寄る年波には勝てぬ
ノットブレイカーが原因と思われる、海のモンスターたちの大移動。
その解決をすべく、居合わせた強者たちによる共同作戦が開始された。
現役であるナタが沖に向かう間、ホワイトとアッカは漁港の防衛にあたっている。
他の箇所は既に避難が済んでおり、漁港以外は防衛の必要がなかった。
「うわっ……なんだい、あの気持ち悪いモンスターは」
ホワイトが防衛についているのだから、当然彼女も一緒である。
もっとも防御に秀でた吸収形態になって、ホワイトが港の前に作った足場の上に立っている。
その二人の前に現れたのは、巨大な触手の塊だった。
「単体のモンスターじゃない。アレはマミレクマノミと、それに張り付いているコシイソギンチャクだ」
「……魚にイソギンチャクが張り付いていると?」
「そういうことだ。言っておくが、コシイソギンチャクは麻痺性の毒がある。触れば体が動かなくなって、呼吸さえできなくなるぞ」
「言われなくても、絶対に触らないよ」
クマノミ。
魚の一種であり、イソギンチャクと共生関係にあることで有名である。
しかし通常のクマノミは、海底などに張り付いているイソギンチャクの中に紛れる形であり、体から直接イソギンチャクを生やしているわけではない。
とはいえ、その共生方式は明らかだろう。
マミレクマノミは移動手段となり、コシイソギンチャクはその触手の持つ毒によって外敵を排除すること。
「本当ならお前の同調形態に任せて、周囲を巻き込んで麻痺してもらうところだが……」
(こいつ、僕をあのイソギンチャクに向かって投げる気だったのか……)
「今日はアッカ様が見ている! これはもう、俺が頑張らないと!」
「うん、頑張れ!」
マミレクマノミはBランク中位、コシイソギンチャクはBランク下位。
それが一塊となって襲い掛かってくるのだから、その脅威度は通常よりも高いだろう。
だがしかし、ホワイトはAランク下位さえ単独で撃破できる怪物。
「プレスクリエイト……ミンチジューサー!」
圧縮属性の空域を形成し、その中にマミレクマノミをコシイソギンチャクごと入れる。
触れれば毒に侵されるとしても、触れなければそれまでである。
一旦クリエイト技で拘束されれば、ただの魚とイソギンチャクに等しい。
骨も皮も一瞬で押しつぶされ、体液を海中へとばらまいていた。
「いや、流石だね。それでこそAランクハンター」
「ふっ……この程度なんてことはない。それに、俺はまだAランクハンターじゃないさ」
このまま上機嫌でいてもらった方が都合がいいので、彼女はホワイトを持ち上げていた。
どうにも、海のモンスターは毒を持っている種類が多いらしい。
効率を最優先で考えれば、昨日のように同調形態で周囲ごと巻き込んだ方がいいのだろう。
だがそれをされるのは嫌だったので、全面的に我が身を優先していた。
いくらモンスターとは言え、乙女である。
毒のあるモンスターに放り込まれて、粘液まみれになることは避けたかった。
「まだ、な!」
「ははは、もうすぐじゃないか」
「おう……むう! 新手か!」
やや芝居がかった調子で、ホワイトが沖を見る。
すると本当に、海面を飛び跳ねながら向かってくる複数の影があった。
「あれは……鳥型モンスター、クレイジーエンペラー!」
「仰々しい名前だね……っていうか、鳥?」
海中と海上を飛び跳ねて行き来する群れは、どう見ても魚である。
遠くから見る限り、どう考えても鳥ではない。
「来るぞ……ここは俺に任せて、お前は下がるんだ!」
「……いつもその調子でいて欲しいな」
やる気に満ち溢れているホワイトを尊重し、一歩下がった彼女は見た。
自分たちに接近してくるモンスターの、その正面からの姿を。
「……ペンギン?」
Bランク中位鳥型モンスター、クレイジーエンペラー。
非常に大型の、ペンギンに似た姿のモンスター。肉食性で、とても攻撃的。
地上に上がっても弱くはないが、やはり海中でこそその真価が発揮される。
「って、跳んだ?!」
一瞬だけ深くもぐると、海中で加速を済ませたのか高く飛翔した。
ホワイト達が見上げるほどの高さになって、そのまま漁港を狙う。
その鋭く、内側のざらついた嘴で狙う者が、魚だけであるとは思えない。
「アースクリエイト、オリュンポス!」
海の底から、巨大な山がそそり立った。
天まで、尋常ならざる速さで届くかに見える山頂は、二人の頭上を越えて行こうとしたペンギンの群れの前に立ちふさがる。
餌箱に飛び込もうとしたペンギンたちが、まさに山に阻まれた。
全速力で跳びあがったからこそ、突然の衝突には対応が追い付かなかった。
