ユーハブトリガー、アイハブトリガー
さて、先に、明確にしておくことがある。
まずダークマターは植物型モンスターであって、植物ではない。
そして、藻とは植物ではない。
一般に言う藻類とは、突き詰めて言うと『藻っぽいなにか』でしかない。
菌類という考え方がなかった時代に『ぱっと見藻』というものは、植物であれ菌類であれ全部藻類ということになっていたからだ。
その説明をしたうえで、藻類の脅威について語ろう。
何も知らない人間は、良く調べもせずに何も考えず『人間の悪性』について語る。
環境を激変させ、他の生き物を大量に絶滅させる。そんな生き物は、人間だけだという。
完全に嘘である。
生物の歴史を学んだのなら、絶対に口から出ない言葉である。
もちろん人間が大量絶滅を引き起こしていることは事実であり、環境の急激な変化が生じていることも事実だが、『人間だけが他の生き物を大量絶滅させている』というのはただの誇大広告でしかない。
優しい環境の代名詞、植物。その機能である光合成。
それが、大量絶滅を引き起こしたのだ。
植物が存在しなかった時代、はるか古の時代。
その大昔に、藻と呼ばれる形態の菌類が生まれた。
その菌類は光合成により酸素を生成し、それまでの地球環境を激変させてしまったのである。
それまでの生物は嫌気性、酸素に弱い性質だった。
酸素がなかった時代なのだから、当然呼吸もしていなかった。
だがその藻の出現によって、光合成によって、酸素という『有害物質を生産』する行為によって、あらゆる生物は酸素への適応を余儀なくされたのである。
それは当然、大量の絶滅を意味している。
生きているだけで有害、生きているだけで他の生き物を絶滅させたというのなら、それは原始の藻こそがふさわしい。
人間の生活が環境を変化させているとしても、それは藻の生活が作った環境であって、地球が最初からそうだったわけではない。
もちろんこれは生物史としての話であって、地球環境保護の正当性を疑うわけではないことだけは明記する。
※
さて、ダークマターである。
暗黒物質の名を冠するモンスターである。
暗黒物質という言葉を聞くと、大抵の人間は『なんか黒いんだろ』と思うかもしれない。
しかし実際には逆である。黒いということは、可視光線を反射していない状態である。暗黒物質とは『観測できない物質』を意味し、色を論ずるのならば透明なのである。
ダークマターと呼ばれている植物型モンスターは、流石に暗黒物質で構築されているわけではない。
ただ見えない、どこにいるのかわからない。
それこそ、まるで空気の構成物質のように空中を漂い、可視光線以外の光(電波)を用いて光合成をおこなっているとされる。
なるほど、よくわからん生態である。
どこにいるのかわからない、どれだけ大きいのかもわからない。それがこのモンスターの不死性である。
しかしそれだけならば、Aランク上位、最強種と呼称されることはない。当然、その攻撃力は尋常ではない。
この藻は、光合成をし、呼吸も行う。その規模は、天変地異に匹敵する。
尋常ならざる光合成により、周囲の大気の構成が変化してしまうため、近くを通りかかるだけで通常の生物は死に至る。
また大気を吸い込むことによって周囲の気圧を著しく低下させ、やはりその生物を死に至らしめる。
だが最大の攻撃は、呼気にある。
吸い込んだ大量の空気を、大気と呼べるほどのレベルを、台風の域で放出する。
それも上空ではなく、地表と言える場所で。
それが周辺一帯へ、どれだけ影響を与えるのか。
当然、気圧が上がる、という程度に収まらない。
ダークマターの吐息は、大爆発である。その規模、威力たるや、Aランク上位モンスターの中でも、さらに上位へ食い込む。
認識できない爆弾、破壊の吐息、ダークマター。
原始にして最強の植物は、まさしく原始の地球の荒々しさそのものである。
「あのさあ……僕が言うのもどうかと思うけど、そんなのどうやって倒すんだい? そもそも見つけられるのかい?」
ホワイトから説明を聞いていた究極ちゃんは、摩訶不思議な生態に疑問を抱いていた。
百人の生贄をささげることで完成した、三つの不死性を持つ彼女をして、意味の分からん藻である。
透明にして、無音、無味無臭。近づけば呼吸困難に陥って死ぬ。
