はだかの王様
必死になって集めた宝物が、いつの間にかどうでもよくなってしまう。
ビー玉やおはじき、あるいはカードゲームのカード。
大切に想っていたものに飽きて、あるいは些細なきっかけで嫌いになる。
前向きに考えれば、それは卒業なのだろう。
自分が大事にしていたものを、周囲から馬鹿にされて嫌いになる。
それもまた、良くある話だった。
「……」
抜山隊に笑われている麒麟は、しばらく茫然としていた。
もしも猫太郎から同じことを言われていれば、お前に何がわかると怒ることができただろう。
だが目の前の相手は、ついさっき会ったばかりの男だ。
同志を逮捕させたとか、大義をくじかれたとか、そんな面倒な話は一切ない。
少なくとも三人の視点において、彼は何も悪いことをしていない。
感情的にはともかく、論理的にはそうなのだ。
茫然としている三人は、冷や水を浴びた気分だった。
確かにとても悲しいことだった、自分たちの希望が敗北したのだから。
だがしかし、実際のところケンカで負けただけである。
自分たちはこんなにも悲しいが、起こったことはケンカで負けただけ。
ケンカで負けただけなのに、どうして自分たちはこんなにも悲しい気分になっているのか。
理想が打ち砕かれたかのような、世界が終わった気分になるのか。
あれ。
もしかしておかしいのは自分たちなのか?
麒麟は誰に誘導されるまでもなく、自分の意志で世界のすべてが自分を否定すると言った。
そのことを聞いて、獅子子と蝶花は同調して涙した。
だが抜山隊は、笑った。
なんで世界が関係あるのか、世界が気を使ってくれると思ったのか。
強い奴がいると聞いてケンカをして、負けただけで世界がなんで出てくるのか。
「……う」
自分たちは正しいはずで、正しいのなら負けないはずで、負けたらそれはありえないことで、ありえない事が起こっているのなら間違いだ。
だが、ちゃんと説明できるはずだ。
何も知らない抜山隊に、自分たちの正当性は証明できるはずだ。
それこそ、自分達が最初に出会った元抜山隊が、世界の正しさを証明したように。
「……あ」
世界が悪いというのなら、何が悪いのか。
自分達が勝てない相手が、この世にいることが悪いのか。
自分達では到底太刀打ちできない存在を用意していることが、そんなにも悪いことなのか。
この世界に意志があって、自分たちの思い上がりを正そうとした。
そうじゃないかと思って、世界が僕を否定すると言った。
だがしかし、それは主観が過ぎた。
客観視すれば、新天地に希望をもって入ってきて、レベルの高さに打ちのめされただけだ。
「……笑うな」
麒麟と戦った先祖返りたちは、誰もが『自分が特別』だと思っていた。
狭い世界、小さな組織の中で、ふんぞり返っていただけだった。
本当に特別な麒麟と戦って負けて、自分は特別ではないと思い知っていた。
「笑うな!」
麒麟は、獅子子は、蝶花は。
麒麟が、ただ強いだけの先祖返りなのではないかと。
先祖返りの中で一番強いというのは、そこまで大したことではないのだと。
そんな筋道の通った考えが、頭をよぎってしまった。
「笑うな~~!」
認められない。
そんなはずはない。
だってそうなら、自分たちはただのバカだった。
バカの集まりがバカをしていただけで、周りからは滑稽がられていただけだった。
自分たちの行動、思想、理念のすべてが正しい。
そう思い込んでいた、道化なのだとしたら。
自分が頑張ってきたこと、自分の過去。自分が素晴らしいと思っていた、自分の栄光。
それをすべて否定するなど、できるわけがなかった。
「はっはっは……そうかそうか。悪い悪い」
ちっとも悪いと思っていないガイセイが、笑うのをやめていた。
体を斬りつけられても平然としていた男は、涙をぬぐっていた。
「で、どうする」
笑うなと言った。笑うのをやめた。
