先んずれば人を制す
戦乱の世や腐敗しきった末期の大国ならともかく、平和な国では爵位の変動が起こりにくい。
市長と県知事がしょっちゅう変わるようなものなのだから、むしろ健全である。
であれば、同じ爵位の者と競争意識を持つことは必定。
男爵であれ子爵であれ、同じ爵位の家と張り合う。
もちろん侯爵も同じであり、ドルフィン学園内でもそれは起こっていた。
そして例の四人が非常に目立っていることは、各々の家にとって大きなアドバンテージになっている。
極めて現金な話だが、要するに『いやあ、俺の親戚が前線で戦うって言って、大公閣下に気に入られててさあ』というマウントである。
ただの親族自慢ではない。同じ格の家同士で優劣をつけているのである。今後国家規模で何かをするときに『あの家は以前にすげー頑張ったから優先しよう』という記録が残るのである。
つまり他の家は、彼らへへりくだることになってしまう。
下手をすれば「侯爵家四天王」とかが出来上がって、侯爵家の序列に後世へ影響を及ぼしかねなかった。
ありえないとは言い切れない。
容易に爵位が変わらないのだから、一度明確な序列が付くと残ってしまうのである。
改めて、他の家の人間からすれば面白くない話だった。
特にドルフィン学園に通う生徒たちの親は、顔を赤くしたり青くしたりしながら、自分の子供たちへお前も続けという。
しかし『お前死ね』と言われて死ぬ生徒がそういるわけもない。
そもそも生徒側にしてみれば、国家や実家が滅亡するわけでもないのだ。
なんで自分が死ななければならないのか、その必要性が分からない。
ちょっと格が下がるとしても、侯爵から落ちるわけでもない。
そして最大の免罪符は、『ほかのやつらもそうしていない』こと。
命を懸けている四人の方が異常であり、それを当人たちも認めていて、教師たちも解かっているのだ。
あとに続くものが一人でもいれば話は違うが、一人も出なかった。
ドルフィン学園の生徒たちは、全寮制のためある意味隔離されている。
彼らにとっての社会とは学園であり、その学園の同じ生徒たちこそが『隣人』だった。
隣人が全員頑張っていないという理由で、誰もが放棄していたのである。
そもそも、全ての家の者が子供へ戦地へ行くことを強要しているわけでもない。
ほかのことで頑張れという者もいれば、まあ気にしなくていいから馬鹿な事すんなよという者もいる。
同じ侯爵家といえども、均一に誰もが同じ考え方というわけではない。
だがそれは、子供が嫌がろうが断固として強要する家もあるということだった。
※
ドルフィン学園の生徒、侯爵家令嬢パンシー・パンジーはバブルたちの同級生だった。
だった、という過去形であるのは、バブルたちが特進クラスのようなところへ移動したからである。
彼女自身は退学や停学にならず、普通の生徒として学校に通っていた。
その彼女は、学生寮にある自分の部屋で、手紙を読んでいた。
既に何通も溜まっている、実家からの手紙だった。
もちろん開封しているし、内容も見ている。
しかし返答の手紙を出せたことは、一度もなかった。
恐ろしい手紙だった。
自分の親が出しているということも含めて、逃げられない現実だった。
返事の催促を含めて、書面が過激になっている。
このままなんの返事もしなければ、手紙だけではなく実家から直接人が送られてくるかもしれない。
そう思うと、返事を書かなければならないと思う。だが、返事を書くことができない。
恐ろしくて恐ろしくて、結局目を背けてしまう。
目を背ければ背けるほど、現実に負債がたまっていく。
最初の段階で返事を書いておけばよかった、もっと早い段階で返事を書いておけば良かった。
そう思ってしまうからこそ、今書かなければならないと思えない。
後悔と失意だけが、無意味に無慈悲に堆積していくのだ。
それが許容の限界を超える日が来る。
溜まっていく手紙だけではない、手紙を溜めているという心への負担が体を蝕んだとき。
決壊して、誰かにすがるのだ。
「……パンシー?」
泣きながら部屋を飛び出した彼女が頼ったのは、親しい男子生徒のナイト・ダンディラであった。
ここ最近沈んだ様子だった彼女を心配していた彼は、自分の部屋をノックした彼女を見て、いよいよ彼女が追い詰められたことを理解したのである。
「ナイトさん……私……私、どうしていいのかわからなくて……」
「……何があったんだ、言ってくれ」
彼女は縋るばかりで、何も言えなかった。
その代わりに、嗚咽しながら文箱を渡す。
