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三美神の鎮魂歌  作者: 冷泉伽夜
EP.3 よくある話
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よく捨てる話

 箱崎は悪魔のような笑みを浮かべ、桜庭の腹を、繰り返し蹴り続ける。


「おまえみたいな、金も持ってない、権力もコネも持ってない底辺はなぁ、上に仕える奴隷として生きてるのがお似合いなんだよ!奴隷は奴隷らしく言うこと聞いとけよ!」


 桜庭は仰向けになり、荒い呼吸を繰り返す。視界の隅に、堤防を歩く同級生たちの姿が入ってきた。


 中学校から近い位置にあるこの河川敷は、通学路として利用する生徒が多い。下校する生徒や、部活のランニング中の生徒が行き来している。


 どの生徒も高架下の状況には無関心で、自分には全く関係のない桜庭のことなど、気にかけるようすもない。こちらをチラチラ見てくる生徒も中にはいたが、箱崎たちだとわかるやいなや、足早に去っていく。


 桜庭を痛めつけるのに飽きたのか、箱崎は桜庭のカバンを取り上げた。すでに気力が残っていない桜庭は、仰向けのまま手を伸ばす。しかしその手を蹴りはらわれた。


「奴隷風情が俺に触ろうとしてんじゃねえよ」


 箱崎のからかう声が響き、カバンの中身がその場にまき散らされた。散乱した荷物に、鶴岡が駆け寄る。


「なんか変なのあるんだけど」


 鶴岡が拾い上げたのは、桃色の生地に白い花の模様が入った、ポーチだった。


「それは……っ」


 鶴岡たちは、小ばかにして笑う。


「おまえ中三にもなってこんな女くさいの持って来てんのかよ」


 下卑た笑い声の中で、桜庭は体を起こし、必死にポーチに向かって腕を伸ばした。体中に痛みが走って、今はまだ立ち上がれそうにない。


「お願い……返して。必要な物なんだ」


 鶴岡がどうする?と箱崎に顔を向けた。箱崎は底意地の悪い笑みを浮かべ、桜庭に尋ねる。


「これ、おまえの必要なものなの?」


 桜庭は必死にうなずいた。


「ふーん……でもおまえ、今日俺の言うことちゃんと聞けなかったよな?」


 箱崎は鶴岡に、ポーチをよこせと指を振る。鶴岡は雑に放り投げた。受け取った箱崎はポーチを握りつぶす。


「ほんとだっせぇなぁ。何が入ってんだ? 」


「返して……! 」


 箱崎に向かって手を伸ばす桜庭の顔に、滝田が蹴りを入れた。桜庭は痛む顔をおさえながら、再び仰向けに倒れる。


「誰に向かって口きいてんだよ!」


 滝田の言葉に返事をする余裕もない。目の前に見えるのは、高架の裏側。まっさらな灰色のコンクリート。


 桜庭は鼻血が出ているのを感じた。どろりとした血が、喉の奥に流れていくのがわかる。唇が切れて、ぴりりと痛んだ。浅く早い呼吸で、体中の痛みを和らげようとするのに精いっぱいだった。


 桜庭は何としてでもポーチを返してもらわなければいけなかった。しかし今は、そのためにお願いするための言葉も出せない。


 桜庭の視界に、箱崎の笑った顔が入ってくる。


 桜庭は苦痛に顔をゆがませながら、頭を上げた。必死にポーチを取り返そうと手を伸ばす。


箱崎はその手を踏みつけ、ぐりぐりと押し付けた。桜庭は苦悶くもんの表情を浮かべながらも、必死に訴える。


「それがないとだめなんだ。僕、ちゃんとその中にある分……決まった分、ちゃんと飲まないと……」


「ああ……そういえば」


 箱崎は何かを思い出したような顔で、桜庭の手から足を離した。


「おまえ、給食のときになんか飲んでるよな」


「お願い、返して……」


 箱崎は上を見て、何か考えをめぐらせている。しばらくすると、桜庭に背を向け、無言で川岸まで歩いていく。


 ポーチのファスナーを開けて、中身をすべて取り出した。


「あーーーー!手が滑っちゃったぁああ」


 まるでボールを投げるかのように、川に向かって大きく手を振りかぶった。ばらばらになった錠剤シートが、何枚も川の中に落ちる。


 その光景を、桜庭はがんがんと響く頭で、ずきずきする腹部を抱えて、ぼうぜんと見つめることしかできなかった。


 鶴岡が茶化すように箱崎に言う。


「も~、何してんだよ、箱崎はおっちょこちょいだなぁ」


「あはは、わりいわりい」


 人の生き死にを何とも思っていないやつらにお願いしたところで、素直に返してくれるはずがなかった。桜庭の呼吸はどんどん荒くなる。


 絶望した顔をする桜庭のもとに、にやにやと笑いながら箱崎は戻ってきた。


「そんなに怒んなよ。一日くらい飲まなくても平気だろ?あんな薬くらい俺があとでいくらでも買ってやるよ。だからさ」


 箱崎は明の髪の毛をむしり取らんとする勢いで、強くつかみ上げる。


「もう二度と俺を失望させんな。光本はもっとうまくやってたんだぞ?奴隷は奴隷らしく完璧に仕事して、俺たちを楽しませりゃいいんだよ」


 箱崎は桜庭の頭を、地面に叩きつけた。


「じゃあ俺たちもう帰るわ。お疲れ~」


 桃色のポーチを、桜庭の上に放り捨てる。箱崎は鶴岡と滝田を引き連れて去っていった。まるで何も悪いことはしていなかったかのように、涼しい顔をして。


 桜庭の心臓は、悲鳴を上げていた。締め付けられる痛みが胸に響いている。


 薬を飲まなければいけない。胸と同時に激しく痛む頭で、必死に考える。


 無我夢中で、地べたをい、川のほうに進んだ。


 どうしようどうしよう。心臓の鈍い痛みが大きくなるほど、パニックになっていく。頭痛のせいで思考もはっきりしない。早く川の中から薬を取らなければ。


「ねえ、なんかやばそうだよ?」


 堤防のほうから、女子の声が聞こえた。桜庭は苦しい体を必死に動かして、堤防を見上げる。同じ中学の女子生徒が二人、こちらを怪しんでのぞきこんでいた。


 桜庭は必死に声を出そうとしたが、息をするので精いっぱいだ。ただただ苦悶くもんの表情を二人に向けることしかできない。


「ねぇ、関わらない方が良いよ、あんな変なやつに。多分あいつあれだよ。箱崎のクラスのやつだよ。新しい標的になったやつ」


「いや、でも」


「いくよ、うちら別のクラスだけど、目つけられたらさすがにやばいって」


 女子生徒二人は、慌ててその場を離れていく。一人は、心配そうにちらちらと振り向いていた。


 桜庭は絶望する。死にそうになっても誰も助けてくれない。絶望を通り過ぎた諦めが、湧き始めていた。


 痛みと苦しみは体の中から消えてくれない。このまま薬を諦めたら、死ねる。楽になれる。


「お……かぁ……さん」


 桜庭は力を振り絞り、川に向かってい続けた。


「死ぬのは……だめだ……。薬、飲まないと……」

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