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身代わり少女の生存記  作者: K.A.
前日譚:初等部3年
64/88

傘でかくす①

「あ、雨だ……」

 授業の終わり。日直の仕事をこなしていたスピカは、いつの間に学園を覆い包むように降りしきる雨の存在に気づいた。いつの間に降り始めたのか、日直簿を必死になって書いていたから気づかなかった。

 日光が厚い雲に遮られ、どこか薄暗い教室。窓の外では大粒の雨が断続的に落ちていた。しばし見つめて、次の瞬間には自分が傘を持ってきていなかったことに気づく。

(…………)

 これはまずい。一応自分のカバンを探ってみたけど見つからず。いくら寮住みであると言っても少し距離がある。小雨とは言い難い天気の中そこまで歩いて行ったら、濡れネズミになるのは避けられないだろう。

 こういう時、カペラやベガなど友人であれば寮に駐屯させている使用人に迎えに来てもらうのだろうが(もしくは朝の段階で鞄に傘を忍ばせてもらうのだろう)、あいにく自分にはそんな存在はない。自分の庶民感覚では当たり前のことだが、こういう時ばかりは当主の申し出を断った自分が憎い。

 少し待てば雨は弱まるだろうか、それとも今さっき降り始めたばかりなのだろうか。雨を降っていることすら今さっき気づいた自分にそれを判断することは困難極まりない。

 でも、今の時点でかなりの大雨である。これが弱くなることがあってもこれより酷くなることはなさそうだ。スピカはそう判断すると、書き終えた日直簿を閉じて、ゆっくりと立ち上がった。さっさと教員室に提出してしまおう。


ーーーーー


「あら、アジメクさん。今帰りですか?」

「ミラ。うん、日直の仕事で」

「なるほど、お疲れ様です」

 教員室に向かう途中でミラに出会った。彼女が出てきた方の廊下の先には美術室や音楽室などの特別教室しかないので、音楽室でピアノでも弾いていたのかもしれない。話をふると、「だから雨が降ってきたことにも気づかなくて」と少し照れくさそうに頷いた。しかも奇遇なことに彼女も傘がなく、迎えに来てくれる使用人もいないと言う。

「教員室で傘の貸し出しをしていると聞いたことがあるので来てみたんです」

 それはいいことを聞いた。自分も傘を忘れたことを話すと、目的地まで一緒に行くことになった。

「そういえば、ミラはハトダンだよね?総合優勝おめでとう」

「ありがとうございます。ハトダンの優勝はずいぶん久しぶりでしたので、グランマ(OB・OG)もお喜びでした。やはり組体操で一位を取れたのが大きかったですね」

「いやー、うちも今回は組体操一位を目指してたのに。完敗だったよ」

「ふふ、うちは美しさでは他に負けませんよ」

 彼女はくすぐったそうに、しかし自慢げに言った。どこの団も自分の団を自慢したくて堪らないので、隙さえあればすぐにこうなる。私は少しも悔しさを隠さずに、しかしもう一度「おめでとう」と返した。

 そう、私たちクロダンは結局組体操で一位を取れなかった。あれだけ策を巡らせ、私は生徒会役員にまでなったのに、普通に負けた。悔しすぎる。そして格好悪すぎる。

 しかし、結局優勝したのが、例のサンデュルーク先生が顧問を務めたダイダンじゃなかったことは、生徒間で結構な波紋を呼んだ。ついでに昨年度までとは違う採点方法についても。

 カイとかはその時点で「良かったじゃないか、これで来年はうちの団が優勝するかもしれないしな!」と嬉しそうにしていたが、ここまでやったのだから優勝したかったのが本音である。

 特に参謀であるアンカーやその相棒であるバーナードはかなり苦い顔をしていたし。……あと、彼ら二人に関しては最近団内での女子に距離を置かれている気がするのだがどうしたのだろうか。いじめか?そしてその事象について同じ女子である私がその理由すら知らされていないのだけど、どういうことだろうか。ハブか?

