表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/545

はだかの王様

 必死になって集めた宝物が、いつの間にかどうでもよくなってしまう。

 ビー玉やおはじき、あるいはカードゲームのカード。


 大切に想っていたものに飽きて、あるいは些細なきっかけで嫌いになる。

 前向きに考えれば、それは卒業なのだろう。


 自分が大事にしていたものを、周囲から馬鹿にされて嫌いになる。

 それもまた、良くある話だった。


「……」


 抜山隊に笑われている麒麟は、しばらく茫然としていた。

 もしも猫太郎から同じことを言われていれば、お前に何がわかると怒ることができただろう。

 だが目の前の相手は、ついさっき会ったばかりの男だ。


 同志を逮捕させたとか、大義をくじかれたとか、そんな面倒な話は一切ない。

 少なくとも三人の視点において、彼は何も悪いことをしていない。

 感情的にはともかく、論理的にはそうなのだ。


 茫然としている三人は、冷や水を浴びた気分だった。

 確かにとても悲しいことだった、自分たちの希望が敗北したのだから。

 だがしかし、実際のところケンカで負けただけである。


 自分たちはこんなにも悲しいが、起こったことはケンカで負けただけ。

 ケンカで負けただけなのに、どうして自分たちはこんなにも悲しい気分になっているのか。

 理想が打ち砕かれたかのような、世界が終わった気分になるのか。


あれ。

もしかしておかしいのは自分たちなのか?


 麒麟は誰に誘導されるまでもなく、自分の意志で世界のすべてが自分を否定すると言った。

 そのことを聞いて、獅子子と蝶花は同調して涙した。


 だが抜山隊は、笑った。

 なんで世界が関係あるのか、世界が気を使ってくれると思ったのか。

 強い奴がいると聞いてケンカをして、負けただけで世界がなんで出てくるのか。


「……う」


 自分たちは正しいはずで、正しいのなら負けないはずで、負けたらそれはありえないことで、ありえない事が起こっているのなら間違いだ。

 だが、ちゃんと説明できるはずだ。 


 何も知らない抜山隊に、自分たちの正当性は証明できるはずだ。

 それこそ、自分達が最初に出会った元抜山隊が、世界の正しさを証明したように。


「……あ」


 世界が悪いというのなら、何が悪いのか。

 自分達が勝てない相手が、この世にいることが悪いのか。

 自分達では到底太刀打ちできない存在を用意していることが、そんなにも悪いことなのか。


 この世界に意志があって、自分たちの思い上がりを正そうとした。

 そうじゃないかと思って、世界が僕を否定すると言った。


 だがしかし、それは主観が過ぎた。

 客観視すれば、新天地に希望をもって入ってきて、レベルの高さに打ちのめされただけだ。

 