抜山隊隊長ガイセイと、新人類のリーダー麒麟は『次』に移ろうとしている。
「続けるか、麒麟」
「……!」
もう立てない、這うこともできない麒麟。
だがその一方で、意識ははっきりとしていた。
「……」
麒麟は立とうとする。
だがもう、何をどうやっても立てなかった。
苛立たしさで、ふがいなさで、体が震える。
「……」
もう、何も言えなかった。
「おい、甘えんなよ」
だが、それをガイセイは許さない。
今までと変わらない調子で、麒麟に選択を強いる。
「言えよ、続けるのかどうか」
黙ったままの麒麟に、容赦のない言葉をぶつける。
「お前まさか、俺がここで『俺の勝ちだな』だとか『参ったと言ってないから引き分けだな』とか『お前には負けたよ』とか、言うとでも思ってるのか?」
これはケンカであり、勝負だった。
それにはルールがあり、参ったと言わない限り終わりではない。
ここまで痛めつけても、負けを認めない。
実力差を思い知っても、許しを請わない。
それはとても良いことだが、それはそれとして決着ではない。
「言えよ。どうした、言えないのか?」
参ったと言わなければ、負けを認めなければ負けではない。
であれば、麒麟が負けを認めるまで戦いは終わらないのだ。
「しょうがねえな……おい、姉ちゃんたち。治癒属性のエフェクトは使えるか? こいつを治してやれ」
この世界における専門用語はわからない。
しかし回復技を使って欲しい、ということはわかった。
是非もない、蝶花は駆け寄ろうとして……。
「治したら仕切り直すからよ」
「え?」
「え、じゃねえだろう。別に傷を治しちゃいけねえなんてルールはねえだろう? 傷を治してもう一回戦えばいいじゃねえか。まだ決着はついてねえんだから」
信じられないことを言われた。
何度戦っても負けない自信があるからこそ、相手に塩を送るのだ。
だがしかし、その塩は傷口に塗られる塩だった。
「麒麟もそれでいいだろう?」
ガイセイの言葉には、明らかにあざけりが込められていた。
その挑発を聞いて、獅子子が血相を変える。
「待ってください!」
「待ってるじゃねえか」
「いえ、そうですが……!」
獅子子には、麒麟の心中がわかる。
混乱をしているさなかで、極めて攻撃的になっている。
自信が打ち砕かれたうえで、理想さえ否定され、笑われた。
であれば麒麟は、絶対に降参などしないだろう。
「お願いします! もう勝負は終わらせてください!」
このままでは死んでしまう。
麒麟が大切だからこそ、獅子子は必死だった。
ガイセイの下に行き、大慌てで頭を下げた。
「ふ~~ん」
獅子子もまた、麒麟同様に高いプライドを持っている。
その彼女が頭を下げてしまうほどに、今の麒麟は危険だった。
猫太郎に敗れても逃げる道を選んだ彼女である、その行動は驚くべきものだった。
だがしかし、そんなものはガイセイにはなんの意味もない。
少々背の低い美人が、この状況で頭を下げてなんになるのか。
「だとよ、どうする麒麟」
あくまでも、決着を求めた。
倒れたままの麒麟へ、是非を問う。
「待ってくださいガイセイさん! 麒麟はもう戦えません!」
「そうだな」
「貴方の勝ちです、誰が見ても明らかです!」
「そうだな」
獅子子の懇願にも、ガイセイは浅い笑いで応じるのみ。
「で、どうするんだ麒麟。誰がみても明らかだそうだぞ」
獅子子の言うことはすべて真実だ。
だがしかし、ガイセイの要求もまっとうだ。
「負けを、認めるか?」
勝負を申し込んだのは麒麟である。
勝敗の基準を設けたのはガイセイだが、それに対して麒麟は文句を付けなかった。
であれば、この勝負の決着は第三者の意見に左右されない。
当事者が負けを認めるかどうか、その一点である。
「……!」
麒麟は、何も言えなかった。
「まだ続ける気らしいぞ、下がりな」
「いいえ、下がりません!」
獅子子は手を広げた。
