人には添うてみよ馬には乗ってみよ
カセイを治める大公ジューガーは、現大王の弟である。
財力があり、権力もある。その彼が『たかが数人の信頼できる護衛』を用意できていないのには、それなりに理由がある。
そもそも彼自身に信頼できる護衛がついているのだが、大公の護衛を務める者たちは高い地位に生まれた者たちである。
大公の護衛という役職は名誉があるので、命を懸けて戦ってくれるだろう。
だがどこの馬の骨とも知れない狐太郎を守るために、命を懸けて戦ってくれるとは思えない。
加えてそういう護衛は、正真正銘信頼できる家系から生まれているので、相応に発言力がある。大公がお願いしても、普通に拒否してくるだろう。
加えて、カセイは国境地帯でもなんでもないので、常駐している軍隊が貧弱である。
もちろん都市の規模相応に人数はいるのだが、白眉隊はおろか抜山隊ほどの実力を持つ者さえ少ない。
よって、簡単に動かせるうえで、信頼できて、その上強い兵士というのを大公は持っていない。
しいて言えば、シュバルツバルトの討伐隊がそれにあたるだろう。
つまり大公の最大戦力は狐太郎なのだ。もちろん、狐太郎にとっていいニュースではない。
そのため信頼できる筋に依頼して、人材を派遣してもらうしかないわけである。
彼が各地に資金援助や融資を行っている関係上顔は広く、多くの優秀な人材を集められるはずだった。
最初に集めた人数が四人だったのも、再三言っているように何十人も集めたところで狐太郎が逆に選べないと思ったからである。
ケイやランリが大馬鹿なことをしでかさなければ、四人全員が断っても、次の候補を何人でも集められたのだ。
しでかしてしまったせいで、ややこしくなってしまったのだが。
とにかく現状、狐太郎の護衛は一人と一体しかいない。とてもではないが、安全からは程遠いだろう。
自動車でたとえれば、シートベルトやチャイルドシートを使わずに運転しているようなものだ。
動かないというわけではないが、事故が起こった時に不幸なことになってしまう。
よって狐太郎たちは積極的に森に入ることなく、前線基地に常駐することになっていた。
如何に各隊に不穏な要因があるとはいえ、森の中に入るよりは全然安全である。
そして今彼は、基地のすぐ外で竜たちと戯れているアカネを眺めていた。
「ぴっぴっぴっぴ!」
口に簡単な笛を咥えて、小刻みに鳴らしながら走っているアカネ。
その彼女の後には、多くのアクセルドラゴンやワイバーンが続いている。
アカネは相当な速度で走っているのだが、それでも流石は竜。普通に追従していた。
「ぴっぴっぴっぴ!」
さながらマラソンの練習である。
アカネが先頭を走って先導し、後から続く面々も走ったり飛んだりしている。
その速さは、遠くから見ても明らかに速い。
以前ケイが竜に乗って森の中を飛び跳ねていたときもそうだったが、竜たちは普通に足が速かった。
体形的にゆっくり飛ぶのが苦手そうなワイバーンが、のびのび飛んで『並走』しているので、やはり相当な速度なのだろう。
(古い新幹線ぐらいの速度は出てるかもしれん……)
目の前をピュンピュンと走り去っていく一団を見て、狐太郎は改めてモンスターの身体能力に感嘆した。
戦闘中はそれどころではないので、こうやって試験的に走ってもらうと分かりやすいのである。
とはいえ、乗りたいとは間違っても思わないのだが。
(新幹線から落馬したらどうなるんだろうな……死ぬ、絶対死ぬ)
見た限り、アカネはまだまだ余裕そうである。
おそらく彼女の主観からすれば、流して走っているのだろう。
つまり下手をすれば、狐太郎を乗せてもあの速度で走りかねない。
あるいは、ゆっくり走っていても、そのうちテンションが上がって今の速度に達しかねない。
(絶対断る……絶対乗らない)
先ほどの話に戻るが、シートベルトもチャイルドシートも無しで、風防がない新幹線にしがみつけるだろうか? 絶対に不可能である。
しかも車輪で線路の上を走る新幹線と違って、アカネは二足歩行なのだ。仮に彼女の体に縛り付けたとしても、絶対に死ぬ。彼女の体に縛られたまま、上下左右に揺さぶられて死ぬ。そうでなくても、急制動で死ぬ。急に止まったり急に速度を上げたり、いきなり曲がったりで体の中がシェイクされる。
彼女が楽しそうに走る姿を見ても、狐太郎は『自分が乗っていたらどうなるか』を想像してしまって、ほほえましく思えなかった。
「……しかし、あんなに走って大丈夫なんだろうか」
その一方で、アカネに追従している竜たちが心配である。
アカネは素でも高ランクであり、走る速さや体力も相当だった。
他の竜たちは、アカネのペースについて行って、足が潰れないだろうか。