「……笑うな」


 麒麟と戦った先祖返りたちは、誰もが『自分が特別』だと思っていた。

 狭い世界、小さな組織の中で、ふんぞり返っていただけだった。

 本当に特別な麒麟と戦って負けて、自分は特別ではないと思い知っていた。


「笑うな!」


 麒麟は、獅子子は、蝶花は。

 麒麟が、ただ強いだけの先祖返りなのではないかと。

 先祖返りの中で一番強いというのは、そこまで大したことではないのだと。

 そんな筋道の通った考えが、頭をよぎってしまった。


「笑うな~~!」


 認められない。

 そんなはずはない。

 だってそうなら、自分たちはただのバカだった。

 バカの集まりがバカをしていただけで、周りからは滑稽がられていただけだった。


 自分たちの行動、思想、理念のすべてが正しい。

 そう思い込んでいた、道化なのだとしたら。


 自分が頑張ってきたこと、自分の過去。自分が素晴らしいと思っていた、自分の栄光。

 それをすべて否定するなど、できるわけがなかった。


「はっはっは……そうかそうか。悪い悪い」


 ちっとも悪いと思っていないガイセイが、笑うのをやめていた。

 体を斬りつけられても平然としていた男は、涙をぬぐっていた。


「で、どうする」


 笑うなと言った。笑うのをやめた。

 抜山隊隊長ガイセイと、新人類のリーダー麒麟は『次』に移ろうとしている。


「続けるか、麒麟」

「……!」


 もう立てない、這うこともできない麒麟。

 だがその一方で、意識ははっきりとしていた。


「……」


 麒麟は立とうとする。

 だがもう、何をどうやっても立てなかった。

 苛立たしさで、ふがいなさで、体が震える。


「……」


 もう、何も言えなかった。


「おい、甘えんなよ」


 だが、それをガイセイは許さない。

 今までと変わらない調子で、麒麟に選択を強いる。


「言えよ、続けるのかどうか」


 黙ったままの麒麟に、容赦のない言葉をぶつける。


「お前まさか、俺がここで『俺の勝ちだな』だとか『参ったと言ってないから引き分けだな』とか『お前には負けたよ』とか、言うとでも思ってるのか?」


 これはケンカであり、勝負だった。

 それにはルールがあり、参ったと言わない限り終わりではない。


 ここまで痛めつけても、負けを認めない。

 実力差を思い知っても、許しを請わない。

 それはとても良いことだが、それはそれとして決着ではない。


「言えよ。どうした、言えないのか?」


 参ったと言わなければ、負けを認めなければ負けではない。

 であれば、麒麟が負けを認めるまで戦いは終わらないのだ。


「しょうがねえな……おい、姉ちゃんたち。治癒属性のエフェクトは使えるか? こいつを治してやれ」


 この世界における専門用語はわからない。

 しかし回復技を使って欲しい、ということはわかった。

 是非もない、蝶花は駆け寄ろうとして……。


「治したら仕切り直すからよ」

「え?」

「え、じゃねえだろう。別に傷を治しちゃいけねえなんてルールはねえだろう? 傷を治してもう一回戦えばいいじゃねえか。まだ決着はついてねえんだから」


 信じられないことを言われた。

 何度戦っても負けない自信があるからこそ、相手に塩を送るのだ。

 だがしかし、その塩は傷口に塗られる塩だった。


「麒麟もそれでいいだろう?」


 ガイセイの言葉には、明らかにあざけりが込められていた。

 その挑発を聞いて、獅子子が血相を変える。


「待ってください!」

「待ってるじゃねえか」

「いえ、そうですが……!」


 獅子子には、麒麟の心中がわかる。

 混乱をしているさなかで、極めて攻撃的になっている。

 自信が打ち砕かれたうえで、理想さえ否定され、笑われた。

 であれば麒麟は、絶対に降参などしないだろう。


「お願いします! もう勝負は終わらせてください!」


 このままでは死んでしまう。

 麒麟が大切だからこそ、獅子子は必死だった。

 ガイセイの下に行き、大慌てで頭を下げた。


「ふ~~ん」


 獅子子もまた、麒麟同様に高いプライドを持っている。

 その彼女が頭を下げてしまうほどに、今の麒麟は危険だった。

 猫太郎に敗れても逃げる道を選んだ彼女である、その行動は驚くべきものだった。


 だがしかし、そんなものはガイセイにはなんの意味もない。

 少々背の低い美人が、この状況で頭を下げてなんになるのか。


「だとよ、どうする麒麟」


 あくまでも、決着を求めた。

 倒れたままの麒麟へ、是非を問う。


「待ってくださいガイセイさん! 麒麟はもう戦えません!」

「そうだな」

「貴方の勝ちです、誰が見ても明らかです!」

「そうだな」


 獅子子の懇願にも、ガイセイは浅い笑いで応じるのみ。


「で、どうするんだ麒麟。誰がみても明らかだそうだぞ」


 獅子子の言うことはすべて真実だ。

 だがしかし、ガイセイの要求もまっとうだ。


「負けを、認めるか?」


 勝負を申し込んだのは麒麟である。

 勝敗の基準を設けたのはガイセイだが、それに対して麒麟は文句を付けなかった。

