一所懸命
負けるな、とか。
負けと思わなければ、とか。
人は、負けを忌避する。敗北から遠ざかろうとする。挫折を直視しない。
しかし、負けは負けである。敗北は敗北であり、挫折は挫折である。
自分が正しいと思うことを貫けだとか、他人の言葉に惑わされるなだとか、社会の嘘に騙されるなだとか。
耳に心地いい『勇気づけてくれる』だけの言葉に従うことが、既に自分を曲げることであり他人の言葉に惑わされていることであり社会の嘘に騙されているのであろう。
社会が常に正しいとは限らない、多数派が正しいとも限らない、常識が正しいわけもない。
しかし、社会が常に間違っているわけではないし、多数派の言うことは全部間違っているわけでもないし、常識がおかしくないこともある。
正しいかどうか、それは入念な検証と実証によってようやく裏付けられるもの。
そこに、信じている人の数はまったく関係がない。
そして『自分』が正しいと信じているかどうかも、全く関係ない。
自分が信じているから、を根拠に他人の正しさを否定する。
自分の利益になるから、を根拠に他人の利益を否定する。
もしもそれに悪気があれば悪人だが、悪気がなければただのバカである。
されたら嫌なことをしては駄目。
子供の躾めいたことだが、それに尽きるのだろう。
※
麒麟はガイセイと戦い、三回ぐらい殺そうとした。
しかしガイセイにはほぼ通じず、笑い話になってしまった。
ガイセイや抜山隊は、麒麟を受け入れた。麒麟だけではなく、他の二人も受け入れた。
ガイセイにあそこまで食らいつけるなど、抜山隊の常識では考えられないことである。
如何にバカなことを言っていたとしても、負けを認めればもう勝負は終わり。
戦いは終わった、そういうことである。
抜山隊にしてみれば気持ちのいい戦いであり、笑いもあり、何一つ失わない戦いだった。
彼らは正しく、憂うことなく、酒を飲んで笑っていた。
彼らは勝ったのだから、当然の権利である。
問題は、笑い話にされた側だ。
新人類の三人は、初めて負けを認めた屈辱に震えていたのである。
「……」
あてがわれた部屋は、お世辞にも暮らしやすい場所ではなかった。
だがそれでも、ベッドがあり椅子があり、寝るには不都合はなかった。
蝶花が麒麟の治療を終えた今、もはやなにも追い詰められていない。
麒麟は勇者であり、肉体も強い。
猫太郎たちに負けたとき復帰が早かったように、今も体は完全に治っている。
だがしかし、精神は完全に折れていた。麒麟だけではなく、蝶花も獅子子も折れていた。
三人にとって、負けを認めるとはそれほどのことだったのである。
「……」
普段なら、麒麟を蝶花がとことん甘やかす。
それを獅子子が諫めて、麒麟をしかりつける。
そして麒麟は純粋な笑みを浮かべて、再起を誓うだろう。
だがそんなことができないほどに、三人はそろって打ちのめされていた。
自分たちの人生が根こそぎ笑い話だったと気づいたのだ。必死に頑張ってきたからこそ、喪失感は著しい。
「ごめんなさい……」
獅子子が、二人に謝った。
この世界に逃れてきた、最後まであきらめなかった女傑が謝った。
「私が……二人を巻き込んでしまったのよ……」
新人類の思想は間違っていた。
優れている自分たちが、優遇されない社会は間違っていると思っていた。
今でもそう思っているかもしれない。
しかし、圧倒的な力で叩き潰されたことで、ようやく理解した。
圧倒的な力に立ち向かって倒れていく麒麟を見て、そこまでして優遇されたいわけではないと気づいたのだ。
犠牲を払ってまで勝ち取りたい優遇など、この世のどこにもなかったのだ。
「私たちは……勝てる相手に勝っていただけなのよ……!」
猫太郎に勝てたとしても、結局は大多数を相手に挑むことになったのだろう。
社会という大多数を相手に、犠牲なく勝つことなどできなかった。
であれば、少なくとも殴り掛かるというやり方は間違っていたのだ。
「私たちは……惰弱だったのよ……!」
抑圧に対する反発、それもまた起こる必然。
であれば新人類のようなものが生まれるのは当たり前。
だがしかし、弾圧に対して抵抗するほど、三人の理想に価値はなかった。
走りたい気持ちはあった、今でもある。
だがしかし、ここまで痛めつけられてまで、走りたかったわけではない。
いっそ、あの場で三人とも死ぬべきだったのかもしれない。
そうであれば、ここまで挫折感に打ちひしがれることはなかったのに。
「……獅子子、謝らないで。私には、謝らないで」
蝶花は、彼女を抱きしめた。
「私も同罪よ……甘い夢を見ていた、現実を見ていなかったのよ」
震え合う二人は、悲しみを分かち合った。
「暴力に屈することが、こんなに辛いだなんて思っていなかったのよ……」
自分たちは仲間を集めた。
戦って倒し、理想を共有し、家族になっていったと思っていた。
だが、それはただ優越感に浸っていただけではないか。
