蚤の心臓
基地内の役場では、いつものように業務が行われている。
実家や以前の職場で、大量の横領や不義をやらかしたため、実質的に島流しにされてきた貴族たちが、嫌々ながらも仕事をしている。
彼らには名目上給料が支払われているが、『横領の補填』や『不義の慰謝料』などで相殺されているため、実質的に給料はないに等しい。
それどころか、そもそも彼らに物を売ること自体が禁止されている。
彼らが役場にある大量のお金を横領しても、部屋に飾るぐらいしか使い道がない。
もしもカセイの商人が彼らへ何かを売った場合、双方が厳しく処分される。つまり餌になる。
元々が不正を働いた犯罪者であり、こんな環境である。ここからさらに犯罪が行われるのは必然だろう。
そうして『回転』がおきるので、人はしょっちゅう入れ替わっている。
だが中には、生きることにしがみつくものもいる。
とにかく死にたくない一心と、奇跡が起きることを期待して、今更のようにまじめに仕事をする者たちだ。
「あ~この間来た新人さ、カセイに逃げたんだよ。もう捕まったらしいぜ」
「おかげでこっちは仕事が増えまくりだよ……ふざけやがって」
別に善良でもないので、同僚が死んでもまったく動じない。
普段のように、どの隊がどのモンスターをどの程度倒したのか、それに対してどの程度の報酬を支払ったのかを記録している。
また、城壁の被害や、それの補修にかかった期間や費用などをまとめることも、彼らの仕事だった。
やらなかった場合、それはそれで殺されるので、誰もが大忙しである。
「そういえば、狐太郎が倒れたって騒いでるの、聞いたか?」
「ああ、聞いた聞いた。そりゃ倒れるよな」
「まったくだ。金がたまったんだから、とっとと逃げりゃあいいのに」
実際に逃げられるとそれはそれで自分たちは困るのだが、自分たちの立場であればそうするので、そうしない狐太郎が愚かに思えていた。
もちろん、そう見当外れでもない。おそらく本人もそう思っているし、周囲もそう思っている。
「知っているか? アイツAランクハンターの試験に合格したとき、ショック死したんだと」
「え、嬉しさで?」
「いや、自分のモンスターと野生のモンスターの戦いが激しすぎて」
「まあなあ、Bランク上位でもヤバいもんなあ。Aランクとかシャレにならねえよな」
この基地で暮らしている人間は、皆知っている。
シュバルツバルトのモンスターが、どれだけ強く恐ろしく、多くて頻繁に現れることを。
「最初から無理だったんだよ、あんなひょろい兄ちゃんがここで討伐隊やるなんて」
「むしろよく持った方なんじゃねえの?」
「羨ましいよな~~。体の不調が原因なら、大公様も退職を止められねえだろ」
「玉手箱もあるし、このまま公爵になって人生左団扇か」
「ガイセイとホワイトがいるなら、まあどうにかなるだろうしなあ」
特に親しくもない者が倒れても、周囲の反応などこんなものである。
ましてや心無い者たちなら、思ったことをそのまま口にしても不思議ではない。
だが当然ながら、誰もがそう思っているわけではない。
狐太郎が倒れたことを聞いて、討伐隊の面々には激震が走っていた。
※
狐太郎の家の中に、討伐隊の主だったものが集まっている。
彼らの表情には、驚きと諦めが混じっていた。
こうなる可能性を見て見ぬふりでごまかしてきた者たちである。罪悪感さえ募っていたが、だからこそ「まさかこんなことになるなんて」とは言えなかった。
流石にそれは、図々しいどころの騒ぎではない。
「ずっと無理をさせていたものね……倒れるなんて当たり前よ。むしろ今まで、良く倒れなかったものだわ」
蛍雪隊のシャインは、ため息をつきながら嘆いた。
自分たちも命を賭けている身ではあるのだが、だとしても弱い上に外国人である彼に負担を強いていたことを、改めて嘆いている。
「同感だ、己の無力が嘆かわしい。私にもっと力があれば、彼もこの地を離れる踏ん切りがついただろうに」
もう今となっては確かめようもないが、おそらく狐太郎には自覚症状もあっただろう。
それでも無理をしてここにいたのは、彼がここにいなければカセイが崩壊するからだ。
彼は自分の体よりも、カセイの安全を優先してくれた。それが本当に申し訳ない。
「もうはっきり言うが、このあと体が良くなっても、もうここにはいられねえだろう。それこそ次倒れたらそのまま死ぬだろうしな。責任重大だぜ、ホワイト」