「大丈夫ですよ、流石にあの程度で潰れるほどやわではありません」
狐太郎の隣に立っている、竜たちの主であるショウエンがそれを否定した。
「むしろ、あれぐらいでないと運動になりません」
「そ、そうですか……」
改めて、隣にいるショウエンを見る狐太郎。
いいや、見上げるというべきだろう。この世界の多くの戦士がそうであるように、ショウエンもまた並々ならぬ偉丈夫であった。
ぶっちゃけ、相当デカい。小型犬と大型犬並みに体格差があった。もちろん、良くある話なのだが。
(ケイのお兄さんか……何となくは似ているけども、体格には差があるな……並んだらきっと……いや、思うまい)
ケイは死んだ、目の前で殺された。
もしかしたら、あの場で狐太郎にもう少し勇気があれば、彼女を助けることができたかもしれない。
クツロに命じて、リァンを抑えることができたかもしれない。
いいや、そんなことができたわけもないのだけど。ただ、可能性はあったのだ。
「あいにく私には、アカネが楽しそうに走っていることしかわかりません。竜たちはいかがですか?」
「とても楽しそうに走っていますよ。普段はあそこまで、上機嫌になれません。みな、アカネさんになついているのでしょう」
「そうだといいのですが……」
当たり前だが、竜たちは爬虫類である。
その表情を読み取ることは、狐太郎には不可能なことだった。
もしもショウエンが気を使っているだけで、実際には竜たちが無理をしているだけだとしても、判別することはできない。
「なにせ、あの竜たちにとっても、ここで生活することは負担ですからね……餌や飼育員だけは同じものを用意できますが、環境の変化は著しい……主として、心苦しいことです」
「そんなに環境が違うのですか?」
「……彼らは本能的にわかるのですよ、自分たちの天敵が近くにいることを。伝説で語られる、竜を食らいつくす怪物の存在を」
ショウエンは、戦慄した顔になる。
「エイトロールです」
「ああ……」
先日倒した、Aランク上位モンスター、エイトロール。
巨大な百足のモンスターであり、アカネやクツロ、他のAランクモンスターの肉体を食いちぎる顎を持ち、全身の節を自切することで分裂することさえできた化物だった。
(ここで普通なら、俺の知ってる話なら『この間倒しましたよ』とか言うんだろうなあ……)
はっきり言って、狐太郎は軽口を叩けない。
なにせ直接遭遇したのだ、おそらく直接見たことがないであろうショウエンよりも詳しいはずである。
「凄かったですよ……アレは」
「そうでしょう……Aランクの竜が多く生息する魔境に侵入し、そのほとんどを食い荒らしたという伝説さえあります。およそ竜にとって、最大最悪の敵です。アレと張り合える竜は、Aランクの中でもごくわずか……ラードーンぐらいでしょう」
「ああ……」
またも知っている名前、会ったことのある相手だった。
というよりも、最初に遭遇したAランクモンスターである。
たまたま空腹時に遭遇できたので対処できたが、そうでなければ相当苦戦しただろう。
「アレもヤバかったですよ……エイトロールと同じように、頭を潰されても堪えない怪物でした」
大魔境シュバルツバルトにあって、竜に分類されるモンスターはラードーンだけである。
それもこれも、エイトロールがいるからだろう。エイトロールと張り合える怪物は、竜の中でもラードーンぐらいなのだ。他の竜では、ただ餌になるだけである。
であればワイバーンやアクセルドラゴンも、今すぐ逃げ出したいのだろう。
しかし、ここにはアカネがいる。ラードーンやエイトロールを撃退した実績をもつ、友好的な竜の王。
それが自分たちを守ってくれる、という安心感があるのだ。
(こうしてみると、アヒルの子みたいに従順だな。アカネだからこうなんだろうが、ショウエンさんやケイは大変だったんだろう……)
ケイが怒っていた理由を思い出す。
なんの努力もせずに、竜の王を従えていたことを、他の王たちさえ従えていたことを怒っていたのだ。
正式な面接の場で、狐太郎に向かって直接口に出すのはどうかと思うが、正当性はあった。
まあ他の人が言うように、ここで働いているという事実の前には、なんの意味もない正当性なのだが。
彼女にAランク相当の実力があれば、あるいは許されていたのかもしれない。それなら狐太郎が去っても、責任を取れたのだから。
だが彼女はここで働く気さえなかった。
もしもあのままお咎めなく家に帰っていたら、もしも狐太郎がここを去っていたら、もしもカセイが壊滅したら。
彼女は、どう思っていたのだろうか。
やはり金でモンスターを買うような輩に、責任感はありませんね。護衛にならなくてよかったです。
とでも言うのだろうか?