多くの手紙が入っているそれを渡された彼は、既に何かを察しつつもそれを受け取った。
「さ、中へ」
泣きじゃくる彼女を部屋に入れて、椅子に座らせる。
そのうえで彼は、彼女の実家から送られてきた手紙へ目を向けた。
「これ、読んでもいいかい?」
内容に察しはつくし、彼女が渡してきた時点で読んで欲しいことはわかっていた。
だがそれでも、そう聞かずにはいられなかった。
やはり彼女は嗚咽するばかりであり、ナイトは覚悟を決めて読み始める。
「……」
やはりというべきだろうか、差出人が違うとかそんなことはなく、彼女の実家にいる彼女の親が書いた手紙だった。
だがその内容は、親が娘に書いたものとは思えなかった。
あまりにも苛烈で、攻撃的で、排他的で、身勝手だった。
口語訳をすれば、以下のとおりである。
『マーメイド家の娘が大公に気に入られている、お前はなんで気に入られていない』
『あの家の娘が戦地へ行くのなら、お前も行けばいい。さっさと教師にそう言え』
『なんで返事をしないんだ、この役立たずが。手紙が届いていることは知ってるんだぞ』
『あの家に負けているなんてむかつく。ボトル家なんて大したことがないのに、調子に乗ってる』
『お前のせいだ、お前が戦地に行かないからだ』
『返事をしろ、戦場に行くと言え』
『ビーン家なんて大したことがない。あの家の娘にできることならお前にもできるはずだ』
『ブレーメ家の若造に取り入って、今からでも仲間に入れ。死んでもいいから、戦場に行かせてもらえ』
『お前なんて死ねばいい、それで恩を売れ』
『なんで返事をしないんだ! もうそっちに行くぞ!』
自分に向けられたものではないとはいえ、罵倒ばかりの文章は読むことがつらかった。
何通も溜まっていて、それを一気に読むのだから、心労も甚だしい。
だがそれでもナイトは読んだ。
彼女がどれだけ辛い思いをして、この手紙に耐えてきたのか考えると、その苦しみを分かち合わずにはいられなかった。
「……パンシー」
「うう……」
「辛かったな」
ナイトが最初にしたことは、手紙を置いて、彼女を慰めることだった。
「うええ……わ、私……へ、へんじを……返事を書けないんです……」
手紙を書くだけなら簡単だ。
戦場に行きますと書くことや、戦場に行きませんと書くこともたやすい。
だがその先に待つものは、どちらも地獄である。
戦場に行くと言えば、本当に戦場へ送られるだろう。しかも大公が感謝するほどの、危険な戦場へ。戦場へ行くこと自体が恐ろしいのに、さらに危険な地帯へ送られるなど死にに行くようなものだ。
だが戦場に行かないと言えば、実家の親は烈火の様に怒るだろう。
それこそこの文章に書いてあることよりも、何倍も苛烈なことを直接言いに来るに違いない。
やはり彼女は、それにも耐えられないはずだ。
だからこそ、彼女には先延ばししかなかった。
望んで先延ばしにしたわけでも、選んで先延ばしにしたわけでもない。
望むことも選ぶこともできないから、結果的に先延ばしにしたのである。
だがそれも、もう限界だった。
「私、どうしていいのかわからなくて……!」
「よく、相談してくれた」
触れば折れて、砕けてしまいそうだった。
彼女は余りにもはかなく、弱い。
普段からこんなに泣く子ではないのに、どうして追い詰められなければならないのか。
「悪いのは、君じゃない……」
ナイトは、義憤に燃えた。
彼女は泣くべきではない、笑うべきだ。
呵々大笑ではなく、遠慮がちに品よく笑う姿を、彼は望んでいた。
思えば、何もかもあの四人が悪いのだ。
ドラゴンズランドに行きたいだとか、そんなバカバカしい目的のために周囲を巻き込んだことが諸悪の根源だ。
あの四人が勝手なことをしだしてから、生徒はとても迷惑をこうむっている。
教員は彼らを露骨にひいきしているし、実家から無茶な要求をされる生徒も多い。
パンシーもその一人だ。彼女だけではなく、多くの生徒が被害を受けている。
何とかしなければならない。
彼は、正しく怒りに燃えていた。
※
差出人不明の手紙が、四人の部屋のドアに挟まっていた。
極めて荒っぽい字で書かれたその文書は、日時と場所だけ書いてある。
しいて言えば、誰にも言わずに、という但し書きがあったぐらいだろう。
特にやましいこともない四人である、こうした文書で呼び出されるようなことは一つしかない。
この手紙をもらった時点で、全員が集まっていた。
案の定全員が同じ文面の手紙を受け取っていたことで、やはりため息をつく。
「まあなあ……」
