初めてだったし、無数のトゲが刺さった肌を治すということも初めてだったのだ。
刺し傷なら治癒魔法で治せるけれど、刺さってしまっているトゲ自体は私でも一本一本取り除いていくしかない。ピンセットでちまちまと……気が遠くなるくらい、このトゲを抜き続けた。
その甲斐あって、トゲはようやくあと少し。抜き終われば治癒魔法もかけられる。
「ごめんねペルラ。こんなことになってしまって」
トゲに苦戦する私に、ブルーノさんは何度も頭を下げた。
でもブルーノさんは、こんなにたくさんのトゲが刺さったまま、混み合う治癒室で待ってくれていたのだ。きっと痛みを我慢し続けながら……私こそもっと早く治してあげられたらと申し訳なく感じていた。
「いえ、私こそ手間取ってしまってすみません……お待ちいただいている間、ずっと痛かったでしょう?」
「手間取るだなんて、そんなこと思うもんか。いつも丁寧に治癒してくれて、ペルラには本当に感謝しているんだ。今日だってペルラがいなかったら、僕はトゲだらけの手で過ごす羽目になっていたよ」
私は、思わずトゲだらけの手を思い出した。
あれでは何も触れない。
「それは……悲惨ですよね」
「だろう?」
優しいブルーノさんから、逆に励まされてしまった。おかげで、やっとお互いに笑顔が戻る。
二人で気楽に世間話をしていると、ようやくトゲも抜き終えた。仕上げに手のひらへ治癒魔法をかけて肌の腫れを治すと、今日最後の患者さんであるブルーノさんは晴れやかに去っていった。
怒涛のように押し寄せた患者さん達の手当てが終わり、第二治癒室に数時間ぶりの静けさが戻る。
つい先程まで陽が差し込んでいた気がしたのに、もう窓の外は夕焼けだ。いつの間にか退勤時間も迫っていた。もうすぐ、夜間担当の治癒師も交代でやってくる。
(そういえば……アルビレオ様も来てくれていたのだわ。何か用事でもあったのかしら)
一人きりになった私はやっと、アルビレオ様のことを思い出した。患者さん優先のため仕方がないとはいえ、せっかく来てくださったのに追い返してしまった。
急に一人になったせいだろうか、アルビレオ様とゆっくり話せなかったことがなんとなく寂しい。
追い返しておいて寂しいだなんて言う資格もないのだけれど、今日はもうアルビレオ様に会えないのだなと思うと、蓄積された疲労感のようなものがずっしりとのしかかって私の心を重くした。
また今度、来て下さるだろうか。その時に今日のことを謝ろうか。そんなことばかりを考えていたら、無意識に窓の外へ目がいった。
騎士団本部の前は、今も人の出入りが絶えない。アルビレオ様の姿を探してはみたけれど、そんなに都合良く見つかるはずもなく……やっぱりもう帰ってしまったのだろうと諦めたところで、治癒室の扉がノックされた。
「ペルラ、まだいますか」
「アルビレオ様……?!」
扉の向こうから現れたのは、もう帰られたかと思われたアルビレオ様だった。
出直すとは仰っていたけれど、まさか今日のうちに来て下さるなんて思ってはいなくて、気持ちの準備が追いつかない。
「あ、あの、先程はすみませんでした。せっかく来て下さったのに、追い返すようなことをしてしまって」
「いえ、忙しい時に邪魔をしてしまったのはこちらです。渡したい物があったのでつい来てしまって」
「渡したい物ですか? なんでしょう?」
よく見てみると、アルビレオ様は紙袋を抱えていた。
両手で抱えられているそれは、ずっしりと重そうだ。
「これ、リンゴなんですがペルラにもどうかと思いまして」
「こんなにたくさん……! どうされたのですか?」
「実は、放浪癖のある兄が地方から大量に送ってきまして……屋敷にはまだまだ沢山あるのです。よろしければ、ペルラも貰ってはくれませんか」
紙袋の中には、赤く艶々としたリンゴがゴロゴロと入っていた。ほのかに甘酸っぱい香りがして、とても美味しそうだ。
「私がこんなにいただいてよろしいのですか?」
「もちろんです。ご迷惑じゃなければ」
「迷惑だなんてとんでもない! ありがとうございます、嬉しいです!」
リンゴは好きだし、こんなに沢山いただけたこともありがたかったけれど、わざわざ私のために用意して下さったことが何よりも嬉しかった。思わず頬が緩んでしまう。
「リンゴ大好きなのです。今日は我ながら頑張りましたし……寮に帰ったら、さっそくひとついただくことに決めました」
「今日は随分と大変だったようですね。大丈夫ですか」
「ええ。つい先程までは一日分の疲れがのしかかっていたのですが――」
そこまで口にして、私は不自然にも口を噤んだ。
紙袋を抱えたままのアルビレオ様が、不思議そうな顔をして言葉の続きを待っている。
でも――「アルビレオ様とお会いしたら元気になりました」なんて、そんなこと言えない。
元気になったのは本当だ。つい先程までズンと重かった心が、アルビレオ様と話しているうちにふわふわと軽くなっていた。まるで今日の疲れがすぅっと抜けていったかのように。
けれど、そんなことを口にしたら、たとえアルビレオ様相手といえど引かれるかもしれない。アルビレオ様もかなりストレートに気持ちを伝えてくださるけれど、実際に友人としてどこまで許されるのかは分からない。アルビレオ様には好きな方がいらっしゃるのだし。
「――疲れてはいたのですが、少し休憩したらマシになりました」
「そうですか……良かった」
変に意識してしまって、結局は当たり障りのない言葉でごまかした。そんな私を疑うことなく、アルビレオ様は優しく微笑んでいる。
さらには、アルビレオ様が「重いでしょうから」とリンゴを運んでくださることになった。
アルビレオ様のおかげで、私の疲れは完全に吹き飛んだ。
リンゴは口実ですね…