どうあっても、麒麟を守るつもりである。
「麒麟は……負けを認めたくないだけなんです! 意地になっているだけなんです! もう勝てないと分かっているんです! 私たちがバカでした、もう許してください!」
獅子子は敗北を認めていた。
いいや、この状況になってしまった、すべての問題点を認めてしまった。
世界や社会を悪として、自分たちを正義とした。
そのすべてが間違っていた、自分たちが信じていたものが間違いだった。
自分の都合のいい妄想を、麒麟に押し付けてしまった。
麒麟は獅子子の、新人類の被害者だった。
「私が悪いんです! 麒麟を、この子をこれ以上痛めつけないでください!」
自分たちが優れていると認めさせたかった。
自分たちが誰よりも優遇される、理想の社会をつくりたかった。
だがしかし、麒麟がここまで痛めつけられてまで、通したい理想ではなかった。
「だ、そうだ」
だが、それでもガイセイは相手にしない。
「どうする、麒麟」
「おねがいします、何でもします! 麒麟を追い詰めないでください!」
縋り付く獅子子。
この大男がどれだけ強いのかわかったうえで、必死でとどめようとする。
「なあ姉ちゃん」
「おねがいします、おねがいします!」
「麒麟はさぞ故郷でデカい顔をしていたんだろうな。どんな理由だか知らないが、その故郷を出てここまで来たんだろう。さぞ自信があったんだろうが、もっと強い奴に会っていじけてやがる」
ただ負けを認める。
何も失わないのに、それがとても難しい。
それだけのことが、人を傷つける。
自分が馬鹿だということが、自分自身を傷つけるのだ。
「今麒麟が負けを認めたら、すげえ辛いんだろうな」
「はい!」
「俺はな」
だが、そもそもを間違えている。
「それを、したいんだよ」
敗北を認めるとは、本質的にそういうものなのだ。
悔しいから、悲しいから、嫌だから、認めたくないから。
そんな理由で、負けたと言わずに済むわけがない。
「お前らはあいまいにしたんだろう? 麒麟は負けを認めていない、あくまでも姉ちゃんがそう言っているだけ、負けてなんかいない。そう言うことにしたいんだろう?」
負けを認めることがつらいのは、麒麟に限ったことではないのだ。
受けた体の傷よりも、負けを認める心の方が痛いのだろう。
だが、だからこそ意味がある。
「んなこと、させるわけにはいかねえんだよ、バ~~カ。俺が気持ちよく勝つには、そいつが悔しくて悔しくてしょうがない想いをしたうえで、絞り出した『参りました』が必要なんだよ」
参りました~~すみません~~もう痛くしないで~~など無意味。
頭を下げるだけで、心の中では舌を出していても無価値。
参りましたと、口に出すことさえ嫌がる者が、嫌々渋々自分の口で参ったというから嬉しいのだ。
「麒麟は、死んでも負けを認めません!」
「それはそれで結構なことだ。恰好がいいじゃねえか、男らしい」
獅子子は、ガイセイのことを理解した。
この男は麒麟を仲間にしたいと勧誘したうえで、麒麟が死んでもいいと思っている。
挫折して降参してもいい、意地を通して死んでもいい。
麒麟のことを気に入っているのだ、どちらを選んでも嫌いにならない。
そこには、謝罪によって緩和されるべき怒りがない。
怒っていない相手に謝罪をして、一体何になるというのか。
「まあしいて言えばだ。まさかお前達、俺がそんなに優しいと思ってるのか? そこの麒麟を気に入っているからって、傷つけたくないなんて思うか? なんで配慮してもらえると思ってるんだ?」
ガイセイは麒麟を気に入っている。
どれだけ圧倒的な力で叩きのめされても、戦うことを諦めない愚かしさを気に入っている。
これはちゃんとした勝負だった。
ガイセイが卑しい真似をしなかったように、麒麟もまた見苦しい真似をしなかった。
ちゃんと挨拶をして勝負を挑み、名乗って、正面から拳や剣をぶつけてきた。
