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ある意味当たり前ではあるが、この世界の一般人はとても強い。
ハンターほどでたらめではないが、それでも狐太郎の世界の人々より数段力持ちだった。
小型重機で持ち上げるような岩を成人男性一人で持ち上げ、大型重機が必要そうな大岩を成人男性数人で持ち上げる。
子供や女性でも、大きめの石を軽々と運んでいた。
ある意味ではハンター以上にこの世界の異常さを知れる『日常的』な光景である。
(俺がこの世界で肉体労働とか無理だな。まあ元の世界でも、肉体労働をしていたわけじゃないんだけども)
その風景を見ている狐太郎。
当然ながら、彼のすぐ脇には四体のモンスターが座っている。
見ようによっては労働者が懸命に仕事をしているのを金持ちのボンボンが見物しているようなのだが、実際そんなところである。
作業員たちも流石に狐太郎たちに慣れており、遠くから眺めてくる分にはさほど気にならないようである。
もちろん近づけばその限りではないのだろうが。
「凄いね~~。本当に人間なのかな?」
「その言い方は失礼よ……でも確かに、私たちの世界の人間よりもずいぶん強いわよね」
(俺もそう思うけど、この人たちもお前らには言われたくはないだろうな)
アカネとクツロは素直に『この世界の人間は力が強い』と評価しているが、当然ながら彼女たち二人の方が力は強い。
特にクツロの腕力は、この前線基地でもガイセイ以外なら相手にならないだろう。
そもそも四体とも人間ではないので『人間離れしている』というのは少しおかしい気もする。
しかしその言葉を出さない程度には、狐太郎は分を弁えていた。
(まあ人間だってカブトムシやクワガタムシがおもりを運ぶのを見て凄いとかいうしな……ちょっと極端だけど、そういうことなんだろう、たぶん)
「そういえばさ、大鬼って建設現場で働いてるよね? クツロもああいうのやったことある?」
「私はないわね。知り合いはやってるらしいけど……重機は種類が多いから免許を取るのが大変とか言ってたわ」
「……大鬼がクレーンとかショベルカーを運転するの?」
「しないと思ってるの?」
「それ人間でいいじゃん」
(確かに)
戦闘機のようにGのかかる過激な乗り物ならまだわかるのだが、建設用重機を大鬼が動かすというのは大幅に無駄な気がする。
人間が運転しても大鬼が運転しても同じなのだから、人間に任せればいいのではないだろうか。
なんのために品種改良されているのか、さっぱりわからない。
それに大鬼と人間では体の大きさも違うので、大鬼専用の建設重機が必要になるのだろう。何かが間違っている気もする。
「まず建設会社には私たち大鬼が多いのは知っているわよね?」
「うん」
「場所によっては人間はデスクワークで、現場は大鬼ばっかりのところもあるのよ。だから大鬼用の建設重機もあるってわけ」
「……素手で大丈夫でしょ?」
「あのね……」
あまりにも素人すぎる発言に、クツロは専門外ながらも頭を痛めていた。
(素手で行けるんじゃないかな……)
なお、狐太郎も同じことを考えていた。
「一階建ての平屋ばっかりじゃないのよ? 二階建てとか三階建てとかならまだしも、十階やら二十階の高層建築物を、どうやって素手で建てるのよ。力があっても無理でしょう?」
「投げればいいじゃん。私知ってるよ、熟練の大鬼が上の大鬼にでっかいブロックを投げるところ」
「アレはパフォーマンス、一種の伝統芸能よ! あんなの現場でやったら、即お縄よ!」
「そうなの?」
「貴女ね、法律以前に安全ってものを考えなさいよ! 落っことしたらどうなると思ってるの?!」
(どこの世界も安全第一なんだな……)
大鬼がどれだけ屈強で、重い物でも遠くに投げられるとしても、コントロールが精妙とは限らない。
百階建てのビルの屋上の高さまで巨大なコンクリートブロックを投げることができたとしても、地面から屋上に乗る軌道で投げるなど不可能であろう。
ビルの壁面に衝突するか、全然関係ない建物に墜落するか、さもなくば自分に落ちてくる。
言うまでもないが、失敗しなければいいという考え方は自滅の一歩目である。
失敗する可能性があることは、いつか必ず失敗する。世界はそういうふうにできているのである。
「大体貴女たち火竜だって、車道を走れるけどバスとかに乗るじゃない。バスより早く走れるのに、アレはどうなの? 火竜が乗れるようになってるバスは無駄じゃないの?」
「ええ? だって荷物もって車道を走ったら、帰るころには荷物ぐちゃぐちゃだよ?」
(そのくせ俺を乗せて走ろうとしたのかコイツ……)
当たり前だが、足で走るのとタイヤで走るのとでは揺れが違う。
ましてその速度が早ければ、火竜本人が大丈夫でも荷物やかばんなどは破損してしまうだろう。
「そういうことよ……第一、私たち大鬼でなんでも建てられるなら、そもそも重機を発明する意味がないじゃない」
「まあそうだけどさ……」
納得したらしいアカネは、何かを思いついたように首をひねった。
「それを言ったら、一番よくわからない発明って、クーラーとか冷蔵庫だよね」
(マジで言ってるのか?!)
