君子、和して同ぜず、小人同じて和せず
広葉樹の森に囲まれている避難所に、轟音が届き始めた。
すなわち街で本格的な戦闘が始まったということであり、悪魔とホワイトが衝突したということである。
皮肉なことだが、ホワイトがまだ健在である証だった。
「……彼は勝てるでしょうか」
「見込みはある」
その戦闘音に、多くの者が怯えていた。
誰もがなんの意味もない掘立小屋に入り込んで、ガタガタと震えながら祈りをささげている。
まぎれもなく、Bランク中堅に食い込む戦い。それは常人が入り込めるものではなく、遠くで起きていてさえ身震いする音を起こしていた。
表でその音を聞いているのは、ホワイトと話をしたDランクハンターの男と、貴族の女性である。
この二人だけは、尋常ならざる戦いが終わることを待つことにしていた。
「アイツは俺達と同じDランクハンターだが……根の部分が違う」
「彼が養成校を首席で卒業したからですか?」
「それも、あるっちゃあ、ある」
なんだかんだと言って、養成校を首席で卒業できることは、とても凄いことである。
もちろん社会にでて通用するとは限らないが、彼がまじめに課題をこなしていたことは確実だ。
その時点で、Cランクモンスターにも苦戦していた『ベテランのDランク』とはわけが違うのだろう。
「ですがね、それだけじゃないんですわ」
戦力が拮抗しているのだろう、戦いは中々終わらない。轟音が遠くへ行くようで近くに来ているようで、ともかく音が止むことはない。
まだホワイトは死んでいない。あの街を滅ぼした悪魔と、真っ向から張り合っている。
「ハンターの間じゃあ結構有名なんですがね、あの兄ちゃんは首席で卒業した後、シュバルツバルトに行った」
「……どこですか?」
「この国で一番の危険地帯でさあ。そこで兄ちゃんは、手も足も出ずに打ちのめされたとか」
希望の星が、既に敗北の味を知っている。
その事実を、あえてベテランは語る。
「……あの兄ちゃんは、そのあとでここに来た。このレッドマウンテンの奥で、Bランクのモンスターを相手に修行をしてた」
遠い星を眺めるような目をして、戦闘の音に耳を傾けている。
「負けた後で、立ち上がったんだ」
Cランクハンターにさえなれなかった男が、自分のことを諦めていた。
そして、まだCランクにさえなっていない男を、諦めずにいた。
「負けた後の方が、強いということですか?」
「いいや、少し違う。違うんでさあ」
負けて得るものなどない。
勝たなければ、得るものはない。
そんなことは、ホワイト自身が一番よく知っている。
「負けた後で、腐らなかった。強くなるためにここへきて、ずっと強くなり続けていた。あの兄ちゃんは、自分のことを諦めなかったんだ……」
養成校を首席で卒業しただけなら、ここまで期待を寄せない。
そんなことは、今のホワイト自身がよくわかっている。
彼は強くなると決めて、実際に修行を続けていた。
その事実が、もうすでにベテランのDランクとは違い過ぎる。
「貴族のお嬢さん。不謹慎っつうか不真面目な話だがね、今回の件が無事に済めば、俺らはアンタらの家から報酬をせびる気だ。それはもう、どっさりとな」
「……好きにしなさい」
「ははは……そういう意味じゃあ、俺達は運がいい。そりゃまあしんどかったが、まず悪魔に襲われずに済んだし、この仕事を辞めても大丈夫なぐらいの金はもらえるんだろう。割にはあう」
仮にホワイトがこのまま悪魔を倒したとしても、Dランクのベテランや、討ち死にしたCランクハンターの戦果が軽くなるわけではない。
Cランクハンターは職務をまっとうしたのだし、Dランクハンターがいなければホワイトが間に合うこともなかったのだから。
なんだかんだ言って、Dランクハンターはちゃんと保護していたのである。その点で言えば、報酬を要求することは決して不当ではない。
「ですがね……その程度なんですわ。俺達の幸運なんて」
「どういう意味ですか」
「俺達に力があれば、あの兄ちゃんみたいに悪魔を倒しに行った。んでもって倒せていれば……アンタたちを後ろ盾にして、Bランクハンターにしてもらってたさ」
ありえない、とは言えない。
後ろ盾がいれば、保証人さえいれば、Bランクハンターにはなれる。
Bランクに相当するであろう悪魔を倒して実力を示し、貴族から保証人を募れば十分条件を満たしているだろう。
十分な実力を備えているハンターにとっては、夢のような話だ。
まあ、ベテランのDランクハンターに、そんな実力は備わっていないわけだが。
「できないわけだが」
「……才能の差ですか」
「いいや、それ以前だ。俺たちは頑張ってこなかったんですよ」
