互角
ハンター同士で試合をして、技量を高める。それは特に悪いことではないし、珍しくもない。
しかしAランクハンターに最も近い男と、Aランクモンスターが試合をするというのは前代未聞であろう。
なにせAランクモンスターが人間に従って、言われるがままに試合をすることなどないのだから。
Aランクとは、選ばれた者の領域。
どれだけ焦がれて、どれだけ求めても、決して手の届かない領域。
才能を持つ者が、凡庸なものを倒すだけでは満足できず、さらなる高みを目指して、ようやくたどり着ける場所。
それが、Aランクというステージ。
それが真っ向から衝突するというのは、もはや試合ではなく戦争の域。
その戦争をする両者が、周囲に気を使い、あくまでも個人同士で争う。
それを観戦するのは王侯貴族でさえ、そうそう叶わない。望外にして最上の娯楽である。
前線基地の外で始まろうとしている大一番を、各討伐隊の面々は目を皿のようにして待っていた。
「……なんかお祭りみたいなことになってるな」
狐太郎は周囲の熱気を感じつつ、若干引いていた。
まさしく格闘技の大会めいた雰囲気なのだが、その参加者を送り出す立場になるとは思ってもいなかった。
「クツロは平気か? 嫌じゃないか? こんな見世物扱いされて、嫌なら今からでも断ってくるけど」
もう見慣れてしまった、尋常ならざる巨体の鬼。
機能美と造形美にあふれる、はち切れんばかりの筋肉を満載した大鬼クツロ。
準備運動をしているだけなのだが、その迫力はさながら爆発寸前の火山であった。
彼女が体を温めているということは、すなわちこれから戦いが始まるということ。
あながち誇張された表現ではない。
「いえいえ、こういうのは結構好きですから。最近は生きるか死ぬかの殺し合いで、楽しむどころではありませんでしたし……」
まさしくスポーツ選手のような昂揚した顔をしている彼女は、この状況をこそ楽しんでいた。
既に格闘家の姿に転じている彼女は、弾けんばかりに美しい笑顔をしている。
「ガイセイとなら、楽しく殴り合いができそうです」
「……そ、そうか」
「ご主人様こそ、嫌じゃありませんか?」
「まあ正直、あんまり好きじゃない。お前が怪我をするのも、ガイセイとどつき合うのも」
ガイセイと初めて会った日に、クツロは彼と力比べをした。
互角の勝負だったが、それでも傷つけあうことはなかった。
だが今回は、傷つけあうことが前提である。
「ただ……お前が楽しいなら、それでいいさ。怪我はしてもいいけど、死んだら駄目だぞ」
「……ええ、死にませんよ、絶対に」
そうしたやり取りを狐太郎がしている中で、ガイセイもまた麒麟と話をしていた。
他の面々はここにおらず、麒麟とだけ話をしている。
「……やるってことは、勝てるってことですよね?」
「あん?」
「ガイセイさんは、負けませんよね?」
一人目の英雄、狐太郎。
彼に従う大鬼は、この世界でも最強格のAランクモンスター。
彼女を相手にすれば、麒麟をして勝ち目はない。
しかしガイセイならば、負けるとは思えない。
「なんだお前、勝ち目のないケンカは嫌いか」
「え」
「格好いいなあお前、勝てるケンカだけしたいってか」
相変わらず楽し気なガイセイは、麒麟と戦った時と同様に不安のない顔をしていた。
「こりゃケンカだ、仕事じゃない。まあ広い意味じゃあ仕事だが、俺はそんなこと気にしねえさ。第一アッカの旦那が現役の時は、俺なんかしょっちゅう負けてたぜ」
拳を握りしめて、へらへらと笑う。
麒麟の頭をぐりぐりと拳で押し込み、そのうえで前を見る。
なんともケンカ日和、景気のいい晴れ模様であった。
「負けるのは嫌いか?」
「はい」
「正直だなあ! お前いいな、格好悪いな!」
確かにクツロは強い。
だが言ってしまえば、狐太郎の戦力の、その四分の一でしかない。
もしも勝てなければ、かなり恰好が悪いだろう。
「やるからには勝ちにいくさ。まあ応援してくれや」