狐太郎の感性で言えば、クーラーや冷蔵庫は大発明である。
それの存在意義がよくわからないというのは、火竜の考え方に問題があるとしか思えない。
「私も昔はそう思ったわね~~」
(マジで?! 俺がおかしいのか?)
意外にも、ササゲは賛同していた。
おそらく冷蔵庫の発明された時代も生きていたであろう彼女がそう思うのは、中々衝撃的だった。
(クーラーとか冷蔵庫とか、異世界の人が驚くイメージがあったんだが……)
驚きを顔にだけ出して、モンスターたちの会話を注意深く聞こうとしている狐太郎。
そんな彼を納得させる一言が、コゴエの口から出てきた。
「確かに、我等雪女のような氷の精霊や、氷竜がその役目を担っていたからな」
(……そうか、雪女がいれば氷は出したい放題だな)
雪女は冷気を発生させることができるのだから、機械的に冷気を発生させる意味は薄い。
少なくとも不可能を可能にした新発明、というわけではない。
「昔に比べれば大幅に減ったが、今でも我等の同朋がそのような役目を担うこともあるらしい。とはいえ、それも人間の決めたことだ。私に不満はない」
「まあそのあたりが人間の面白いところよね。モンスターをこき使うのはかわいそうだっていう理屈でクーラーやら冷蔵庫を発明しておいて、雪女が大量に失業したり環境を汚染させたりするんですものね」
(なんか社会問題になってるな……とはいえ、その世界の人間の気持ちもわからんではない)
クーラーや冷蔵庫の役割を果たすモンスターがいるというのは凄いと思うが、逆に言うと文字通りの意味で『一家に一台雪女』と言うわけである。
(一人暮らしできねえ)
クーラーや冷蔵庫に人格が宿る、と考えるとすごく嫌だった。実家ならともかく、一人暮らしでそんな家には帰りたくない。
「大昔の冷蔵庫は、雪女が作った氷を入れるところがあって、そこの冷気を使って食品を保存していたのよ」
「へ~~」
(俺の世界もそんな感じだったらしいな……)
奇妙な歴史の一致と必然を感じながら、狐太郎はアカネと一緒に頷いていた。
「何もかもが時代の流れであり、人間の願いの結果だ。クツロやアカネにはわからないだろうが、どれだけ珍妙に思える人間の発明も、その当時の人々にとっては待望の品だったのだ」
「まあ、そういうことよ。大昔の自動車なんて何の役に立つのかわからなかったけど、今では私たちの足でしょう? 人間は試行錯誤を繰り返すことで進化する種族、失敗を重ねても無駄にはしないのよ」
(確かにまあ、そういうもんかもなあ……)
改めて、狐太郎は目の前の人々を見る。
確かに己よりも強い力を持っているが、ちっとも楽しそうではないし、楽そうでもない。
彼らだって重機の存在を知ったら欲しがるだろう。
(大変だよなあ……この世界の人も)
もちろん自分が劣っていることは承知で、見下すなんてありえない。
しかし、羨ましいとは思えなかった。
(モンスターパラダイスの世界も、結局は人間が暮らす世界。それなら俺の世界と似るのは、決して不自然じゃないか。それなら、この世界もそのうち似るのかなあ……)
狐太郎は、目の前の光景をかつての世界と重ねる。
(程度はともかく、大差ないな……)
以前クツロが言っていたことだが、人間社会から『奴隷』という制度がなくなることはそうないのだろう。
現代の肉体労働者が全員楽しく安全で快適な仕事をしているとは、流石に思えないわけで。
(まあ、その『程度』に問題があるわけだしな。少なくとも日本ならモンスターにおびえることはないわけで、モンスターパラダイスの世界も似たようなもんらしいし)
食事とか食事とか食事とか、衣服や住環境、そして食事。
やはり元の世界の方が、相対的にマシなのだろう。
「そういえば……そろそろ俺達がAランクになるらしいな」
「あ、そうだよね! なんか偉い人が来て、私たちをAランクのハンターだって認定してくれるんだってね!」
「食事もよくなるといいよなあ」
「いいよねえ!」
当初から問題だった、食事のひどさ。
一応食えるだけという自然な健康食品に甘んじていたのだが、ようやくそれも解決するようである。
