シルマくんというめんどくせー男
「チームの問題は、俺じゃなくてブラザーを頼りたまえ」。団長に言われた言葉だ。ブラザーが頼れないから困ってるんだけど。
「大丈夫。エニフはやる時はやる男だ」とも言っていた。とても信頼と確信に満ちた目で。
なんとなく、そのまま相談ができなくて。何も解決しないまま合同練習が始まった。私はチラリとシルマくんを見る。
(…………)
シルマくんは、いつも外を向いているか私の方に作られたような完璧な笑みを向けるかのどっちかだ。
エニフ先輩はこちらを見ない。見ている時もあるけど、正直普段どこを見ているのかが分かりにくい。
(………………)
私はこういう時、なんだかとんでもなく悲しくなる。虚しくなる。
(しんどい……)
去年クロダンにいた時には全く感じなかった感情だ。もちろん体力的に辛いこともあったけど、それでもこんな気持ちにはならなかった。
私は仕方なく前を向いて、今日のメニューを発表せんとする団長の言葉を待った。ホワイトボードを持ってくる団長とバチリと目が合う。
(……?)
団長は言った。
「しばらく、現在全体で行なっている体力増進メニューは完全チーム制で行う。走り込みから一年のダンス練習まで。今日の練習は五時までだから午後からに全体練習とする。それまで散ってくれ」
私はチラリとシルマくんを見た。シルマくんも私やエニフ先輩のことを見ていた。
彼のいつもの完璧な笑顔が崩れて、焦りの感情が浮かんで取り繕うまでの様を、私は見た。
「えーっと、大丈夫?」
「っふ、はぁ、はぁ……。大丈夫、です。ありがとうございます」
体力ないな、なんておおよそ必死にやっている後輩に言うことじゃない言葉をもちろん飲み込む。シルマくんはその額に玉のような汗を浮かべて必死に息を整えていた。
チラリとエニフ先輩を見るとまだ涼しい顔で(?)水を飲んでいる。私も正直体力はまだ有り余っていた。
周りを見るとチームによっててんでバラバラな速度で外周をこなしていた。いつもは全体で走るからシルマくんは他の一年生と走っていたし、どのくらい走れるのかとかを知らなかった。
と、まあこれはただの言い訳だが。
未だ肩で息をするシルマくんに申し訳なさが募る。軽く背中を撫でると遠慮する余裕もなくされるがままだ。これは結構嬉しい。
「あ、エニフせん……」
練習メニューの変更を相談しようかと見渡すと先輩がいない。……もうそろそろ怒っていいよなこれ。シルマくんがこちらを見上げて困っているし。
「えっと、エニフ先輩は……?」
「あー……なんかいないねぇ。取り敢えず一回休憩しよっか」
私が近くのベンチを示すと、彼は申し訳なさそうに頷いた。
「先輩って、なんでそんなに体力あるんですか?」
いつものように他の先輩のところに行けないからか、今日はシルマくんから話しかけられることが多い。これだけでも今日のチーム別練習に意味があったと思う。
彼とベンチで並んで座る。結構限界だったのか、ぐったりと座りこむ彼に風魔法で気づかれないように風を送ってやった。
そんな中弱音のように聞かれた質問に、私は少し考え込む。素直に入学前は庶民で山猿のような少女でした、とも長期休暇のたびに山間部にある集落で力一杯の山を駆け回ってますとも言えまい。私から言わせればお貴族様というのは往往にして運動量が少なすぎるのだ。
「あー……。去年も体育祭準備で走り込みしてたからかな。なんだかんだ学園内でも体育の授業はあるし」
なので少し考えてから誤魔化すように言うと、彼は少し考えてから「俺も卒業することにはムキムキに……?」と呟いた。ごめん、責任は取れない。
「クロダン、どう?慣れてきた?」
息が整うのを待って、声をかける。もうそろそろ練習を再開してもいい気がするけど、エニフ先輩が帰ってこないのではぐれるのを恐れて移動できないでいた。
シルマくんもあえて再開を促すこともなく、しばし休憩は延長された。シルマくんは私の質問に慎重に答えた。
「はい、おかげさまで」
「ふーん……」