「俺を越えていけると思うな!」
「おお、凄いね!」
「はっはっは! なんてことはない!」
「いやいや、以前に比べて技の速さが全然違うね」
「これぐらい、Aランクを目指せば当然だ!」
「やるじゃねえか」
「この程度で褒められても……はあ?!」
いつの間にか、焼きイカを食べているアッカが隣に立っていた。
心底から大絶賛ではないだろうが、それでもちゃんとホワイトを褒めている。
「大地属性で上空の敵を倒すとはなあ、よっぽど自信がないとできない芸当だ」
「え、えへへへ……」
「出が早い技は、それだけで優秀だ。デカいだけじゃないのは凄いと思うぜ」
「あはははは」
焼きイカを食べている巨漢に褒められて、物凄く恥じらっているホワイト。
その所作は、とても幼い。
「そんだけ強けりゃ、ここに来る用事なんぞねえだろう。まさか今回のことを知っていたわけでもないだろ? 何しに来たんだ?」
「あ、あはははは……」
まさか、ノープランでナタに会ってみようと思った、などとアッカに言えるわけがない。
とっさに言い訳を探した彼は、傍らの相棒を動かした。
「こいつが、どうしても海が見たいって言うんで!」
「まあそんなところだよ」
ホワイトに口実にされたが、ここは貸しということにしておいた。
実際海を見たかったのも本当なので、まるっきり嘘でもない。
「それで、アッカ様はどうしてここに?」
「ん? ん~~」
アッカは、ホワイトと彼女を見た。
かなり身長差はあるが、年齢的には相応の範囲である。
それを確かめたうえで、大きくため息をついた。
「実は、ちょっと一人になりたくてな」
今のアッカは公爵である。
もちろん名目上のことで、実務はほとんどないのだろう。
年齢的にもハンターは引退してしかるべきであり、隠居の域なのかもしれない。
だが、王族と結婚をしているはずだった。
「……すみません、立ち入ったことを」
「いや、俺も誰かに聞いてほしかったのかもな」
アッカは、その手から著しい雷を迸らせ始めた。
それはナタの閃光属性を見たホワイトをして、空前絶後の凄まじい威力だった。
「サンダーエフェクト、ゼウス!」
水平線の彼方まで、致死の電撃が流れた。
一瞬、海のすべてが雷雲に変わったかのように、内部で稲光が走っていた。
それが終わると、大量のモンスターが、死骸となって浮かんでくる。
「暇になったことだし、ちょっと話でもするか?」
「……は、はい!」
ガイセイと同様の電撃属性だが、流石に威力も練度も桁が違う。
既に引退して二年ほど経過しているはずだが、その腕前に衰えは見えなかった。
「知っての通り、俺は伯爵家の生まれでな。若いころは暴れん坊で、そりゃあもう両親に迷惑をかけたもんだ」
過去を語るアッカは、やはり年齢を感じさせる。
己の非を認めたうえで、もう取り返しがつかないと諦めている顔だった。
「いろいろと騙されて廃嫡されたが、誰が悪いって言えば俺だわな。まあ昔はそう割り切れなくて、思いついたのが……」
「シュバルツバルトのハンターの、特権の悪用ですね」
「特権に悪用もくそもあるかよ。ま、我ながら気持ちの悪い復讐だったぜ。取られた婚約者と、両親が選んだ跡取り養子の間に生まれた娘全員を寄越させるなんてな」
事情を聴いている彼女は、完全にドン引きしている。
なにせ言っている本人が自嘲するほどだ、乙女心を持つ者としては忌避感も強いだろう。
「……気持ち悪いか?」
「はい、とっても気持ち悪いです」
「だよな~~……」
彼女からの真剣な言葉を聞いて、アッカは苦しげに笑った。
「現役時代からな、この話をすると決まってそんな顔されたんだよ」
(そりゃそうだよ……)
いくら断らせるためとはいえ、陰湿極まりない発想である。
正直、おぞましかった。
「ジョーもガイセイも、シャインもリゥイも止めてたな」
(そりゃあ止めるよ)
「特に、蛍雪隊の爺さん達からは、酒の席の度にいろいろ言われたよ。アレが一番効いたなあ」
(でも実行したんだよな、この人)
流石にこの件に関しては、ホワイトも憧れてはいないらしい。
いくら合法的とはいえ、本当に気色の悪い復讐だったからだ。
「だがな、大公の旦那は乗り気だった。いや、乗り気っていうか……まあ仕方がないかって考えだった。乗り気だったのは、大王様ぐらいだな」
「この国大丈夫なの?!」
いきなりこの国の将来を憂う彼女。
こんな復讐に乗り気だなんて、そんなのが大王で大丈夫なのだろうか。
「いや、別に大王様だって、領地を吹っ飛ばすことに賛成だったわけじゃねえよ。どっちかっていうと、『反対するわけがない、絶対に差し出すはずだ』ってスタンスだったな」