「ちなみに、今回のことにクロダンは関わっているんですか?」

 ふと、ミラはイタズラっぽい笑みを浮かべて聞いた。今回のこととはつまりは採点方法の変更のことで、もちろんその答えは文句なしにイエスである。

「……なんのこと?」

 したがって私は白々しくしらばっくれた。

 もちろん理由は、そんな策を巡らせ暗躍したのに、優勝できなかったからである。



「あるにはあるが、残り一本しかない。……というか、そもそもこの季節柄雨が多いことぐらい分かるだろう。朝の時点で雲がかかってきていたのだから用意を……」

「あ、ありがとうございまーす!二人でこの傘に入りますので!大丈夫です!」

 職員室に残っていたのは案の定スバル先生で、長くなりそうなお説教を頑張って遮って傘を奪って逃げる。戸惑って立ち尽くすミラの手を引いて走り出せば、スバル先生の「廊下は走るな!」という声は追いかけてくるが、本人は追いかけては来なかった。

「……ここまで来れば、もう大丈夫かな」

「……」

「あ、ミラ、大丈夫?ごめんね腕引っ張って。痛くない?」

 私は咄嗟に慌てて彼女を見ると、彼女はキラキラと笑っていた。

「大丈夫ですよ。アジメクさんって意外と不良さんなんですね」

「そ、そうかな……」

「えぇ。スバル先生にあんな口を聞いて!びっくりしました」

「え?ま、まあスバル先生あんな感じでいて意外と優しいところあ……いや、なんでもない!まあ大丈夫でしょ!同じ人間なんだし!」

「ふふふ……!急に雑になりましたね!」

 彼女は中々笑いが止まないみたいで、私は少し恥ずかしくなった。でも彼女の笑い声は歌声ぐらい綺麗で、ずっと聞いていたくなるくらいだったから何も文句を挟まなかった。

 彼女が体全体を使いながら笑い転げると、まるで大きな金管楽器が曲を奏でるようになる。彼女のフワフワとした金髪もその印象の一因となっているのかもしれないけど。


「え、何やってんの?」

 だからそう声をかけられた時、人気のない廊下に新たな人物が現れた驚きと共に、この至高の時間を邪魔されたことに少しムッとした。

「アル…………」

「え、なんでちょっと不機嫌なんだよ、アジメク」

「別にー」

「なんだよその顔は」

 その相手はアルで、私は不機嫌に答える。彼は怪訝そうだが、少し困ったようにしながらも、私の機嫌を取る気はあるようでポケットから飴玉を取り出した。いや、子供じゃないんだからそんなので機嫌は直らないし……いや、まあくれるなら食べるけど……あ、美味しい……。

「それで、どうしたんだ?こんな時間まで残って」

 アルが、飴玉に口腔内を占領された私ではなくミラに尋ねた。

「はい、アジメクさんは日直で、私は音楽室でピアノを弾かせてもらっていたんです。アルさんは?」

「僕は先生に頼まれごとをして少々残されていた。まあ今日は寮に帰っても暇だったから良かった」

「あら、最近忙しそうにしていましたのに」

「あぁ。兄に出す書類の提出期限が昨日まででな。仕事がなくなったから先生に仕事をもらっていた」

「…………(アル、仕事してなきゃ死んじゃいそうだな。今の歳からワーカーホリックか?)」

「アジメク?何か言いたそうな顔だな」

 じとっとした目線に首を振る。なんで分かるんだよ。

「それで、私たちは今から帰るんですけどアルさんはまだ仕事がありますか?」

「いや、頼まれていたこともひと段落して、先生からも『もう帰りなさい』と言われたところだ」

「あら、それならちょうどいい」

「は……?」

 何やら楽しそうなミラの言葉。その直後に感じる背後からの衝撃。いや、衝撃というにも優しい、トンって背中を押されたくらいのものであったけど、私はまんまと前方によろける。そして次の瞬間温もりに飛び込んだことに気づいた。温もり、というかまんまアルの胸だったけど。