やっぱり距離のある笑顔。まあ予想はできたけど、そろそろ虚しくなるものだ。私はなんとなくうまく返せなくて、苛立ちが募る。ダメだな、こんなの余計萎縮させるだけなのに。
「私には慣れる気無いのに?」
つい苛立ちのまま呟く。一瞬後まずい、と思うけどなかったことにもできず固まる。反応が怖くて顔も上げられない。もうなんで私の特別魔法は発言無効化とかじゃないんだ。
私は尚も言い募る。
「その、学園にいる間は上下関係なんて先輩後輩くらいのものよ。結局家名はこの学園の敷地内で個体を区別するためのものでしかないし」
「…………」
多分選択を間違えた。彼がクシャりとその顔を泣きそうに歪めた。
(やっべー……)
もうどうにかしてくれシルマくん。後輩だろ?クロダンの団員なんだからここは小粋なジョークとかで有耶無耶にしてくれ。
「…………すみません」
………………もうだめだ。
数分後、スポドリ数本と酸素ボンベを抱えてきたエニフ先輩の登場で気まずすぎる沈黙は終わる。先輩の初めて見る汗だくな姿と、その汗を拭うついでに前髪を掻き上げた顔面が強すぎて文句は出なかった。あの顔面は私とシルマくんの間の不和を吹き飛ばす威力があった。
どうしようこのチーム、顔のいいやつしかいねぇ。と言うのは前世から兄に可愛い可愛い言われていた人間の言葉である。
死ぬほど気まずい昨日のチーム練習を終え、今日も今日とて死ぬほど気まずいシルマくんと何考えているのかわからないエニフ先輩とのチーム練習である。
眠る前今日の練習行きたくなさすぎて当主に『ああ、パパ。どうして私はガクルックスなの?』と送ってしまったのもいい思い出だ。あれは流石に深夜テンションだった。ちなみに返事は全然来なかったので先に眠ってしまった。
と言うわけで本日も楽しくチーム練習だ。シルマくんは一層人懐っこそうな笑みを浮かべてなんとなく避けられるし、エニフ先輩はマジで何考えているのか分からない。今すぐその顔面でここら一帯を吹き飛ばしてくれよ。
今日は学園敷地内の山でのジョギング。ペースは人それぞれだが歩くのは禁止ルール。そして一番長時間のジョギングなので各々飲み物を背負う。多分一番しんどいジョギングコースだ。
「取り敢えず走ります?」
私が提案すると二人とも頷いた。シルマくんは顔が若干青い。精神的なものだとは思うがどうにもできない。取り敢えず体調不良には気をつけなければ。
そのまま走り出す。シルマくんは「もうやだ!」って顔をしながら走り出して、ちょっとかわいそうだが笑顔が崩れているのは普通に愉快なので無視した。
そんなふうに余裕ぶっていたので普通にバチが当たったのだろう。
ず、ドテ、ゴロゴロゴロゴロ……ゴン。
「せ、センパーイ⁈」
落ちた。
着地は時間停止魔法をかけても自分は止まれなかったので普通に失敗した。頭のところから血が止まらない。デジャビュ。非常にデジャビュ。しかもその記憶は死んだ時って言う縁起の悪すぎるデジャビュだった。
私はそのまま、迫り来る暗闇に身を任せて瞳を閉じた。
雨……?
頬に落ちる水滴で意識を取り戻す。雨が降ったか。確かに今日は灰色の雲が空を覆っていた。早く帰らないと、せめて屋根のある……。
そう思って目を開けると、視界に飛び込んできたのはとんでもなく顔面のいい後輩で。
「……泣いてやんの………………」
「ゼン、バイ……!」
「いや誰だよゼンバイ」
「し、死なないでください……!」
「え、そんなに死にそうなの?」
「俺、本当に先輩のこと嫌いとかじゃなくて……!でも仲良くする訳にはいかなくて……」
「あ、うん。あとで詳しく聞かせてね」
「俺先輩のこと大好きですー!死なないで!」
あ、こいつくそ可愛いな。
このパニック現場(約一名)を収めたのは唯一心身ともに正常な少年、エニフ先輩の「大丈夫」という言葉だった。
正しく言えば「………………………………………………………………大丈夫」だったけど、シルマくんは先輩の言葉の意味よりも先輩が喋ったと言う事実に驚いて落ち着いた。私もびっくりした。びっくりしすぎて血も止まったかと思った。
