取引の申し出
今更、言い訳などする余地はないので、蒼士は自分がなぜ魔王ジェイガンと交代する羽目になったのかというところからはじめ、おおむね、全てを話した。
一体、アリアドネがどういうつもりで蒼士に語らせたのかは謎だが、彼女は少なくとも、蒼士を責めるようなことはしなかった。
ただ、楽しそうに蒼士を見て、いきなり言った。
「君はなかなかよくやってくれたわ。お陰でこのアリアドネが魔界を支配できる可能性が出てきた」
「……可能性?」
不思議に思って蒼士が首を傾げると、アリアドネは大きく息を吐いた。
「そう、可能性。……というのも、あいつは生前、このアリアドネだけに、こっそり打ち明けてくれたことがあるのよ。……自分は、死んだ後も転生できると」
途端に、蒼士はもちろん、ティーヌと亜矢も含めて、悲鳴のような声が上がった。
「し、しかし俺はっ」
「まあまあ、いいから聞きなさい」
アリアドネは穏やかに遮ると、説明してくれた。
「もちろんこれは、あいつのホラ話かもしれないし、本当は転生なんて無理で、二度と蘇る恐れはないかもしれない。でも、少し前に転生の話を自慢そうに語った時のあいつ、妙に説明が詳しかったのよね。どこに転生するかはわからないが、魔界か自治区のどちらかだろうとか、生まれてから三年後には元の記憶を完全に取り戻すとか、既に何度も転生している身だとか……その話が本当だとするなら、あいつの圧倒的な力も頷けるじゃない」
「そういえば――」
蒼士は嫌なことを思い出し、顔をしかめた。
「魔王ジェイガンの死に顔は、なぜか笑っていた……凄く邪悪な笑みだった。元の自分の顔だけに、嫌な気分になったよ」
途端に、アリアドネが鋭い目つきでティーヌを見た。
「本当ですよ」
ティーヌもまた、頷く。
「配下に命じて、交換した死体を処理する時、わたしもあの笑顔を見ました……」
リビングが静まりかえった。
やがて、アリアドネが盛大に顔をしかめる。
「ふぅん……これは、どうも馬鹿兄貴のホラ話は本当だと見た方がいいわね。となると、もはやあいつは、魔界かこの自治区のどこかに転生している可能性がある」
「そして、本人の説明通りなら、およそ三年後には記憶を取り戻すと?」
ティーヌが嫌そうな顔で後を引き取った。
「で、でもっ」
そこで亜矢が、たまりかねたように口を挟む。
「その時点でも、まだ幼児ですよ」
「関係ないわ。魔界じゃ、生まれてから歩き出すまで、数時間なんてザラだもの。人間とは違うのよ」
「じゃあ、今のうちに生まれた直後の赤ん坊を探すのは?」
重ねて訊いた亜矢に、アリアドネは無情に首を振った。
「この自治区はともかく、魔界がどれだけ広大だか、わかってないわね? しかもあそこじゃ、元々の生存率が低いせいで、子供なんか一秒ごとに嫌というほど生まれているのよ。そんなのいちいち集めてたら、それだけでものすごい数になっちゃうわよ」
アリアドネは無念そうに言う。
自分も以前、同じことを考えたことがあるような顔つきだった。
やや間を置き、蒼士は横に座るアリアドネをじっと見つめる。
「……そんな話を俺達にするからには、貴女には何か提案があるわけだ?」
「君、なかなか鋭いわね」
アリアドネは足を組んで悠然と蒼士達を見た。
「誰にも打ち明けたことはないのだけど、実はこのアリアドネには、任意の人やものを、過去へ戻せるという力がある。五年前の過去のみという限定された時間軸だけだし、アリアドネ自身は戻れないのだけど」
残念そうに述べた後、なぜか含み笑いを洩らした。
「でも、貴方達を五年前に戻すことはできるわ。何が言いたいかわかる?」
蒼士達は顔を見合わせた。
「まさか、暗殺をやり直せというの? でも、五年前だとかなりのズレがありますよ」
ティーヌが指摘すると、アリアドネはあっさり言ってくれた。
「それがなに? 大人しく待てばいいでしょう」
蒼士達が呆れている間に、アリアドネはまた魔法のように右手に一枚のカードを出した。
「そして、五年待ってまた同じ機会が巡ってきたら、蒼士は実行前日に、このカードを燃やしなさい。これはただのカードじゃなくて、これまでのことを記録した、一種の魔法による記憶媒体よ。燃やせば、その内容が全てアリアドネに伝わるようになっている仕組みだから」
念のために蒼士がティーヌを見ると、彼女はそっと頷いた。
本当に、そういう用途のものらしい。となると、彼女の意図は明らかだ。
「つまり……今度は貴女も参加するってこと?」
「その通り。蒼士は一度成功していることだし、再現性は高い。これは、賭けるに値するリスクよ」
アリアドネはにんまりとほくそ笑む。
「そしてその時、アリアドネは馬鹿兄貴を殺さず、弱ったままで封印する……永遠に」
愛らしい顔のまま、彼女は艶然と微笑んだ。
「これで、今度こそあいつはジ・エンドよ。生きていようが、アリアドネの封印結界の中にいる限り、なにもできはしない」
「しかし、この格好はどうする? ジェイガンのままだぞっ」
蒼士が肝心な点を指摘する。
「それなら、安心しなさい」
アリアドネは特に慌てなかった。
「アリアドネが、元の姿に戻してあげる……とはいえ、魔法で見た目をごまかすだけだけどね。でも、少なくとも五年やそこらでこの魔法が解除されることはないわ。誰が見たって森岡蒼士にしか見えなくなるわよ」
「それも、ジェイガンは――」
言いかけたティーヌに、アリアドネは微笑んだ。
「もちろん、あいつは知らない。アリアドネはあいつと違って、わざわざ自分のカードを晒すようなことはしないの」
「なるほど……」
半信半疑だが、蒼士としては信じるしかない。
「それって、全てが終わった後に、森岡君が無事に解放される保証があるんですか?」
難しい顔で亜矢が訊いた。
そこが一番気になるらしい。
「大丈夫、みんな生かしておいてあげる」
愛想よく微笑み、アリアドネは手を広げる。
「正直、アリアドネにとって、ティーヌや貴方達は、さしたる脅威じゃないわ。馬鹿兄貴さえ封印してしまえば、別に殺す必要なんかどこにもないのよ」
うふふ、と声に出して笑う。
「だからこそ、別に蒼士だけを送ればいいのに、わざわざエグランティーヌや、場合によってはその女の子もお供につけてあげようってわけ。これはアリアドネのサービスだと思ってほしいわね。これまでがんばったご褒美でもあるけど」
リビングに再び重苦しい沈黙が落ちた。
蒼士としては、そんなこと言われても、大して喜べない……まあ、一人で行くのは確かに嫌だが。
しばらくして、ようやく蒼士は彼女に向き直った。
「……返事をする前に、十分でいいから、俺達に相談する時間をくれないか?」