 少し目線を上げるとアルが思っていたよりも近くて、脊髄反射のように体温が上がるのを感じる。アルも驚いたように目を丸くした。

 次にそのままミラの方をむくと、彼女は至極楽しそうに私たちを見て笑っていた。

「実は、アジメクさんが傘を忘れたみたいで。アルさんの傘に入れてもらえませんか?」

「……え?あ、あぁ、それはいいけど……」

「私の傘でもいいのですが、私の傘は小さいので二人は入らないかもしれなくて」

「…………」

 そう言いながら、さりげなくミラは手元の傘を隠す。まあ、職員室で借りた傘は成人用なので普通に大きなサイズ。もちろん嘘だった。

 しかし彼女のイタズラっぽい笑みを見てその真意を悟る。まあ、四月ほどではないけど、今年度に入ってからはアルとセットで「こういう」気の使われ方をされることが増えた。

 アルもそれには気づいたようで、近くにいる私にしか気づかれないくらい小さく「はぁ」とため息をついた。まあそうだろう。こういうことで気を回してくる人たちは全くもって悪意も利用してやろうという打算もないのだ。

 そしてついでに何を言っても譲る気がないのだ。

「…………」

「あ、あら!こんな時間!私はお先に帰りますね!アルさん、アジメクさんをよろしくお願いします!」

 彼女は再び歌うようにいうと、私たちに背を向けて走り出した。私とアルはそれを諦念を込めて見送る。

「…………」

「…………」

 私はガリっと飴を噛み砕いて、飲み込んだ。そしてアルに声をかける。

「傘忘れたから入れて」

「……いいよ」

 アルの声はすごく疲れていたが、これは先生に頼まれた仕事のせいだということにしておいた。


ーーーーーー


 校舎の外では、「しとしと」なんて可愛らしい雨の振り方はしていなくて、割と「ドシャバシャ」「ザーザー」というような大粒の水滴が地面を打っていた。多分この雨だと傘をさしても足元は濡れるだろう。私は屋根の外に出る前からゲンナリとした。

「ほら、行くぞ」

 アルは私を振り返った。その顔は、先ほどまでの気まずさをどこかにとっぱらった、こんなこと友人に言うのは気が引けるが、どこか散歩前の犬のような顔をしていた。

「……雨、好きなの?」

「なんでわかったんだ?」

「…………」

 私はその質問に答えず、とっとと傘の中に忍び込んだ。


 傘の中は想像以上に狭い。というかアルとの距離が想像以上に近い。これが相合傘か。……確かに、これはロマンス小説でよく使われる題材なだけある。

 肩が触れそう、と言うのもあるし、なんとなく、傘で視界が狭まられている分、隣にいるアルの存在が視界に入りすぎて戸惑う。……どこ向けばいいのか分からなくなる、みたいな。

 まずいな、すごく、恋愛脳みたいだ。すごく気まずい。

 先ほどからアルも少し口数が減っているのもよくない。あと時折肩が触れ合って、お互いに「あ、ごめん……」みたいなやり取りをするのも。なんか、非常によろしくない。

 非常に、友達に戻れなさそうで、よろしくない。

 別に手を繋いでいるわけでもないし、シルマくんとかはもっと距離が近かったりするのに、こんなに恥ずかしくはならなかった。こんな気持ちにならなかった。

 これはまずい、非常にまずい。

 私の中のカペラちゃんが「それは!恋!」と書かれたプラカードを掲げている。反対側でベガが「うーん、錯覚かも!」と書かれた掛け軸を掲げているのでバランスが取れているが、いつベガがカペラちゃんの上目遣い攻撃に破れるのか分からない。

 私は彼女の友人だから知っているのだ。ベガが隠しているが可愛いもの好きであると言うことを……!

「アジメク」

「う、うわぁ!なに⁈」

 急に声をかけられて驚く。「ごめん、ぼうっとしてた」と慌てて付け加えると、「そうみたいだな」とアルは呆れたように笑った。そしてそのまま、私の動揺に気にせず続ける。

「そういえばなんだけどさ、僕たち、婚約の話があっただろ」

「えっと……?」

 頭が回らないからか知らないが、彼の言葉に私の脳みそがフリーズする。話題が頬の火照りの原因に関係のないこともないものだったので、余計に戸惑う。

 婚約。……婚約?結婚の約束だよな、婚約って。……してたっけ?してたのかな?確かに私は筆頭公爵家令嬢で、アルは第二王子。家柄的には順当か?当主様からそのような連絡は来てないけど。しかしここで全く知らないふりするのも不自然だろうか。