まあ止まってなかったけど。
先輩は私たちが落ち着いたのを確認して、私のそばに膝をついた。そして何やらガスマスクのようなものをつけて話し出す。
「意識はあるね。名前と年齢言える?」
今度は流暢に。まじか。まじか話せるじゃん。呆然としていると少し焦ったように「名前と年齢は?」ともう一度聞かれたので慌てて答える。
「今日の日付は分かる?気持ち悪いとかある?寒いとかある?」
「えっと、五月の六日。気持ち悪いとかはないです」
「そっか」
それを聞いたエニフ先輩が安心したように頷き、ガスマスク?を外した。彼はそれをリュックにしまい直すと今度は水の入ったペットボトルを取り出した。
「ぶっ……」
そしてそのまま頭にかける。自分で自分の現状が見えないが、多分傷が見えるように洗っているのだろう。しかし一言欲しかった。さっきのガスマスクなぜ外した。
「傷は……額だけですか?」
横で見ていたシルマくんの呟きに先輩が頷く。それを聞いて私も安心した。取り敢えず起きあがろうとすると『打ったの頭だし万が一があるから動かないで』と書かれたホワイトボードを見せられた。へぇ……そういうコミュニケーション方法もあるんだ。ねえなんでさっきいきなり水かけたの?顔中の穴という穴にちょっと入ったんですけど。
先輩は無線機を取り出してシルマくんに投げると、指示を出してからガーゼで止血しだした。その手はテキパキとして安心する。その後ろでシルマくんが半泣きで団長に連絡しているのが聞こえる。少し落ち着いてくると普通に頭とか手足とかが痛くなってくる。これ動けそうにないな……。
多分これくらいの傷なら光魔法でなんとかなりそうだけど、さっき落ちる時時間停止魔法を(無駄に)連発したので魔力がほとんどない。回復してからになるだろう。
それにしても驚いた。エニフ先輩がお話をするなんて。団長に驚かされようとカラ先輩にセクハラされようと何かを言うどころか表情ひとつ動かさなかったのに。
団長の「エニフはやる時はやる男だ」という言葉が蘇った。私はしとしと泣き続けるシルマくんの腕の中で、なんだか安心してしまった。
「ねえ、シルマくんはさ」
「な、なんですか?無理に喋らないでください」
「いやそんなにしんどくないから」
救助を待つ間、私は彼に話しかけるとえらくシリアスに言われた。むしろ動けないほど足などが痛いので話をして気を紛らわせたかった。
「私とあんまり仲良くしたくない?」
とはいえ話題はそんなにない。言葉遊びにはヘビーな話題を放り投げると、シルマくんは苦く、観念したように笑った。
「はい」
「そっか……」
私は少し傷ついて、目を逸らした。しかしシルマくんは続ける。
「と言うか、高位貴族の人とは親交を深める気はないです。……迷惑をかけるので」
「……!」
迷惑。その言葉を苦しそうに吐き出す彼が、満身創痍の私よりも痛みに耐える顔をした。
私は咄嗟に手を掴んだ。どこにも行ってしまわないように。
「うち、貧乏一家なのは知ってますよね?」
グジグジ泣きながら言うシルマくんに頷く。貴族名鑑は暗記したし、その他にも今年の一年生の家族事情は情報として貰っている。本当は他の貴族様は夜会などで情報収集しているのだろうけど。
「祖父の代まではそんなことなかったんです。ただ父の代になってから領地の特産だった服飾事業が上手くいかなくなって。父も焦ってるんです。それで学園で、その……」
『取り入れって?』
私たちの間に挟み込まれたホワイトボードはエニフ先輩だった。シルマくんは下唇を噛んで頷く。
エニフ先輩は(多分)困ったように沈黙した(これはいつもだけど)。私はシルマくんのこれまでを思い返して胸が苦しくなった。
お貴族様の機嫌を損ねてはいけない。でも気に入られすぎてもいけない。でも私みたいのがしぶとく声をかけてきて、それに対しての罪悪感も抱えて。
え、私の後輩忙しすぎ……?今までの行動や彼に抱いていた微妙な感情を申し訳なくなるような内容だった。なんか、ごめん、まじごめん!