「もう元の世界に帰れるとかは置いておいてさ、とにかくご飯だよね!」
「ああ、まったくだ」
心の底からアカネに同意する狐太郎。
元の世界に帰るとか贅沢は言わないので、とにかくマシな食事がしたかった。
「本当よねえ……いい加減ダイエットみたいな生活は抜け出したかったのよ」
しみじみと同意するササゲ。
彼女は食欲旺盛でもないのだが、それでも不味いメシは嫌がっていた。
なお、クツロとコゴエは余り気にしていない模様。
(とりあえず、臭くなくて柔らかい肉が欲しい……無理かもしれないけども)
ふと脳裏によぎるのは、かつての世界に存在した美食系異世界小説だった。
(考えないようにしよう……)
未来は明るいほうがいい、と狐太郎はそれ以上考えないことにした。
「あ、でも……もしかしたら、上等なごちそうっていっても、私たちが想像するようなのは出ないのかも」
(俺は言わなかったのに……)
言わなくていいことを言うアカネ。
それにも同意するが、賛同したくない狐太郎である。
「私が好きな異世界系のマンガとかだとさ、ちゃんとした調理法がない世界にいった主人公が、美味しい調理法を広めるっていうジャンルがあるんだよね。もしかしたら、この世界もそうかも」
(この世界のどこにも美味しいご飯がない、という可能性を想像してどうするんだ)
なんとも性質の悪いことに、ありえないとはとても言い切れない状況である。
「ちょっと、やめてちょうだいよ。シャレにならないわ」
物凄く嫌そうにしているササゲも、その可能性を否定できなかった。
調理技術が発達していない世界に行った主人公が、平凡な料理を出して大喜びされる。
わりと珍しくないジャンルでありリアリティもあるのだが、最悪なことに『料理が得意な主人公』が不在である。
必要なものが都合よく存在するというのはリアリティを失ってしまうが、そんなリアリティは存在しないほうがよかった。
(祈るしかねえ)
シュバルツバルトで孤立していた時でさえ祈らなかった狐太郎は、この世界に美食が存在することを神に祈っていた。
※
見物にも飽きた一行は、とりあえずテントに戻ることにした。
Aランクのモンスターたちによる襲撃の傷は深く、今も狐太郎の寝泊まりしている家は崩壊したままである。
最優先である城壁の復旧がまだ終わっていないのだから当たり前なので、流石に誰も文句は言っていない。
(それにしても……ここのハンターの皆さん方は、思いのほか物分かりがいいというか、気がいいというか……)
今回の件で狐太郎がAランクになるのだが、討伐隊に属する他のハンターは全員据え置きである。
確かにAランクのモンスターを倒したのは狐太郎だけなので、以前聞いていた話からすればおかしくもない。
しかし一番の新入りが、自分ではなく従えているモンスターを戦わせただけなのだ。古参の面々が不満に思っても、そこまで不思議ではない。
実際時折遭遇する一灯隊の隊員は、物凄く不満そうな顔をしてこちらを見ている。とはいえ以前リゥイが頭を下げていたこともあってか、直接文句を言ってくることはない。
(まあシャインさんは元々学者先生で、Aランクのハンターになることへ興味がないんだろう。ガイセイは自力でAランクモンスターを倒せるから、もうすぐなれるとでも思ってるんだろうな。ジョーさんはいつも通りだし……。いや、形としては俺やみんなが助けたから、恩義を感じているのかもな)
最初から狐太郎が前線基地にいて、他の部隊と一緒に迎撃をしていたらもう少し心証が違ったかもしれない。
あくまでも結果論だが、人間関係に大きく進展のある戦いだった。
(もう二度と御免だけどな)
正直に言って、あの時の狐太郎は完全に正気ではなかった。
何もかもを助けようとして、自分の命を含めた全部を台無しにするところだった。
やはり何かを捨てる覚悟がなければ、戦場では長生きできないのだろう。
「ん?」
狐太郎のテントの前に、役場の職員が多く待機していた。
彼らの職場にして宿舎である役場は、白眉隊の奮戦によって無事だったはず。
