後悔先に立たず
他人から咎められる、というのは思いのほか堪えるものである。
しかもその内容に一切反論の余地がなく、しかも正当な被害者からの糾弾であればなおのことだ。
実は勘違いだったとか、本当は嘘だったとか、裏事情があるとか、仕方がないとか。
そんなことが一切なく、本当に非しかないこともあり得る。
その場合は、本当にただ謝るしかない。
それも、被害者が複数いて、しかも自分の関係者であれば。
まさに、十字架を背負って生きるようなものだ。
自死を選ぶ者がいるとしても、それは咎められまい。
「……」
冷厳なる鷲、アルタイル。
魔女学園を卒業したOBの一人であり、精霊使いである。
現在軍人として身を立てている彼は、北部の国境地帯にて多くの戦果を挙げている若き将であった。
冷厳なる鷲の異名は、決して氷の精霊を使いこなしているからではない。
当人の性格や表情が、さながら寒地の鉄が如く硬く冷たく、触れたものを火傷させてしまうからだ。
「今回の件……ランリのことは、とても残念だった」
国境地帯の防衛にあたっている彼は、冬を目前に控えた秋の中ごろにシュバルツバルトの前線基地を訪れていた。
もちろんその先は、蛍雪隊の隊舎である。
現在アルタイルは、同じく魔女学園のOGであるシャインと、在校生だったが学部がつぶれたことによって在籍記録さえなくなってしまったコチョウと話をしていた。
「もちろん、精霊使い全体にとってだ。迷惑と言ってもいい」
「……申し訳ありません」
「私はまだいい。既にある程度の地位についており、個人としての信頼も得ている。だがまだ実績のない者にとって、今回の件は人生を狂わせるものだ」
「……はい」
「君には抜きんでた才能と実力がある。このシュバルツバルトでも活躍できているようだし、他の場所でもやって行けるだろう。だが誰もが、その才能を持っているわけではない。凡庸な才能しか持たず、傑出した実績を出せない者もいる。そして、その彼らの方がよほど多い。精霊使いといっても、他の術師と大差があるわけではない。その一般の彼らのためにこそ、私たち精霊使いの代表が信頼を重ねなければならないはずだ」
「……おっしゃる通りです」
「君の弟のせいで、この場に来ることもできない者が将来の不安におびえている。凡庸なりに、まじめに勉強した者、真摯に取り組んできた者。その彼らの努力が、全くの他人によって台無しにされてしまった」
コチョウの言葉に反応することなく、淡々と事実を語る。
「今回の件で、君は弟を推薦したわけではない。君のあずかり知らぬところで、既に処刑されている学部長ご本人の判断で君の弟をここへ寄越した」
その表情には、憎悪を超えた嫌悪がある。
「学部長は既に罰を受けている。聞くところによれば、ランリの行いを聞くと納得してしまったそうだ。抵抗せずに裁きをうけたという。大変結構だ、もはや咎められない」
わかってはいるのだろう、彼女自身に非はないと。
だがそれでも、言わずにおれないのだろう。
「だがね、それで精霊使いの不遇がぬぐわれるわけではない。責任者が責任をとったところで、元通りになるわけではない」
それは決して、的外れでもないのだ。
「私は自分を知らなかった。まさか……弟の過ちで、姉を咎めるような男だったとは」
きっと精霊使いのほとんどが、ランリを恨む。
その家族であり、同じ精霊使いであるコチョウを恨むのだ。
「君の弟は、実力主義というものを勘違いしていた。精霊使いにとって、強大な精霊を従える、契約をすることもまた実力なのだ。他人の精霊に目移りするなど言語道断、それこそ金で精霊を買うことと変わりがない。品位を疑うことだ」
「おっしゃる通りです」
「聞けば、狐太郎なるAランクハンターは、他のモンスターとも契約を結んでいるらしい。その彼がどのような形で契約を結んだのかはわからないが……契約を結んだだけではなく、それを維持していることこそが彼の実力であり献身であり忍耐だ。軍人の身としては、まだ会わぬ彼に敬意さえ抱く」