「ガクルックス先輩は、最初はわがままお嬢様だったらどうしようって警戒してたんですけど、そんなことなかったです。すぐに気づきました。ずっと気にかけてくれて、嬉しかったです」
咄嗟に掴んだ左手の中で、シルマくんがギュッと拳を握った。それは震えていた。
「エニフ先輩も、正直最近までなんなんだこの人って思ってたんです。でもなんか事情があるのかなって思ったし、そんなの関係なくずっと気にしてくれたし。ああ、分かりにくくて、優しい人なんだなって思った。時々心配そうに見られてるのも分かってたんですけど、正直余裕なくて。怒鳴ってすみませんでした」
エニフ先輩は目に見えるような反応はしなかったけど、必死に首を横に振るか、心配そうな顔をしているだろうと予測がついた。
「でもそう言う事情なので、今後もあまり話さないようにしたい、です。失礼なのは百も承知ですが。今日のことも忘れてください」
彼は諦めたように言った。辛そうに言った。でもそれを隠して、笑顔で続けた。
「でも、もしも俺がこれから当主になって、家を立て直して、二人との仲に利用価値なんて見出されないくらいになりますから!そんな風になったら仲良くしてくれませんか」
下手くそで、全然かっこよくない笑顔で言う彼を、エニフ先輩は耐えきれないというふうに抱きしめた。私も体が起きればそうしたし、それでなくても左手の中の拳をギュッと握った。
重い重い雲から、一つ二つと水滴が落ちて、そのまま全てを誤魔化すように冷たい雨が降った。
のだが。綺麗な?終わりに一つケチがついた。なんとまさか私自身の存在だ。
私という、庶民生まれ庶民育ちの庶民感覚の親もろくにいないような人間の存在。というか正直私はシルマくんがそこまで思い悩んでいる理由がよく分からなかったのだ。
貴族の家長制度、父親という絶対的存在の意味。これはもう育ちの違いだ。単純にそう思ったのだ。
「別に、お父さんに隠せばいいんじゃないの、仲良いの」
しかしこれが良い育ちをしたお坊ちゃんたちに大ヒット。そのまま採用されるとは思わなかったのだ。
クソいい子だな、この子達。
「で?私のこと大好きなんだっけ?」
「う、うぅ……」
「良かったね、大好きな先輩死んでないよ」
「うー!」
「もう鳴き声しかあげないじゃん」
うちの後輩が人間を辞めてしまった件について。
事件解決。というか普通に救出された私は、次の日シルマくんのほっぺをつっつくことでコミュニケーションを取っていた。
私はあの後、迅速に救助され、保健室で先生にガーっと魔法をかけてもらい、あっという間に元気になった。そして団長にベッドの前で土下座された。
なんでも、あのコースは山の中でも比較的安全で、私が転がり落ちた坂も傾斜などの問題で落ちてもそこまで勢いがつかず、流血するほどの大怪我を負うリスクはなかったそう。まあ、こんな貴族ばかりの学園で大怪我をするようなトレーニングを行うはずがない。
なので私があんなにも勢いよく地面に叩きつけられたのかの原因がわからない、必ず原因を追求して再発防止に努めると言って去っていった。
私はなんとなく、落ちている時に魔法で周りの時間を止めていたから、転がる速度が上がったのかな……と思いつつももちろん言い出せず。のちに結局三年生の中で原因が「私が丸くてコロコロしてるから勢いつけすぎた」となったのも黙って見てるしかなかった。
まあそんなふうに一応ひと段落。私は早晩練習に復帰していた。しかしここで問題が一つ。
シルマくんがかわいすぎるのだ。
「ああ、もう!やめてください!」
ついには手を叩かれて私は一旦手を止める。怒っているふうだけど真っ赤なほっぺでは怖くはない。
「ごめんごめん。かわいくって」
「……俺も男なんですけど」
彼はそう言って拗ねたように私の手を握った。私はなんだか、胸がキューンとするのを感じた。喧騒が遠のく。
(…………いや、)
喧騒(団員の声)が遠のいているのではなく普通にみんなが黙ってしまっていることに気がつく。周囲を見渡すと皆が「はわわ」と言う顔で私たちを見ていた。な、何?
「仲良くなったのねぇー」
代表してザニアが言った。それを受け、シルマくんが私の手を勢いよく離して、顔を真っ赤にして言った。
「そ、そんなことはないです!断じて!!」
傷ついた。
『親愛なるパパへ』
「あ……」
いつものように当主様への手紙を書こうとするが、その前に昨日寝落ちて開かなかったあちらからの返信を見つけた。確か昨日は『ああ、パパ。どうして私はガクルックスなの?』と某悲劇の恋愛小説をなぞった文を送ってしまった。少しは笑いを誘えただろうか。
ベラリ。
『な、なんでだ?何がダメなんだ?学校で何か言われたか?嫌なことがあったのか?大丈夫、お父様がなんとかしてやろう。い、いやこういうのか?こういうところがいやなのか?大丈夫、もしも本当にダメでも血縁も戸籍も変えられないが別姓で名乗れるように取り計らってもいい。あ、そういう問題でもないのか?……もしかしてお父様が嫌なのか?』
「……大事になってる」