よって城壁の外にいるのは、少々意外だった。
「ど、どうも、狐太郎様……お時間よろしいですか?」
男女を問わず、露骨に媚を売ってくる職員たち。
年下の狐太郎に対して、老いも若きもすり寄ってきていた。
「……じ、時間ですか?」
「ええ、よろしければお供の方を連れず、おひとりで……!」
「そうです! 人間同士でお話をしませんか?」
「モンスターよりも、人間の女の方がいいと思いませんか?」
特に、女性陣が近寄ってくる。
「いやあ~~羨ましいですな~~! あやかりたいですな~~!」
「Aランクのハンターは色香が違う! 英雄色を好むといいますが、やはり顔立ちからして違うんでしょうな~~!」
「どうですか、私たちと一緒にお酒でも! こんな基地じゃあ、いろいろと大変でしょう? たまには発散させないと!」
男性陣も周囲からはやし立てていた。
(……何もかも失敗している色仕掛けだ)
ヂャンが役場の職員を毛嫌いしていたが、その気持ちが改めてよくわかる。
彼らは間違いなく狐太郎を利用しようとしているのだが、その手段が大失敗極まりない。
このやり方で成功するとでも思っているのか、それとも他の方法を思いつかなかったのか。
いずれにせよ、ただただ嫌悪感が酷い。
「うわっ……」
同様の嫌悪感を受けたアカネが、露骨に嫌そうな声を出した。
「あの、皆さん……見た目を考えた方がいいと思いますよ~~」
(お前はお前で気を使ったのかもしれないけど、大失敗だぞアカネ)
暗に若くないとか顔立ちが良くないとか顔に卑しさが出ていると伝えるアカネだが、まったく暗になっていない。
「ぶふっ」
以前似たようなことを言われたササゲは、それでも噴き出して笑っていた。
「ま、まあいいじゃないの、アカネ……話ぐらい聞いてあげましょう? もちろん、私たちも一緒に、そこのテントの中でね」
面白そうなおもちゃを見つけた顔をしているササゲは、弄しようとする思惑を顔に出していた。
それはもう、物凄く不吉な顔であった。
(コイツ、話を聞く気ないな……)
狐太郎はその顔を見て味方も大概だと再認識するが、同じように顔を見た職員たちの方はそれどころではなかった。
なにせ悪魔が笑って、密室に案内しようとしているのである。それはもう恐ろしかった。
「い、いえ! これは人間同士の話ですから!」
「そうそう、悪魔には聞かせられない話ですから!」
「まあまあ、そういわずに……皆で仲良くお話ししましょ?」
「ひぃいいい!」
Aランクのモンスターを呪い殺す悪魔に、物凄く詰め寄られている。
なまじ後ろめたいことがあるからこそ、職員たちはおびえていた。
(逃げろよ……)
怯えている一方で、逃げようとしない職員たちに呆れる狐太郎。
彼らの視点からすればどんな凶悪な呪詛が使えるかわからないササゲに絡まれているのだから、さっさと逃げるべきだと思っている。
「双方、それまで。役場のお方がた、まずは要件を聞かせてもらおうか。我等を除いて話したいことはなんなのか、この場で言ってもらう」
苛立たし気になって冷たい息を吐きながら、コゴエはササゲを下がらせる。このままでは、一行に話が進まない。
しかしこの場で話したくないからこそ狐太郎を拉致しようとしている職員たちは、それでも用件を渋っていた。
「いや、それは、だから……人間同士じゃないと言えないことでして……そこは、ほら、気を使って欲しい」
「そうそう、男同士じゃないと言えないこともあるだろう? 君たちには言えないんだよ!」
「別に乱暴をするわけじゃないんだから、少し時間をくれてもいいじゃないか!」
強気な態度に出る男性職員たちと、後ろで頷く女性職員たち。
なんだかんだと、人数の圧力をかけようとしている。
(陰湿な同調圧力だな……ここでガイセイが来てくれれば……)
ふと周囲を見る。
こういう時ガイセイが来てくれれば、面倒ごとを勝手に解決してくれるのだが。
流石に呼びにいくほど厚顔ではないが、それを期待してしまう程度には苛立たしい状況だった。
「わかりました、人間にしか言えないのなら仕方がありません」