 私はとりあえず、なんだっけそれ、と言う表情を引っ込め「あ、あー、あったわね、そんなこと。うん」と平然と返す。

「……覚えてないなら覚えてないってちゃんと言えよ」

「ごめん、覚えてない」

 彼は私の頭に当てるだけの手刀を入れた。全く痛くないけど彼の言いたいことは分かる。でも全く記憶にない。

「まあ、いいよ。入学前の話だし」

「あ、入学前……。あー、入学前……!」

 私は思い出した、と言うよりも記憶にない原因に思い至った。入学前ならば多分この婚約の話が持ち上がったのは本物の「アジメク」とのことである可能性が高い。それならば偽物の私への報告は、あの詰め込み教育と一緒に行われた可能性が高い。覚えてられないのも仕方がないだろう。

「思い出したか?」

「いや、正直全くだけど。……それで、なんで今更そんな話するの?」

 話しているうちに本調子を取り戻してきて、私はアルの顔を見て言葉を返す。少なくとも私に入れ替わってからはそんな話が出る様子がなかった。つまり婚約は結局成されなかったと言うのが正しいはずだ。だからこそ疑問を抱き彼の顔を見る。

 そして、言葉を失った。


 彼は、私を見て優しい顔をしていた。

 嬉しそうな顔をしていた。可愛いものを見るような顔をしていた。愛おしいものを見るような顔をしていた。

 なんとなく、その顔を見た瞬間私はどうにも心臓の場所がおかしくなって、耳の奥に移動してしまったみたいだった。そして妙に座りが悪くなって、傘の外に逃げ出したくなった。流石に外の雨の中に飛び出す勇気はないけど。せめてもと目を逸らしてしまいたいけど、アルの火傷しそうなくらいの瞳から目を背けたら、それこそとんでもないことになってしまいそうで怖かった。

「その婚約は、今どうなってるか知ってるか?」

「し、知らない……」

 私は彼の問いかけに金縛りから解けたようになって、必死に言葉を返す。情けない声音になったのはご愛嬌だ。どうか気づかないでほしい。

「保留になってたんだ。約二年間、いや、もう二年半かな。それをこの前、母親が掘り返そうとしていた」

 掘り返す。その意味をぼんやりと考える。掘り返す、つまりは婚約についての話を、……掘り返す。掘り返す、とは……?私の頭の中でハチサくんが落とし穴を掘っていた。

「掘り返して、どうなったの?」

 私は想像の中できっちりとシルマくんを落とし穴に落とすと、アルに向き合って問いかけた。そして彼は言った。とてもはっきりと。

 それは雨の中で言われたことだったけど、とてもとても、よく聞こえた。


「クズ……兄貴に頼んで、話はなしにしてもらったから安心しろ。大丈夫、僕はアジメクとは絶対に結婚しないから」



 気づけばもうその時点で、男子禁制の魔法がかかった女子寮のギリギリまで送ってくれていた。そして言いたいことを言い終わった彼は風魔法で雨よけの簡易的な傘を作って傘の中から脱出する。

「じゃあ、そう言うことだから。しばらく母親からなんか声かけられるかもしれないが気にしなくていいから」

「えっと……分かった。まあ反抗的って言われない程度に避けるよ。そういう政治的な駆け引き苦手だし」

「ごめんな、頑張ってくれ」

 多分、本当はその雨よけの魔法で彼は最初から相合傘なんてしなくてもよかったのだろう。ただ単にこの話をするためにミラの茶番に乗ったと言うところか。

 と言うかあの魔法私知らないのだけど。明日教えてもらそう。


 私はそんなことを思いながら一歩、寮への道を進む。どこか結界(効果:男子避け)に守られているのを感じながら一歩一歩。

 雨で靴が濡れる。アルと同じ傘に入っている時には気にならなかった不快感が襲ってくる。雨足が心なしか強まった気がした。

「あら!アジメクさん!どうでしたか?」

 そのままゆっくり歩いていると、前方から私の到着が待ちきれなかったのか、ミラがわざわざ雨の中歩いてきた。私は先に先に帰ったことや、二人で借りた傘を独占したことなどを軽く文句を言いながら彼女に近づく。そして自然に傘を顔を覆うように傾けた。

 寮に着くまでにこの顔をどうにかしなければ。でも少なくとも、傘が量産品の透明なものではなく、しっかりとした生地の紺色のものであったことに感謝した。

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