良薬は口に苦し
Bランクモンスター、ヒートフォーク。
高熱属性のエナジーを操る大型の鹿であり、その角はトナカイにも似て歪に大きい。
草食であり積極的に他のモンスターを襲うことはないが、縄張り意識はとても強く、その範囲に入った人間に容赦はしない。
一体ずつでも厄介だが、このモンスターは家族単位で群れをつくる。
「ヒートフォークが五体か……」
元が鹿であるだけに、頭部の高さはそれほどでもないが、全体の大きさは相当のものである。
それが巨大な角を持ち、さらに五体も横に並んでいれば、もはやファランクス陣形であった。
一体一体は、オイルトードよりも弱いだろう。だが五体が相手なら総合して上回るかもしれない。
周囲が熱に包まれて、己の汗が蒸発していくのを感じながら、ホワイトは満足げに笑った。
今の自分では苦戦を免れない、つまり適正な敵だった。
「いいだろう、やって……」
「無理をしてはいけない、ホワイト! ここは僕も一緒に戦おう!」
「……おい、こいつらはBランクだぞ」
しかし、それに横やりを入れるのは彼女だった。
さも窮地にはせ参じたと言わんばかりに、自信たっぷりに笑っている。
「わかっているさ……強敵なんだろう? 本来なら君一人が相手をするべきだが、五体が相手なら僕が参加しても筋は通る筈さ」
「通らねえよ、どけ」
「あ、相手は五体だよ!? ここは僕の力も……」
「どけ!」
ホワイトが何度も強くどなると、シュンとして下がっていく彼女。
その間も、ヒートフォークは熱を発しながら待っていた。
「ふぅ……」
加えて、ホワイト自身も体から水分が急激に失われつつあった。
そういう意味でも、この無駄な時間は身体を消耗させている。
口を開けば、周囲の熱気によって口内がひりつく。
「……まあ、この程度の相手なら問題にはならないか。ここはひとつ、新しいことに挑戦と行こう」
現在ホワイトが目標としているスロット使いとは、己の中にあるエナジーを、複数の属性で具現化する能力者である。
それは前提として複数の属性を先天的に宿していることが条件であり、同時にそのすべてを極める必要があった。
「鈍重な鹿如き、クリエイト技ならなんてことはない相手だが……」
腰に下げていた剣を抜き、属性を得たエナジーを流し込む。
「圧縮属性……プレスエフェクト! プレッシャースイング!」
高熱の塊となっているヒートフォークに、あえて接近戦を挑む。
剣を持ってはいるものの、巨大な角を持っているヒートフォークには優位性などない。
だがそれでも、前に進む。
皮膚が軽度の火傷を負い始めるが、そんなことを気にする余裕はない。
あえて一番大きい個体に、剣戟を加える。
押出属性ならば、大きく吹き飛ばして木に衝突させ、そのまま倒すことができていただろう。
だがしかし、圧縮属性の攻撃もまた、きちんと発動していた。
「ちぃ……変換効率が悪い、つい押出属性を使おうとしてしまう……!」
圧縮属性を込めた一撃を受けて、ヒートフォークは体を折り曲げながら地面に倒れた。
全方向から押しつぶされたかのように、むりやり丸め込まれたのだ。
巨体が軋み、その関節が悲鳴を上げている。巨大な重量を持つがゆえに、その攻撃は効果的だった。
「む!」
加えて、一体が倒されたことで焦ったのか、周囲の四体もまた殺到してくる。
完全に包囲され、しかも熱を帯びた角がぶつかってくる。回避もへったくれもない状況で、本来ならばまさに押出属性の出番だった。
「プレスエフェクト! プレッシャースイング!」
それでもあえて、接近戦を続ける。
圧倒することに意味はない、使いこなせている技を使うことに意味はない。
新しいことに挑戦し続ける、新しい力を使いこなそうとする。
熱で脳が煮えて、視界がかすむ。その中でも、圧縮属性を使おうとする。
この極限状態でも使えなければ、習得しているとは言えない。
そして極限状態で使えるようになるには、やはり極限状態に身を置くしかないのだ。
「……ふう」
ほどなくして、すべてのヒートフォークは倒れた。
それが終わったころには、ホワイトは全身にやけどを負っていた。
露出していた顔や手は特に火傷が酷く、服に多少は守られていた胴体や腕なども水膨れを起こしている。
全身にやけどを負うというのは、致命的なことである。それを知識として知らずとも、彼女にとっては衝撃的だった。
「だ、大丈夫かい! 今手当を……」
「いらん」
ホワイトにとって、ヒートフォークとの戦いは想定内だった。
