看板に偽りなし
今更ではあるが、人材がいない戦力が足りないと言っていたカセイの前線基地でも、狐太郎が来る前からBランクハンターが四隊も属していた。
あのバカみたいな森で、戦力としてまともに戦えるハンターが百人以上も在籍しているのである。
ましてや今となっては、その戦力を派遣できるほどだった。
しかしながらそれは、カセイに潤沢な資金があり、なおかつ一点を守ればいいからである。
ほかの前線はそうもいかない。資金にも人材にも、ほとんど余裕はない。むしろないと言っていいだろう。
それを理解している中央、後方は、戦力の要求には速やかに応える。
前線が崩壊すれば敵は入り放題であるし、そもそも相手側に寝返りかねないからだ。
前線と後方で心理的に距離が開き過ぎれば、それは関係の崩壊を意味している。
前線にとって後方は、すぐ後ろにあると思わなければならない。
後方にとって前線は、すぐ前にあると思わなければならない。
物理的な距離は関係ない。到着まで三日かかろうが一週間かかろうが、敵の戦力が素通しされればそれまでだからだ。
前線が抜かれると後方が壊滅する。その事実を、双方が重く思わないといけない。
もちろん、それを正しく理解している「後方」が、どれだけいるのかという話でもある。
カセイに限ったことではないが、前線がきちんと機能していればしているほど、後方は能天気に楽観してしまうのだ。
だが今回の場合、大王も大公も、等しく危機を理解して行動していた。
大規模な軍隊を送ることこそできなかったが、決して見劣りしない大戦力を派遣したのである。
※
東方の前線は、基本的に山岳地帯である。
非常に切り立った山が並ぶ山脈であり、そこが事実上の国境線となっている。
なにせ相手に攻め込む場合、この世界の人類でさえ超えることが難しい山を律義に超えるか、或いは通りやすい限られたルートを選ぶしかないからだ。
もちろん超強い個人なら山越えも簡単だが、物資の運搬や一般兵士の都合も考えれば進軍ルートはどうしても限られる。
そうした一般的な都合もさることながら、この世界特有の『魔境』という概念も重要になる。
魔境というのは、基本的に開拓ができない土地である。
アカネがレックスプラズマをぶっ放して森を焼いても元通りになるように、異常に強い恒常性をもっている。
そのうえで、外観と実際の広さがまったく一致しない。
シュバルツバルトなど最たる例だが、外を一周するだけなら一日もかからない一方で、横断や縦断に成功したという記録さえない。
基本的に内部のモンスターの強さと、内部の広さや恒常性は相互的なものである、ということになっている。
もちろん、万人にとって悪いというわけではない。
まず亜人たちである。モンスターが湧く上に木を切っても生えてくる土地など、農耕にも牧畜にも甚だ不向きである。
だが狩猟だけで考えれば悪くないし、そもそも人間が欲しがらない土地だというのは大きい。単純にすみわけができるだけでも、彼らにとっては大きく意味がある。
加えて前述したように、防衛側からすれば敵の侵攻ルートをさらに制限することになる。
基本的に防衛側の戦術とは、防衛しなければならない道が少なければ少ないほど有利になる。
その分戦力を集中させることができるからだ。
逆に言えば、一旦相手に奪われるととても悲惨なことになる。
守る側が必死であるように、攻め込む側も必死である。これはモンスターとは違った、別種の難しさなのだ。
「……表の軍はどうなっている」
「弓の射程外で陣地を作ったまま、まだ待機しています」
「……そうか」
国境の山岳地帯。その中でも道をふさぐ形で建てられた、比較的小さな砦。
大軍が行くには不便すぎる土地でも、一応は守る必要がある。そして敵が攻め込んでくれば戦うしかないのだが、当然「一応」の戦力しかない。
「以前の侵攻を防ぐためにこの砦からなけなしの兵を送ったが、戻ってきた者はほとんどいない。加えて補充も遅れている……それを確かめるために、ああして威力偵察をしてきたのだろう」
「……あの程度の数を相手に籠城を決め込まなければならないとは、屈辱です」
砦の主と、その懐刀である古株の兵は、現状を嘆いていた。
敵は五百にも満たない寡兵だが、こちらは二百人もいないのである。
守りに徹すれば負けることはないが、素通りをされると追い打ちをかけざるを得ない。
そうなれば大きく被害が出るどころか、壊滅して砦を奪われかねなかった。
もちろん、この砦を奪われても、直ぐに奪い返せるだろう。
だがそれは国家全体の視点であって、砦にいる者たちにとっては文字通り死活問題である。