麒麟から視線を切ると、ガイセイは全身からエナジーを迸らせた。
膨大を極めるエナジーが、体からあふれているのだ。
「……頑張ってください。負けたら、指をさして笑います」
「おう、笑え」
麒麟は離れる。狐太郎も離れる。
前線基地のすぐ前にあるなだらかな丘で、男と女が向き合っていた。
討伐隊の誰もが、その戦いを目に焼き付けようとしている。
本来なら、Aランク相当の実力者がぶつかり合うならば、ここに居ていい理由はない。
しかし彼らもまた、戦いを見る義務があった。
「ま、前置きはどうでもいいだろ。ただのケンカ、ただの試合だしな」
「それもそうね、話が早いわ」
ガイセイの巨体、その顔が、同じ目線の相手をにらむ。
人ならざる大鬼クツロは、超人の英雄ガイセイと見つめ合う。
共に、この前線基地で屈指の大男に大女。
この世の多くの者が大きいとはいえ、亜人が人間より大きいとはいえ、ここまでデカい男もデカい女もそうそういない。
「それじゃあ」
「おう」
互いに拳を振りかぶる。
そして……申し合わせたように、ではない。
申し合わせて、拳をぶつけ合った。
わざとやろうと思わなければ、とうてい叶わぬ衝突。
拳と拳の正面衝突は、さながら門を破る鉄槌が打ち鳴らされるが如く。
二人は飛びのいた。
それは相手の様子を探るためではない。
単純に、助走距離が欲しかっただけのこと。
間合いが開いたのは一瞬のこと、ガイセイもクツロも、縮んだバネが弾けるように飛び出した。
「おおおおお!」
ガイセイの巨大な拳がクツロを狙う。
この前線基地で、最強のハンターがクツロの顔を砕こうとする。
その威力、当たれば大鬼とて耐えられるかどうか。
「キョウツウ技、ゴーストステップ」
それを試す気などない。
クツロは助走で得た速度を殺さぬまま、華麗に回避する。
「シュゾク技、鬼拳一逝!」
カウンター気味に入ったのは、クツロの拳。
ガイセイの大きな顔に、その鉄拳がめり込む。
「ショクギョウ技、鬼拳二逝、三逝、四逝、五逝、六逝、七逝、八逝!」
初手から畳み込むように、クツロの拳がガイセイの急所を確実に殴り抜く。
屈強を極めるガイセイの体が、連続攻撃によって打ち崩されていく。
「ショクギョウ技、鬼拳九逝!」
とどめとなる一撃を受けて、ガイセイの体は大きくのけぞった。
しかし、倒れない。それどころか、たたらを踏むこともない。
「そう、こなくっちゃな!」
まるで怯むことなく、ガイセイは反撃に転じる。
「ショクギョウ技、鬼相転涯!」
だが、その反撃の腕をつかむ。
両手でしっかりとつかみ、体を回転させながら腰を沈める。
それにつられて、ガイセイの体が前のめりになりながら浮き上がる。
反応を許さない速度で腰を上げ、クツロはガイセイを頭から地面に落とした。
「ぐ……!」
脳天から、駆け抜ける衝撃。
それを受けると、流石のガイセイも体が硬直した。
しかし、所詮は投げ技を食らった程度。彼はそれでも反撃ができる。
ギガントグリーンに掴まれて、高々と振り上げられたのち、地面にたたきつけられる。ガイセイはそうなってさえ、即座に自力で離脱することができた。
自分の身長の高さから、自分の体重を頭で受けることが、なんだというのか。
ガイセイは掴まれた腕を引き抜くと、さらに反撃をしようとして……。
「キョウツウ技、ファストナックル!」
いつだったか、麒麟から食らった攻撃により、体勢をさらに崩された。
「シュゾク技、鬼拳一逝!」
「ちぃ!」
追撃の拳を、何とかしのぐ。
「ショクギョウ技、鬼斧神攻!」
だが、それさえクツロの掌の上。
長く太く、美しく力強い脚が、ガイセイを防御ごと吹き飛ばした。
「くそ、やりづらいな」
「あら、泣き言?」
「ああ、泣き言だ。涙が出そうだぜ、まったく」
ガイセイはわずかに口から血を流しているが、それだけだった。
何度かクリーンヒットを食らっているが、それでもダメージの蓄積は軽微である。