とても情けないことだが、日々鍛錬を積んでいれば、Cランクモンスターに手こずるということはない。
この世界の住人が真面目に鍛えていれば、Cランクハンターにはなれるのだ。少なくとも、才能の有無は問題にならない。
DランクとCランクの間にあるのは、まじめに頑張っているかどうかだけ。それは当人たちが一番よくわかっている。
「毎日真剣に剣を振る、仕事のない日にエフェクト技やクリエイト技の練習をする、休んでいる間に酒を飲み過ぎずちゃんと疲れを取る。まあ……その程度のことさえしていれば、Cランクハンターにはなれた。そこまでいかなくても、それに相当する力は身についていた」
「底辺には底辺の理由があると」
「そういうこった。まあEランクやFランクと一緒にされても困りますがね。ベテランのEランクやFランクなら、アンタらを守るどころか身ぐるみ剥いで、自分達だけで近くの街まで逃げてましたぜ」
貴族の女性は、思わず絶句した。
確かに下のハンターはただのごろつきと聞いていたが、だとしても限度がある。
それはもはや、ただの犯罪者ではないだろうか。
その一方で、費用対効果からすれば、合理的で賢いともいえる。
なにせ貴人の服だ、売れば高くなるだろう。こんなところで長々護衛をするよりは、よほど賢いのだろう。
「ま、Eランクよりましだから、俺達は偉いなんて言いませんが。とにかくまあ、俺達Dランクは腐ってるんです」
別に悪人ではない。
もしも悪人なら、護衛のいない貴人を守ったりしない。
だが真面目でもない。
不当に低い扱いを受けているわけではなく、実力があるのにくすぶっているわけでもない。
才能がなくて、頑張っても芽が出なかったわけでもない。
「俺達は、どうあがいてもDランクなんじゃない。そもそも足掻かなかった、そもそも頑張らなかったからDランクなんです」
俺達だって真面目にやってりゃCランクにはなれた。
恥じ入るように、彼はそう言うのだ。
真面目に頑張ってこなかった、それすらしてこなかった。それがどれだけ駄目なことか、よくわかっているのだ。
「俺達だってわかってるんです。俺達が酒を飲んでいる時、まじめに鍛えている奴がいることを。俺達が安全地帯にある樹皮の縄張りを奪い合っている時に、危険地帯でモンスターと戦いながら樹皮を取っている奴がいることを。今日遊べればいいだけの金を稼いでいる間に、明日のことを考えて頑張ってるやつがいることを」
CランクハンターやBランクハンターは、Dランク以下のハンターを蔑んでいる。
あんなのと一緒にするなと、本気で馬鹿にしている。
そして、事実そうなのだ。
「俺達Dランクハンターは……お互いが嫌いなんですよ。安全な場所を奪い合ってるし、採取した樹皮そのものだって奪い合ってる。ま、偉そうに言えば商売敵ですんで。ですがね……根っこの部分じゃ慣れ合ってる。俺以外にもクズがいる、自分だけがクズなわけじゃない……自分程度の奴は、結構いるんだって、安心しているんです」
自分がクズなのはわかっている。分かっているが、自分だけではないことも知っている。
自分がクズであることはわかっているが、自分だけが悪いわけではない。
加えて言えば、Dランクでも食うには困らない。自分を高める努力をしなくても、今日を生きることに不便はしない。
指定されたノルマを達成しなくても、まじめにコツコツ頑張らなくても、嫌な思いをしなくても、身を削るような思いをしなくても。
観光地で染料を集めていれば、のんびりと暮らせるのだ。
だからこれでいい、別に自分たちは間違っていない。
そうやって、腐っていく。
腐った結果が、Cランクモンスター相手にも手こずり、若造相手にも文句が言えないベテランのDランクハンターだ。
どこにでもいる、底辺扱いされて当然の男たちだ。
「あの兄ちゃんだってそうできたはずなんです。食うにゃ困らない、仕事があった。それどころかこの森に来た時点で俺達よりもずっと強いんだから、俺達をぶちのめしてDランクの王様になればよかった。そうしていれば、クズはクズなりに……いい思いができていた」
「ですが、彼はそうしなかったのね」
「ええ。あいつは楽な仕事を、鍛錬の時間を作るための仕事だと割り切った。今はDランクでも、絶対に上に上がってみせると踏ん張った」
如何に手薄になっていたとはいえ、一つの街を壊滅させた悪魔と彼が戦えていることは、決して偶然でも幸運でもない。
才能があったとしても腐っていれば、他のCランクハンター同様に負けていただろう。
「アイツは……俺達みたいな、食えればいいだけの仕事をしているDランクや、毎日のノルマをこなすことで精いっぱいのCランクとは違う。なぜなら、違うんだぞと言って、実際に違うことをしてきた。CやDに甘んじないために、実際に甘んじない環境に身を置いた」
