よく捨てる話
箱崎は悪魔のような笑みを浮かべ、桜庭の腹を、繰り返し蹴り続ける。
「おまえみたいな、金も持ってない、権力もコネも持ってない底辺はなぁ、上に仕える奴隷として生きてるのがお似合いなんだよ!奴隷は奴隷らしく言うこと聞いとけよ!」
桜庭は仰向けになり、荒い呼吸を繰り返す。視界の隅に、堤防を歩く同級生たちの姿が入ってきた。
中学校から近い位置にあるこの河川敷は、通学路として利用する生徒が多い。下校する生徒や、部活のランニング中の生徒が行き来している。
どの生徒も高架下の状況には無関心で、自分には全く関係のない桜庭のことなど、気にかけるようすもない。こちらをチラチラ見てくる生徒も中にはいたが、箱崎たちだとわかるやいなや、足早に去っていく。
桜庭を痛めつけるのに飽きたのか、箱崎は桜庭のカバンを取り上げた。すでに気力が残っていない桜庭は、仰向けのまま手を伸ばす。しかしその手を蹴りはらわれた。
「奴隷風情が俺に触ろうとしてんじゃねえよ」
箱崎のからかう声が響き、カバンの中身がその場にまき散らされた。散乱した荷物に、鶴岡が駆け寄る。
「なんか変なのあるんだけど」
鶴岡が拾い上げたのは、桃色の生地に白い花の模様が入った、ポーチだった。
「それは……っ」
鶴岡たちは、小ばかにして笑う。
「おまえ中三にもなってこんな女くさいの持って来てんのかよ」
下卑た笑い声の中で、桜庭は体を起こし、必死にポーチに向かって腕を伸ばした。体中に痛みが走って、今はまだ立ち上がれそうにない。
「お願い……返して。必要な物なんだ」
鶴岡がどうする?と箱崎に顔を向けた。箱崎は底意地の悪い笑みを浮かべ、桜庭に尋ねる。
「これ、おまえの必要なものなの?」
桜庭は必死にうなずいた。
「ふーん……でもおまえ、今日俺の言うことちゃんと聞けなかったよな?」
箱崎は鶴岡に、ポーチをよこせと指を振る。鶴岡は雑に放り投げた。受け取った箱崎はポーチを握りつぶす。
「ほんとだっせぇなぁ。何が入ってんだ? 」
「返して……! 」
箱崎に向かって手を伸ばす桜庭の顔に、滝田が蹴りを入れた。桜庭は痛む顔をおさえながら、再び仰向けに倒れる。
「誰に向かって口きいてんだよ!」
滝田の言葉に返事をする余裕もない。目の前に見えるのは、高架の裏側。まっさらな灰色のコンクリート。
桜庭は鼻血が出ているのを感じた。どろりとした血が、喉の奥に流れていくのがわかる。唇が切れて、ぴりりと痛んだ。浅く早い呼吸で、体中の痛みを和らげようとするのに精いっぱいだった。
桜庭は何としてでもポーチを返してもらわなければいけなかった。しかし今は、そのためにお願いするための言葉も出せない。
桜庭の視界に、箱崎の笑った顔が入ってくる。
桜庭は苦痛に顔をゆがませながら、頭を上げた。必死にポーチを取り返そうと手を伸ばす。
箱崎はその手を踏みつけ、ぐりぐりと押し付けた。桜庭は苦悶の表情を浮かべながらも、必死に訴える。
「それがないとだめなんだ。僕、ちゃんとその中にある分……決まった分、ちゃんと飲まないと……」
「ああ……そういえば」
箱崎は何かを思い出したような顔で、桜庭の手から足を離した。
「おまえ、給食のときになんか飲んでるよな」
「お願い、返して……」
箱崎は上を見て、何か考えをめぐらせている。しばらくすると、桜庭に背を向け、無言で川岸まで歩いていく。
ポーチのファスナーを開けて、中身をすべて取り出した。
「あーーーー!手が滑っちゃったぁああ」
まるでボールを投げるかのように、川に向かって大きく手を振りかぶった。ばらばらになった錠剤シートが、何枚も川の中に落ちる。
その光景を、桜庭はがんがんと響く頭で、ずきずきする腹部を抱えて、ぼうぜんと見つめることしかできなかった。
鶴岡が茶化すように箱崎に言う。
「も~、何してんだよ、箱崎はおっちょこちょいだなぁ」
「あはは、わりいわりい」
人の生き死にを何とも思っていないやつらにお願いしたところで、素直に返してくれるはずがなかった。桜庭の呼吸はどんどん荒くなる。
絶望した顔をする桜庭のもとに、にやにやと笑いながら箱崎は戻ってきた。
「そんなに怒んなよ。一日くらい飲まなくても平気だろ?あんな薬くらい俺があとでいくらでも買ってやるよ。だからさ」
箱崎は明の髪の毛をむしり取らんとする勢いで、強くつかみ上げる。
「もう二度と俺を失望させんな。光本はもっとうまくやってたんだぞ?奴隷は奴隷らしく完璧に仕事して、俺たちを楽しませりゃいいんだよ」
箱崎は桜庭の頭を、地面に叩きつけた。
「じゃあ俺たちもう帰るわ。お疲れ~」
桃色のポーチを、桜庭の上に放り捨てる。箱崎は鶴岡と滝田を引き連れて去っていった。まるで何も悪いことはしていなかったかのように、涼しい顔をして。
桜庭の心臓は、悲鳴を上げていた。締め付けられる痛みが胸に響いている。
薬を飲まなければいけない。胸と同時に激しく痛む頭で、必死に考える。
無我夢中で、地べたを這い、川のほうに進んだ。
どうしようどうしよう。心臓の鈍い痛みが大きくなるほど、パニックになっていく。頭痛のせいで思考もはっきりしない。早く川の中から薬を取らなければ。
「ねえ、なんかやばそうだよ?」
堤防のほうから、女子の声が聞こえた。桜庭は苦しい体を必死に動かして、堤防を見上げる。同じ中学の女子生徒が二人、こちらを怪しんでのぞきこんでいた。
桜庭は必死に声を出そうとしたが、息をするので精いっぱいだ。ただただ苦悶の表情を二人に向けることしかできない。
「ねぇ、関わらない方が良いよ、あんな変なやつに。多分あいつあれだよ。箱崎のクラスのやつだよ。新しい標的になったやつ」
「いや、でも」
「いくよ、うちら別のクラスだけど、目つけられたらさすがにやばいって」
女子生徒二人は、慌ててその場を離れていく。一人は、心配そうにちらちらと振り向いていた。
桜庭は絶望する。死にそうになっても誰も助けてくれない。絶望を通り過ぎた諦めが、湧き始めていた。
痛みと苦しみは体の中から消えてくれない。このまま薬を諦めたら、死ねる。楽になれる。
「お……かぁ……さん」
桜庭は力を振り絞り、川に向かって這い続けた。
「死ぬのは……だめだ……。薬、飲まないと……」