一種のクレーム対応だと割り切れば、そこまで深刻でもない。
一灯隊と違って殴り掛かってくることはないのだから、狐太郎は簡単に対応を決めた。
「ジョーさんに同席願います」
「え?!」
「いや、それは、ちょっと……」
「ほら、あのお方は、お堅い方ですし……」
「そうですよ、そういう話じゃありませんから」
偉い人の名前を持ち出すのは卑怯な気もするが、この手の連中は権威に弱いのである。
「あ、貴方一人でないと困るんです! お願いします! この通りです!」
「どうか、少しだけお時間を!」
もはや論理を捨てて泣きついてくる職員たち。
どうやら彼らの辞書に、譲歩や諦めるという発想はないらしい。
自分の意見を全部通すほかに、考えることはないようだ。
「じゃあこの場で言ってください」
しかしそれは狐太郎も同じである。そして力関係は、狐太郎の方が上だった。
いよいよ観念したらしい職員たちは、互いの顔を見合ってから話を始めた。
「狐太郎さんをAランクに認定するために、大公様がいらっしゃるのですが……その時に私たちの転属をお願いしていただきたいのです」
「Aランク認定の恩赦のようなものと思っていただければ……」
案の定の要求であった。
(気持ちはわかるが……俺だってこの基地を離れられないのに、なんでこいつらの転属を陳情しなければならないのだろうか)
自分が苦しんでいるのに、他の人がその苦しみから逃れる。
はっきり言って、物凄く嫌なことであった。
「嫌です」
素直に、思いを伝える。
気持ちを伝えるのは、とても大事なことだった。
目は口ほどにものを言うというので、目でも顔でも、嫌だという思いを伝えていた。
「そんなことを言わないでください!」
「もう私たちは、こんな危ないところに居たくないんです!」
(それは俺もだよ)
完璧にわかりあえているからこそ、双方の意見は完全に対立していた。
やはり人類は、争いから逃れることができないのかもしれない。
「大丈夫です! 私が守りますから安心して!」
微妙にピントのずれた説得をするアカネ。
物凄く自信満々だが、完全に空振りである。
(違う、そうじゃない。そうじゃないんだよ、アカネ……そもそもモンスターが近くにいる場所、というのが駄目なんだよ……)
狐太郎と役場の職員たちは、共に同じ想いを抱いていた。
それが人間同士のシンパシーなのかはわからないが、火竜にはわからない悩みがあることは確実である。
「……いや、そうじゃなくて、この前線基地からカセイに帰りたいんです」
「こんな店も何もないところは、もううんざりなんです!」
(気持ちはわかるが、俺はそんな前線基地に数年勤めなければならないんだけども)
無神経さならば、アカネも職員もいい勝負であった。
どちらも狐太郎をかなりないがしろにしている。
「そりゃあ私たちは、悪いことをしましたよ! ここに送られても文句は言えません! でももう反省しました、こんなところに居たくありません!」
(そんなことを想っている時点で、反省が足りない。もっといたほうがいい)
ここで『じつは無実なんです』とは言わないあたり、無意味に正直である。
「だったら普通に出ればいいんじゃ?」
(だからそういう問題じゃないって……)
要点がよくわかっていないアカネに対して、狐太郎も職員も頭を痛める。
よくわかっていないのなら、話に参加しなくてもいいと思うのだが。
「ここ、別に牢屋ってわけじゃないんだし」
とはいえ、アカネの疑問も一面では真実である。
ここは陸の孤島ではあるが、別に拘束も監禁もされていないし、あえて管理もしていない。
つまり職員たちが集団で脱走することは、そんなに難しくないだろう。
ある意味では、狐太郎と同じである。
ここを出る分には、そこまで問題ではないのだ。問題なのは、出た後である。
この超危険地帯から脱出することができたとしても、そのあと安全な場所で安心した暮らしができなければ意味がないのだ。
「もしも無許可でカセイに帰ったら、私たちは捕まってしまいます! 敵前逃亡扱いで、そのまま死刑です!」
「……そうなの?」