それとも、自分の軽挙を呪うのだろうか。もうわからないことである。
「……妹は、貴方に嫉妬していただけです。それをごまかして、怒鳴りつけていただけです」
狐太郎の心中を読み取ったのか、あるいは最初からそういうつもりだったのか。
ショウエンは、自分の心中を明かした。
「嫉妬……彼女が私に劣等感を抱いたと?」
「無理もありませんよ、あれだけの竜を従えているのですから。正直に申し上げて、私も羨望を隠せません」
「でも、努力してませんよ……」
「そんなことはありませんよ、ここに居るだけで命がけのはずです」
(まあ確かに……)
「それに……私から見れば、貴方とアカネさんの関係は健全です」
ショウエンは、自由に走っているアカネを見た。
天真爛漫な彼女には、一切の陰がない。
もしも彼女が虐げられている、強要されていると言っても誰も信じないだろう。
「彼女は貴方をご主人様と呼びます。それは完全に上下の決まっている隷属契約ですが、貴方は彼女を奴隷同然に扱っているわけではないでしょう?」
「それは、まあ……命がけで戦わせてますけどね」
「同じ戦場に立てば、指揮官も戦士も命がけですよ。そんなことは気にしなくていいのです」
アカネたちに命がけで戦わせていることは事実だが、四体が死んだら狐太郎も食われて死ぬ。
そういう意味では、狐太郎も命がけである。むしろ、一回死んでいる。
「おそらくですが、貴方は彼女の自由を奪っていない。普段から好きなようにさせているのでは?」
「まあそうですね」
「ならば彼女はそれでいいのでしょう。貴方が好きだから従っている、強く束縛されないから逃げずにいる、罰則のない緩い契約なのでしょうね。ある意味では、家族のような物でしょう」
「……照れますね」
多くの物を与えていないが、束縛は少なく、要求も少ない。
そういう意味では、収支は合っているのだろう。少なくとも、アカネたち四体はそう思っているはずだった。
「ですが、竜と貴方達も家族のようなものでは?」
「ええ、そうです。熟練した竜騎士にとって、竜とは相棒であり戦友であり、家族同然ですよ。ですが……」
今の竜たちは、馬具などを付けずに、鎖でつながれずに走っている。
何ににも縛られることなく、慕う相手の後を楽しく追っている。
「家族に鞍やら腹帯やら頭絡やらを巻き付けて、鞭でひっぱたく家族などいないでしょう」
「そ、それはまあ……」
「私は子供のころ思ったのですよ、竜騎士に乗られている竜たちがかわいそうではないかと」
(動物保護団体みたいなこと言いだしたな……まあ、子供らしいけども)
たくましすぎる大男にも、子供だった時代があるのだろう。
正直想像できないが、竜がかわいそうだと思う時期もあったようだ。
「確かに竜騎士になるための訓練は大変です。竜は人の手をかみちぎることもありますし、気に入らない相手や慣れない相手には凶暴だったりします。そんな彼らを従える、彼らの背に乗るには、当人が竜より強くなるほかない。もちろん簡単ではないのですが……逆に言えば、そこまで嫌がっている相手を力ずくでねじ伏せているわけです」
(本当に動物愛護じみてきたな……)
やや潔癖すぎるというか、子供らしい純朴な視点だが、確かに竜が嫌がっているのに無理やり乗るのはどうかと思う。
確かに、わからなくはない。
「ですがね、竜騎士になっていくに従って、そんな想いは消えていきました。竜は竜で、ちゃんと感情がある。私たち竜騎士に従っているのは、決して私たちの力に怯えているからではない。私たちの努力を認めてくれているからです」
竜騎士が竜に多くを求める、乗り物としての従属を望んでいる。
その竜は、竜騎士に対して自分たちの上に乗るだけの、背を許すだけの力や誠意を求めている。
