結局は権力
さて、皆さんは一年の演技「伝統ダンス」におけるクロダンの伝統を覚えているだろうか。そう、男装女装だ。
これがまた、外面とか動きにくさとかでやってる方は大変なのだけど、見ている分には随分愉快だ。特に男の子の恥じらいと女の子の「はしたない……」という顔が愉快でたまらない。こうしてクロダンメンバーは絆を深めはっちゃけていく。
そしてこの伝統はシルマくんにも例外なく。
「マジっすか……?」
「まじね」と私。
「冗談っすよね?」
エニフ先輩が否定した(ように見えた)。
「…………」
大変質の良い絶望顔を浮かべるシルマくんに、悪い先輩たちは肩を震わせて笑うのだった。
「まじか……マジかー……」
「いつまで言ってるの。さっさと着替えなさい」
「わかりまし……いや今日はもう練習ないじゃないですか。見たいだけっすよね」
ちっ。引っ掛からなかったか。一着拝借してきた女装用制服を押し切る。
「もちろん」
エニフ先輩はカメラを構えた。
「ぜってえ着ねぇ……」
かわいそうだが仕方がない。これがキューティーでプリティなクロダンである。
「じゃあ私は帰りますね」
エニフ先輩が首を傾げる(ように見える)。シルマくんも「え?」と声をあげる。クロダンの練習時間自体は終わったがまだ自主練できる時間でもある。当たり前のように練習に付き合ってもらう気でいたシルマくんの頭を撫で回す。
「シルマくん、君には少し前に言ったわね。権力なんて関係ない、学園にいる限りは私たちはただの先輩後輩だって」
「……えぇ。そうですね」
「あれ、撤回で」
「は⁈」
「権力フル活用してくる!なぜならそれが一番早いから!」
「はぁ⁈あんた……!まだ一話分しか経ってないんですけど⁈」
「結局は権力だったわー」
と言うわけで今回は貴族大好き手回し編である。ある意味オリダン準備編でもあるのだ。
「なるほど……。さすがクロダン、面白いこと考えるね。そんなことできたら、すごい楽しいと思う!」
肯定から入るのはカペラちゃんの良い癖だろう。言われた私も気分が良くなってくる。まあ、そんな褒め言葉だけでは終わらないだろうというのは予想できていたけど。
「でも、これは無理かな」
ハート団、副リーダーにして二年生のトップを務めているカペラ・アダーラ侯爵令嬢は冷たい笑みで言った。情け容赦なく。
団長というのは団の長である。まあ団長という表記は正確には正しくなく、公式では「リーダー」と呼ばれている。ちなみにこれを採用しているのはスペードだけで、うちは「団長」「副団長」、ハトダンは「マザー」「シスター」、ダイダンは「キャプテン」「副キャプテン」。このような個性強い名称になったのは特に後者二つには深い深い理由があるのだが、それは置いておいて。
ここで重要なのは名称ではなくその人間が団で一番偉い人であるという事実。つまりうちみたいな変な団ではない限り団長というのは三年生で一番権力のある家の子息、副団長は二年生の中で同様に。そうでないと団員も誰の顔を伺えばいいのかわからなくなるからという情けない理由でそうなっている。そんな「家名関係なく」という学園の信条に相反した決まりに、一番恩恵を受けているのは今日に限り私たちだろう。
なぜなら二年の長、副団長みんな知り合いなのだ。というか友達どころかハトダンはカペラちゃん、スペードはアル、ダイダンはカノープスと手の内を知り尽くしている人間しかいない。そのため自然の交渉につく外交組は私・ベガ、リゲルとなった。
副リーダー、ハトダン内では「シスターカペラ」と呼ばれている彼女は、私のことを気遣わしげに見た。
「私たちは多分すごく楽しいよ。妹たちに聞いても賛成してくれると思うの」
ここでの妹とは他の団員のことだ。
「そしたら、三年生?」
「いいえ、お姉様方も別に気にしないわ」
「え、そうなの?」
「うん」
私はそこで少し拍子抜けした。実は、ハトダンの二年生の主要な人間には既に話を通していた。なので今日は三年生に説得へ行くためのパイプを貰おうと思ったのだが。
「彼女たちはハトダンの看板に相応しく、美しくあれば構わないもの」
「なるほど」
それはそれで納得だ。ハトダンは男女問わず美を求め、美に求められることを信条としている。正直その意味はよく分からないが、彼らの美学に沿った演技ができればそれでいいのだろう。
しかし厄介なことになった。そうなると、障害になりそうな要素は一つ。それは私が容易に手が出せないもの。
「そうなると、OG・OB?」