「ここは前線基地です! 嘱託されている民間のハンターなら、申請すればこの基地を出ても問題になりません。でも私たち職員は国に仕えているので、ここを離れることが許されていないのです!」
(思った以上に、扱いが悪いな……)
職員は基地を出たら殺される、とは思っていなかった狐太郎たち。
流石に、アカネ以外も驚きであった。
「ん~~……何か悪いことをしてここに来たんですよね?」
「え、ええ、まあ……」
「じゃあ許してもらえるまで我慢するしかないんじゃ?」
(それが嫌だって話なんだけどな)
ダイエットしたければ食事制限と適度な運動をすればいい、と言わんばかりの正論である。
脱獄を企てず恩赦を望まず、静かに刑期を満了すればいい。まあそうかもしれないが、それができるのならここに流されてくることはあるまい。
「それが無理だからお願いしているのです! この役場は、死ぬまで出られないのです!」
「流刑というか……完全に死刑ね」
呆れたクツロの評価は、とても正確だった。
国家は彼ら彼女らに、死だけを望んでいるようであった。
(人権が機能してねえなあ……)
ちょっと私的な話をしただけで、彼らがどうしようもない人だと分かってしまう。
しかしそんな彼らをあっさりと死地に追いやれるのは、この世界だからであろう。
「ええ? ど、どんな悪いことしたら、そんなことになるの?」
「そ、それは……」
(聞くなよ)
無垢なアカネの問いに、返事ができない職員たち。
自分たちの悪事を、そうほいほいとは話せないらしい。
なにせ狐太郎が『死んでいいな』と思ってしまったら、そのまま彼らは助からなくなってしまうのだから。
なお、既にというか、最初から助ける気はない。
「そ、それは……」
「そ、れ、は~~?」
職員がちらちらと見るのは、物凄くいい笑顔をしているササゲだった。
ササゲも知りたくして仕方がない様子である。
(そうか、悪魔を前に嘘をつくのが怖いんだな……呪われるかもしれないから。なら諦めればいいのに……)
この状況で嘘をつかれても呪うことはないと思うのだが、ササゲの表情は完全に呪う理由を探している顔である。
もしかしたら、ついうっかり呪ってしまうかもしれない、という迫力があった。
「その……実家のお金を、少し使ってしまいまして……」
「だったら返せば許してくれるんじゃない?」
「わ、私が働いたぐらいでは、返せない額でして……」
「それは少しじゃないんじゃないかなぁ……」
無実ではなく、本当に悪いことをして死刑になっている職員たち。
彼らはなんとか言葉を探して、嘘をつかないようにしつつ表現を軽めにしているが、しかし少し確認をすればぼろが出てしまった。
「何に使ったの? 病気の子がいたとか?」
「いえ……女の人と一緒にお酒を飲むお店に……」
「うわっ、サイテ~~」
同情の余地がない罪の告白に、アカネは軽蔑の視線を向ける。
なお、言いたくもないことを自分の口で言うことになった職員は、体を恥ずかしさで震わせていた。
おそらく、ササゲが近くに居なければ、適当なことを言って狐太郎を騙すつもりだったのだろう。
(私はバカですって言ってるようなもんだからな……大変だな……もう諦めろよ)
「いいじゃないですか! うちは金持ちだったんですから、好きなことに使っても許されるはずでしょう! 第一、私だけじゃないんですよ、そういうことをしていたのは!」
「もう……女の人とお酒を飲むために家のお金を持ち出す人とお話ししたくない……ご主人様、帰ってもらいましょ~よ~?」
(俺はさっきからそのつもりなんだけどな……)
もしも恥を知る者ならば、こうして自分の恥部を言ってしまった後では引きさがるだろう。
厚かましいことを要求していると客観視してしまうのだから、自己嫌悪に陥りすごすごと帰るべきだ。
(だがしかし、尋常の羞恥心をもつものならば、そもそもこんなところに島流しにされていないわけで。加えて彼らは命がけ、まさに脱獄同然の心境……引き下がっていいことがあるわけもないのなら、圧してくるはず……なぜなら、これ以上悪くなり様がないから!)