自分たちが仲間にしていたと思っていた『新人類』は、ただ力に屈して涙して、嫌々従っていただけではないか。
「私たちは、ずっと酷いことをしていたのよ……」
こんな苦しい想いを、誰かにさせていた。
苦しみを生み出すことを、誰かにやらせていた。
麒麟は、ずっとそれを信じていた。
麒麟にそれをさせていたのは、この場の二人である。
「私も、麒麟に酷いことをさせていたのよ……」
麒麟は、否定したかった。
二人に対して、新人類の理想は正しいと言いたかった。
だが仮に正しかったとしても、その正しさを麒麟は貫けなかった。
もう、ごまかすことはできない。
負けを認めないことだけをよりどころにしていた麒麟は、ガイセイに屈したことで信念を失ったのだ。
「……」
自分たちが自分達らしく生きる、それは命を懸けるほどのことではない。
わかり切っていたはずのことを、認めざるを得なかった。
「……」
麒麟の中にある、あらゆる言葉は価値を失った。
負けを認めたことがない純粋さは、ただの愚かしさだと気づいてしまったのだから。
「……」
だが、嗚咽は漏れた。
敗者として、当然の屈辱だった。
「おおお! 酒持ってきたぜ!」
勝った男は、当然のように上機嫌だった。
酒樽を軽々と抱えて、扉を蹴破ってきた。
一応自分の部隊の隊舎なのに、一度樽を下ろして開ければいいのに、わざわざ蹴破った。
一応言っておくが、カギはかかっていない。
「ははは! 泣いてるなあお前ら! よし、こういう時は呑め! 飲め! 飲んで忘れちまえ! はははは!」
ガイセイは一応気を使っているのだろう、三人に酒を配った。
冷えていない、醗酵しているだけの酒。
お世辞にも美味しくない、甘くもない、苦い酒。
女性に勧めるには不向きだが、あいにくこの前線基地に女性向けの酒などない。
「なあに、喧嘩で負け知らずだった奴が負けたらそんな顔にもなるさ! 気にすんな、のめのめ!」
一切了解を得ることなく、自分で持ってきた酒を率先して飲み始めるガイセイ。
一応言っておくが、麒麟はまだベッドの上にいる。
「かあ! 勝った酒は最高だな!」
負けた男の前で、勝利に酔う。
なんともデリカシーに欠けているが、そんなことを気にしない。
別に勝利を見せつけているわけではなく、ただ無神経なだけだった。
一応は、三人にも酒を勧めに来たのだろう。一応は、気を使っているのだろう。
なんともやりたい放題であり、押しつけがましくあり、自由過ぎた。
もしかしたら、三人の理想とは、突き詰めればこれなのかもしれない。
ただの野蛮人だった。
「どうしたどうした、俺の酒が飲めないのか~~?」
ますますふさぎ込んでいく三人に、ガイセイは飲酒を勧めた。
割と本気で、酒を飲んで自分をごまかすのが最善だと思っているのかもしれない。
「どうせアレだろ? 今までの俺は何だったのかとか、迷惑をかけたことを後悔したりしてるんだろ? もう忘れちまえよ、どうしようもないんだから。新しいところに来たんだ、昔のことなんて忘れて楽しくやろうじゃねえか」
物凄い酷いことを言っているのだが、三人はそれを否定できなかった。
結局のところ、今までの三人はガイセイとまったく同じだったのだから。
新しいところに来たんだから、全部チャラになる。嫌だったことは全部忘れて、楽しく生きていく。
だが実際にやっている人間が、それを文章化すると本当に酷い。
むしろ、なぜそれを口で言えるのか、わからない程だった。
「あの」
「なんだよ」
「ガイセイさんは……」
麒麟は、怒りを覚えていた。
それは自己嫌悪であり、同族嫌悪だった。
目の前のガイセイを、せめて言い負かしたい気分だったのだ。
「ガイセイさんは、僕に税金がどうとか言ってましたよね?」
「ん? ああ、言ったが」
「アレは、自分で考えて出した言葉なんですか?」
目の前のガイセイが、人権やら国交やら、そういうものを考えているとは思えなかった。
確かに三人は国交がない国から来た外国人で、死んでも誰も調べないだろう。
だが筋は通っていても、ガイセイが自分で考えて出した言葉とは思えなかった。
「んなわけねえだろ? アレは受け売りだよ」
他人から聞いた言葉だよね、と言おうとしたら、あっけらかんと認められてしまった。
自分で考えて出した言葉じゃないよね、と論破しようとした麒麟は黙るしかない。
「前にこの前線基地で討伐隊のカシラやってたアッカの旦那、Aランクハンターの前任者から教わったのさ」
改めて、三人は戦慄した。
この男は、Bランクハンターでしかない。
もっと上がいる、その現実を思い出したのだ。
「俺はアッカの旦那にかわいがってもらってな……大事なことは、全部アッカの旦那に習ったんだ。躾とかも、全部旦那さ。親からは何も習おうとしなかった」
酒を飲みながら、昔を語る。
この乱暴者が口から出す理屈は、乱暴者自身が尊敬している人から教わったことだった。