戦闘中は下ろしていた荷物をあさって、その中にある水筒の中身を飲む。
大量の水分が体を駆け巡っていくが、それでも見た目の痛々しさは変わらなかった。
「で、でも……」
「この程度、なんてことはない。学校で処置も習ってるから、一人で手当てもできる。第一お前、手当てとかできるのか?」
見た目の痛々しさとは裏腹に、ホワイトはどんどん自分で処置をしていく。
自分で服を脱ぎ、自分で体の各所に傷薬を塗って、さらに包帯まで巻いていく。
それを終えると普通に服を着なおして、平然と立ち上がっていた。
その姿に、彼女は言葉もない。
「……もう、大丈夫なのかい?」
「驚くほどのことか? この程度なんてことはないだろう」
もちろん、狐太郎がこうなっていれば、そのまま死んでいただろう。
どう処置をしても間に合わず、むしろこの状態になる前に死んでいる。
だがホワイトはこの世界の住人であり、同時にAランクハンターになる素質を持った男であり、さらに基本的な技術を習得した優等生である。
厄介な毒を受けたわけでもないのだから、自分で処置をできるのは当たり前だ。
「で、でも……」
「そうだな、お前そこの鹿の一体を持ってこい。当分の食事には困らなそうだ」
心配している彼女を気に留めることもなく、彼は平然と自分の足で歩き始めた。
なんのことはない、彼にとってここのモンスターはすべて既知である。
その備えは、予めしておいた。
例えば高山に上るのは、そもそも無茶である。
しかし熟練者であれば、きちんと事前に準備をする。
辛いことをするとしても、備えがあれば決して自殺にはならない。
きつい訓練をするからこそ、それを治す手段を用意しておくのは当たり前だった。
「……うん、わかったよ。ねえ、ホワイト」
「なんだ?」
「僕は必要かい?」
「ぜんぜん」
「そ、そうだよね……」
巨大な鹿の死体を担いだ彼女は、力なくとぼとぼと歩いていく。
見た目に反する怪力だが、それを見ても彼はまったく驚かなかった。
まあ、頼んでおいて驚くほうがどうかしているのだが。
※
その日の夕暮れ。
穴倉に戻ったホワイトは、自分でてきぱきと包帯を取り、薬を再度塗って、新しい包帯に変えていた。
その手際は実に見事で、手伝う必要性を感じられない。
それどころか、彼女にはそこまで適切に処置を行える自信もなかった。
彼女がやったことと言えば、ヒートフォークを穴倉の前に運んで、言われるがままに処理をしただけだった。
もちろんそれもありがたいことではあったのだろうが、彼が自分でできたことだった。
「……ホワイトは、凄いね。一人で何でもできるんだ」
「ああ、当たり前だろう? 一人で何でもできなかったら、そもそもここに一人で来ねえよ」
「それはそうだ……ふふふ」
まず前提として、彼女はとても強く、献身的な性格をしている。
人付き合いに飢えていて、誰かの役に立ちたいと強く思っている。
しかしホワイトは、そんなことがない。
例えば適正レベルを大きく超えたダンジョンに迷い込んでしまったわけではなく、仲間に裏切られて置き去りにされたわけでもなく、大きなけがを負っていて今にも死にそうになっていたわけでもなく、想定外の強敵に遭遇したわけでもない。
自分の意志でここにきているし、帰ろうと思えばいつでも人里に降りられるし、降りても借金取りなどに追われているわけではないし、特に将来へ暗い影があるわけでもない。
彼女に会わなかったら人生が詰んでいるような、お先真っ暗な底辺ではない。
「……お前は、まあいろいろと事情もあるんだろうな。だけど……お前は変だよ」
「……変かな? 普通にしているつもりなんだけど、おかしいかな?」
「能力はまあ置いておいて……お前の性格、明らかにぶっ壊れてる」
ホワイトは、彼女のことを理解していた。
彼女が自分のことをよくわかっていないということや、赤ん坊同然だということも信じていた。
彼女にはホワイトを騙す気がない、騙す能力がない。
人付き合いが、あまりにも下手すぎる。
「仮にだ、お前がいないと生きていけないような奴に会ってみろ。お前、絶対使い潰されるぞ」
以前から思っていたことを、そのまま伝える。
「……そうかな」
「そうだ」
「じゃあ君は、自分のことをどう思っているんだい?」
彼女もまた、素直に心境を伝える。
「確かに君は強い。でも怪我はしているし、かなり無茶もしている。僕がいなくてもなんとかはなるだろう、でも遠からず体を壊してしまうんじゃないかな?」