「そりゃあ来るわよねえ……」
キコリとマーメは、あんまり驚いていなかった。
先日実技担当の教師から言われていたが、そのずっと前から覚悟できていたことである。
なにせ普段から嫉妬、或いは怒りの視線を向けられている。
お前達さえ余計なことをしなければ、俺達は安泰だったのに。
この学校で一番の有名人になるということは、つまりそういうことだった。
キコリとマーメからすれば、まったくもって割に合わない。
大してドラゴンズランドに行きたいわけでもないのに、毎日必死で訓練を課されて、しかも最終的には死地で護衛をすることになるのである。
むしろ自分たちに護衛がいたっていきたくない。あの日にAランク中位モンスターから襲われた時点で、あの森の恐ろしさは嫌というほど知っている。
なんでこんな苦しい思いをしてまで危ないところへ行こうとしていて、しかも現時点で妬まれているのだろう。
「……二人とも、辛いな」
それを察しているロバーは、二人に同情している。
視線を向けられるだけでも嫌だろうが、こうして手紙を送られればなおのことである。
ましてや直接文句を言われるとなると、赴く前から心労が激しい。
「どうする。マーメ、キコリ……ここで降りるか?」
「降りるわけねえだろう……今日までどんだけ頑張ってきたと思ってるんだ……!」
「ここで降りたら、それこそ実家や先生から何を言われるか……!」
「す、すまん……」
ロバーが気を使おうとしたら、むしろ逆効果だった。
ドラゴンズランドへの情熱などないが、今日までの努力に執着はある。
今まで必死になって努力を重ねてきたのに、この時点で投げ出したら全部台無しになってしまうのだ。
むしろ嫌な日々だったからこそ、ここで投げ出せなくなっていたのである。
またマーメが言うように、ここで二人だけ抜けたら、周囲から凄い叩かれて笑われるだろう。
教師からしても二人を鍛えるために時間や費用を割いたのだし、大けがをしたわけでもないのに投げ出したら怒る筈だ。
周囲の生徒からはむしろ望んだ展開だろうが、きっと大いにバカにするだろう。それは容易に想像できる。
「しかし……どうしたものか。先生たちじゃないし、部外者でもないだろう。となれば……他の生徒だろう」
ロバーは対応に悩んでいた。
この手紙を送ってきた相手に、どう対処すればいいのかわからない。
「俺達四人に送ってきたんだ、俺達が前線基地に行くことを断念させたいんだろう。だがそれを受けることはできない。であれば相手も諦めないだろうが……」
最初の動機は馬鹿々々しいものだったが、既にこの場の四人が気軽に『やめます』と言えない段階になっている。
だからこそ、これを妨害しようという者は、相応の処罰を受けるだろう。
「ことが明らかになれば、学校側も退学や停学などの処分をすることになる。それはもちろん家にも連絡がいくだろうし、場合によっては勘当として家を追い出されるかもしれない」
「まあ、そうなるよな……」
「流石にそれはちょっとねえ……」
生徒たちに要らないプレッシャーがかけられていることの原因は、自分達四人によるものだと知っている。
実技担当の教員が『他の生徒にも危険地帯へ行ってほしいのになあ』と愚痴っていたほどだ。
大人の視点からすれば、正しいことをしているし立派なことをしているのだろう。
だが子供の視点からすれば、余計なことをしやがって、である。
客観視するに、生徒が自分たちを恨むのは当たり前だった。
罪悪感を抱えている状態で、相手の人生を台無しにすることは憚られた。
「なあバブル。お前はどうすればいいと思う?」
キコリは己の婚約者に問うた。
元は彼女が言い出しっぺである、その意見は聞きたい。
「決まってるよ!」
彼女は恐れを知らない、勇者の目をしていた。
「さあ、職員室に行こう!」
三人の悩みをぶっ飛ばして、他人の人生を台無しにする選択をするバブル・マーメイド。
その眼には、一切の後ろめたさがない。
「ねえ、ちょっと待ちなさいよ! 貴女先生に報告する気?!」
「そうだよ! さあ行こう!」
「お前俺達の話聞いてたのか?!」
ことが露見すれば、生徒の人生が台無しにされてしまう。
同じ侯爵家で、同じ学校の生徒である。
男か女かもわからず、何人かもわからない。
そんな状況で、いきなり決断できるものだろうか。
「この話を先生にしたら、そいつの人生が台無しになるんだぞ!」
「キコリ! この手紙を送ってきた人の人生がなんだっていうの!」
勇者は一喝した。
「こっちは最初から命がけじゃん!」