だがそれでも、明らかに押されていた。
まだ様子を見合っているような段階だが、それでも討伐隊たちは背中が冷たくなっていた。
さきほどからただの通常攻撃として放たれている、クツロの徒手格闘。もしもそれを自分が食らえばどうなるか、想像しただけで背筋に汗が流れるのだ。
二人にしてみればじゃれ合いのような攻防だが、もうすでに一般隊員ではついていけない領域に達している。
「ショウエン君、どう見る?」
白眉隊隊長のジョーは、己の部下になったショウエンへ意見を求めた。
まだ全力を出しているわけではないが、それでもわかることはある。
「クツロは……とても丁寧な、対人戦闘のお手本のような戦い方をしますね。正面からぶつかると見せかけて、回避しながらのカウンター。そこから畳みかけるように連続攻撃を打ちながらも、反撃を誘ってから投げ技。さらに機先を制する速攻に、さっきと同じ技と見せかけてからの蹴り。よどみのない、焦りのない戦いだと思います」
「そうだ。皮肉なことだが、彼女の方がよほど人間らしい戦い方をしている」
クツロの職業は格闘家だが、それは決して伊達ではない。
攻撃も防御も選択肢が多く、相手に攻め手を読み切らせない柔軟な強さがある。
その分攻撃力は低いのだが、それでも危うげなくガイセイを押さえていた。
当然と言えば当然。
狐太郎たちがAランクハンターとして認められたのは、単に魔王としての力が強大だからではない。
モンスターでありながら、人間の技や武器、戦術を用いて戦えるからこそ。
もとより戦いかたの幅で言えば、この世界よりも彼女たちの世界の方が大きく進んでいる。
「人間の職業の力を得たモンスターか……嫌なものを思い出すわね」
「ええ。一人目の英雄も、使っていたのね」
「それは大したことじゃないだろう。最新技術じゃなくて、太古の儀式なんだから」
それが証拠に、同郷である抜山隊の三人は、この光景を見てもさほど驚いていない。
大鬼が強いのは当たり前で、大鬼が格闘家ならもっと当たり前で、英雄に従っているのなら尚当然だ。
大ダメージを与える戦い方ではなく、ただ反撃を封じるだけの戦い方なら、麒麟にも多少は心得がある。
この戦いは、見た目ほどクツロが圧倒しているわけではないと、きちんと見抜けていた。
「一撃の威力なら、僕の方がずっと上だ。でも素の攻撃力は彼女の方が上……だから技の回転が速い」
見抜けているうえで、自分の失策を思い知る。
自分がガイセイと戦った時も、ああやって立ち回ることはできた。
もちろんどう戦っても勝てなかっただろうが、最大火力にこだわった結果が惨敗である。
もう少し、やり様はあったのに、自分は自分にできることを忘れてしまった。
自分が赤点だったテストの模範解答を見ているようで、恥ずかしくもあり苛立たしくもあった。
「とはいえ……このままじゃお互い千日手だ。判定勝ちがあるわけじゃないし……それに……隊長は本調子じゃない」
これがスポーツの試合ならば、もう勝負は決まっている。
あるいは、殺し合いだったとしてもどこかで勝負がついていたかもしれない。
しかし、これはハンター同士の試合である。
加えて言えば、ガイセイはまだ調子が出ていない。
「……クソ」
「ふん」
「ちぃ……!」
一灯隊の三人は、戦況を見て露骨にイラついていた。
ここまでは、三人でも食い下がれる領域だ。もちろんガイセイを倒せるわけではないが、抵抗をすることはできる。
それでも、ガイセイは調子が出ていない。
この前線基地最強を誇る大男は、本調子でなくとも自分達より強いのだ。
それは、Bランクに達しながら、しかしAランクになれない者の悲哀。
本気を出せない相手にも勝てない、悲しい力の差がそこにあったのだ。
「シュゾク技、鬼炎万丈! シュゾク技、拳骨魂!」
自己強化を重ねて、クツロがガイセイをさらに打ちのめす。
如何にダメージが軽微とはいえ、打たれ続ければ気分が良くなるわけもない。
