23
大公ジューガー。
大都市カセイを治める名君で知られ、この国の大王の弟という高い身分の男性である。
彼は娘のリァンをつれて、カセイをシュバルツバルトの脅威から守る前線基地へ訪れていた。
それもこれも、新しくAランクのハンターとなった狐太郎と、そのモンスターをその眼で確かめるためである。
「はっはっは! と言うことで、私が大公のジューガーだ。比喩誇張抜きで、苦しゅうないぞ、楽にして良い!」
「公女のリァンです。どうぞよろしくお願いしますね」
役場の貴賓室にて椅子に座っているジューガーは、大きめの扇子で笑いながら自分の顔を扇いでいる。
その隣で品よく笑うリァンは、ジューガーにどこか似たところのある娘だった。
「……」
貴賓室に案内された狐太郎とそのモンスターは、あまりのことに面食らっている。
なにせ大公であり、大王の弟である。この国の制度もよく知らない狐太郎たちでさえわかるほど、とんでもなく偉いお人であった。
その彼が、特に護衛もつれずに狐太郎と直接の面会をしている。
しかも、挨拶もそこそこに。
(形式とかないのか?!)
ゲームのセーブポイントになっているような国王でもないのだから、他国の魔物使いと気軽に会っていいのだろうか。
もしものことを考えれば、なかなか過激なことである。少なくとも狐太郎の故郷やクツロたちの世界でも、ありえないことだった。
「あ、あの……ひれ伏したほうがいいですか?」
「ん? 苦しゅうないと言っているだろう。私の頭をひっぱたいて馴れ馴れしく振舞わない限りは許すとも。まあ、アッカ君は頭をひっぱたいてくるがね」
(いいのだろうか……)
この前線基地で様々な手順が省略されていることはよく知っている。
しかしそれには、それなりに特殊な事情があった。
つまり元の世界の標準的な常識と、この世界の標準的な常識に大きな差はなかったのだ。
であれば、この状況にも何か理由があるのだろう。
「まあ、狐太郎君が言いたいこともわかるとも。一応書面の上ではいろいろと面倒なことをしていたということにしておくとも。ただねえ、実際にやるとなったら時間がかかって仕方ないだろう?」
「そうですね……」
「他国の君にも想像できるだろうが、正式にやるとなるととんでもない面倒な作法を君に覚えてもらわないといけないんだ。一ヶ月どころか半年は練習しないと、合格は出せないだろう。君も私もそんなに暇ではあるまい。だから書面ではやったことにしておく、いいね?」
「あ、はい」
思いのほか合理的な理由だった。
たしかに面接のマナーでさえいろいろとこまごまとした作法がある。
会社に就職するかどうかでさえ面倒なのだから、大公と謁見するとなればそれはもう面倒な手間があるのだろう。
面倒なので全部やったことにしておくというのは、一種本末転倒なのかもしれない。
「さて……いろいろと確認事項はあるが、君にとって重要なことを私の口から説明しよう。君がAランクのハンターとして、この前線基地を守ることによる……特別な報酬についてだ」
「貴族に婿入りできる……でしたか?」
「そうだが……実はこれには条件と言うか……規定のようなものがあってね。長期間働いてくれれば、その分高い地位の貴族と結婚できることになっているのだ。十年も働けば、王の娘とも結婚できる」
「……え?」
「さらに長く働いてくれれば、次代の王の父親になることもできるのだよ」
あまりにも現実味に欠ける発言だった。
これにはコゴエもササゲも、クツロもアカネも全員驚いている。
「意外かね?」
どうやらこれは、この世界でも異常なことのようである。
狐太郎たちが驚くことを、ジューガーは疑問に思っていなかった。
「いや、その……王の娘と結婚するのと、王の父親になるのって全然話が違い過ぎるような……」
「まったくその通りだ。王の娘と言ってもたくさんいるが、王の父親ともなれば一人しか該当できないからな。政治的にもその重みはまるで違う」
ふむ、とため息をつく大公。
「しかし前例もあるのだよ。というか、私と娘もそのAランクのハンターの子孫だ」
「ぜ、前例があるんですか……」
理論上は可能だが、実際には不可能と言うことになっている……わけではない。
実際に王の先祖になっているのなら、それが書面上であってもあり得ない話だった。