「うん。グランマ達(OG・OB)が黙っていないわ。彼女たちは会場には来ないの。だから聞くのは結果のみ」
そうして私は彼女たちの練習場所を追い出された。カペラちゃんの顔は、シスターカペラそのもので、少しつまらなそうだった。
「だから、私たちは賛成できないわ。せめて他の団が参加するようならば足並みを揃えるけれど」
その言葉自体は大変嬉しいが。……ただ、カペラちゃんが頷くことでダイダンの代表であるカノープスが頷く可能性が上がる。ここで参加を取れなかったことが、後々の交渉に響かなければいいけど。
「カペラちゃん自体はやりたい?」
まあ、気を取り直して。明るく問いかけると、彼女は可愛い笑顔で同意した。
「うん。まあね」
「ふーん、どうする?」
私はそこで、少し大きな声で言った。カペラちゃんはその確認に、もう一度しっかり首を振った。
「いくら言われても無理よ。だってもしかしたらオリダンの点数がゼロ点になるような演技、私たちにはできない。例え美しくても、結果として出た数字は美しくないもの」
「まあ、だろうね」
一緒に部屋を出たベガは、私の隣で呟いた。
交渉には女社会であるハトダンには私とベガが向かい、リゲルにはダイダンのカノープスのところに行ってもらっている。
「予想の範囲内で良かったね、アジメク」
「私が黒幕みたいに言うのやめてよ」
含みを持たせてニヤッとしたベガに肩をすくめる。ベガは私を呆れたように見た。ほんと、やめてよ。
参謀は私じゃなくて、彼なのに。
団室の一つ。遊戯室にて二人の少年がチェスで遊んでいた。否、駒を動かすのは一人だけか。もう一人はその正面に座っていてもボードに触れもしない。
「それにしても、お前がこういうの得意だったのは意外だな」
暇そうに背もたれに体重を預ける少年、バーナードが言った。
「……チェスは貴族のマナーだよ。逆にお前みたいにルールすら知らないのも珍しい」
彼は落ち着いて言った。バーナードは自分の問いに対してはぐらかされたことを感じながらも、彼の話に乗ってやった。
「爺さんに教えてもらったこともあるけど。あれ、なんかどっかに入った途端なんかの駒が変化するだろ?あれでよく分からなくなった」
「……ふわふわした知識だな」
少年は笑った。でもその笑みは特にバカにしたものでもなく、バーナードは彼がいつもの彼と変わらないことを再認識した。そして話を元に戻した。
「そうじゃなくてさ、こう言うこと。得意なんだなって。……お前勉強とかは俺とそう変わらないだろ?」
他人は鏡だとよく言うけど、彼はその中でも一層磨きのかかった、反射率百パーセントなやつだった。
彼は言った。
「俺も初めてやった。でも、いつもできそうだなって思ってた」
コンコンコン。
「ダイダンが合意した!それにハトダンも、他の団が同意すればって」
「だろうね」
彼は見向きもせずに言った。俺は彼から「ダイダンが一番チョロい」と聞いていたため彼の反応がよく分かった。しかしそれでもあの無理を押し通したところに、連絡係のザニアと同様に驚いた。
でも彼はそんな俺たちを見て、一層笑顔になった。
「何言ってんの?当然じゃん」
「い、いやそうは言っても……」
「ダメだよ、そんなんで驚いてちゃ」
我らが参謀殿ーーアンカーは無邪気に、少し誇らしそうに言った。
「今日中に落とすよ、全部」
「いや、めっちゃチョロかった」
「いや実際チョロかったんかい!」
ダイダンが陥落した。その知らせを受けた私とベガは、交渉役のリゲルを讃えたところでこの発言である。ちなみにツッコミはベガ。通りで謙遜するわけだ。
でも正直これは私たちも予想していた。なぜならダイダンの副リーダー(副キャプテン)はカノープス。あの、カペラちゃんバカの、カノープスである。
まあつまりリゲルとアンカーはカペラちゃんを餌にしたのだろう。あの坊ちゃんがいかれた坊ちゃんになるのはカペラちゃんが絡んだ時だけだからな。
クロダンのためとは言え友人を餌にするとはこの野郎。まあもし私でも同じことするとは思うけど。
しかしここは友人として聞いておこう。これで餌がカペラちゃんの写真とかだったら今後の付き合いを考えなければいけない。
「それで、結局何したの?」
私が問うと、彼は微妙な顔をした。
「……何もしなかった。指示された通り、耳元を叩いて『どうする?』って聞いただけ」
「それで次は俺ってこと?」
図書室で勉強するアル。彼はことの顛末を聞いて、呆れたような顔をした。
「その、参謀様の手口は……大体分かった」
「…………」