狐太郎は凡人である。
凡人だからこそ、役場の職員の気持ちがわかる。
あ~~仕事したくね~~とか。
使っちゃいけないこのお金、ちょっとぐらいならばれないかもな~~とか。
あの綺麗な人に声を掛けたいな~~、偉い人の奥さんだけどもしかしたら少しぐらいは……とか。
まあ、そんな誘惑がないわけでもないのだ。
もちろん狐太郎は踏みとどまれる側なので、心の悪魔に従うことはないのだけれども。
だが『気持ちはわかる』。彼らは絶対に引き下がらない、なぜなら楽な方に流され続けてここにきてしまったのだから!
(しかも彼らは全員が似た者同士、徒党を組んでいることによって気が大きくなっている……これを撃退することは、俺達に可能なのか……?)
異世界にも存在する、モンスタークレーマー。
もちろん厳密にはクレームをつけているわけではないのだろうが、それでもこの世界に『人間』がいることを教えてくれる不愉快な現状だった。
人間は人間でもダメ人間だったが。
(人々は本当に守る価値があるのか、という永遠の課題が俺の前に……いや、そういう問題じゃないな。とにかく何とかしたいけども……)
なんとも最悪なことに、狐太郎には良識がある。
目の前にいる彼らがダメ人間だと確認できても、じゃあ殴ってやれという気分にはなれなかった。
口実さえあれば喜んで殴る、という阿呆ではない。その点を、彼らに付け込まれていた。
先日の東風隊のように殴り掛かってきたのなら正当防衛と判断できるが、流石に今のところはそうでもない。
果たしてどう追い払うべきか、狐太郎は思案せざるを得なかった。
「あ゛?!」
後ろから恐ろしい気配が近寄ってきた。
「お前ら何やってんだ? そんなに暇なのか?」
物凄く苛立たし気で、物凄く腹立たし気で、物凄く喧嘩っ早そうな男。
一灯隊の三番手、ヂャンである。
「ひぃ?!」
役場の人間を嫌っていると言い放つ彼は、やはり役場の人間に恐れられていた。
彼が来ただけで、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「ゴミどもが……! どうしようもない奴らだな、まったく」
(そうだな)
口汚く罵るヂャンに、狐太郎は内心で同意する。
しかしこうなると、また別の問題が発生してしまうのだが。
(何をしに来たんだろうか……)
当たり前だが、ヂャンはヂャンで狐太郎に好意的ではない。
たまたま狐太郎のテントの前に来た、というわけではないだろう。
「ふん……ジョー様のところにも来ていたからな、こっちにも来てると思ったぜ」
「助け船を出しに来てくれたということか?」
「勘違いするんじゃねえぞ、氷の精霊。俺は別に、お前たちを助けに来たわけじゃねえ」
礼を言おうとするコゴエに対して、この上なく明確な敵意を向けるヂャン。
狐太郎たちに好意を向けるようになった、というわけではない。今までのままであると、釘を刺していた。
「俺は、アイツらが嫌いなだけだ。俺がお前らを好きになったなんて、思うんじゃねえぞ」
そのまま去っていくヂャン。
その背中には、隠し切れない苛立ちがあった。
「ツンデレだね」
「やめなさいよ」
しかしそれは、アカネには通じなかった。
言葉の意味が通じずとも怒らせると思ったクツロは、アカネの口を無理やりふさぐのだった。
(確かにツンデレだな……)
なお、狐太郎もそう思っていた模様。