戦うことさえできない、凶悪な存在。それがAランク上位の中でも、厄介とされるゆえんである。
「ここで俺が説明するのも釈迦に説法だが……ダークマターの対応法は、割と単純だ。ダークマターはどこにいるのか普段はわからないが、息を吐いたのなら必然的に見つけられる。爆心地周辺に必ずいるからな」
「そりゃあそうだろうけども、本人が風でぶっ飛ぶことはないのかい?」
「ない」
「ないのか……」
Aランクハンターの攻撃力、効果範囲をもってすれば、「だいたいこの辺一帯」に壊滅的な被害をもたらすことは可能である。
「俺が聞いた限りだと、倒し方は二つある。一つはタイカン技で消し飛ばす、もう一つは『天敵を呼ぶ』だ」
「……いるの? 天敵」
「いる」
Aランク上位モンスターも、無敵ではない。
フェニックスがノットブレイカーの餌であるように、Aランク上位モンスター同士では相性が生じてしまう。
当然、ダークマターにも天敵はいる。
「ダークマターの天敵は、マリンナインとカームオーシャンだとされている。どちらもダークマターを好んで捕食するという。以前に引き分けて食い合って共倒れをしたのも、ダークマターを奪い合った結果だともいわれている。実際にどうだかは知らん」
「知らんってなんだい……」
「仕方ないだろう。マリンナインと戦ったことのあるAランクハンターは、『アレにそんな知能ねえよ』と言っているし、カームオーシャンと戦ったことのあるAランクハンターも『アレにそんな知恵はねえよ』と言っている」
クラゲ型の頂点であるマリンナインも、スライム型のカームオーシャンも、よくわからん生き物である。
そのよくわからん生き物が、何をどうやって獲物を探しているのかなど、誰もはっきりと理解していない。
しかし確実なことがある。
アレは、知恵など必要としない生き物だと。
生物にとって、生存こそ勝利。それはモンスターも変わらない。
最強種とは、最強であることによって生存を勝ち取った猛者。
この星の最強生物たちである。
「君、そんなのと張り合うのかい」
「……ちょっと後悔しているけども、今更だしな」
ホワイトはかなり後悔しているが、今更であろう。
彼は少し申し訳なさそうな目で、馬車に乗せられている彼を見送っていた。
「後は任されたんだ、俺の仕事だ」
「やれやれ、仕事への想いを、多少僕に分けてくれ給えよ」
「立派なハンターとは」
「ろくでなしかい……」
「仲間よりも仕事が大事だ。自分よりもな」
現在狐太郎は、意識不明である。
環境に適応するという服をもっと早い段階で着ておけば話は違ったのだろうが、既に長く適当でない空気を吸いすぎていた。
とにかくできるだけ距離をとる必要があった。
狐太郎は意識が戻らないままに、カセイへと移送される。
しかし、彼のモンスターたちはそれを見送るだけで、ついていくことはなかった。
彼女たちはやるべきことがある。本来なら同行したいところだが、優先順位ははっきりしていた。
「立派だと思わないか。自分が倒れるまで危険地帯に身を置いた男と、それを見送るモンスターたち。立派なハンターだ」
今後はわからない。
しかし今まで、彼はなすべきことをなし続けていた。
「……さすがはAランクハンター、そう思わないか」
「僕は嫌だよ、君を見送るのは」
「ふん……そうやって甘やかすのは刷り込みじゃないか?」
「そうやって決めつけるのはよくない。だいたい、普通のことだろう?」
その返事を聞いて、ホワイトは少し安心した。
「そうだな、普通だ」
「そうそう、普通普通」
であれば、彼女たちが落ち込んでいることも、とても普通なのだろう。
その心中は、察するに余りある。普通とは、弱める表現ではない。
「きっとつらいよ」
「そうだな。だが死ななかったんなら、まあ大丈夫だろう」
そう、死ななかった。
それだけが、本当に救いだった。
見送る四体の心中は、それこそそれ一色だった。
死ななかったのだ、己の主が。
最後の最後で自分たちに謝ってくれた、呪わなかった男が、死なずに済んでくれた。
死ななくてよかった。本当に心からそう思っている。
本当は、彼のそばにいたかった。
本当はカセイに同行したかった。
だがそれはできない。
一緒にいても何もできないし、何よりも筋を通していない。
「殺してやる」