図書室には私とアルしかいなくなった。大体の事情を話したリゲルは一通り話すと図書室を出た。
そして私は彼のすぐ隣に腰掛けた。
「…………」
「……」
ただでさえ静かな図書室に沈黙が広がる。そう、沈黙。私の役割はこれだ。
私は図書室に入ってから一言も喋っていない。些かリゲルへの命令と被っている気もしなくもないが、私への指示は一つ。「その音」が鳴るまで何もするな。
喋るな、動くな、極力息もするな。
アルは不快そうに眉を顰めた。
「お前はいつもうるさくて仕方がないタイプだからな。黙ってるように言われたんだろ?沈黙は千の言葉よりも雄弁ってか?向いてないからやめちまえ」
そう言いつつも、彼は今日私の反応をいつもよりもずっと気にしていた。
「…………」
「まず、カノープスの件は簡単だ。あいつの腹はとうに決まってたんだから。説得どころか説明すらする必要はなかった。だって聞いてたんだから」
「……」
聞いてた。その言葉の違和感に反応しそうになるのを必死に抑える。その様子にアルはガラ悪く舌打ちをした。
珍しい、そんな態度。あからさまにイラついている。こんな余裕のない態度、彼が取ったことがないのに。しかも私にも分かるくらいあからさまに。
まあ、それは置いておいて。彼の言葉の意味を考える。
「聞いていた」それに「説明する必要がない」。確かに、リゲルは一言も喋る前に了承をもらえたと言っていた。説得する前にではなく。つまりカノープスは私たちの要望を知っていたと考えられる。
つまり、情報が漏れていたということか。まあそれくらいなら仕方ない。ハトダンへの根回しの際に何人かに計画のことを話したし。そしてカノープスに情報が行ったことを確認して、もしくは直接情報を流してからリゲルを派遣したと。
確かに、大体のカラクリは分かった。
「いいや。違う、そうじゃない」
不意に、アルが私の思考を読んだように言った。私は沈黙を保つ。
「カノープスはお前たちの作戦を知らなかった可能性が高い。アジメクが根回ししたのはハトダンだけだろ?平時ならまだ分かるが、体育祭の練習に四六時中拘束される今、そんな秘め事は団を跨いで伝わらないだろ」
僕も知らなかったしな、と付け加える。なるほど、秘密と言いつつ散々言いふらした自覚はあるが、ハトダンの乙女たちの守秘は鉄壁のようだ。
しかし、それならどこから話が漏れたのだろうか。
「それに、その情報だけじゃ足りない。カノープスを今回頷かせた情報は多分三つ。一つはその、作戦自体の情報。二つ目は、カペラ個人は作戦に乗り気だということ」
「…… ⁈」
危ない、反応するところだった。すんでのところで堪える。しかしアルは私のそんな反応にも見向きもせず、困ったようにペンを弄んでいた。
「盗聴だ」
……………………やべえなあいつ。
盗聴、盗聴器。先の戦争を未然に防いだとして一躍有名になった機械。その後普及し軍事利用以外にも様々なことに使用されている。
しかし貴族の子息が溢れんほどに在籍する学園内において、目的が勉学のためであろうと防犯上持ち込みすら校則で禁止されている。
いや、そもそも人のプライベートを盗聴するのは犯罪である。カペラちゃんは早々に婚約を解消した方がいい。
「三つ目の情報はそれだ。クロダンの参謀はそれに気づいて、気づいたことをカノープスに示した」
私はアンカーからの指示を思い出した。彼はハトダンに行く私に言ったのだ。大体の作戦を詳しくはっきりとした声で話してほしい。そして最後、一際大きな声で「どうする?」と問いかけてほしいということ。
そしてそれを聞いたカノープスは盗聴器の先で違和感を覚える。違和感を覚えるくらいの声量で話したし。
そして現れるのがリゲル。彼は耳元を指さして言うのだ。「どうする?」と。彼が違和感を覚えた言葉とそのまま同じで、カノープスが受けていないはずの説明を、全くしようともせずに。
「まあ、ダイヤモンドは校則よりも団則を優先させるところだからな。盗聴器を見つかっての罰則云々はどうでもいいんだろうけど、没収は避けたかったと見える」
それ以前に国の法律は?っと声をあげそうになるのを抑える。そして彼は話の核心に迫ったというふうに私に向き直った。
「正直、クロダンの参謀がそこまで優れているとは思わなかった。僕でさえカノープスがそんなことをしてるなんて知らなかったし」
「…………」
「それで?アジメク、君は何をしにきた?そもそも僕が君たちの案に賛成すると思ってるのか?確かに君たちクロダンのオリダン案は画期的で、実現できればとても素晴らしいものになる。でも僕たちスペードは参加しない。なぜならその案は会の進行を大きく妨げる可能性があるからだ。そして何より、審査は大荒れだろう」