「そのハクチュウ伯爵って人は、人でなしに思われていたのかい?」
自分のことを恨んでいるであろう男に、自分の娘を全員嫁がせる。
それをするはずだと大王に思われているなど、ハクチュウ伯爵はどんな男だったのか。
まさか娘を嫁がせれば、恨みが消えてなくなると思うわけもなし。
「……いや、違う。大王様は『可愛い娘でも、法で決まっているのなら差し出すはずだ』と言っていたんだ。『もしも差し出さなかったら、その時は儂が嫁を用意してやってもいいぞ』とか言い出すしな」
「……それで、駄目だったと」
「大王様、怒ってたなあ……」
ある意味、ホワイトが言っていたことと同じなのだろう。
立派な貴族とは、家族を犠牲にしてでも、法律を順守するものだと。
「まあ俺としても、アイツらの娘なんか大してほしくなかったんで渡りに船だったんだが……」
「それはそれで酷いね……」
「血のつながりはないが、親戚みたいなもんだからな」
彼は今何を思い出しているのだろうか。
在りし日の思い出か、或いは後悔か。
「……まあそもそも、俺が根拠にした法律自体、王族を罪人の子孫にしないための遡及法みたいなもんなんだ。まさか実行に移すとは、誰も思ってなかったんだろう」
かつて、カイというAランクハンターが、シュバルツバルトを守っていた。
当時カセイを治めていた領主の娘と結婚したがったが、その領主はカイに嫁がせることを嫌がった。
その結果、カイは怒って大暴れをして、国王が自分の娘全員を嫁がせることで丸く収めた。
よってリァンやジューガー、大王もダッキもカイの子孫なのである。
もしもカイが重罪人になれば、王族の全員が重罪人の子孫ということになってしまう。
「ただな、大王様は娘を差し出すのが当たり前だと思っていた。誰だって娘は可愛いが、息子だってかわいいだろう」
「そりゃあまあ」
「この国には徴兵がある。意味は分かるよな? 平民には可愛い息子を死地に赴かせておいて、貴族様は娘を差し出さないなんてあっちゃあいけないのさ」
大王はハクチュウ伯爵の娘が全員不幸になっても、別にいいと思っていたのかもしれない。
むしろ貴族の娘として、立派に義務を果たしたと思ったのだろう。
「でも酷いと思うよ」
「おい、お前な!」
「いや、いいんだ。俺もそう思う。だがな……正直、スカッとした」
「……酷いね」
「だろ?」
後悔はしているが、それはそれとしてスカッとした。
晴れがましくさえあった。
「あの時のハクチュウ伯爵様のご尊顔と言ったらないぜ? まさに絶望って感じだった。なにせあの時点で、娘を差し出すか娘と心中するしかなかったんだからな」
晴れがましくも、暗く笑っていた。
「いっそ、啖呵でも切ってくれればもっと良かったな。『家族のために国家に仕えているのだ、家族を守ってくれないのなら国家の言うことを聞く気はない』といって……」
アッカは、わざとらしく見栄を切る。
「『娘は、俺が守るぅ~~』とかな」
「……それを言われていたら、貴方はどうしていました?」
「嬉々として殴り殺していたな」
家族を自分の力で守る、というのは父親として素晴らしいことだろう。
誰の助けも借りずに、自分一人で、モンスターやら悪党やらから家族を守れる自信があるのならやってみればいい。
まあ相手がAランクハンター、圧巻のアッカという時点で、どうあがいても無理だったが。
「ま、大王様の面目丸つぶれさ。少なくとも大王様はそう思った。だから実際に暴れた俺へ、罰を下すどころか謝って、いい子たちを紹介してくれたってわけさ」
酷い話である。
ある意味法律を厳正に守っているのかもしれないが、どう考えても周りの面々が止めたことの方が正しい。
「で、嫁さんをたくさんもらって毎日楽しくしてたんだが……嫁さん達同士でなあ……」
「仲が悪いんですか?」
複数の女性と結婚をする貴人というのは、決して珍しくない。
しかしそれについて回るのは、女性同士の諍いだった。
結婚した男を愛するあまり、他の女性とぶつかるのは仕方がないのかもしれない。
「いや、全員仲がいいんだわ」
「じゃあ、何が?」
歴代最強の男、故郷を滅ぼした男は、物凄く情けない顔をしていた。
「嫁同士の話題に入れねえ……」
(どうでもいい……)
自分の故郷を滅ぼしておいて、嫁たちとのジェネレーションギャップに悩む男、圧巻のアッカ。
確かにそれは辛いだろうが、もっと別のことで悩んで欲しいところである。
「もう全員仲が良くてさあ……いつも楽しそうに話してるんだけどもさぁ……俺が入れねえんだ。しかも、悪気がないんだよ。結構気を使われてて、俺も仲間に入れようとしてくれてて……でも爺さんには辛いんだわ……」