「ああ、わかっている。ガイセイと俺だけが、ここで踏ん張れるからな。そういう意味でも、力になるさ」
ガイセイとホワイトは、狐太郎の引退に対して覚悟を決めていた。
元より己たちは強者である。本来自分たちが請け負うべき職務を、弱い彼に任せていたこと自体が問題だ。
彼の体調が良くなったとしても、自分たちがその代わりになるつもりである。
「そうは言うけど、このままだとまずいんでしょう? 引退に反対はしないけど、まず命を繋げないと」
シャインは聞こえてくる歌に耳を傾けている。
抜山隊の隊員、蝶花による支援の歌だ。
この基地にいる治療属性の使い手では、狐太郎の症状を治せなかった。
蝶花の歌だけが、今の狐太郎の命をつなぎとめている。
「ガイセイ、彼女では治療は難しいのか?」
「ジョーの旦那、アイツは医者でもなんでもないんだぜ? 死なせねえだけ大したもんだと思わねえと」
「……そうだな」
蝶花の歌が命をつなぎとめていることは事実だが、症状は一向に良くならない。
しかも狐太郎自身の体が元々貧弱であるため、強すぎる術にまったく耐えられないのだ。
仮にどんな病気でも治すほどのエナジーが注がれても、体が破裂してしまうだろう。
「それよりも、大公の旦那には連絡したのか?」
「ああ、もちろんだ。今ショウエンが呼びに行っている」
「そうか……大公の旦那も、気が重いだろうぜ」
大公もまた、この状況を嘆いているだろう。
あとほんの少し時間があれば、ガイセイとホワイトがAランクハンターに達し、引退させるか別の場所へ移動させることもできたはずなのに。
「助かってほしいわね……あの子たちの為にも」
シャインは、狐太郎の傍にいる四体を想っていた。
彼女たちが狐太郎のことを慕っていることはよく知っている。
もしも狐太郎にもしものことがあれば、いったいどれだけ悲しむだろうか。
ともかく、生きていて欲しい。
ここにいるBランクハンターたちは、それだけを願っていた。
※
ネゴロ十勇士、フーマ一族。そしてブゥと悪魔たち。
彼らもまた何もできないまま、ただ復帰できることを願っていた。
「……あのさあ、セキト」
「なんでしょうか」
「やっぱりさぁ、狐太郎さんは安全なところにいたほうが良かったんじゃないの?」
物凄く今更なことを、ブゥはさらりと言っていた。
「そりゃあ僕だってさ、狐太郎さんがカセイで遊んで暮らしているのに、あの魔王様たちが必死になって戦うところなんて見たくはないけども。でもこうなっちゃうとねえ……」
本当に今更だが、狐太郎本人にはなんの能力も価値もない。
彼がいないとタイカン技が使えないとか、そんなことは一切ない。
迅速に指揮をとって、戦闘を支援するということもほぼない。
ただの足手まとい、という認識は正しいのだ。
狐太郎さえ現場に出なければ、大抵のことは丸く収まる。
それは全員分かっていたが、彼女たち四体が連れまわしたがっていたので、結局看過していたのだ。
だがその彼女たちこそが、それを後悔しているだろう。
「うふふふ……どうでしょうねえ。私としては、この結末も決して悪くはありません」
セキトは比較的好意的であった。
流石に悪魔、そこまで優しくはない。
「強大な力には、対価が必要です。何の対価も差し出さずに、強大な力を使いこなそうなどとは人間の原理に反します。そして彼は、その対価を払い続けてきた。決して誇張でもなんでもなく、命がけの結果でしょう。偽りのない結果は、私は好きですよ」
「薄情ねえ、セキト。私としては残念だわ」
一方でアパレは、この現状を憂いている。
「治っても治らなくても、この状況が維持されるなんてありえない。あとは温い日々が続くだけなんて、正直耐えがたいわ」
この基地は忙しいが、だからこそ周囲から常に必要とされていて、出番も多い。
だがこの場を離れるということは、その状況が失われるということ。
契約上も健康上も仕方ないが、残念に思ってしまう。
「で、そこの亜人さんたちはどうなのかしら」
「……私どもとしては、ひたすら残念に思っております」
ネゴロもフーマも、狐太郎の護衛として大公に雇われている。その理屈で言えば、今回のことは『完遂』にあたる。
日々の負担が蓄積したことによって倒れたのなら、流石に大公も彼らへ責任を押し付けることはできまい。
もちろん用済みになって追い出されるかもしれないが、この状況では文句は言えない。
だがそれを抜きにしても、どうしても惜しんでしまう。