「……」
「さて、ここまで否定すれば分かるだろうけど、僕は意見変える気はないし、言質さえ取られなければスペードは不参加だ」
「………………」
アルは苛立ったように言った。私は不意に、彼の苛立ちが自分よりも優れた交渉力を発揮したアンカーへの嫉妬心であると気づいた。この子もまだ子供だ。
私はそれをフォローしようとして、急いで口を閉じる。彼もその動きに気づいたけど何も言わなかった。
私は必死に口を閉ざす。何しろ死んでも喋るなと言われているので。あ、でもなんか食べられそうに?なったら助けを求めろとは言われたか。
「……残念ならが、君の参謀さんの考えが分からない。なぜここで僕を足止めしているのか、ここで圧をかける役割がなぜアジメクなのか。少なくとも表情に出やすいお前は向いてない」
「……」
「それとも足止めか何かか?その間に他のメンバーを懐柔すると?それにしてはアジメクだけじゃ力不足だろう。外で誰かが扉を押さえているようでもないし」
「…………」
「……そろそろ休憩も終わる。お望みなら他の二年生を集合させてさっき言ったことを繰り返そうか?」
「…………」
「……なんなんだ」
普通に、時間なのだろう。彼は、いつまでも言葉を発しない私に嫌そうな顔を隠さなかった。ノートをまとめ出した彼に私は内心焦るが、何もできない。何もしないように言われているから。
その時まで。
プツ
その音は、静かな図書室に唐突に響いた。なんてことはない、校内放送のマイクがつけられた音だ。
アルは真面目にその後の放送のために耳を澄まして、私はその「合図」を境に動き出した。
まあなんてことはない。そんな大きな動きではない。
アルに身を寄せてその片手を緩く握っただけだ。それだけで弾かれたように彼の集中が私に寄せられた。顔を近づける。触れてしまいそうなくらい。息がかかるくらい。
触れたら壊れてしまいそうな沈黙。そこで唯一、校内放送の声だけが響いた。
『そろそろ休憩も終わる。二年生、集合』
アルの声が、響いた。
「……⁈」
彼はうっかり尻尾を踏まれた猫のように驚いた。私は席を立とうとするのを繋いだ手の指を絡めることで抑える。そう力を入れていないけど、無理に引っ張る気まではないのかそれだけでずいぶん大人しくなった。
『クロダンのオリダン案は画期的で、実現できればとても素晴らしいものになる。僕たちスペードはその案に参加し、賛成する。僕は意見を変える気はない、スペードは、参加だ』
放送はそれで切れた。
校内放送特有のものなのか、意図的になのか。違和感のない程度に荒れた声音。しかし確実に彼を知るものが聞けば彼の声だと分かる。
なるほど、盗聴器があれば蓄音機もあるだろう。まあカノープスに借りたのか自分で手配したのかは分からないが。
手の先の少年は真っ青になったり真っ赤になったりと忙しい。私はアンカーに言われた通り、その手を決して離さなかった。
彼は言った。
「君たち、ほんと、分かってんの?僕王族だぞ?校内でとは言えその発言を捏造するなんて……」
「……」
私は黙っていた。
「ほんと、なんでもやるんだね。あーもー……完敗だ。もー……」
ついには頭を片手で抱えてしまった。
彼は発言を撤回しない。それどころか、先ほどの放送が作られたものであるなど誰にも言わないだろう。なぜならそんなことをしたら私たちが罪に問われかねない。
つまり、私たちを人質にして、本人公認の言質を取ったと言うことになる。
私は、最後にアンカーから言うように指示されていた言葉を思い出していた。それは簡単な一言で、アンカーの指示は意味のわからないものばかりだったけど、今現在一番意図の分かりやすい言葉だった。
私は私の中で一番可愛い顔をして、彼の顔を覗き込んで言った。
「『ありがとう』」
スペード、陥落。
そしてその後、カペラちゃんから合意が出たとベガが報告した。
私たち外交組以外に放送部への根回し、練習場所の確保、担当の先生方への練習見学阻止などに散っていた生徒からも、交渉が成功したとの報告。
クロダンはその日一日で、その全てを陥落させたのである。
そしてその夜。私は覚悟を決めて一筆書いた。
『当主様へ
その……当主様、体育祭はちょっと来ないでもらえませんか?それか何を見ても怒らないって言ってください』
『愛する娘へ
絶対行きます。そして場合によっては怒ります』
ダメだった。