繊細なのか豪胆なのかわからない男だった。
もしかしたら嫁たちを大事に思っているからかもしれないが、だとしても情けない話である。
「本当はシャイン辺りに相談に乗ってほしいんだけども、今更アイツに会いに行けないし……」
(もうちょっと勇気を出しましょうよ……)
(前半部分は言わなくても良かったんじゃ)
大きな男の小さな悩みだった。
誰にでもいいから、聞いてほしかったのかもしれない。
「口ではどう言っても、まだ若いつもりだったんだが……歳には勝てないもんだ」
等身大の悩みが等身大すぎて困る。
ホワイトにも彼女にも、解決策を示せない難題だった。
「ちょっと一人になりたくてぶらぶらしてたらここまで来て、魚でも食って海でも見ながら考えるかと思ってたら、まあこの始末ってわけだ」
非常に無計画だったが、ホワイトも彼女も特にプランがあったわけではないので、咎めるに咎められなかった。
だがその無計画さがなかったら、今頃この漁港も岬も海岸も壊滅していただろう。
まさに気運という他ない。
「天下のアッカ様が、こんなどうでもいいことで悩んでるなんて、恥ずかしくて笑っちまうだろう」
「……笑うに笑えないです」
「ユーモアがないよね」
「そうか、ふぅ……」
目の前には、広い空と青い海が広がっている。
それを前にすれば、AランクハンターもAランクモンスターも、なんとちっぽけなことなのか。
「格好が悪いねえ、俺は」
笑い飛ばすことが強さなら、笑うに笑えないのは弱さなのかもしれない。
いや、弱さだった。
※
さて、そのころ。
現役Aランクハンター、ナタを乗せた船は沖に出ていた。
この世界における、短距離移動の船は、手漕ぎである。
何分漕ぐ人間が屈強なので、風を帆で受けるよりもずっと速いのである。
アッカが電撃を海へ放電していたように、ナタも閃光で海を煮たたせつつ移動し、ノットブレイカーが見つけてくるのを待っていた。
しかし、想定外のことにぶつかっていた。
何やら、鳥の群れが海面に群がっているところを見つけたので向かってみる。
するとそこには……。
「……ナタさん、これは」
「ええ、間違いありません。Aランク上位モンスター……ノットブレイカーです」
力なく海を漂う、巨大なモンスターの死骸。
一行はオールを漕ぐ手を止めて、それを見ていた。
死してなお、力なく浮かんでいてなお、その姿は恐ろしかった。
殻を持つ巨大なイカは、Aランク上位の威厳を保っていた。
「……な、なんだ、もう死んでるのか!」
「いや~~……なんか知らないですけど、助かりましたね!」
「ああ、大方他のAランク上位にやられたんだろう!」
ホワイトが考察していたように、ノットブレイカー以外のAランク上位は、周囲へモンスターを逃がすような真似をしない。
であればナタが何かをする前に、別のAランク上位が倒してくれたのなら、こんなありがたい話はなかった。
「ナタさん、帰りましょう! これで公爵様も一安心だ!」
「いえ……」
ナタは船から飛び降りると、巨大なイカの死骸の上に立った。
既に腐乱が始まっていて、さらに柔らかい部位を啄まれている。
海の上に浮かんでいるため、まるで足下が安定しない。
しかしそれでも、彼は歩いていく。
「な、ナタさん?!」
「……やはりか」
彼は海面で浮かびかけている『それ』を手に取っていた。
海水よりもわずかに軽いため浮いているが、軽すぎるわけではないのでほとんどが海面に沈んでいる。
だがそれを手に取って掲げれば、それの全体がしっかりと見えた。
「……ありえない」
「ありえないって、何がですか? その『殻の破片』がどうしたんですか?」
そう、ありえなかった。
ノットブレイカーの代名詞、絶対に砕けない殻が砕かれていた。
「フラッシュエフェクト、アルファ!」
光を帯びた拳を、その殻にたたきつける。
Aランクハンターの、全力の打撃。
それが直撃したにも関わらず、まったく傷一つつかない。
「……いったい誰が、これをやったのか」
その破片一つ一つに、まったく違う破壊痕が残っている。
切り込まれた傷があり、削られた傷があり、えぐられた傷があり、綺麗な穴まで開いている。
このノットブレイカーは、他のAランク上位モンスターに殺されたわけではない。
あるいは、だれか別のAランクハンターが壊したわけでもない。
まったく未知の何者かが、このノットブレイカーを倒し、その場を後にしたのだ。
その結果だけが、この海に漂っている。
「これは、ただ事ではない……!」