まだ子供だろうが、ちゃんと大事なことはわかっている。
だからこそ、決着もきちんとしなければならない。
相手を男として、強者として認めているからこそ、あいまいにしてはいけない。
負けを認めなければ、前に進むことはできない。
負けを認めることがどれだけ辛くとも、その辛さを越えていかなければならないのだ。
「おい、麒麟。いつまでも黙ってるんじゃねえ、お前が始めたケンカなら決着は自分でつけろ」
このまま黙っていれば、負けを認めずに済むのではないか。
そんな惰弱に逃げようとする麒麟へ、ガイセイはなおも要求をする。
「お前が気絶をしているのなら、治療して傷を治す。意識を取り戻したところで、続行するか降参するか聞く。お前が今気絶していないなら、ただ負けを認めないなら、とどめをさす」
恐ろしいことだった。
だが恐ろしいのは、抜山隊の誰もがそれを止めないことだ。
むしろ、それが当たり前だと思っている。悪いのは、負けを認めない麒麟のほうだった。
「もちろん、姉ちゃんたちはお前をかばうだろう。邪魔をするなら、両方殺す。殺して森に捨てて、モンスターの餌にする」
本気だと、わかる声だった。
凄むわけではなく、迫力を込めているわけでもない。
ただ、この男にとってそれが普通の行為なのだと、特に覚悟が必要なことではないのだと分かってしまう。
「お前ら、外国人だろう? それも、国交のない国だ。お前らみたいなやつの暮らしている国と国交があれば、カセイで見かけるはずだからな。ってことはだ、誰もお前たちを守ってくれないってことだ」
慌てて、蝶花が立った。
走り出して、抱き着いた。
傷だらけの麒麟を、守るように抱きしめていた。
「勘違いすんなよ、この国は法治国家だ。いくらBランクハンターだからって、特に理由もなく人を殺せば咎められる。だがな、国交のない国の奴を殺したって、誰もなんとも思わない。税金払ってないからな」
それが、なんの意味もないことを告げる。
「お前らを、この国の正義も法も守らない。殺されても奪われても、助けてくれない。税金払ってないからな」
現状を意識していなかった三人に、現実を教える。
「国民が必死になって税金を払うのはな、そうしないと誰も守ってくれないからなんだよ。保護されたかったら、ちゃんと納税しないといけないんだよ」
この場でどころか、この国のどこであっても、強権を振るうまでもなく殺人は正当化される。
この三人を殺しても、誰も困らないし怒らないのだから。
「その上で聞くぜ、麒麟。負けを認めるか?」
希望を持ってこの国をさまよっていた三人に、洗礼が下される。
「……参りました」
身を切るよりも辛いことだった。
涙を流しながら、麒麟は降参した。
「僕の、負けです」
負けを認めるぐらいなら、死を選んだかもしれない。
しかし自分だけではなく、自分を守ってくれる二人を巻き込むわけにはいかない。
麒麟には、自分よりも大事なものがあった。三人は、お互いを自分より大事だと思っていた。
「格好悪いなあ、麒麟! なかなか負けを認められない、女に守ってもらってようやく負けを認めるのはみっともないなあ!」
ガイセイは笑った。
素直に、楽しそうに笑った。
「俺の勝ちだ! 終わり!」
ガイセイはぱんぱんと手を叩く。
「お前ら、俺と喧嘩できるか? ここまでぼこぼこになって、まだ戦おうとできるか? ここまで必死になって守ってくれる女がいるか? 女のために頭を下げられるか?」
抜山隊から、喝さいが上がる。
「さあ、応急処置を済ませたら前線基地に戻るぞ! 麒麟と姉ちゃんたちに部屋を用意しろ、客として持て成せ! 呑めや歌えの大騒ぎだ!」
敗者は涙に濡れ、勝者は奮戦を称え、観客は拍手をする。
それがどれだけ苦痛と屈辱にまみれたものであっても、勝負という儀式は正しく完結していた。