「ジョー君から少しは説明を聞いていると思うがね……元々このシュバルツバルトの前線基地には、正規軍が駐留していた。当然Aランクのハンターに相当する強者も据えてね。しかし……様々な理由によって、君たちのような民間のハンターへ委任することになってしまったのだよ」
嘆かわしいことだ、と首を振っている大公。
それに続く形で、リァンもまた現状を嘆いていた。
「申し訳ないのですが、武官はモンスターよりも他国の軍勢と戦いたがっているのです。モンスター退治など卑しい仕事、外敵を退けることこそ武人の本懐などと言いまして……申し訳なく思っています」
「いえいえ、謝るようなことじゃないと思いますが……」
「いえ、謝らなければなりません……これは政治の問題なのですから……」
大公の親子は現状を憂いているが、勝手に変えることはできないようである。
「まあ、恥をさらすのは止めにして……だ。Aランクのモンスターを複数撃退できる猛者は、何時の時代にもいた。よって彼らに報酬を支払うことでカセイを守っていたのだが……問題があったのだよ」
「なんですか?」
「ある程度カネがたまったら、やめてしまったのだよ」
狐太郎の胸が痛くなる話だった。
確かに最初は、それも予定に入っていたのである。
「君も知っての通り、Aランクのモンスターは極めて強い。であれば強さにあった報酬を支払わなければならないが、このシュバルツバルトではAランクもBランクもゴロゴロと湧く。でだ……一生遊んで暮らせる額の報酬をため込んでしまえたり、末代まで遊んで暮らせる報酬を得ることもできてしまうのだよ」
狐太郎にしてみれば、元の世界に帰る方法を探すかどうかはともかく、生活に困らない程度に金銭を貯めることは目的の一つだった。
そしてAランクのモンスターを倒せると分かった今、それは遠からず達成できるようである。
狐太郎はそれでいいが、大公はそうもいかないのだ。
狐太郎が一年ほど働いて、それでやめてしまっても、後任が都合よく現れるとは限らない。
実際前任者であるアッカと狐太郎の任期には、空白が存在していたわけであるし。
「末代まで遊んで暮らせる報酬をため込んだら、もうどれだけカネを積んでも意味がないだろう? 民間人なら尚のことで、やめると言い出せばそれまでだ。であれば、金を積んでも買えないものを報酬にするしかないだろう」
「貴族への婿入りってわけですか……」
「そうだ。実際のところカセイを長年守るのだから、国家への貢献は多大になる。貴族になるだけの資格はあると、私も思っているよ」
人間、お金があれば今度は名誉や地位が欲しくなるものである。
そういう意味では、金銭以上の価値があるのかもしれない。
「でだ……私たちの先祖に当たるAランクのハンターなのだが……カイという名前だけが正確に伝わっている」
「な、名前だけなんですか?」
「うむ……昔のことであると同時に、何かと複雑な事情があってね……」
十五年ぐらい働いて、円満に王族に入ったというわけではないようである。
「カイという男はね……当時のカセイを治めていた領主の娘と結婚したかったらしい」
「らしい、ですか?」
「うむ、それさえはっきりとしていない。五人ぐらい娘がいて、その全員と結婚したがったという話もあるし、五人の誰かと結婚したがったという話もあったし、一人娘だったという話さえある。確かなことは、とにかくカセイの領主の娘と結婚したがったということだ」
大公が治めるような大都市である、その当時治めていた領主も位の高い貴族なのだろうと察しはつく。
「だがねえ、領主は婿入りを嫌がったのだよ。その理由さえ様々な説があって、子孫である私さえ真実を知らない。カイという男がとんでもなくブ男だったとか、女を痛めつけて殺すこともあったとか、卑しい生まれだったので家に入れたくなかったとか、年をとってから生まれた娘たちなので可愛かったとか……あるいは娘たちに意中の男がいたとかね」
様々な説があることに、誰もが納得する。
なるほど、どれであっても不思議ではないし、複数該当する可能性さえあった。
「とにかく事実として、当時の領主はカイを裏切った。自分の娘を全員婚約させたり病死を装ったり出家させたりして、結婚できない状況にしたのだよ」
「それも諸説あるんですね?」
「そうだ。なにせ人数さえ定かではないのだ、はっきりとわかる筈もない」
ふるふると、大公は首を横に振った。