狐太郎と付き合いのある前線基地のハンターであれば、アルタイルの評価が適切だと思うだろう。
強力な拘束や契約があるわけでもないのに、強大なモンスターと寝食を共にするのは危険だ。
実際何度も痛い目を見ている。彼は自分のモンスターによって、文字通り踏んだり蹴ったりだったのだ。
「それもわからぬのなら、精霊使い以前の問題だ。大公様や公女様の判断に異は唱えられん、精霊学部に存続する価値はなかったのだろう。精霊学部には……人を見る目も、人を育てる力もなかったのだ。だがそれでも、やはり我等精霊使いは思うのだよ」
「……」
「君の弟さえいなければ、君の躾さえよければ、とね」
恨み言であると、誰もが理解している。
しかしその恨み言を言うなと、誰が言えるだろうか。
「……申し訳ありません」
「アルタイル様! もうこれくらいに! 既に罪人や責任者が裁かれたことを、蒸し返すのはよくないですよ」
だがシャインは流石に助け舟を出す。
彼女の苦しみを良く知っているからこそ、いたたまれなくなったのだ。
彼の言っていることはすべて正しいが、だからこそ彼女が自らを咎めるときに何度も繰り返した言葉だ。
「コチョウさんはとても優秀な精霊使いで、この基地に必要なハンターです。その働きが認められれば、必ずや精霊使いの汚名も返上できるでしょう!」
「それは、いつになりますか?」
「う」
「シャイン殿。貴女の評価は聞き及んでいます、その姿勢には同じ学校を卒業した者として尊敬しております。ですが貴女もまた……貴女こそが、自らの足で、自らの力で立てるもの。今日や明日さえ怪しい者にとって、未来の復権は余りにも遠い」
アルタイルは強者であるが、弱者を代表してここに来ていた。
いいや、代弁と言うべきだろう。
少なくとも彼がここに来たこと、ここでコチョウを咎めたことが知られれば、きっと留飲を下げる者がたくさん現れるに違いない。
ある意味では配慮なのだろう、双方に対しての。しかし当人自身が言うように、『書面上』で怒ったことにしておく、では済まなかったようだ。
「とはいえ、おっしゃる通り。今更彼女を咎めたところで、何が生まれるわけではない。私も職場を離れている身であるし、私の精霊もここを嫌がっている。失礼ではあるが、長居をする予定はない」
言うべきことは言った。
言いたいことは言った。
だからこそ彼は、これ以上は蛇足だと判断する。
コチョウがここで得た収入の多くを、各地に残った精霊学部へ寄付していることは知っている。
仮に彼女を咎めすぎて心を折ってしまえば、それこそ何にもならない。
「私のように思っている者がいることを、心にとめておいて欲しい。それだけだ」
彼はあっさりと腰を上げる。
その所作は、この場を一刻も早く離れたいという意思の表れだった。
もしも長居をすれば、蛇足だと分かったうえでコチョウを咎めてしまいかねない。
「も、もうお帰りになるのですか?」
「いや、ご迷惑をおかけしたという、狐太郎殿へ謝罪に向かうつもりだ。よろしければ、シャイン殿には紹介を願いたい」
「え、ええ! もちろん!」
蛍雪隊の隊舎を出ていくアルタイルを、シャインは慌てて案内する。
その二人の背中へ、コチョウは泣きそうになりながら深く礼をした。
(冷厳なる鷲、アルタイル……風と氷の精霊を従える、当代最強の精霊使い)
同じ精霊使い、それも戦闘的な使い手としての差を、彼女は感じ取っていた。
純粋に精霊使いとしての腕前が、灼熱の魔女と呼ばれるコチョウより上だった。
加えていえば、彼女に従っている炎の精霊が怯むほどに、彼に従っている氷や風の精霊も強大である。
そのうえでさらに、武人としての技量も備えているようだった。
若手の中では抜きんでている、と言われているだけのコチョウとは、当然のように格が違った。
その格上が去ったことで、彼女はやはり安堵してしまった。本当は安堵をすることさえ許されないというのに。
自責の念に駆られる彼女、その周囲を炎の精霊が旋回して慰めていた。