「大公閣下は私共を拾ってくださいましたし、狐太郎様も失態を冒した私たちを追いださずにおいてくださいました。今回のことは、お二人にとって辛いことでしょう……我がことのように、心が痛みます」
狐太郎は無能だが、まともではあった。
怒るべき時には怒っていたが、意固地になることはなかった。
まともな主の貴重さを知る彼らは、その主の苦境を嘆いていた。
「……それは、僕も同じですよ」
ササゲの冠あってこそとはいえ、Aランクハンターや大将軍の域に達したブゥ。
その彼は、しかし武力や呪いではどうにもならないこの状況で、無力を痛いほど味わっていた。
※
不老不死の魔王が四体。タイカン技さえ使えばAランク上位モンスターさえ葬る、この世界でも最強レベルのモンスターたち。
その彼女たちは、弱っている狐太郎の手を取ることしかできなかった。
(いたわしいわね……一人目の英雄)
この場で唯一狐太郎の苦しみを和らげることができるのは、甘茶蝶花ただ一人。
吟遊詩人であり全体を強化回復できる彼女だからこそ、弱い効果で狐太郎を支援することができていた。
呼吸さえままならなかった狐太郎は、蝶花の演奏によって多少持ち直している。
顔色は悪いままだが、なんとか死なずに済んでいた。
だがやはりそれだけであり、彼を治すには至らなかった。
この基地にも医者はいるのだが、その医者でも彼が倒れて呼吸がままならない原因がわからなかった。
なにせ狐太郎はこの世界の住人ではない。その体の貧弱さは測定不能なほどであり、普段から生きている理由がわからない程だった。
その彼が倒れたとしても、原因などわかるわけもない。
「ご主人様……よくなってよ……私、お弁当作るからさ……」
「今まで無理をさせて、申し訳ありません……」
「ごめんなさいね……私が天使なら、ご主人様を救えたのかもしれないのに……」
彼の手をとる、アカネ、クツロ、ササゲ。
しかし手を取ることしかできず、涙がこぼれるばかりだった。
(あの時と逆だな……)
狐太郎はもうろうとしている意識の中で、以前のことを思い出していた。
蝶花の力でかろうじて命を繋いでいる彼は、自分が助からないことを半ば確信していた。
(初めてタイカン技を使ったあの時……こいつらが全員倒れて……俺は何もできなかった……同じ気分なんだろうなあ……)
もう死ぬ、絶対に助からない。
その危機的状況にも、狐太郎は慣れてしまっていた。
思えば、何度も死にかけてきた。
森で蛍雪隊の隊員と残った時や、四人の学生と雪洞に籠った時。
いずれも死を覚悟する状況だったが、やはり落ち着いていた。
それは、今も変わらない。
(死ぬってわかってると……気も楽だ。でもこいつらはきっと……気が楽どころじゃないんだろうな)
むしろ、周囲の彼女たちが哀れだった。
自分が死んだ後、彼女たちはどうなるのだろうか。
立場云々は置いておくとしても、きっと嘆いて悲しんでくれるだろう。
一人で死ぬわけじゃない、手を取って泣いてくれる人がいる。それだけでも、心は救われている。
だが取り残される彼女たちのことが、本当に心配だった。
(遺書書いておくんだったな……)
まとまらない思考の中で、どうでもいいことばかりが頭に浮かんで消えていく。
しかし思うのは自分のことではなく、周囲の彼女たちのことばかりだった。
(……俺が死んだら泣くんだろうと思っていたけど、本当に泣いてくれるんだな)
死ぬとしたら、モンスターに食われて死ぬのだと思っていた。
まさかベッドの上で死ねるとは、思ってもいなかった。
(……死に方が選べるのなら、これが一番なんだろうな)
惜しまれていることを実感しながら、苦しみつつも死ぬ。
それは決して、悲劇の結末ではない。
だからこそ狐太郎は、自分のことだけは嘆いていなかった。
そんな彼のことを、コゴエはしっかりと見ていた。
(ご主人様は、既にご自分のことを諦めていらっしゃる……このままでは長くない)
苦しみつつも安らかな顔をしている狐太郎は、既に死を受け入れている。
これでは助かるものも助からない。
本人の生きる気力こそが、今は最良の薬だというのに。
(ショウエンは大公を……カセイで一番の医者を連れてくるつもりのようだが……それでも無理だ。ご主人様を救えるのは……)
コゴエの目が、今も懸命に竪琴を弾いて歌う蝶花を見ていた。
(私たちの世界の技術だけだ)
コゴエだけは今も懸命に、救う手立てを考えていた。