「領主はカイが諦めて別の貴族の娘を探すと思ったのだろう。だがカイは……怒って暴れたのだよ」
「Aランクのモンスターをまとめて倒せる男がですか?!」
「そうだ」
大昔のことだとはわかっているが、それでも四体と狐太郎は青ざめた。
自分たちが散々苦労して倒せた相手を、単独で撃破できる常識外の『超人』。
それが怒って暴れたのだから、何が起きても不思議ではない。
「彼は自分が結婚したがっていた領主の娘とその婚約者を皆殺しにして、さらに領主の治めていたカセイを壊滅させ、そのうえで領主の妻や愛人、親まで殺して回ったらしい」
(ちゃんとした記録が残っていないのは、カセイが壊滅したせいだな……)
「当然領主も腹を立てた。その当時もAランクのハンターに相当する実力者はカイ以外にもいたので、彼らへ依頼したそうだ。だがね、彼らは領主の依頼を断ったのだよ」
「そうでしょうね」
狐太郎も一応はAランクのハンターなのだが、前任者であるアッカの討伐など絶対に受けたくなかった。
拒否する権利があるのなら、それを行使するだろう。
「Aランク同士のつながりがあったのか、それともカイがAランクの中でも図抜けた実力をもっていたのか。これも様々な説があるが、結局は『原因がバカバカしすぎた』からだと私は思っている。もちろん契約違反をされたからといって大暴れをしていい法はないが、領主に非がありすぎるだろう? 当時の大王が直接依頼をしても、当時の実力者たちは全員が断固として動かなかった」
当時の大王は、さぞ困ったに違いない。
Aランクのモンスターを倒せるのはAランクのハンターだけだが、そのAランクのハンターが暴れだせば他のAランクハンターをぶつけるしかないのだ。
だがそれが無理となれば、力による解決は不可能である。
「困った大王は自らの娘を全員差し出し、カイの子供から次代の王を決めるとまで約束したのだよ。それでようやくカイは治まり、我等の先祖になったというわけだ」
「壮大な話ですね……」
「壮大にバカな話だろう? 解決した後は笑い話扱いとなり、面白がって様々な記録が残されてしまった。おかげで細部は誰にも分らなくなっている」
そして狐太郎は理解する。
その大暴れを、自分たちがするかもしれないと思っているのだ。
だからこそ、最大級の敬意をもって接してくるのだろう。
「愚かなことです」
改めて呆れるのは、公女リァンだった。
「確たることは、カイが前線基地を長期間守っていたことです。であれば領主は、何があっても娘を差し出すべきでした。もしも自分の娘を差し出す気がなかったのなら、最初からそうした契約を結ぶべきだったのです」
うんうんと頷くのは、ササゲとコゴエだけだった。
これに対しては、クツロやアカネ、狐太郎は頷けない。
(物凄いブサイクとか、女を痛めつけて遊ぶ奴とか、好きでもない相手と結婚したくはないだろうな……。結婚したがってた女を殺したり、罪のない街を焼いたりしている時点で、物凄くキレやすいんだろうし)
領主の気持ちや娘の気持ちもわかる。
何もかもが真実ではないかもしれないが、大暴れする時点で心証は最悪である。
「確かに……契約の時点で考えるべきでしたね」
とはいえ、リァンの言っていることももっともだった。
全然関係ないところで暮らしている誰かが結婚を嫌がるのではなく、契約をした当人が嫌がっているのだから、カイが腹を立てるのも当たり前である。
「そうですよね! むしろ名誉に思うべきなのですよ、それだけの英雄から求められることを!」
同じような立場にいるリァンは、むしろ積極的な様子だった。
初めて会ったばかりの狐太郎に対して、途方もなく好意的である。
「このシュバルツバルトに住まう、凶悪なAランクモンスター。それらからカセイを守る、その時代最強のハンター……それがこの前線基地の城主、Aランクハンターなのです!」
「あ、はい……」
「狐太郎様さえよろしければ、私でも構いません! 先払いという形で、嫁がせていただきます!」
「え…す、…少し考えさせてください……」
「考えていただけるのですね! ありがとうございます!」
Aランクハンターは、ただそれだけで素晴らしいという姿勢である。
なお、狐太郎は……。
(嫌だなあ……)
こうした好意に対して、狐太郎は奥手だった。