それもまた、そう間違った話ではない。
「君は、頑張り過ぎだ。もちろん無計画じゃないし、自分のできることを把握したうえで無茶をしているんだろう。でも……少し間違えば大けがをして、そのままリタイア、あるいは死んでしまうかもしれない。なんでこんなところに、君は一人で来たんだい?」
いくら一人でなんでもできるとはいえ、一人で来る必要性はない。
そこそこでもいいから戦える仲間を連れてくれば、相当安全に立ち回れていたはずだ。
彼は最善を尽くしているつもりかもしれないが、一人でできる範囲での最善であろう。
「君の頑張りに、どんな意味があるんだい? なんで今以上を目指すんだい? 君はDランクハンターでしかないと言っていたけど、Aランクハンターにならないといけない理由でもあるのかい?」
はっきり言えば、彼女の倫理観では、彼は自分を大事にしていない。
「……君は、誰かに甘えるべきだ。僕である必要はないと思うけど、でも……まあ正直僕に甘えて欲しいけど……それを抜きにしても、なんでそんなに自分を追い詰めるのかわからない」
命をかけなければ、強くなれない。
それはわかるのだが、命をかける意味が分からない。
伝説の勇者ではなく、何か使命を帯びているわけではなく、ましてや大金が必要とも思えない。
「君は、自分を大事にするべきだ」
そしてその理屈を、ホワイトは間違っているとも思わなかった。
「どうなんだい?」
「……お前はやっぱり、人間にやさしすぎるな」
度を超えて甘い彼女に、心底から哀れむホワイト。
彼は彼女の倫理が、現実から目を背けていることを知っていた。
「さっきも言ったが、誰かに甘えないと生きていけないような連中は、とんでもなく見苦しいんだよ」
思い出すのは、恩師の言葉だった。
『君はバカだねえ~~。この学校で出す課題を真面目にクリアしたぐらいで、Aランクハンターになれるだけの実力が備わるわけがないじゃないか』
『鍛錬とは、常に過酷でなければならない。課題が温過ぎる、緩すぎると思ったのなら、自分で更なる課題を己に課すべきだったのだよ。それをしていない時点で、君の程度は知れていたさ』
とても苦い言葉だった。だからこそ、今でも胸が苦しい。
それに比べれば、全身に走る火傷の痛みなど大したことはない。
「……全力で頑張っていない奴、適当に頑張っていることを誇る奴、一生懸命に頑張っている人を馬鹿にするやつがどれだけ見苦しいのか、お前は知らないんだ」
彼女の甘い言葉には、何の中身もない。
「俺は頑張るべきだと思った。俺が、俺に、頑張るべきだと思った。だから頑張ってる、大事にしているさ」
「でも、死んでしまうよ?」
「死ぬのが怖いなら……ハンターになんかならなきゃいいんだ」
このレッドマウンテンのふもとで、縄張り争いをしている同ランクのハンターを思い出す。
限られた安全地帯を奪い合い、せせこましく足を引っ張り合うハンターたちを思い出す。
Cランクになれない、ノルマも守れない自由に生きている連中を思い出す。
「世の中には、たくさん仕事がある。命をかけなくてもいい仕事なんて、いくらでもある。それなのにハンターになっておいて、命をかけるのが怖い? くくく……バカな奴らさ」
彼女のような、自分にとって都合のいい女を求めている連中。
出会えたらいいなあと、無意味な想像にふけっている連中を思い出す。
自助努力をしていないくせに、世界が悪いのだと腐っている連中を思い出す。
安全地帯でびくびく仕事をしているくせに、自分はハンター様で命がけだと誇っている連中を思い出す。
「醜い」
別に、悪人ではないだろう。
一応、社会に貢献しているのだろう。
だが、誰も彼らを尊敬しない。彼ら自身でさえ、己を誇っていない。
誰かに甘い言葉を言って欲しいと思っている、どうしようもない奴らだった。
「でも君は、今でも十分強いし、十分努力しているんだろう? Aランクにはなれなくても、Bランクにはなれるんだろう?」
「……そうだな」
「それだって、立派じゃないのかい?」
「そうだな、Cランクだって立派だ」
Aランクは英雄で、Bランクは一流で、Cランクは一人前だ。
Cランクに達しているのなら、決して周囲はバカにしない。そういう意味では、ランク付けは正常に機能している。
そして、今のホワイトはCランクをバカにしない。
仮にCランクハンターが彼女を拾っても、決して依存することはないだろう。