※
シャインが案内する形で、アルタイルは前線基地の中を歩いていた。
一目で位の高い軍人だと分かるアルタイルに、基地の中の職員や役場の人間は注目している。
しかしアルタイル自身は、その彼らからの注目に気付きもしなかった。
彼の関心事は、やはりハンターである。
この地では雑兵とされる抜山隊の一般隊員でさえ、彼の目には優秀な兵として映る。
ただの事実として、ここは前線基地。その兵士の質に、彼は無表情で感心していた。
「噂通り、ここは精兵ぞろいですね。流石に貴方の隊の者は違いますが、他の隊員は私の基地でも働ける実力者ばかりです」
「あ、あらあら……冷厳なる鷲、アルタイルさんにそんな評価をしていただけるなんて……正直恥ずかしいわね」
「お世辞ではない、事実です。あのコチョウ・ガオにも先ほど初めて会ったのですが、その腕前は噂以上。流石は大公閣下のおひざ元、羨むほどの戦力がそろっています」
淡々と、まったく熱を込めずに、ただ評価をする。
偽りのない本心なのだろうが、淡々とし過ぎて逆に怖かった。
「あ、あははは……」
同僚であるジョーやガイセイになら、もう少し砕けた対応ができる彼女だが、やはり別の地で働く軍人には恐縮してしまう。
自分の隊員を咎めに来たということもあって、その振る舞いはいかにもぎこちない。
「とはいえ……流石に貴女ほどの実力者はみませんね」
「!」
「当代きってのスロット使い、蛍雪隊隊長シャイン殿。私も自分の実力にはそれなりの自信がありますが、ここで戦えば貴女には勝てますまい」
「そ、そんなことないですわよ。貴方がその気なら、この場で斬られちゃいますわ~~」
シャインは軍人が苦手だった。
まず苦手だからこそこの前線基地にいるのだが、軍人に評価されるとかつてのことを思い出してしまう。
「ご謙遜を」
「あ、あははは……」
Aランク上位のモンスターさえ拘束できる彼女である。
もしも戦場に立てば、どれだけの戦果を挙げるのか想像もできない。
彼女自身の人格を考えなければ、最高のスロット使いとして戦場で名を馳せただろう。
土地や季節などの条件で能力を左右される精霊使いよりも、多くの武勲を挙げられたはずである。
「そ、それよりも……コゴエちゃんの気配は感じるかしら?」
「いいえ、ほとんど。私は氷と風の精霊を使いますが……ほんのわずかしか、術の残滓しか感じられません。もしも前情報がなければ、ここを既に去っていると思い違えたでしょう」
本来であれば、精霊は自分の力を残したがる。
炎の精霊であれば熱や炎を残したがり、氷の精霊であれば低温の環境や雪を残したがる。
にもかかわらず、この地には精霊の力による雪などがない。これは精霊自身が意図して、徹底して残滓を消しているとしか思えない。
「コチョウはずいぶんと気を使われているようですね」
精霊使いである彼には、それを合理的に説明できる理由が一つしか思い当たらない。
コチョウの連れている炎の精霊は雪や低温を嫌うので、それへ配慮したのだろうと考えたのだ。
「まあそうね。コゴエちゃんは精霊使いに興味があるみたいで、よくコチョウちゃんに会いに来ていたから……あ」
「貴女が私に気を使う必要はありません」
「ご、ごめんなさいね! おほほほ……」
思わず砕けた話し方をしてしまったが、アルタイルは怒っていない。
もちろんそれが表に出ていないからかもしれないが、どちらなのか彼女には判断がつかなかった。
「こ、ここよ! ここがこの前線基地の城主、Aランクハンター狐太郎君の家よ」
「……」
「ほ、本当よ?!」
案内された、豪華な家。
それをアルタイルは、無表情で観察していた。
はっきり言って、本当に残滓が薄い。
まさか自分の暮らす家でさえ、自分の住みよい環境にしていないとは驚いたのだ。
精霊にとって、住環境とはそのまま食事につながる。
周囲の影響を受けやすいからこそ、周囲の環境を変える。それが普通の精霊だ。
だが現状は、明らかに違っている。
(別の理由があるのか?)