四体のモンスターはまだ一応信頼やら情報の共有ができているし、親愛であって恋愛ではない。
初めて会った相手から『Aランクハンターなんですね、すご~~い』と言われても喜べるわけがない。
(確かにあんな化け物どもから大都市を守るハンターは偉大な英雄なんだろうけども……英雄ならだれでもいいっていうのは、医者とか弁護士と結婚したいのと変わらない気もするな……)
もしも狐太郎が貴族の娘と結婚するためにAランクハンターになろうとしていたのなら、少しは話が違ったのだろう。
だが努力したわけでもなければ、選択したわけでもない。
(俺は一般的なAランクハンターとは違うみたいだし……この前線基地にいるAランクハンターなら、誰でもいいんじゃなかろうか……)
リァンは美しい娘だった。
背こそ少し高いが、それでも狐太郎よりは年下だろう。
おそらくこの世界における最上級の女性であり、この上も、同等の相手も望めないだろう。
だが狐太郎は、最上級なら『だれ』でもいいという心境ではない。
(まあ実際、他の人でもいいらしいし……そもそも大公の娘と結婚するには何年も働かないといけないわけで……なしだな)
「とはいえ、だ」
大公は話を切り替えた。
娘を見てやる気を出してくれるかもしれないかと期待していたらしいが、外れたので深追いをやめたのである。
交渉の基本は、相手が嫌がっているかどうかを敏感に受け取ることであった。
「君がAランクモンスターを四体従えているとはいえ、君の守りが万全ではないことも聞いている」
「ええ、先日は四体全部を他のハンターへの救援に回して、必死に待っていたとか!」
「そのことには感謝しているが、今後を考えればはなはだ不安だろう」
(おお、そのことも解決するのか)
なんだかんだと後回しになっていた、狐太郎の新しい仲間問題。
この国でかなりえらい男が、責任をもって選んでくれる。事前に聞いていたことだが、とてもありがたいことだった。
「君に護衛を付ける。さすがにAランク相当の実力者は無理だが、Bランクならばより取り見取りだとも」
「ありがとうございます!」
「なに、安いものさ。君も知っていると思うが……Bランクのハンターが何人いても、Aランクのモンスターには歯が立たない。この前線基地ですら、ガイセイ君が一人いるだけだ。他にはシャイン君ぐらいだろうね、Aランクのモンスターを相手に戦力になるのは」
この前線基地にいるBランクハンターは、他の場所のBランクハンターよりも数段強い。それでもガイセイ以外の全員が、Aランクモンスターに勝てなかった。
「Bランクの実力者を五人程度護衛につけるだけで、Aランク上位のモンスターが四体も仲間になるのだ。こんなお得な話はないだろう?」
(まあ、確かにな……)
「ただ……これは言い訳に聞こえるかもしれないが……」
今まで意気のある話し方だった大公は、やや申し訳なさそうになる。
「君にあえてきくが、仮にこの前線基地のハンターを護衛につけるとしたら、一灯隊だけは嫌だろう?」
「はい」
「つまりそういうことだ」
(微妙に魔王が望んだ展開だな……)
Bランクの実力者は結構いるが、その中にはモンスターに対して好意的ではない者もいる。
よって魔物使いということになっている狐太郎の護衛を、嫌がるものが多いということだった。
「護衛という仕事はね、自分の命を盾にしてでも成し遂げなければならない。いざという時に迷ってしまう、躊躇してしまうようでは、任せることはできない」
狐太郎の背後で、四体が強く頷いていた。
嫌な話だが、護衛とは犠牲が前提である。
「よってだ、十分な実力を持っているものの中で、君に対して好意的なものを選出しなければならない」
「難しいことをお願いして申し訳ありません……」
「これは私の仕事だ、君は気にしなくていいとも。Aランクの実力者を探すことに比べれば、たいしたことではないさ! ただ気にしてほしいのは、どんな理由であれ相手が嫌がったのなら、引き止めないほうがいいということだよ」
これも少し前に言われたことである。
無理強いをしても命を懸けてくれない、ということなのだろう。
「ということで、君の護衛を募集する。とりあえずは君と同じ魔物使いの中から有志を募るつもりだ」
「俺と同じ、ですか?」
「さすがにAランク相当のモンスターを従えている者はいないよ。だが様々な実力者が来てくれるはずだ」