決して、恐怖や餌だけで従えているわけではないのだ。
「とはいえ、それは私たちが竜と深く関わっているからです。余人から見れば、私たちがそう思われても不思議ではない。であれば同様に、貴方達の主従関係もまた……他人がどうこう言うべきではない。少なくとも、彼女は幸せそうです。なら、なおさら口を挟むべきではない」
改めて、二人はアカネを見た。
この前線基地を守る職務を帯び、危険なAランクモンスターと戦わねばならず、会ったこともない人々を守らねばならない、貧弱な狐太郎に従属している竜王を見る。
とても、楽しそうにしていた。
「……妹はまだ子供でした。他の一人前の竜騎士を送り出すべきで、妹は家の外に出すべきではなかった。父は処刑されることになった時、それを悔いていたものの、処刑自体は受け入れていました」
もはや、父も妹も死んでしまった。
大公の怒りに触れて、正当な手続きを踏んで殺されてしまった。
彼には怒ることができず、悲しみに浸る暇さえない。
「今回の件は私たちマースー家と大公閣下の問題であって、貴方が責任を負うことではないのです。どうか、お気になさらないでください」
狐太郎は、リゥイを思い出した。
ヂャンや自分の隊員が無礼を働いたことを、狐太郎に謝っていた姿を思い出した。
狐太郎を物凄く不愉快に思っていても、育ちが悪いと言われないために頭を下げていた姿が脳裏に浮かんだ。
(社会人だな……)
彼は『そう思わなければならない』と思っている。
だがきっと、割り切れていない。
お互いがどう思っていても、狐太郎はショウエンを信じられないし、ショウエンもまた狐太郎にしこりを残し続けるだろう。
だが仕方がない。二人に努力できない範囲で、因縁が結ばれてしまったのだから。
これから狐太郎とどれだけ仲良くなっても、きっと心に引きずり続ける。
それは狐太郎がどう頑張っても、絶対に解決できない、できてはいけないことだ。
無理に解決しようとするのは、本当に良くないことだ。
傍らにいるショウエンがまともだからこそ、どうにもならないのだ。
「私は、貴方に守ってもらうわけにはいかないでしょう。ですが……同じ職場で働くものとして、共にカセイを守って行きましょう」
「……お気遣い、感謝いたします」
通じ合って、話し合って、分かり合って。
それでも、仲良くはできない。
失われたものが、多すぎた。
「ご主人様~~!」
浸っている二人の前に、アカネが走ってきた。
その背後には、たくさんの竜が引き連れられている。
「お、おう……」
「ねえねえ、ご主人様! 見てた、見てた? 私、みんなと仲良く走ってたよ!」
「ああ、うん」
「みんなね、普段は人を乗せて走ってるんだって! やっぱり私もやりたいな!」
物凄い期待している、物凄い多くを求めているアカネ。
「ねえねえ! 私に乗る練習しようよ!」
狐太郎は思う。
アカネが自由なのはいいが、自分勝手すぎるのではないかと。
「絶対ヤダ」
「え~~?!」
やっぱり、主が強い方が主従は健全になるのではないだろうか。
本気で怖がっている狐太郎をみて、ショウエンはなんとなくそう思ってしまった。
「なんで~~? いいじゃん、落ちないように頑張るからさ~~」
「落ちてからじゃ遅いんだよ!」
他人が口を挟むべきではないだろうが、主従が完成しているというわけでもないらしい。
「大丈夫だよ~~」
「大丈夫じゃねえよ! 絶対大丈夫じゃねえよ!」
狐太郎は、自分の命をアカネに預けなかった。
「死ぬ!」
アカネは、預けてもらいたがっていた。
「死なないって、乗ってみようよ~~」
「その根拠は何だ!」
「大丈夫、馬具は借りるから!」
「そういう問題じゃない!」
「乗ってみなきゃわからないじゃん!」
「わかるわ!」
竜には乗るな、死ぬ。