主席で養成校を卒業する。
それはとても凄いことだ。
Bランクモンスターのたくさんいる危険地帯で仕事をする。
それはとても凄いことだ。
才能のある人間が、それに甘んじず努力をしてきた。
それはとても凄いことだ。
とても凄い人間が、緊急事態で抜きんでた働きをする。
とても凄いことではあるが、不思議でも幸運でもない。
「……私は彼に、Bランクのモンスターと普段から戦っているのだから、Bランクの悪魔と戦って勝つことはできるはずといいました」
「ええ」
「それは、真実だったのですね」
「そういうこってす」
Aランクハンターになるために鍛えてきたハンターが、Bランクであろう悪魔と戦えている。
それを、才能があったとか、運が良かったとか、環境に恵まれたとか、言えるわけがない。
彼は目標を立ててコツコツと積み重ねてきた。
であれば、Bランクの悪魔を相手に勝つことはできる。
それは、当然だった。そのために苦しみ、そのために嫌なことをして、そのために誰にも褒めてもらえない日々を送ってきたのだから。
※
「プッシュクリエイト、ビッグハンマー!」
「ぐあああああ!」
若き悪魔は、劣勢に立たされていた。
相性がどうだとか、必中の呪いを返されたとか、そんな程度の低い話ではない。
単純に、圧しきれていないのだ。
「おおお!」
「ふん!」
三叉槍に変形させた悪魔の腕と、エフェクトを帯びた剣が衝突する。
Cランクハンター相手なら、苦も無く吹き飛ばせていた。
しかしホワイトを相手にすると、全力を込めても拮抗してしまう。
「ぬうぅううう!」
様々な特殊能力を持っているとはいえ、悪魔は弱いわけではない。
純粋な身体能力もまた、通常のBランクモンスターと比べて劣るわけではない。
人間の大きさでありながら、巨大な獣と同等の力を有している。
それが目の前の人間一人を倒せていないのは、つまり目の前の相手も巨大な獣と並ぶ力を持っているから。
「おおおおお!」
剣戟が生じる、火花がはじける、風が吹き荒れる。
足を止めて、何度も押し切ろうとする。両手を武器に変えて、体を貫こうとする。
しかしそれが、どうしてもできない。
ホワイトは手にした剣でそれを防ぎ、なおかつ反撃にさえ転じる。
必中の呪いによって回避が不可能であるがゆえに、悪魔はそれをすべて受けなければならない。
つまり攻撃し続けることができず、受けを意識しなければならなかった。
逆に言えばホワイトもまた、全力で殺そうとしているのに、殺しきれなかった。
過酷な鍛錬に身を置き、必死で努力をして、何に頼ることもなく頑張ってきたのに、目の前の悪魔一体を切り伏せられずにいる。
この鬼畜外道を一刀で切り伏せたいのに、それが叶わない。ホワイトもまた、いらだっていた。
「コユウ技、アイドルパンチ!」
その横腹を、彼女の小さな手が叩く。
無防備になっている悪魔の横腹を、童女の拳が的確に打ち抜いていた。
「ごほぉ……!」
悪魔の体が折れ曲がり、大きくよろめく。
一撃で消滅することこそないが、それでも確実にダメージを受けていた。
「プレスエフェクト、プレッシャースイング!」
「ぬぅうう!」
全身を押し縮める一撃が、悪魔の隙を打つ。
ホワイトの攻撃は、畳みかけるように有効打となっていた。
「ぬぅうう!」
それでも、悪魔は倒れない。
この程度で倒れるのなら、Cランクハンター相手に苦戦していたはずである。
単純に打たれ強く、有効打をもらったぐらいでは倒れない。
だからこそ、BランクモンスターはBランクたり得る。
「お前、本当に攻撃力低いな……」
「仕方ないでしょ! アタシの技は、相手がバリアとか張ってないと威力が出ないんだもん!」
「相性に影響され過ぎだろう……まあいいけどな」
問題なのは、ホワイトと彼女の『基礎能力』がBランクに達していることだ。
とても単純なことに、二人とも悪魔と同格なのである。
要するに何が起きているのかと言えば、二対一でボコボコにしているだけなのだ。
(まずい……このハンター、一対一でも勝てるとは言えない相手だ! そのうえで、この小娘もなかなかやる……)
悪魔の黒い体液が、口元からこぼれた。
悪魔の体は精霊よりも肉体に近いが、それでもエナジーによって大部分が構成されている。
エナジーの結合を保てず、固体から液体、液体から気体に、気体からエナジーそのものに変わって消えていく。
確実に、ダメージが加算されていた。
(そのうえで、必中の呪いを返された! なにがまずいと言えば、仲間に攻撃が当たることを考えなくていいことだ!)