他人の人生を気にする以前に、自分の生命をかけている。
もう怖いものはないはずだと、彼女は客観視していた。
「私たちは! もう命を賭けてるんだよ! こんなことに時間を浪費できないんだよ!」
他人の人生を心配することが、時間の無駄だと断言する。
「さあ行こう! 今行こう! すぐに行こう! 迷う暇なんてない!」
果たして彼女に、人間の心はあるのだろうか。
見た目の情熱に反して、あまりにも配慮が欠けている。
見ず知らずの誰かを傷つけることへ、恐怖を抱かないものだろうか。
共感とか罪悪感とか、どこに置いてきたのだろうか。
「いや……バブルが正しい。確かに今すぐ行くべきだ」
苦渋の表情ではあるが、リーダーでもあるロバーも決断する。
「俺達に退く道がない以上、どうあっても荒々しいことになる。それなら最初から報告したほうがまだましだ」
ここまで重い『先生に言いつけてやる』もないだろうが、まあ仕方がない。
この場の四人で相談して決めていい段階は、もうとっくに通り過ぎている。
「それに……まだ何も起きていない段階なら、罰を軽くするようにお願いすることだってできるだろう。先生たちを信じよう、俺達がお願いすれば聞いてくれるはずだ」
ロバーの説得もあって、キコリとマーメも諦めた。
他の三人が止めてもバブルは教師へ報告するだろうし、それなら助けてもらうようにお願いしたほうがましだ。
「……ああ面倒くせえ」
「こんなことに手を出すんじゃなかったわ……」
しかしそれが妥協からくる消極的な賛成であることは、一応口に出していたのだった。
※
元担任の先生、というと誤解を招く。
今もこの四人を主に担当している教師は、以前からの学級も受け持っていた。
その彼は四人から相談を受けたときも、その手紙を渡された時も、さほど驚いていなかった。
やはり想定できたことである、驚くには及ばない。
「よく相談してくれた。正直これだけ早く相談してくれるとは思っていなかったが、言い出したのはバブルか?」
この、バブルへの信頼感。
配慮を投げ捨てた動きの早さは、彼女のものだと共通認識されている。
バブルは誇らしげで鼻高々だが、流石に褒める気にはならないロバーたちである。
「厳罰は望まない、か。確かにその方がいいだろう。その意味でも、早く相談したことはベストだな。何か起きてからなら、ケイを繰り返すことになる」
もはや故事成語と化している『ケイを繰り返す』。
まだ過去と呼ぶには時間がたちすぎていないだけに、強く教訓として伝わっていた。
「そ、それじゃあ、この手紙を送ってきた生徒が、その……酷い処分を受けることはないですかね?」
「もちろんだ。私たちだって、生徒を誰彼構わず処分したいわけではない。それに君たちの懸念もわかる」
何事も、正当性さえあればいいというものではない。
この場の五人は知らないことだが、ルール上の違反はしていない拳闘士が、非合法の集団暴行を受けて、そのまま始末されたこともある。
合法的に対応しても、相手が捨て鉢になって襲い掛かってくる可能性は無視できない。
特に四人とも侯爵家で、どこに家族がいるのかも簡単にわかる。
狙われている、というプレッシャーは無視できないのだ。
「狐太郎殿の前任者も、根回しをしたとはいえ無茶をしたからな。彼ぐらい人生を賭ける気がないのなら、合法的であれ極端なことはしないほうがいい。まあそれは、彼を追い出した家にも言えたことだが……」
「では、この手紙の生徒に酷いことはなさらないんですね?」
「罰は与えるが、書面に残るようなことはさせないよ。書面に残るようなことをすれば、それこそ大ごとにせざるを得ないからね」
教員の中には、打算もあった。
バブルはまったく気にしないだろうが、他の三人は自分たちのせいで生徒が破滅することを喜ばないだろう。
今後の訓練や、実際の仕事に影響を及ぼしかねない。
理想を言えば、この手紙を書いた生徒に謝らせて、四人と和解させたいほどだった。
「しかし……」
学園をあげてのプロジェクトを妨害されたこととは、まったく別の怒りが彼の中に湧いていた。
「侯爵家の子女が、こんな幼稚なことをやらかすとはな……」
侯爵家に生まれたからと言って、どの生徒も頭がいいとは限らない。
どんな生徒でも侯爵家の当主が務まるほどの水準へ引き上げることが教師の使命だが、こんな手紙を書く生徒がいることを考えると苛立たしい。
「やるにしても、もっとうまくやれ……!」
道徳ではなく悪徳としての拙さに、彼は腹を立てるのだった。