「とはいえ、相手も半信半疑だろう。だからこその威力偵察だ」
「ええ……敵の性格次第でしょうね」
戦力の優越は敵側にあるが、情報と地形の有利はこちら側にある。
こちらは相手の数が分かっているが、相手はこちらの数を正確に把握していない。
五百を相手に攻め込むことがない、それは以下の可能性がある。
1、砦の中にいる兵が五百より圧倒的に少ないので、砦から出ると負ける。
2、砦の中にいる兵が五百より少し多いぐらいなので、勝てるが被害が大きい。
3、砦の中にいる兵が五百よりも圧倒的に多いが、上の可能性と見せかけて釣って一網打尽にする。
これらを相手が確かめるには、実際に砦へ攻め込むか、或いは砦を迂回するしかない。
当然ながら相手も命がけだが、それが威力偵察というものだ。
「……こんな僻地に攻め込むような輩です。真面目に攻め込むとは思えませんが……」
「相手が不真面目であることを願うとは……この砦も落ちたものだ」
相手も人間である。命令をされたからと言って、命令へ完全に従うとは限らない。
このままとんぼ返りをして、『敵が見るからにたくさんいました~~』と報告をする可能性もないではなかった。
むしろそうしてくれれば、双方傷つかずに済む。
「……ふっ、私もサボタージュをしてしまおうかと思うよ」
「聞かなかったことにします……同意ですが」
だが主導権は相手にある。
しかも相手側がさぼっても報告された側は『なんだ、あの拠点には五百以上の兵がいるんだな』と納得して終わるが、こちらがさぼって素通しすると素通しされた先から『てめえら五百を素通しさせるとか何やってたんだ!』ということになることは確実である。
砦の主、その首一つでは足りないだろう。
「一応、救援は求めていますが……我等と同じように、相手のサボタージュを期待しているかもしれません」
「ふん……こんな砦一つ、奪われても惜しくないのかもしれないな」
軍人としては、状況が理解できる。
相手もこちらも、兵が多く死んでいるため『全力の衝突』は避けている。
だがそれは逆に言って、末端での探り合いが起きるということでもある。
末端であることを自覚している彼らは、自暴自棄にならざるを得なかった。
あるいは、相手も同じだろう。そう期待するしかない。
「ほ、報告します!」
慌てた様子の若い兵が、砦の主の部屋に入ってきた。
「敵兵に動きが! どうやらこの砦を大きく迂回して、そのまま侵攻を試みるようです!」
「……そうか、では仕方がない。私も出よう、覚悟の有る者だけで決死隊を」
「加えて! 西側から救援の隊が接近しています!」
「なんだと?!」
ある意味、敵が攻め込もうとしていることよりも驚きだった。
完全に見捨てられていると思ったのに、本当に救援が来るとは思っていなかった。
「その数は百に満たないのですが……斉天の旗です!」
「……見間違いではないのか?」
もう信じるとか以前に、幻覚を疑うレベルの情報だった。
「本当です!」
「嘘を言うな。斉天十二魔将が、わざわざこんなところに来るわけないだろう」
「本当なんです!」
「たしかに東方へ十二魔将がいらしていることは聞いている。だがこちらに来るなんてありえないだろう」
確かに、ありえないことだった。
大規模な侵攻に抵抗するのならいざ知らず、僻地の小規模な砦へ国王の親衛隊である十二魔将が来るとは思えない。
だが本当だった場合、それはすべての問題が解決したことを意味している。
※
さて、攻め込む側である。
僻地であれ防衛を任される者なのだから、それなりに信頼されているのだろう。
では僻地へ威力偵察を行う側はどうなのか。
「あの、隊長。本気で攻め込むんですか? あんなクソつまらない砦に、俺達で」
「迂回するだけだ」
「……あの、迂回したとしても奥へ行くわけですから、敵地に五百人で突っ込むことになるんですよね?」
「そうだな。だがあの基地が無人じゃない限り、敵が打って出てくるだろう」
「……こっちより数が多いかもしれませんね」
「そうだな、その場合は退散だな」
「仮にこっちより少なかったら、戦って勝たないといけませんよね?」
「……威力偵察とはそういうものだ」
「どうしたんですか、隊長。らしくありませんよ、こんな誰も監視していないところでやる気を出すだなんて」
お世辞にも、優秀で有能な人材とは言い難い。
「……以前にも嘘の報告をしたことがあっただろう」
「ええ」
「バレて大目玉を食らった。せめてこちらが相応の交戦をして帰らないと、俺が殺される」
「ひぇ」
「お前も殺される」
「ひぇ」
このまま戦わずに帰れば、隊長や主だった者以外はほぼ確実に助かる。