「だけどな……もう俺は、CランクやBランクで満足することはできないんだ」
「……」
「全力で頑張って、途中で諦めるのなら仕方ない。でも、俺は思うんだよ……俺はもう、学生じゃないんだ」
『才能のある生徒は、往々にして課題を軽んじて、適当に済ませてしまうことが多い。だが君は真面目に取り組み、すべてを制覇していた。それも、余裕綽々でね』
『ああそうだ、余裕だっただろう? 才能がある君にとって、他の多くの生徒に合わせた課題をクリアするのはね』
『君は、それを誇りに思っていた。余裕をもってノルマを達成できることを、課されたことをこなせることを、恰好がいいと思っていた』
『君は無茶苦茶だなあ。自分は必死で頑張ることが格好悪いと思っているくせに、他人には頑張れというんだねえ』
『君は、君自身のために頑張らない。しかし他人には、自分のために頑張れという。そういうのを、怠け者というのだよ』
「俺は、プロのハンターだ。それなら自分の仕事を、全力でこなさないといけない。一生懸命頑張らない範囲で仕事をするなんて、他の人を馬鹿にしている」
自分が、醜いのだ。
自分が、醜かったのだ。
適当に流している分際で、一生懸命頑張っている人をあざけっていたのだ。
「俺にはAランクハンターになれる才能があるけど、そこまで頑張るのは嫌だから、Bランクハンターに甘んじている……なんて、言えるわけがないんだ」
彼女は、彼を見た。
ぼろぼろで、傷だらけで、まだ何もなしていない彼を見た。
まぶしいほどに、気高かった。
守る必要がないほどに、自分の足で立っていた。
それは決して自棄ではなく、人生を一生懸命に生きていた。
「お前は、Bランクでも凄いと言ってくれるだろう。Cランクでも十分だと言ってくれるだろう。実際他の人もそう言うだろうさ。甘い言葉で、褒めてくれるんだろうさ」
誇りをもって、傷つきながら、前に進む男の顔だった。
「それは、いらないんだ」
彼女は、自分が恥ずかしくなった。
なぜ自分は、彼のように信念を語れないのか。
ただ嫌だとか、やりたいとか、そんな感情でしか語れないのか。
「……ごめん、僕がわるかったよ。僕は君を、甘やかしていい気分になりたかっただけなんだ。君の気持ちを知ろうともしていなかった」
誰でもよかった、甘やかしたかった。
それが当たり前だと思っていて、そのように行動していた。
「仕方ないだろう」
だがそれを、ホワイトは強く咎められない。
「お前は実際強いし……その点に関しては知ってたんだからな。それに、俺を殺そうともしなかった」
やろうと思えば、彼女は『甘やかす』ことができた。
手足でもへし折って、無理やり自分がいないとどうにもならないようにすることもできた。
思いつかなかっただけかもしれないが、すくなくともやめろと言えばやめていた。
「お前は……」
ホワイトは、自分の口から出る言葉がおかしくて、笑ってしまった。
「お前は経験が足りないだけだ」
どの口がいうか、と思う。
「お前は悪い奴じゃないし、一生懸命だ……そのお前が、どっかの底辺を相手にして、使い潰されるのは嫌だな」
もしかしたら、ずっと純粋無垢なまま、本能のままに誰かを甘やかし続けるのかもしれない。
もしかしたら、途中で成長して、自分の意志で行動を起こすのかもしれない。
しかし、それには辛い経験を経ることになる。できれば、そんな苦労はしてほしくなかった。
それも経験なのだろう、彼女の人生なのだろう。
余計なお世話かもしれないが、一つ言えることがある。
彼女がどこかの底辺と知り合って、その底辺がのさばる未来だけは、訪れてほしくなかった。
「怪我が治ったら、山を下りようと思う。お前もついて来いよ、約束だったもんな」
「そのあとは?」
「命がけじゃない、まともな仕事を探せよ。病院でもいいし、保育園でもいいし、孤児院でも養老院でもいい。誰かのために頑張れる人を、必要としているところはたくさんあるんだ。お前は人じゃないから大変かもしれないけど、まあどうにかなるさ」
彼女が一生懸命であることはわかる。
だからきっと、どうにかなる。
仕事に対して真摯なら、行き場所はたくさんあるはずだ。
「少しなら、俺も力になるよ」
少なくとも昔の己よりは、きっとまともだった。
だからこそ、ホワイトは彼女を応援しようと思った。
「……そうだね、君には僕も私もアタシも必要ないみたいだ」
悲しいことだが、嬉しいことだった。
彼女はようやく、彼と分かり合えた気がした。
 