二対一の接近戦で、警戒するべきことは味方を攻撃してしまうことだろう。
だが今は、悪魔自身に必中の呪いがかかっている。どう攻撃をしても、絶対に悪魔にあたるということは、絶対に仲間にあたらないということでもある。
(このハンター相手に拮抗し、小娘が隙を作り、さらにハンターが押し込んでくる! さっきからそれの繰り返しだ……打ち合っていれば疲れるかもしれないと思っていたが、全然そんなことがない!)
ホワイトは全力で戦っていたが、無理をしているわけではない。
背伸びや逆立ちをしているわけではなく、普通に悪魔と競り合えている。
もちろん疲れないわけではないが、悪魔もまた疲れている。同等の消耗であれば、打ち込まれている悪魔が先にばてるだろう。
「ヒヒ、ヒヒ、ヒヒヒヒ」
悪魔は、笑った。
追い詰められて尚、笑った。
「どうやら、勝てると思ってるみたいだなあ」
黒い体液を全身から流しつつ、不気味に笑った。
「おめでたい、実におめでたい……!」
悪魔は、窮したうえで笑った。
「お前達……私が本気で戦っているとでも思っていたのか!」
残されたエナジーを、瞬間的に増幅させる。
「疲れるので使いたくなかったが……もう容赦せん!」
実体を失いかけるほど、膨大なエナジーが膨れ上がった。
「これが私の全力だ……!」
人間と同じ大きさだった悪魔は、その体を膨れ上がらせる。
下半身は大地に埋まり、上半身だけが二人を見下ろしていた。
「さあ……死ね!」
これ以上消耗すれば、この姿になることもできない。
そう判断した悪魔は決断する。この二人を倒した後に著しく消耗し、しばらく戦えなくなるとしても、それでもかまわないと踏み切ったのだ。
「お前たちを殺した後、人質も何もかも殺してやる! 生き残った女たちには手が出せないが、そいつらを守っているハンターを殺せば同じことだ!」
もう、殺せるのなら何もいらなかった。
「後悔して死ね!」
それを前に、二人は冷静だった。
「ねえねえ、ホワイト。年上と同じぐらい、どっちが好み?」
「今は、年上だな」
「そうだね……それじゃあ、私張り切っちゃうわ~~!」
直後だった。
童女の姿が歪み、女の盛りとも言うべき姿に変わる。
そして、その力を爆発的に増幅させた。
「あ……ああ?」
「コユウ技、アルティメットレゾナンス」
悪魔と同種にして、それ以上のオーラを発する女性。
悪魔が全てをかけて、すべてを費やして発動させた強化を、あっさりと上回る。
「な、なんなんだお前は!」
「ごめんなさいね、私も知らないのよ~~」
彼女は、その手で悪魔の横っ面を叩いた。
「ぐあああああああ!」
ただそれだけで、巨大な上半身が倒れる。
大きな建物に激突し、そのままめり込んでいく。
「でもあなたは、まず自分を知るべきね? コユウ技、レゾナンスインパクト!」
「まったくだ。プッシュエフェクト、ビッグハンマー!」
なんの容赦もなく、二人は追撃を仕掛ける。
残った力を使い切りかけた悪魔に、さらなる打撃が加えられる。
「あ、あああ……」
瓦礫に埋もれているのは、もはや白昼の幽霊同然に弱り切った、靄のような悪魔の残骸だった。
「とどめ、どうぞ」
「おう」
ホワイトは、なんの躊躇もなく最後の技を使う。
「お前は埋まってろ……プレスクリエイト……!」
彼の手から、実体化した圧縮属性のエナジーが迸った。
「ダストグレイブ!」