だが指揮権は隊長たち、主だった者にある。
そしてもっと言えば、今回の隊長の行動は極めて普通である。
まさか『サボタージュではなくて、普通に威力偵察をしようと言われたので命令を断りました』などと言えるわけがない。
やる気のない隊長に率いられている、やる気のない隊員たちは嫌々でも命令に従うしかなかった。
ある意味、軍の正しい姿と言える。
「……た、大変です隊長! 砦の反対側から、援軍が!」
「なにぃ?!」
高いところから見張りをしていた兵から、報告を受けて慌てる隊長。
うだうだ悩んでいる間に敵の援軍が来たのである、圧倒的に状況は悪化していた。
「何人だ!」
「それが、百人以下です……ただ、その……」
「どうした?」
「変な旗を……その、斉天と……」
一時、彼とその副官、或いは旗の意味を知っている兵士たちは呆れていた。
その旗が掲げられているということは、僻地に王族が現れたと同義である。
「……おい、アイツは字も読めないのか?」
「他の者、見てみろ」
「了解しました……本当だ?!」
「隊長、本当に斉天と書かれています!」
兵たちがかわるがわるに確認して、どんどん動揺が大きくなっていく。
そして相手が砦を大きく迂回して、その旗が明らかになってきた。
誰の目にも見えるほどはっきりと、見事な刺繍の施されている「斉天」の旗が見えてきた。
「……た、隊長、あれは偽物ですよね? 本物がここに来るわけがないですよね?」
「……」
「隊長?」
「総員! 戦闘態勢!」
やる気のなかった隊長に、明らかな火が入っていた。
「いいか! あそこに敵国の親衛隊がいるかどうか、それは問題じゃない! あの旗は間違いなく本物だ! 遠目でもわかるほど豪華な装飾が施されている芸術品だ!」
人は成功率でものを見るが、時として報酬に目がくらむこともある。
極めて正しく、命を賭ける価値を見つけたとき、人は勝算を忘れる。
「あの旗を手に入れれば、一生遊んで暮らせるぞ! あんなちんけな砦、百個落とすより価値がある!」
五百人いる隊員たち、全員の胸に響く名演説だった。
これも、彼への信頼であろう。
他でもない彼自身が、誰よりも欲に目がくらんでいる。
嘘偽りのない本音だからこそ、誰もがその輝きに共鳴する。
「旗を手に入れ次第、全力で離脱する! アレを戦果として報告すれば、それだけで人生が変わるぞ!」
命を賭ける価値を得たとき、人は持てるすべての力を出そうとする。
ただの事実として、報酬は働き手へ力を与える。
「とにかく旗だ! 旗を奪い次第、全力で撤収するんだ!」
旗とは、シンボルである。
そのシンボルが敵国に奪われるということは、まさに大恥と言っていい。
ましてやそれが国家の威信である、王家を守る十二人にだけ与えられる旗ならば。
まさに僻地の砦、百個を奪うよりも価値があった。
「いくぞおおおおお!」
五百人の隊は、ここに一つとなった。
状況は余りにも単純であり、しかも敵よりこちらの方が数が多い。
旗が砦の中に立てられているのならともかく、砦の外にある。
ならばなおのことに、ただ突っ込むだけだった。
「やつらめ、この旗を見て目の色を変えたな。公女様、如何しますか?」
「私たちの務めは、この砦の救援です。敵兵ならば、蹴散らすのみ」
「了解しました」
しかし彼らは考えるべきだった。
それほど価値のある旗ならば、持っている者はその価値を守るにふさわしいものだと。
勝って手に入れれば一生遊べるとしても、勝ち目がまったくないということを。
「兄ちゃんたち、旗を守ってくれや。俺らだけで十分だからよ」
「そうそう、普段は働きづめなんだし、こういう時ぐらい任せてくれや」
「大事なお仕事だぜ~~、万が一奪われたら処刑もんだぞ~~」
見るからに大柄で、見るからに強そうな大男が三人。
彼らは体を動かしながら敵へと歩み寄って、その拳を振るった。
風を切る音だけがあった。
人間が粉々になる音は聞こえなかった。
あまりにも高すぎる破壊力によって、武装している兵士たちの体は粉々に砕け散ったのである。
「え?」
五百人いた兵士のうち、三十人ほどが一瞬で散った。
だが四百七十人もいる、まだ戦えるはずだった。
我も我もと駆けだした、先頭を行く三十人が粉々になって、足が止まってしまっていた。
「旗を奪うつもりだったんだろう? 残念だったな、無理だよ」
「夢見てるんじゃねえよ、身の程を知れや」
「殉職、戦死だ。俺たちに殺されるなんて、自慢できる死に様だぜ」
犬の群れに、虎が放り込まれた。
一人ではCランクさえ倒せるか怪しい兵士たちに、Bランク中位を単独で倒せる男たちが三人も襲い掛かる。