頭から出た言葉よりも、肚から出た言葉は重い。
四体の怒り、憎しみは深い。
四体は彷徨うように森へ入っていこうとする。
それに対して、ジョーは後ろからやんわりと声をかけた。
「止める気はない。君たちは役割を果たしに行くだけだからね」
彼は彼女たちを止められない。
Aランクハンターに従うモンスターが、Aランクモンスターの潜む森に突入するのだ。
それを止めることなど、誰にもできない。
もとより狐太郎の護衛は、狐太郎を守るためだけにいる。
ブゥを始めとした彼らは、全員が彼と同行している。
だがそれでも、彼女たちだけで森に入る分には全く問題ではない。
「だが、手が必要ならなんでも言ってくれ。君たちが無理をするつもりなら、回収だけでも任せて欲しい」
だがそれは役職上のことだ、能力的な問題ではない。
彼女たちは強いのだが、どうしても負担が大きい。
「……ありがとうございます、ジョーさん」
彼の気遣いがありがたかった。
無謀だからやめろなどとは言わない、
一緒に行くと言ってくれている。
だがアカネは、それに応える気がなかった。
「でも、私たちにやらせてください。私たちだけでやらないと意味がないんです」
「……そうか、わかった。武運を祈るよ」
それをくみ取って、ジョーは彼女たちを見送った。
彼女たちは馬鹿ではない。魔王になることにデメリットがあるからこそ、逆に無理をしない。
勝算があるのなら、止める必要はない。
余計な詮索をしないことはこの基地の不文律であり、彼もそれを守っていた。
「……いい人ね、ジョーさんは」
森に入っていく中で、クツロはそうつぶやいた。
誰もが無言で肯定する。
心配しているよ、と言ってくれた。
無理をしないでね、とは言わずにいてくれた。
彼女たちは殺意を研ぎ澄ませながら森に入る。
何度も入った森だが、今回はいつもとは違う。
「さあ……ハンティングの時間よ」
現在ダークマターの影響によって、森の中の空気は不安定になっている。
狐太郎のように、一気に苦しむことはないだろう。だが戦いにおいて、不調が生じることはあり得る。
そしてそもそも。
ホワイトが言っていた策も、ダークマターが爆発しなければ探せない。
この広大な森のどこに、不可視の藻を見出すというのか。
「禁制兵器使用承認」
知恵など要らぬと、進化の過程でそれを求めなかったダークマターは知るまい。
遠い世界において、知恵がどれだけ凶暴な牙へと進化したのかを。
「安全装置完全解放」
想像もできないだろう。
ただでさえ己より強力なモンスターに、さらなる強力な兵器を与えた、愚かしき神の存在など。
『キンセイ技もタイカン技も使っていい! 俺の知っている人たちを守ってくれ!』
その安全装置さえ、モンスターにゆだねた神の存在など。
きっと、愚かだと笑うのだろう。
そうだろう、だが。
その愚かしさが、いつだって誇らしかったのだ。
「まず初めに、手ありき」
賢さを武装して、野蛮なことをする。
生物はどれだけ高等に進化しても、やっていることは変わらない。
道具は手の延長だと誰かが言った。
ならば手で殴る代わりに、道具で殴るのは仕方がないのだろう。
「人の手は道具を生み出し、使い、直し、奪い、改めた」
では自分たちは何をやっている。
自分たちは、人の下僕。
人の手にして人の足、人の力。
「そして人は、武器を手放した。人は、武器を手渡した」
戦の神を鎮めるための武器に、人間は美の神の名を込めた。
醜い血みどろの戦争が起こってほしくないからこそ、彼らは美を願った。
使わずに済むのならそれが一番だ、だが使う時が来たのなら。
叡智の兵器は、傲慢なほどに輝き、一方的に破壊するだろう。
生物が長い進化で獲得した毒や酸、爪や牙、糸や針。
それらは彼らの武器であり、生きてきたよりどころだろう。
だがそれを、この鎧は遮断する。
宇宙空間での戦闘さえ想定しているこの兵器の前に、大気汚染など無意味。
いかなる目よりも、いかなる耳よりも、いかなる鼻よりも。
科学のセンサーは鋭敏にそれをとらえる。
殺すため、壊すための兵器を纏って――。
彼女たちは、殺すために走り出す。
私は貴女を信じます、私は貴方に応えます。
最新兵器に込められた約束を胸に、守るものを失った猟犬たちが森に放たれた。
 