 であれば、この勝負の決着は第三者の意見に左右されない。

 当事者が負けを認めるかどうか、その一点である。


「……!」


 麒麟は、何も言えなかった。


「まだ続ける気らしいぞ、下がりな」

「いいえ、下がりません!」


 獅子子は手を広げた。

 どうあっても、麒麟を守るつもりである。


「麒麟は……負けを認めたくないだけなんです! 意地になっているだけなんです! もう勝てないと分かっているんです! 私たちがバカでした、もう許してください!」


 獅子子は敗北を認めていた。

 いいや、この状況になってしまった、すべての問題点を認めてしまった。

 世界や社会を悪として、自分たちを正義とした。

 そのすべてが間違っていた、自分たちが信じていたものが間違いだった。


 自分の都合のいい妄想を、麒麟に押し付けてしまった。

 麒麟は獅子子の、新人類の被害者だった。


「私が悪いんです! 麒麟を、この子をこれ以上痛めつけないでください!」


 自分たちが優れていると認めさせたかった。

 自分たちが誰よりも優遇される、理想の社会をつくりたかった。

 だがしかし、麒麟がここまで痛めつけられてまで、通したい理想ではなかった。


「だ、そうだ」


 だが、それでもガイセイは相手にしない。


「どうする、麒麟」

「おねがいします、何でもします! 麒麟を追い詰めないでください!」


 縋り付く獅子子。

 この大男がどれだけ強いのかわかったうえで、必死でとどめようとする。


「なあ姉ちゃん」

「おねがいします、おねがいします!」

「麒麟はさぞ故郷でデカい顔をしていたんだろうな。どんな理由だか知らないが、その故郷を出てここまで来たんだろう。さぞ自信があったんだろうが、もっと強い奴に会っていじけてやがる」


 ただ負けを認める。

 何も失わないのに、それがとても難しい。

 それだけのことが、人を傷つける。

 自分が馬鹿だということが、自分自身を傷つけるのだ。


「今麒麟が負けを認めたら、すげえ辛いんだろうな」

「はい!」

「俺はな」


 だが、そもそもを間違えている。


「それを、したいんだよ」


 敗北を認めるとは、本質的にそういうものなのだ。

 悔しいから、悲しいから、嫌だから、認めたくないから。

 そんな理由で、負けたと言わずに済むわけがない。


「お前らはあいまいにしたんだろう? 麒麟は負けを認めていない、あくまでも姉ちゃんがそう言っているだけ、負けてなんかいない。そう言うことにしたいんだろう?」


 負けを認めることがつらいのは、麒麟に限ったことではないのだ。

 受けた体の傷よりも、負けを認める心の方が痛いのだろう。

 だが、だからこそ意味がある。


「んなこと、させるわけにはいかねえんだよ、バ~~カ。俺が気持ちよく勝つには、そいつが悔しくて悔しくてしょうがない想いをしたうえで、絞り出した『参りました』が必要なんだよ」


 参りました~~すみません~~もう痛くしないで~~など無意味。

 頭を下げるだけで、心の中では舌を出していても無価値。

 参りましたと、口に出すことさえ嫌がる者が、嫌々渋々自分の口で参ったというから嬉しいのだ。


「麒麟は、死んでも負けを認めません!」

「それはそれで結構なことだ。恰好がいいじゃねえか、男らしい」


 獅子子は、ガイセイのことを理解した。

 この男は麒麟を仲間にしたいと勧誘したうえで、麒麟が死んでもいいと思っている。

 挫折して降参してもいい、意地を通して死んでもいい。

 麒麟のことを気に入っているのだ、どちらを選んでも嫌いにならない。

 そこには、謝罪によって緩和されるべき怒りがない。

 怒っていない相手に謝罪をして、一体何になるというのか。


「まあしいて言えばだ。まさかお前達、俺がそんなに優しいと思ってるのか? そこの麒麟を気に入っているからって、傷つけたくないなんて思うか? なんで配慮してもらえると思ってるんだ?」


 ガイセイは麒麟を気に入っている。

 どれだけ圧倒的な力で叩きのめされても、戦うことを諦めない愚かしさを気に入っている。


 これはちゃんとした勝負だった。

 ガイセイが卑しい真似をしなかったように、麒麟もまた見苦しい真似をしなかった。

 ちゃんと挨拶をして勝負を挑み、名乗って、正面から拳や剣をぶつけてきた。

 まだ子供だろうが、ちゃんと大事なことはわかっている。


 だからこそ、決着もきちんとしなければならない。

 相手を男として、強者として認めているからこそ、あいまいにしてはいけない。

 負けを認めなければ、前に進むことはできない。

 負けを認めることがどれだけ辛くとも、その辛さを越えていかなければならないのだ。


「おい、麒麟。いつまでも黙ってるんじゃねえ、お前が始めたケンカなら決着は自分でつけろ」


 このまま黙っていれば、負けを認めずに済むのではないか。

 そんな惰弱に逃げようとする麒麟へ、ガイセイはなおも要求をする。


「お前が気絶をしているのなら、治療して傷を治す。意識を取り戻したところで、続行するか降参するか聞く。お前が今気絶していないなら、ただ負けを認めないなら、とどめをさす」