剛毅なる豪傑は、苛立ち怒り、気を昂らせる。
「やってくれるじゃねえか……あああ!?」
全身から、雷があふれ出す。
それはクリエイト技ではなく、ただエフェクト技が暴発しただけ。
だがそれだけでも、周囲の草木は一瞬で焼き払われて灰になる。
「貴方がのんびりしているから、叩いて治してあげたのよ? 感謝したらどうかしら」
「感謝? ああ、してやるよ! お礼にその面を可愛くしてやるぜ!」
ガイセイは、ひたすら単純に肉体が強く、エナジーの量も膨大である。
それらが相まって、ただ普通に戦うだけでも勝ててしまう。
それらに加えて生来の不器用さもあり、エフェクト技さえ意のままに出せない。
なんとも常識はずれなことに、それでさえ彼はこの地で最強の座に座っていたのだ。
「サンダーエフェクト! ジュピター!」
ガイセイの全身から、黄色い閃光が迸る。
肉体を守っていた膨大なエナジーが、そのまま電撃属性に変換される。
膨大なエナジーを放電し続ける、というでたらめな所業も、彼にとっては大した疲労ではない。
一度エフェクト技を発動させてしまえば、彼には誰も勝てなかった。
というよりは、誰が何人相手でも、手も足も出なかった。
アッカが去ってから、狐太郎が来るまで、彼は最強であり続けたのだ。
「触れば黒焦げじゃすまなそうね」
膨大な電撃は、超高熱でもある。
もしも彼に触れれば、格闘家としての彼女の防具など、一瞬で蒸発してしまうだろう。
そう思えるほどに、本調子のガイセイは恐ろしかった。
「まあでも……そうじゃないと、戦う価値がないわね」
しかし、それでもクツロに退路はない。
もしかしたら、自分たちが倒した魔王よりも、強いかもしれない男。
この世界で最高峰に達しうる男。
彼を相手に、どこまでやれるのか。クツロは、身をもって確かめなければならない。
「人授王権、魔王戴冠」
触れるだけで蒸発するような相手に、小手先の技など無意味。
ただ力、今以上の力で迎え撃つ。
「タイカン技、鬼王見参!」
今の今まで、格闘技で圧倒していたクツロ。
まるでモンスターをあしらう武人のような立ち回りをしていた彼女は、ここで人の形を完全に捨てた。
強大であっても美しくさえあった肉体は、醜いほどに肥大化する。
人間の味方とは思えない、正真正銘のAランクモンスターとして、全力を発揮するのだ。
「シュゾク技、鬼の金棒」
巨大な金棒を手に、魔王はハンターを見下ろす。まさしくそれは、本来の姿。
強大な怪物に、鍛え抜いたハンターが挑む一枚の絵。
「来なさいよ、ガイセイ。殺さないであげるわ」
「ははっ……ぶっ殺す!」
怪力乱神と万夫不当が衝突する。
電撃を込めたガイセイの拳と、魔王の金棒が真っ向から衝突する。
まさに、落雷が落ちたような衝撃。
人の枠を超えた力の激突は、もはや災害と化していた。
「あらあら……死なないなんて生意気ね」
「てめえこそ……いい金棒を持ってるじゃねえか、金棒に救われたな!」
竜巻が発生したようだった。
嵐の中に放り込まれたようだった。
巨大な鬼と、雷の化身が真っ向からぶつかり合う。
お互いの通常攻撃がはじけ合って、風と音が生じ、周囲を揺すっているのだ。
もはや局所的な台風と化した激突に、周囲の者は立つことさえままならない。
雷をまとっているとはいえ、人間の拳が魔王の金棒と正面からぶつかり合うという、あまりにも現実離れした状況。
全力を込めて打ち付けてもひるまぬ相手に、負けてなるかとぶつかる両者。
そして。
待ち望んでいた展開が、必然的に訪れた。
「!」
今までありとあらゆるモンスターを倒してきた、ガイセイの拳。
如何なる武器よりも頑丈であり、何よりも信じてきた拳。
それから、血が噴き出たのである。
「そうか」
ガイセイは、笑った。
「お前が、今の俺の限界か……!」
自分の拳で砕けぬ敵を、倒すこと。
更なる飛躍を得るために、彼はこの瞬間を待っていたのである。