「アッカの旦那は教えてくれた。楽しく生きたかったら、好き勝手にしたかったら、どうすればいいのかをな。もしも旦那から教わってなかったら、今頃俺は他のAランクハンターに殺されてただろうぜ」
「……」
ガイセイは、大公から委託されて討伐任務をしている、Bランクハンターである。
決してアウトローではなく、むしろ社会的な責任や立場のある人間だった。
彼は悪事を隠れて働く性質ではないので、何をするにもおおっぴらである。
つまり、好き勝手にやっていることを、公認ないし黙認されているのだ。
であれば、彼への教育はある程度成功していることになる。
もしも彼が許されていなければ、狐太郎が現れた段階で殺されていただろう。
「なんて、教わったんですか?」
「ん? 知りたいか?」
「はい、知りたいです」
麒麟は、わからなかった。
目の前の彼が、何かにとらわれているように見えなかった。
だが彼でさえ、秩序に反しているわけではない。法律に従っているうえで、楽しく自由に生きていた。
「大きく分けて二つだな。やっちゃいけないことは、するな。やらなきゃいけないことは、やれ。それだけさ」
法を犯さず、義務を果たせ。
あまりにも単純で、しかし明確な一線だった。
「細かいところを言うと、仕事への気構えだな。休みを入れるときは申告しろとか、大公様からツケを溜めすぎていると言われた時は返しきるまで街に入るなとか、何があってもカセイを守れとかな」
「……カセイを、守れですか?」
「ああ、死んでも守れと言われてる。そのつもりだ」
恐るべき速度で、ガイセイは酒だるの中身を流し込んでいく。
しかしそれが気にならない程、三人は話に聞き入っていた。
「俺達は仕事をしているから、許されている。人に気を使って欲しかったら、仕事だけは全うしろと言われてきたよ」
ガイセイには、自分の命よりも大事なことがある。あるいは、仲間の命よりも大事なことがある。
それが、無関係の人を守ること。だとすれば、それはもはや理想であり信念なのだろう。
「俺達ハンターは、プロフェッショナルだ! 何があっても、契約を果たせ! それがプロフェッショナルだ!」
格好をつけ始めるガイセイ。
おそらく、アッカの真似をしているのだろう。
「プロフェッショナルは! ハンターは! 自分の命を懸けて、モンスターを倒す! それが仕事だ! 自分の命や仲間の命が惜しいからって、投げ出すような奴はアマチュアだ! 金を受け取る資格がない! 命が惜しいなら、ハンターになるな! 命をかけなくていい仕事なんて、いくらでもあるんだからな! 仕事を投げ出すぐらいなら、死ね! モンスターに食われちまえ! それがプロフェッショナルだ!」
楽しそうに、物まねをしている。
おそらく、その言葉が大好きなのだろう。
自分にそれを教えてくれた人を、今でも尊敬しているのだろう。
だから、こうして誇らしく語れるのだろう。
三人には、それが羨ましく思えた。
「客は! 絶対に成功すると思ってる! 俺がAランクハンターだからな! だから俺も絶対に失敗しない! 絶対にカセイは守る! カセイの連中は、俺に金払ってるんだからな! だから俺も、金を払っている時は絶対に妥協しねえ! 金を払ってる方が偉いんだよ! 金を払うのは偉いことなんだよ!」
剛毅な言葉だった。
その教えを守れていることを、誇っていた。
「自分の命や、仲間の命よりも、仕事が大事なんですか?」
「それがハンターだ!」
「おかしいとは、思わないんですか?」
麒麟は、もうガイセイに逆らう気が起きなかった。
ただわからないから、聞いていたのだ。
「ん? そう思うか? アマチュアだな」
「お金を稼ぐのは、家族を食べさせていくためじゃないんですか? 自分が死んだら、それまでだって思わないんですか? 貴方は強いですけど、仲間の家族がどんな思いをするか考えないんですか?」
「それがアマチュアの理屈だ、仲間と自分のことしか考えてねえ」
げふう、とげっぷをする。
「客はどうなんだよ、客は! お前、客のことを考えろや!」
酒臭い息が、麒麟にぶつかる。
「俺達の仕事は、モンスターと戦うことだぞ! もしも俺たちが仕事を投げ出せば、客が死ぬんだぞ! お前らが客だったとして、どう思うんだ? 金払って雇ったハンターが、死ぬのが怖いからって逃げ出したらどう思うんだ!」
男の中の男が、男に叫ぶ。
「仲間が大事だからお前を見捨てるって言ったら、どう思うんだ!」
自分を誇る。
「アッカの旦那も、今のAランクハンターも、他の討伐隊も! 自分や仲間の命よりも、仕事を全うすることが大事だと思ってる! ここは、シュバルツバルトの前線基地! ここのハンターは、BランクとAランクだけだ! 大公の旦那から、カセイの安全を請け負った豪傑だけだ!」
同僚を、仕事を、誇っていた。
「命を惜しむ軟弱者は、一人もいねえ! 全員プロフェッショナルだ!」