 恐ろしいことだった。

 だが恐ろしいのは、抜山隊の誰もがそれを止めないことだ。

 むしろ、それが当たり前だと思っている。悪いのは、負けを認めない麒麟のほうだった。


「もちろん、姉ちゃんたちはお前をかばうだろう。邪魔をするなら、両方殺す。殺して森に捨てて、モンスターの餌にする」


 本気だと、わかる声だった。

 凄むわけではなく、迫力を込めているわけでもない。

 ただ、この男にとってそれが普通の行為なのだと、特に覚悟が必要なことではないのだと分かってしまう。


「お前ら、外国人だろう? それも、国交のない国だ。お前らみたいなやつの暮らしている国と国交があれば、カセイで見かけるはずだからな。ってことはだ、誰もお前たちを守ってくれないってことだ」


 慌てて、蝶花が立った。

 走り出して、抱き着いた。

 傷だらけの麒麟を、守るように抱きしめていた。


「勘違いすんなよ、この国は法治国家だ。いくらBランクハンターだからって、特に理由もなく人を殺せば咎められる。だがな、国交のない国の奴を殺したって、誰もなんとも思わない。税金払ってないからな」


 それが、なんの意味もないことを告げる。


「お前らを、この国の正義も法も守らない。殺されても奪われても、助けてくれない。税金払ってないからな」


 現状を意識していなかった三人に、現実を教える。


「国民が必死になって税金を払うのはな、そうしないと誰も守ってくれないからなんだよ。保護されたかったら、ちゃんと納税しないといけないんだよ」


 この場でどころか、この国のどこであっても、強権を振るうまでもなく殺人は正当化される。

 この三人を殺しても、誰も困らないし怒らないのだから。


「その上で聞くぜ、麒麟。負けを認めるか?」


 希望を持ってこの国をさまよっていた三人に、洗礼が下される。


「……参りました」


 身を切るよりも辛いことだった。

 涙を流しながら、麒麟は降参した。


「僕の、負けです」


 負けを認めるぐらいなら、死を選んだかもしれない。

 しかし自分だけではなく、自分を守ってくれる二人を巻き込むわけにはいかない。

 麒麟には、自分よりも大事なものがあった。三人は、お互いを自分より大事だと思っていた。

 

「格好悪いなあ、麒麟! なかなか負けを認められない、女に守ってもらってようやく負けを認めるのはみっともないなあ!」


 ガイセイは笑った。

 素直に、楽しそうに笑った。


「俺の勝ちだ! 終わり!」


 ガイセイはぱんぱんと手を叩く。


「お前ら、俺と喧嘩できるか? ここまでぼこぼこになって、まだ戦おうとできるか? ここまで必死になって守ってくれる女がいるか? 女のために頭を下げられるか?」


 抜山隊から、喝さいが上がる。


「さあ、応急処置を済ませたら前線基地に戻るぞ! 麒麟と姉ちゃんたちに部屋を用意しろ、客として持て成せ! 呑めや歌えの大騒ぎだ!」


 敗者は涙に濡れ、勝者は奮戦を称え、観客は拍手をする。

 それがどれだけ苦痛と屈辱にまみれたものであっても、勝負という儀式は正しく完結していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 久しぶりに読み返しました。 俺が優しいと思ってんのかと言いつつ、麒麟が頭を下げられるように道を空けてやるガイセイ。 優しいじゃねえか! かっこいいなぁ。
[良い点] >この国は法治国家だ。  だが、少なくともまともな文明国では無い‼ 法治国家であっても先進国とは言えない。これまで法治国家は先進国といわれてきた。これまでわれわれは、法治国家というのは先…
[良い点] ガイセイが如何にも脳筋キャラな雰囲気のくせに、すごくまともなことを言う所が好きです。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