悪いことに、三人ともまじめだった。仕事で手を抜く人間ではない。
口でこそふざけているが、手抜きはしない。
実力に対して相手が弱すぎるが、ふざけない。
地位に対して仕事が軽すぎるが、自分で戦う。
キンカク、ギンカク、ドッカク。
大王から格別の信を置かれている三人は、五百人からなる隊を蹂躙する。
彼らが背負う旗の価値は、彼ら自身の強さの価値。
彼ら三人を倒すことは、あのちんけな砦千個を落とすよりも難しい。
「ほ、本物だ! なんでこんなところに、斉天十二魔将がいるんだ!?」
「畜生、なにが一生遊んで暮らせる、だ! 死ぬしかねえじゃねえか!」
「ま、待ってくれ! 俺も逃げる!」
兵士たちが壊乱する。
目の前で仲間が殺されても、仇を討とうとはまったく思わない。
むしろ仲間が殺されているうちに、自分だけが逃げ出そうとする。
その判断は正しかった。
五百人のうち半数が地面に崩れたが、残った半数は仮の陣地を放り出すことで逃げることができた。
そして彼らを、三人は追わなかった。
生き残った半数には、これから十二魔将の恐ろしさを敵に宣伝してもらわないといけないのだ。
今この地には十二魔将がいる。
彼らは戦線のどこにでも現れ、たとえ僻地であっても見逃さない。
その事実が浸透すれば、国境を越えようとするものは減るだろう。
※
砦の門が開かれた。
冷や汗をかきながら外の援軍を迎えた兵士たちは、敵に陣取られた時よりも慌てていた。
なにもやましいことはない。この戦力であれば籠城は正しいし、援軍が遅ければ孤軍奮闘するつもりだったのだから。
だがやましさのかけらもなかったとしても、要請した援軍として国王の親衛隊と、国王の姪が現れれば誰だって驚く。
ましてや僻地の砦を預かっているだけの男たちでは、心臓が止まりそうである。
「斉天十二魔将、第七席キンカクである」
「同じく、八席ギンカク」
「同じく、九席ドッカク」
仁王像の様に、大きくたくましく、いかめしい顔の男たちが三人並んでいた。
威厳を示す顔の彼らは、その地位を示すためにあえて威嚇している。
事実として、砦の兵たちは全面的に信じた。
彼ら三人こそ、国王を守る十二人の一人だと。
自分達とは生きる世界の違う、懸絶した戦士なのだと。
「そして、ここにおわすお方こそ! 恐れ多くも大王陛下の姪様!」
「大都市カセイを治められる、大王様の弟、大公閣下のご令嬢!」
「公女、リァン様である!」
その三人に紹介されたのは、儀礼用の軍服を着ているリァンだった。
体形が分かりにくい服を着ている彼女は、品よく笑っているだけで身分の高さを伝えている。
この砦の兵たちは王都やカセイに行ったこともないが、彼女が公女だと信じ切っていた。
「救援の報せを送ったのは、この砦の主ですね?」
「は、はい! 私でございます! よ、よもや公女殿下御自らの救援、恐悦でございます!」
慌てて礼をする砦の主。
他の兵たちも、大いに混乱している。
外での暴れぶりを見れば、彼ら三人の強さに疑う余地はない。
しかしだとしても、なぜ公女が態々こんな僻地に来るのか。
本当に「よもや」である。一切誇張抜きに、よもや、としか言いようがない。
「面をあげなさい」
彼女の許可を得て、彼らは礼を取りやめ再び顔をあげた。
そこには、王族の気品と慈愛を持った彼女がいる。
「皆、このような最前線で、良く戦ってくれていますね。父上と伯父上に代わって、礼を言います」
彼女の父は大公であり、彼女の伯父は大王である。
先ほども説明されたことだが、やはり恐ろしいことだった。
「皆の尽力あってこそ、この国は維持されているのです。そのことを、伯父上も父上も忘れておりません」
手袋に包まれた彼女の手が、砦の主の手を取っていた。
「おおお……」
「私が来たことが、その証拠。この国の東を守るために多くの血が流れたことへの、誠意と思ってください」
こうして王族が自ら来て、感謝を伝える。
それは孤立無援だと思っていた砦の兵たちに、この上ない喜びを与えていた。
「今しばらく、この地の傷がいえるまで、私たちは皆と一緒に東の地で戦います。もしも敵の影があれば、いつでも救援を求めてくださいね」
「も、もったいないお言葉……!」
砦の主は、感激のあまりむせび泣いていた。兵士たちも同様である。
重要拠点でもなんでもない砦を救うために、自分たちを助けるために、公女が自ら来てくれた。
それはこの砦の意義を改めて胸に刻むものだった。
自分たちは、国を守っている。
国は、自分たちに感謝している。
それを思い知って、涙を流さずにいられるだろうか。
彼らはここに報われたのである。