自分の冷気が周囲の迷惑だと思って、自室さえ寒くしていないとは、流石に想定できないだろう。
生理的な欲求に素直な、この世界の精霊を良く知る彼には想像もできない理由だった。
(も、もしかして、疑われているのかしら?!)
表情が読めないアルタイルに対して、シャインは対応を迷っていた。
すると、その彼女に気付いたわけではあるまいが、家の中からモンスターが出てきたのである。
「精霊の気配がしたので出てみれば、シャイン殿と一緒とはどういうことか」
硬いしゃべり方をする、小柄な女性の姿をした雪女。魔王の冠を頂く、氷の精霊の王。
一度全力を出せば、Aランクの上位に食い込むであろう怪物。
それが、普通に扉を開けて出てきたのである。
「ご主人様に御用だろうか、それとも私にか?」
「あ、あら! よかったわ、コゴエちゃん! 丁度貴方達に用事があったのよ! この人はアルタイルっていう……」
アルタイルを紹介しようとしたシャインは、その顔を見て驚いた。
先ほどまでは能面のような顔をしていたアルタイルだが、目を見開いて口をあんぐりとだらしなく開けて、バカのように見とれた顔をしている。
「あ、あら?」
「ふむ。この御仁、やはり精霊使いか。ランリの時もそうだったが、私たちを見ると専門家は大層驚くようだ」
コゴエはシャインへ説明をしているが、アルタイルは全然気づかなかった。
狐太郎よりもさらに小柄な、この世界においてはとても小さい彼女の姿に見ほれていたのである。
もちろん、彼女がAランク上位に食い込むモンスターだとは知っていた。
実際に見たことがないので、素晴らしいのだろうとは思っていた。
だがしかし、その想像をはるかに超える『美しさ』が、コゴエにはあったのだ。
「氷と風の精霊を従えているな。片方ずつでもコチョウの炎の精霊に劣らぬ格を持っている……素晴らしい使い手のようだな」
力を抑えている彼女に対して、アルタイルの傍から飛び出る二つの精霊。
アルタイルが制御を解いていることを抜きにしても、尋常ならざるはしゃぎようで、彼女の周囲に雪の竜巻を生み出していた。
「きゃ、きゃあ?!」
「むぅ、シャイン殿、申し訳ない……お前達、はしゃぎ過ぎだ。主の名誉のためにも、一旦落ち着け」
風と氷の精霊をなだめる姿さえ、あまりにも気品がある。
精霊を統べる、王冠を宿した魔王。そのあまりの美しさに、アルタイルは目を奪われていた。
まさに忘我、なにも口に出せない。
「さて、騒がせてしまって申し訳ない。私はコゴエ、虎威狐太郎に従う雪女……氷の精霊だ。お名前をうかがってもよろしいだろうか、風と氷の精霊使いよ」
名を問われて、アルタイルはようやく返事ができた。
精霊使いは精霊の専門家であるが、アルタイルはランリやコチョウと違って氷の精霊の専門家でもある。
だからこそ、思わず手を取ってしまった。
「わ、私は……!」
その顔は、冷厳なる鷲ではなかった。
高揚し、頬が赤い。
「私は、アルタイルと申します!」
まるで愛の告白をするように、彼女と距離を詰めていた。
「ぜ、是非私と……」
むしろコゴエの方が冷徹、平静な顔をしている。
その瞳に写った自分を見て、アルタイルは正気に返った。
「……ぜひ私に、ご主人を紹介していただけないでしょうか」
「もちろん構いません。家におりますので、どうぞお入りください」
心臓の鼓動が早まっている彼は、扉を開けて案内してくれる彼女から視線を切ることができず……。
しかし、傍らでびっくりしているシャインへ心を漏らしていた。
「……ら」
「ら?」
「ランリは……悪くないかもしれません」
至上の精霊を目の当たりにした彼は、彼女を己のものにしたいという欲求を振り払えなかった。




